清葦隊
『清葦隊』という女学生剣士団が生まれたのは、大正時代だ。
今でこそ女性にも参政権が与えられているが、当時はまだ女性には参政権を含むあらゆる社会的権利が制限されていた。
ゆえに、男女同権を勝ち取らんとする婦人達の社会運動が活発化していた。
『清葦隊』も、そんな女性の社会進出への気概豊かな時代に創設された集団だ。
「女は、男の背中の後ろでしか存在できない」という風潮に、初期メンバーは異を立てた。
中澤琴——女の身でありながら男以上に武芸に達し、新徴組隊士としても活躍し、無敗を誇ったという美貌の女剣豪。
彼女達は、そんな中澤琴を「理想像」とした。自分達も、中澤琴のように剣を磨き、女の身で男以上に強く気高く生きようと志した。
それに賛同する他の女学生も剣を取って集まり、『清葦隊』は大きくなっていった。
その志は、およそ一世紀経った今なお葦野女学院に残っている。
剣の強さによって、隊内序列を決める——大正時代からいっさい変わらぬその掟によって、『清葦隊』は一年のうちに何度もその序列を大きく変えている。
下から数えた方が早い序列の剣士が、五位圏内の剣士を倒して下剋上を為すという話も別段珍しいものではない。
今やその剣腕は、毎年行われる天覧比剣の本戦に頻繁に参加を果たすほどだ。
そんな屈強な剣客集団となった『清葦隊』における現在の三強——篠、ギーゼラ、そして紫は、今なお祭りで賑わう校内を巡回していた。
『清葦隊』は、葦野女学院の学祭における警備のための自警団としての側面も持っている。
正直言うと、自警団としての『清葦隊』が活躍する機会はかなり少ない。
この学院の学祭に入って来れる人間は、生徒と同じ上流階級や、そうでなくとも社会的地位がそれなりにある質の良い人物である事がほとんどだ。
そういった者達は、己の立ち位置と場をわきまえているため、学祭の風紀を乱すような真似をすることは無い。
しかし、「かなり少ない」だけで、「皆無」というわけではない。
十一年前の日ソ戦の最中でも創設祭は行われていたが、その時に、親ソ派組織による皇女を狙った誘拐未遂事件が起こったのだ。
……のちに特高の追求によって判明した誘拐の目的は、皇女を人質にして日本側に譲歩を迫るというものだったという。
皇女誘拐が未遂で終わったのは、ひとえに『清葦隊』の活躍があったからだ。
当時の隊士らが、その誘拐行為に素早く気付き、学校敷地外に連れて行かれそうになった皇女を助け、なおかつ犯人らを徹底的に叩きのめしたのだ。
帝室がその勇敢さと誠忠を讃えて下賜した褒賞は、今なお学院長室で飾られ燦然と輝いている。
……ちなみに、その頃の隊長はかなり苛烈な人物だったそうで、犯人達を叩きのめしただけではなく、素っ裸にしてから顔面に「朝敵」と書かれた紙を貼り付け、校門にミノムシのように吊るして晒しモノにしたそうな。
そういう前例があるゆえに、隊長である紫は油断をせず、校内における警戒を怠らない。
しかしながら、他の二人は少しばかり浮ついている様子だった。
「いやー、まさか卜部ちゃんにこんなトコで会うことになるとはなぁー。いったい誰があいつにチケットやったんだぁ? しかも去年会った時より、少し可愛い顔になってやがったなぁ。仏頂面が緩んだというか。ありゃ男でも出来たかね?」
紫の左隣を歩く篠が、呑気にそんなことを言う。
右隣のギーゼラも、楽しげにその話に乗ってくる。
「きゃははっ。あの学ランの男の子は良い筋してたけど、隣の女は大した事なさそうだったわよねぇ? 大河内先輩なんかにボロ負けしてるような雑魚みたいだし、早くも一勝いただきって感じぃ?」
人を食ったようなギーゼラの言い草に対し、篠が鼻で一笑して、好戦的な口調で、
「はっ、そんな甘く考えてると、足元すくわれっぜ? 昔の剣の世界では、そうやって相手を舐めてかかった奴から死んでったんだ。現代でよかったな? ギーゼラちゃん?」
「……ふぅーん、言うじゃないの。アタシに負けて副長から引きずり下ろされた分際で」
「——なら、もっかい返り咲いてやろうか?」
「——上等じゃないの」
左腰の木刀に手を伸ばそうとした二人を、紫はたしなめた。
「二人とも、控えなさい。今は任務中ですわよ」
「任務ってさぁ、自警団っしょ? 天沢先輩。心配しなくたって、金持ちの渡したチケットで来た客が問題起こすなんてそうそう無いでしょ?」
「貴女は学院長室に飾られた褒賞を見た事がありませんの? ギーゼラ。たとえどれだけ可能性は低くとも、可能性はあるのです。である以上、可能性の高低は警戒を怠る理由にはなり得ません」
紫がそう厳しく断じると、ギーゼラは「はいはーい」と、篠は「あいよ」と言って喧嘩をやめた。
この二人は今年の四月からずっと「こんな感じ」だ。
油断すると場所もわきまえずに立ち合いを始めかねない。
今日は創設祭であるため、無駄な争いは本校の印象悪化に繋がりかねない。ゆえに紫がこの二人に目を光らせておかなければならないのだ。隊内で唯一この二人の上に立つ、紫が。
——ギーゼラが副長になったのは三日前だ。その前は篠が副長だった。
しかしそれは、六日前に篠がギーゼラに勝って副長の座を奪い取ったからだ。
つまり、この二人は何度も序列の入れ替わりを起こしている。
清葦隊に入隊できるのは中等部からだ。
ギーゼラは今年初等部を卒業して中等部一年生となって、清葦隊に入った。
そして入隊早々、副長であった篠に勝負を挑んでコレを打ち負かした。
それ以来、二人は剣の腕を競い合う好敵手のような関係となっていた。
ひとまずは大人しくなったようなので、紫は警備に意識を戻した。
現在、昼過ぎ。
三人がいる場所は、高等部校舎三階だ。
現在見廻りをした限りでは、創設祭は何ら問題無く進んでいるようだ。
午前中、四階で何か騒ぎが起こったようであるが、すでに沈静化している。
高等部校舎四階——その単語を心中でつぶやいた時、紫の鼓動がわずかに高鳴った。
つねに平静を心得ている紫の心が、期待でかすかにざわつく。
だめだ。今は警邏の最中だ。こんな浮ついた気持ちを持つなど言語道断……紫はそう己を戒めるが、幸か不幸か、その「期待」は叶ってしまった。
「——あ、望月先輩! こんちわーっす!」
篠の発した軽快な挨拶の中に含まれた「望月先輩」という名詞に反応し、紫の鼓動が大きく高鳴った。体が一気に熱を帯びる。
篠の向いた先には、まさしく紫の知っている人物がいた。
少女の愛らしさと静かな気品を兼ね備えた端正な顔立ち。真っ黒でありつつも濁りはいっさい無く、まるで底の深い清泉のような両の瞳。いまだかつて誰も足跡を刻んだことの無い雪原のごとくきめ細かな色白の肌。
錦のような控えめな光沢を放つ黒い長髪は、フリルで彩られたリボンによって、後頭部で束ねられている。
見に纏うのは、白黒の女中服。
両肩でふんわりと膨らむパフスリーブに、リボン同様にフリルとレースで華やかに飾られた白いエプロン。足首まで達する長いスカート。機能性ではなく、外見の華美に重きを置いたようなその女中服は、まさしくヴィクトリア朝の客間女中。
——望月螢であった。
「望月先輩、今日は可愛いカッコしてますね! メイドですか?」
ギーゼラは、いつもの生意気な態度ではなく、敬意と親しみを込めた態度で螢に話しかけていた。
「ん。『英国風女中喫茶』の制服。今は休憩中で、他のクラスの出し物を見て回ってる。あなた達は見廻り?」
「っす。正直、治安良すぎて見廻りなんかいらねーんじゃないかって思わなくもないっすけど、まあ仕事ですんで」
「そう。ご苦労様。もしも暇ができたら、わたしのクラスに一度立ち寄ってみるといい。紅茶一杯だけなら無料だから」
「はい、行きますー! 望月先輩がお茶を淹れてくれるんですよね!? やだー楽しみー!」
篠もギーゼラも、螢に対して極めて好意的であった。
特に隊長である紫に対してさえ小憎らしい態度を崩さないギーゼラまでもが、懐いている猫のようである。
当然だ。——望月螢は、清葦隊隊士全員の「憧れ」なのだから。
清葦隊は、女剣豪の中澤琴を理想像としている。
中澤琴は大層美しく、求婚してくる男が多かったそう。
しかし彼女は「自分より強い者としか結婚せず」という公言のもと、数多くの男と戦い、その全てを下してきた。
女の身でありながら、男顔負けなその勇ましい生き様は、女性の社会進出が声高に叫ばれた時代に生まれた清葦隊という組織の目指すところである。
望月螢は、そんな中澤琴の再来と言われている。
誰より美しく、気高く、そして男以上の剣の腕。
それでいて、未だ誰にも負けたことがないという。
まさしく中澤琴の再来。
清葦隊を脱退して久しいが、今なお彼女は隊士の憧憬の的だ。崇拝と言ってもいいかもしれない。
そして、紫も——
「……沢さん。天沢さん」
螢に呼びかけられたことで、紫は我に返った。
「は、はひっ!? な、何でしょうか!?」
思わず、いつもらしからぬビクッとした反応を示してしまう。……いけない、女中服姿に見惚れてしまっていた。不覚。
「きゃははっ! 天沢先輩、何その反応っ? 尻尾踏んづけられた猫みてー! ウケるー! きゃははははは!!」
「お黙りなさいギーゼラ! 少しは隊長に敬意を払いなさい!」
そう叱りつけるが、びっくりした拍子に声が裏返ってしまったせいで、威厳の無い叱責になってしまう。
螢はなおも変わらぬ、抑揚に乏しい銀の鈴みたいな声で、
「お仕事は、どう?」
「へ? あ、えっと……はい。今のところ、校内のどこにも異常はありませんでした。引き続き、見廻りを継続しますわ」
「ご苦労様。休憩時間になったら、是非わたしのクラスに来て。何度も言うけれど、紅茶一杯なら無料だから」
「は、はいっ。必ず立ち寄りますわ」
絶対行こう——紫は密かに決意した。
普段は冷静沈着を心得ている紫であるが、螢に対してはその冷静な仮面が剥がれがちだ。
中等部一年の頃から今に至るまで、彼女の前ではうまく落ち着きを保てない。
今なお修行が足りぬ、と思う一方、仕方がないことだと言い訳もしたくなってしまう。
——だって、わたくしは。
「あ、そうそう。事件とかじゃあないんすけど、ちょっと前に、変わった連中が学祭に来てるのを見たんすよ」
そこで篠が、そう話題を変えてきた。
螢は可愛らしく小首をかしげて、
「変わった連中?」
「はい。んで、そのうちの一人が、富武中学の制服を着てる男子でして。なんか、珍しい奴らが来たなって。うちのガッコの学祭、基本的にそういう一般人連中はめったに来ないでしょう?」
「……もしかして、秋津光一郎君、ではない?」
ギーゼラが驚く。「ええっ!? 何で分かったんですかぁっ!?」と。
螢はなおも変わらぬ真顔と、淡々とした口調で告げた。
「だって、コウ君達を誘ったの、わたしだから」
——それを聞いた瞬間、紫は思いっきり頭を殴られた気分になった。
「えぇー!? あいつら望月先輩の客人だったんですかぁ!? 思いっきり喧嘩売るようなことしちゃいましたけど!」
「喧嘩を売った、とは?」
「ああ、このチビ助がいきなり秋津光一郎って奴に突きをかましたんすよ。まぁ、簡単に防がれましたけどねぇ」
「はぁ!? あんなの挨拶代わりだし! 本気じゃなかったし! それに誰がチビ助よ!?」
「おめーだよギーゼラお嬢ちゃん。もっと牛乳飲め」
懲りずにまた一触即発の雰囲気になる篠とギーゼラ。
止めたいけどどうしたら良いのか分からないのか、手を持ち上げながらぼんやりしている螢。
いつもならば真っ先に部下二人の喧嘩を止めに入るのは紫だが……今の紫にはそんな余裕は無かった。
——秋津光一郎は、螢に誘われて、創設祭に来た。
その事実で、頭が一杯だった。
そして、それを考えるたびに、心の中にドス黒い感情がふつふつと溜まっていく。
ぎりぎりと拳を握りしめ、唇の下にある奥歯が強く噛み合う。
「……秋津、光一郎…………!」
かねてより忌々しく思っていたその男の名を、紫は静かに、毒を吐くようにそらんじた。
今回の連投はここまでです。
これからまた書き溜めします。
そして、お待たせしました。
次回からいよいよ、天覧比剣の地区予選が始まる予定です。




