二つの至剣流《中》
僕と望月親子は、稽古場の真ん中で正座していた。
隣り合わせに整然と座した親子二人と、緊張でやや前のめりとなって座した僕とが向かい合う形で。
カイゼル髭に囲まれた望月先生の口が、重々しく開く。
「——明治時代における、剣術を取り巻く状況は、最悪と言って良いものだった。人々は剣術を時代遅れの過去の遺物と決めつけ、修行者が激減した。さらには内戦によって多くの免許皆伝者が戦地で命を落とし、あれだけ百花繚乱の体を見せていた日本武芸の流派は半分にまで減少した」
大政奉還のおかげで日本国内で起こった内戦こそ最小限で済んだ。しかしそれでも戊辰戦争、西南戦争といった内戦はあった。その内戦において、斬り殺した敵が同じ流派の剣士だったという話も珍しくなかったという。
「至剣流も、皆伝者が内戦でほとんど戦死し、急激に衰退していった。書籍を出したり、宣伝をしたりとあらゆる手を尽くしたが、門人は一向に増えず、江戸期にはあれだけ全国的広がりを見せていた至剣流はもはや嘉戸宗家の住む東京府における伝承を残すのみとなった。しかし、それでも諦めず、嘉戸宗家は至剣斎の遺産である至剣流を存続させんとした。そこで考えついたのが……」
「学校教育科目へ至剣流を採用するよう政府に働きかけること、ですね」
「そうだコウ坊。そしておぬしもご存知の通り、その試みは成功した。アジアの盟主であった大清帝国に圧勝した日清戦争、露仏独の圧力で遼東半島の権益を手放さざるを得なかった三国干渉、世界第二位の軍事力を誇るロシア帝国に勝利した日露戦争、日本が戦勝するたびに西洋諸国で沸騰した黄禍論…………外国に反感を覚え、自国を強くせんとする国粋主義的気風は、剣術という純国産文化への帰属意識を国民に芽生えさせた。それを利用し、嘉戸宗家は大正時代、学校教育に至剣流剣術を採用させることに成功したのだ。……至剣流を学校教育にと最初に考えたのは、明治期の宗家当主であった嘉戸久太郎美嗣だ。今にして思えば、このような世情になることを先読みした上での試みだったのかもしれぬな」
僕は思わず目を見開いた。
「嘉戸久太郎美嗣って人、本を出していませんでしたかっ? 『至剣流剣術概論』っていう」
「ほう、よく知っているな」
「はい。ウチにありましたから。ウチが老舗古書店であることは、以前話しましたよね。……僕はその本を読んで、昔と今の至剣流が「違う」ことに気づけたんです」
望月先生は「そうだったのか」と納得した様子で頷く。
すると、螢さんがやや身を乗り出した様子で、訊いてきた。
「コウ君、その本のお値段は?」
「えっと……一万二千円ですね」
「高い」
「そ、そりゃあ、明治時代の本は貴重ですから」
「……お義父さん」
螢さんは望月先生へと向く。……その綺麗な黒い瞳には、期待のような感情がなんとなく見える。
望月先生は困ったように笑いながら「……仕方ないのう」と頷いた。
それを確認すると、再び僕へ向き「予約する。他の人には絶対売らないで」と告げてきた。やや厳しめな口調で。
「あ、はい……お買い上げありがとうございます」
ぺこりと頭を下げる僕。
螢さんは正座した足をむずむずと動かす。わくわくしているのだとすぐに分かった。超可愛い。
「そんなに、嬉しいですか?」
「あの本、大して売れなくて明治にすぐ絶版したから。残存しているものはすごく貴重なの」
「そうなんですか……」
まあ何にせよ、ウチが儲かり、螢さんの可愛いところも見れたのだ。一石二鳥である。
望月先生は「んんっ」と咳払い。……あ、話が逸れかけていた。
「……そう。「違う」のだ。かつての至剣流と、今の至剣流は。より正確には……明治時代までの至剣流と、それ以降の至剣流がな。コウ坊、おぬしはこれが一番疑問だったはずだ。「伝承内容を管理し、変えさせないための家元制度だったのに、なぜ昔と今の至剣流は変わっているのか」と。——その「歪み」の理由を、今から順を追って教えよう」
僕はぴしっと姿勢を正した。いよいよか。
「確かに嘉戸宗家は、学校教育に組み込むことには成功した。学校教育を介して全国に至剣流の存在を広め、子供達の中から至剣流をもっと深く学びたいと思った生徒を道場に招き入れて本格的に剣を教え、門人の数を増やす……それが嘉戸宗家の狙いだった。しかし、そこで致命的な問題が起こったのだ。それは、教伝資格者の圧倒的不足」
「教伝資格者……教えることのできる人が少ないってことですか?」
「そうだ。東京だけでならどうにかなったが、全国の学校教育に教伝資格者をとなると、指導者の数が足りなかったのだ。——なぜなら、かつて宗家から教伝資格を与えられたのは、免許皆伝者だけだったからだ」
僕は瞠目を禁じ得なかった。
至剣流の教伝資格を与えられるのは、初伝目録取得後だったはず。
しかし、昔は免許皆伝者にしか、人に教えることが許されなかった?
無理だ。そんな伝承、局地的にならまだしも、全国規模で広げられるわけがない。至剣流に限らず、剣術の免許皆伝者が、どれだけ生まれにくい存在であるか。
そこで僕はハッとした。——そうか、だからだ。
僕の勘付きを読んだであろう望月先生は、一度頷いて説明を続けた。
「そこが至剣流に生じた「最初の歪み」だ。免許皆伝者というのは、そう簡単に現れるものではない。まして、免許皆伝者は多くが内戦や戦争で命を落としていて、数が非常に少なかった。免許皆伝者を全国で伝承を広められるほどにまで増やすなど、一年や二年では不可能。
——ゆえに、当時の嘉戸宗家は目録制度の改変という「禁じ手」を用いたのだ。免許皆伝者だけでなく、初伝目録を得た時点で教伝資格を与えることができるようにしたのだ。免許皆伝者は少ないが、皆伝には至っていない目録持ちはそれなりにいた。その連中で教育者の不足分を補ったというわけだ」
なるほど。それで今の目録制度となったわけか……
「だが、この方針には嘉戸宗家の中では反対する者もいた。むべなるかな。至剣斎の代から墨守し続けてきた至剣流の伝統を、変えんとしているのだからな。「至剣流の稽古とは『至剣』へ到るための道。『至剣』にも到っていない者に、どうしてその道が説けようか」という「反対者」の言葉は、しかし聞く耳を持たれなかった。嘉戸宗家の者はみな、流派の生き残りと繁栄に腐心していた。伝統よりも、目先にある衰退解決のための好機に目がくらんでいたのだ。……結局、嘉戸宗家はその「反対者」を勘当し、目録制度を改変してしまった。これによって指南役の要員補充は完了できたが——一度の改変で味を占めた嘉戸宗家は、さらなる禁忌に手を染めた。それも、至剣流の流派としての在り方を根本から破壊してしまう、な」
「それは……なんでしょうか」
口ぶりからして、予想はついている。
ただ、何故そのような、至剣流の家元制度の意味を失わせるようなことをしてしまったのか、それがまだ分からない。それを知りたい。
望月先生は、やはり僕が予想していた通りの答えと、その意味を語ってくれた。身内の恥部を晒すような、消沈した様子で。
「型の増加、だ。
至剣流の型は、もともと二十四あったのが、今では五十と倍加している。大正期の嘉戸宗家が、新陰流や神道流などといった名流派の剣術を取り入れたのだ。無論、これは「鍛錬の末に『至剣』を開眼させることができる」という至剣流の権能を失わせかねない危険な試みだ。そして、それをさせぬよう伝承を管理するため、至剣流は家元制度を採用していたのだ。だが彼らは宗家である身のくせに、それを行なった。————すべては、『至剣』の希少価値と、嘉戸宗家の特別性を高めるためだ」
「希少価値と特別性……ですか?」
「左様。学校や道場で至剣流を学ぶ者には他流の型を混ぜて薄められた至剣流を学ばせ、一方で嘉戸宗家の人間は至剣流の古い教伝法で学び、手足が伸び切る頃には『至剣』を開眼して皆伝する…………するとどういう図式が出来上がる? 『至剣』を開眼できる者がほとんどいない下々の門人達と、一族のほとんどの者が『至剣』を手に入れた宗家。どうかね? 嘉戸宗家が「特別な一族」であるように「演出」できているとは思わないか?」
僕は唖然とした。
「そんな、ことの、ために……?」
そんなことのために、「演出」なんかのために、伝承を改竄したというのか。
宗家にとって、自分達の伝統というのは、開祖が築き上げた遺産というのは、そのように俗な扱い方ができるような、取るに足らないものだったというのか——
『嘉戸家はな、自らの至剣流に対してとんでもねぇ不義理を働いていやがるんだ。あの世にいるであろう嘉戸至剣斎が知ったら怒り狂って雷を落とすであろう、そんな不義理をな』
香坂伊織の発言が、脳裏に蘇る。なるほど、確かにこれはこの上ない不義理だ。天上の至剣斎はさぞお怒りであろう。
残念がるようにかぶりを振りながら、望月先生は言った。
「「そんなこと」が、当時は大変重要だったのだよ。至剣流に限らず、剣術流派はどこも自流の存続に必死だったのだ。至剣流も生き残るために、『至剣』すらも客寄せの道具にした」
「なんてことを…………そんな宗家の改変を、当時の門人達はなんとも思わなかったんですか?」
「思うところのあった門人もいただろう。だが、至剣流はやはり「家元制度」なのだ。流派の頂点に君臨している宗家たる嘉戸家がそうしろと命じたならば従う他無かった。……これが家元制度の欠点といえよう。宗家が白と言えば黒とて白になる。宗家が腐れば流派そのものが腐る」
僕は失望のようなものを覚えていた。
嘉戸宗家に、至剣流に、そして海千山千な人間のはびこる大人の世界に。
僕は剣術を、素朴で高尚な文化であるという認識を心のどこかで抱いていた。
しかし、実際は、素朴さとも高尚さとも程遠い、生臭い政治的やり取りや生存戦略がはびこっている。
僕が知っていた剣術とは、その生臭い沈殿物の上にある上澄み液でしかなかったのだ。
子供がぐずるような小さな声で、僕は訊いた。
「……どうしてこのことを、最初から僕に教えてくれなかったんですか?」
「教えたところで、あなたは信じた?」
螢さんが短く淡々と問い返す。いつも通りの口調だが、不思議とその発言は心に突き刺さった。
……多分、信じられなかったと思う。
嘉戸家こそ、至剣斎の技を正しく受け継ぎ、それを守り続けている由緒正しき宗家なり——僕は学校で、幼い頃からそう聞かされて育った。
それはいわば、固定観念と化していた。
望月先生に弟子入りして早々、いきなり「我々こそ本物の至剣流なり」と言われたところで、それを信じただろうか。……怪しいとしか思わなかったかもしれない。
「だから、自力で知るに任せた。人から聞かれて知ったことより、自分で調べたことのほうが、何倍も盤石だから。……そして、あなたは「真実」にたどり着いた」
「真実……」
「そう。そしてその「真実」は、わたし達『望月派』を含む、ごく一部の人しか知らない」
『望月派』。
彼女達はそう名乗った上で、自分たちを「もう一つの至剣流宗家」と称した。
「——目録制度の改変に反対し、やがて勘当を受けた「反対者」は、すぐにとある娘と恋に落ち、その家に婿養子として迎え入れられた。その家こそが……この望月家。この家に至剣流の正伝が伝わっているのもそれが理由。婿入りした「反対者」は望月家の中でのみ至剣流を教え、それはわたし達の代まで続いている。とても細い糸ではあるけど、連綿と」
「家の中だけで、ですか? その本物の至剣流を、広めようとはしなかったんですか?」
「したかったであろう。だが、できなかったのだ。もしもそれをやってしまえば、本格的に嘉戸宗家と事を構える事態になりかねない。好き合った娘の生家である望月家を生臭い御家騒動に巻き込むことを、婿殿は嫌がったのだ。そして、その思いやりが皮肉にも、嘉戸宗家の肥大化を許してしまう事になってしまった。結果は現状を見ての通りだ」
望月先生がそう説明を継いだ。ただただ残念そうに。
それを見た僕の中に、義憤というか、使命感というか、そういう感じの熱が生まれた。
身を乗り出し、意気込んで訴えかけた。
「なら、これから伝承を広めましょうよ! 嘉戸宗家に代わって、至剣斎の正しい伝承を! 世の中に! こんな風に正しい伝承が潰されるなんて、絶対間違ってますよ!」
「だめ」
螢さんが両手で「×」を作って却下した。
僕はその仕草を可愛いと思いつつも「なぜですっ?」と問う。
「お義父さんがさっき言ったはず。それをすれば本格的に嘉戸宗家と争うことになる。わたし達『望月派』は、嘉戸宗家にとって恥部ともいえる存在。それが今まで潰されずに存続していられたのは、ひとえに「脅威ではない」と見なされてきたから。いくら真実を知っていても、その勢力は少なく脆弱。吹けば飛ぶような流派。けど、もし『望月派』が拡大の兆しを見せようものなら、嘉戸宗家は絶対に容赦をしない。嘉戸宗家は巨大。報道機関、政財界、さらには軍部や宮内省にすら顔が利く。その力を総動員されたらわたし達に勝ち目は無い」
そんな……
僕は落胆する。
なんて不公平なのだろう。
嘉戸宗家は、この国の英雄である望月先生のことを流派の宣伝のために勝手に使っているというのに。
その望月先生の『望月派』は、本当のことを教え広めることができないだなんて。
「……それに、お義父さんは体が弱ってきている。とてもではないけど、大勢の弟子の面倒を見るような余裕は無い」
「おいおい、わしはまだまだ元気だぞ?」
「心電図検査で引っかかってた人がそれを言っても説得力が無い」
「やれやれ……厳しいのぉ」
義理の娘にぴしゃりと断じられ、望月先生は苦笑いする。
日本武芸における主な伝承形態
・完全相伝制
師匠から免許皆伝と指南免許をもらった時点で、独立して弟子を取り、自分で免状などを発行する権利を得る伝承形態。
ほとんどの流派がこれ。
・家元制
「宗家」が流派の頂点に君臨し、門人に対する免許授与や教伝内容設定を一手に引き受ける伝承形態。
「宗家」の許可無く弟子を取って教えたり、免許を発行して弟子に与えたりすることはできない。
茶道や華道などといった芸事の伝承に採用されていることが多く、日本武芸では稀。浅山一伝流などがコレにあたる。
剣道や柔道は、全剣連や全柔連の許可無く段位を発行できないので、事実上の家元制といえる。




