女中服、そして逃走
そういう感じで、僕らは高等部の校舎へやってきた。
螢さんのクラスは二年二組だそうで、教室は四階。
普通の学校ならば階段しか移動手段が無いであろうが、さすがはお嬢様学校。校舎にはエレベーターがあった。階段ですたこらさっさと上がっていきたいところだったが、望月先生のお身体への負担を考えて、エレベーターで行くことにした。ちょうど誰も待っていなかったし。
そうして四階の二年二組の教室前へとたどり着いた。
お嬢様学校とは言うが、外観が綺麗なだけで、教室の前後に引き戸があるという、僕達の通う中学となんら構造の変わらない教室だった。
前の出入り口の上にある教室表札には「2-2」。さらにその真下には『英国風女中喫茶』と小洒落た書体で大きく書かれた立て看板。
「結構列できてるなぁ……」
やっぱりというべきか、すでにそれなりの列が出来上がっていた。
普通の喫茶店ではなく、『英国風女中喫茶』などという変化球なのだ。そりゃみんな興味を抱くのも無理はない。あとお給仕してくれる女中さんが超可愛いしね!!(重要)
僕ら五人も、その列に並んで順番を待った。
列が縮んで、僕の体が入口に近づくにつれて、心臓のバクバク具合が早まってくるのを実感する。息も荒くなる。もうすぐ、もうすぐだ、もうすぐ螢さんの女中服姿が…………!!
「……コウ、きも過ぎ」
「同感だわ。流石にちょっと気持ち悪いわね」
女性二人から痛烈な言葉の一太刀を浴びせられるが、それも気にならない。
やがて、僕らの番が到来した。
——入口をくぐると、そこは西洋だった。
僕らの中学のよりもひとまわり広い教室の中は、西洋貴族の屋敷を彷彿とさせる装飾や調度品がそこかしこになされていた。
一面に敷かれたワインレッドのベルベットカーペット、湖畔とそのほとりに立つロッジを精緻に描いた油絵、クラシカルなデザインの食器棚、アンティーク調の燭台、室内にいくつも置かれたビンテージっぽい小さな円卓と椅子のセット……
そして、その中をちょこちょこと往来する、女中服姿の女学生達。
「——いらっしゃいませ、お客様」
銀鈴のような静かで可憐な声が、僕らに呼びかけてきた。
「ホタァッ」
振り向いた瞬間、僕の口から変な声が出た。
————目の前には、白黒姿の女神様がいた。
華奢で小柄なその全身を覆うのは、白黒を基調とした女中服だ。
綺麗で長い黒髪を後頭部で結んだフリル入りのリボン、
黒い長袖の両肩でふんわり膨らんだパフスリーブ、
足首までを覆った奥ゆかしい長スカート、
フリルとレースで彩られた白いエプロン、
それらの要素が調和して古風な上品さとキュートさを演出しており、望月螢という超絶美少女の持つ可憐さをさらに神々しく輝かせていた。
そう。
女中服姿の螢さんである。
————え。なにこれ。可愛すぎでは。この女、本当に人間? 神様ではなく?
「お客様、あちらの空席へどうぞ。それと、混雑している状況を鑑みて、おひとり様につき十五分までの滞在とさせていただきますが、平にご容赦願います」
その女中服の女神様は、いつものお人形じみた端正な真顔のまま、淡々と空席を指し示した。そんな姿も神々しい。
今だに精神的衝撃から回復できていない僕は、螢さんを凝視したまま硬直していたが、やや不機嫌そうなエカっぺに「はよ行け」とお尻を蹴っ飛ばされて無理やり進まされる。
進んでいる途中、男女問わず周りのお客さんが、螢さんにチラチラ視線を向けていた。うんうん、そうだよね、可愛いよね。結婚したいよね。
それから五人とも席に着く。ただし円卓が小さめなため、二つの円卓に分かれた。僕、エカっぺ、卜部さんの三人。望月先生、香坂さんの二人。
少ししてから、螢さんが人数分のカップの乗ったトレイを持って音も無く歩み寄ってきた。
僕らの席に湯立ったカップを置き、それから「ご注文は何になさいますか」と問うてきた。
……嗚呼、やっぱりめっちゃ可愛い。女神。だけど笑えばもっと可愛いはずだ。
「螢さんの極上スマイぎゃふっ!?」
両足を踏んづけられた。エカっぺと卜部さんに。
「シフォンケーキお願い」
「マドレーヌで」
「かしこまりました。少々お待ちください」
螢さんはぺこりとお辞儀すると、綺麗な所作で踵を返し、教室後方のカウンターへ戻っていった。
僕は二人に弱々しく抗議した。
「い、いたいよぉ……なにするのぉ」
「あんたがきもい注文しようとしたからでしょうが、ばか」
「そうよ。自重しないとそのうち捕まるわよ」
「ご、ごめんなさい……」
僕はしゅんとして謝罪した。確かに少し興奮し過ぎてたかも。
卜部さんがしみじみ呟いた。
「……でも、確かに綺麗な人ね。望月螢さん。噂には聞いていたけど、あんな綺麗な人、初めて見たわ。あれなら求婚者が引く手数多なのも頷ける話ね」
「でしょ!?」
「なんであなたが得意げなのよ……」
呆れたように卜部さんが言う。
しばらくして、螢さんがスコーンとマドレーヌを一つずつ持ってきてくれた。
エカっぺがスコーンを、卜部さんがマドレーヌをかじりながら紅茶を味わう。
僕も手元の紅茶へ冷めないうちにすすった。……美味しい。紅茶は普段あんまり飲まないけど、そのほのかな甘味と芳醇な香りは、女中服の螢さんへの強烈な興奮を落ち着かせてくれた。
あっという間に全部飲み切ってしまった。ちなみに一杯目は無料だが、二杯目以降は有料らしい。螢さんのクラスへのお布施も兼ねて、僕は二杯目もオーダーした。
螢さんがティーポットを持ってきて、僕のカップに注いでくれた。彼女が家で淹れてくれるのは基本的に日本茶だが、ティーポットを傾けるその所作は長年紅茶淹れに慣れ親しんでいるように洗練されていた。……あと、前屈みになったことで、螢さん由来のミルクっぽい良い匂いが漂ってくる。
二杯目を軽く飲みながら、僕は店内を眺めた。
螢さんと同じく女中服を着た女学生らが、店内のあちこちを行き交っている。みんな可愛らしく、動作がしっかりしていて、おまけに物腰もどこかお上品だ。やっぱり皆、良い家の生まれ育ちであるということが何となく分かる。
まぁ、螢さんには敵わないけどね!!
「……しかし、女中は女中でも、英ヴィクトリア朝の客間女中ってわけかい」
隣の円卓の香坂さんが、紅茶をすすりながら、何やら一人納得したように言いだした。
僕はふと言葉の意味を尋ねた。
「ぱーらー、って何ですか?」
「ご主人様じゃなくて、その客人の接待を専門とした女中のことだよ。主の使用人として恥ずかしくねぇようにと、客間女中の服装は実用性より見た目の華やかさに気を遣った。室内帽じゃなくてリボンだったり、肩にパフスリーブが付いてたりといった装飾豊かな点とかまさに客間女中あるあるだったそうだ。…………上流階級の娘が女中役って点も見ると、『英国風女中喫茶』とはよく言ったもんじゃねぇか」
「え? 女中さんって、身分が高かったんですか?」
「あくまで中世の話だがな。中世の英国女中には二種類いた。一つは上流階級出身の女中。もう一つはお前の今想像してるような下層階級出身の女中。——俺が今言及したのは前者だ。かつての英国貴族の令嬢には、社会勉強の一環として女中働きをしてた奴もいたんだよ。そいつらはお貴族様の出身だけあって、礼儀作法がしっかりしてた。おまけに下層出身者の女中よりも当然扱いもマシだった。……英国人女性の多くが女中として働きだしたのはヴィクトリア朝からだ。産業革命、植民地貿易、中産階級の躍進によって英国が一番華やかだった時代だよ」
「へぇー……イギリスって、今でも女中さんがいっぱいいるんでしょうか?」
「今はほとんどいねぇよ。欧州全土で起こった第二次大戦の後、英国貴族は軒並み没落しちまって、そいつらが雇用基盤を担っていた使用人制度も道連れ的に崩壊しちまった。おまけに戦後の家電製品の発達のせいで、使用人の需要はさらに落ち込んだ。今じゃ限られた階級の家にしか女中はいなくなっちまったよ」
さすがは香坂さん。口と態度は乱暴だがやっぱり高学歴だ。僕とは教養の含蓄が違う。
「ぅぉほっ、えほっえほっ……!!」
ふと、そこで咳き込む太い声が聞こえてきた。望月先生だった。
いち早く対応したのは、同じ円卓に座る香坂さんだった。
「師範、大丈夫ですか」
「ぅえっほ、えほっ…………う、うむ、すまんな。紅茶で咽せてしまったよ」
ちょうど、近くにいた螢さんがちょっぴりムッとした顔で言った。
「誤嚥性肺炎にでもなったら目も当てられないから、気をつけて。お義父さん」
………………あ。今。
「しまった」
螢さんも自分の不注意にすぐに気づき、指で自分の口を塞ぐ仕草を見せた(可愛い)。
家にいる時と同じ感覚で接してしまったのだろう。ごく自然に「お義父さん」という呼称が出てしまったようだ。
そして、螢さんの口にした「お義父さん」という呼称の意味するところは。
——今、望月様、「おとうさん」と口になさいましたわよね?
——ええ、確かに耳にしましたわ。
——望月様のお父様……それって、望月源悟郎閣下では?
——望月源悟郎閣下が、この店に来ておりますのっ?
——まぁ、なんということなのっ?
それは、さながら火のついた導火線だった。
最初に螢さんの級友——今この店内を往来している女中さん達だ——へと波及し、
——望月源悟郎? いま、望月源悟郎って。
——来ているのかっ? 望月閣下が?
——『三傑』の一人、陸軍の英雄がっ?
——どこだっ? どこにいらっしゃるっ?
——現在もなお御壮健なのかっ?
そこから、外で並んでいるお客さん達へ広がっていった。
僕は席を立ち、お金をテーブルに置いた。お釣りはちょっと残るが全員分に足る額だ。スコーン代とマドレーヌ代は後で女子二人から貰えば良い。
香坂さんも同じようにお勘定を置いて立った。
「望月先生、出ましょう」
「う、うむ……そうだな」
望月先生も、エカっぺと卜部さんも立ち上がった。
四人の若者で望月先生を囲い、その姿を少しでも見えにくくしながらお店を後にした。
今はまだ「望月源悟郎が店内にいる」という事が知れ渡っているだけで、今の先生の風貌の特徴は知れていない。逃げるならば今を置いて他に無し。
あぁっ…………螢さんの女中服姿、もっと見たかったのに……!!!
「やれやれ……お嬢の奴、ちっと気が緩み過ぎじゃねぇかな……」
不自然に見えないよう早歩きで逃げた末に、僕らは高等部の校舎裏までたどり着いていた。香坂さんが先ほどの螢さんの失態にそうぼやく。
校舎裏には僕ら以外に人がいない。あるのは椿の樹と古びた焼却炉、あとはベンチ一つのみだ。
そのベンチには、望月先生が座っていた。
疲れたように先生は言った。
「ふぅっ……参った。これでは今日一日、あの店には立ち寄れぬな。変装の趣向を変えて、二日目にまた顔を出すか」
創設祭は二日間行われる。なので今日一日『英国風女中喫茶』には寄れなくても、明日にもまだチャンスは残っているということだ。
あと、非常に残念ながら、望月先生と一緒だった僕達四人も、しばらくはあの店には立ち寄れない。望月先生と一緒だったというだけで居場所を聞かれまくるに違いないからだ。そうなってはもう創設祭を楽しむどころではない。またあの店へ行くには、ほとぼりが冷めるのを待つ他あるまい。
「仕方ありませんね……では、他の出し物でも見て回りましょうか」
遺憾の意をグッと飲み込みつつ、僕は先生にそう促した。
「……いやコウ坊、わしはもうしばらくここで一休みさせていただくよ」
「えっ、でも、せっかく来たんですから……」
「少し疲れたのでな。それに……若者の集まりに、こんなデカい年寄りが混じっていても邪魔であろう。わしももう少ししたら動くから、お前さん方で楽しんできなさい」
「……分かりました。ありがとうございます」
望月先生の言葉に渋々頷き、僕は踵を返した。
それに合わせるように、四人も向きを変えた。
「ああ、ちょっと待っておくれ。一つ、言いたいことがあったのを忘れていた」
だが、そこで望月先生が慌てて静止を訴えてきた。
「えっと…………卜部峰子さん、だったな? 君は」
先生の問いかけに、卜部さんが振り返り「はい。私に何かご用ですか?」と問い返す。
望月先生は咳払いすると、真面目に引き締めた口調で、次のように訊いてきた。
「間違っていたなら、申し訳が無いのだが…………君は、卜部清孝大尉の、娘さんではあるまいか?」
それを聞いた瞬間、卜部さんは大きく目を見開いた。
「…………父を、ご存知、なのですか」
「やはりか。……知っているよ。君の父君とは、何度か顔を合わせ、話をしたことがあるからね。剣が達者な、実直な男だったよ」
サングラスの奥にうっすら見える望月先生の瞳が、優しげに細められる。
「卜部大尉は、一人娘である君の事をよく話してくれたよ。母親似の美人で良かったとか、二歳である今の時点でどういう男と将来くっつくのか気が気でないとか、もう少し大きくなったら自分の鹿島新当流を教えてみたいとか……色々とね」
「そう、ですか…………」
卜部さんはか細い声でそう呟きながら、下を向いた。
普通の父親の発言だったら、「ふーん」とか、「お父さんったら何言ってるのよ」とかで済ませられたのだろう。
でも、確か卜部さんのお父さんは、もう……
「…………わしの事は、恨んでも一向に構わぬよ。君の父君を死なしめたのは、戦争であり、ソ連軍であり、そしてこのわしだ。わしらが殺した。……君には、将であるわしを恨み、謗る権利がある」
望月先生は、静かにそう告げた。
……これが、望月源悟郎の素顔なのだと、僕は思った。
帝国の人々は、望月先生を「救国の勇者」だと誉めそやす。
けれど先生は、あの戦争での武勲を誇るような言動や行動を、一度だって僕らに見せたことはなかった。
……先生の偉大な武勲は、敵兵と味方の屍山血河の上に燦然と輝いているのだから。
実際に十一年前の戦争を戦った先生は、その事を一番よく理解している。
先生は、この国を護った英雄。
それは、帝国の民にとっては「誉れ」だ。
しかし先生にとっては「傷」なのだ。
たとえ、卜部さんがどのように口汚く先生を罵ろうと、先生はそれを黙って受け入れるだろう。
僕も、それに口を挟むことはできない。
だけど卜部さんは——微笑を浮かべて、かぶりを振った。
「閣下のことを……恨みはしません。父は、自ら志願して軍に入り、自らの意思で護国に殉じたのです。それを誇りに思いこそすれ、なぜあなたを恨み、悪罵をぶつける必要があるのでしょうか」
その目からは、涙が溢れていていた。
「ううん。私はむしろ恨むどころか…………あなたが父を知っていて、覚えていてくれたことが、とても嬉しいのです」
卜部さんは、晴れやかに、笑った。
「だから——ありがとうございます。父も、きっと喜んでいると思います」
望月先生は、そんな彼女を見て、言葉を失っていた。
だけど、しばらくして、
「——こちらこそ、ありがとう。ほんの少しだけだが、わしは自分自身のことを許せそうな気がするよ」
先生は、泣きそうな顔で、笑い返したのだった。
メイドさんにやたらと詳しい、元ヤンのエリート高校生。




