二つの至剣流《上》
そして翌日……十月七日、日曜日、午前十時。
人間とは慣れるもので、最初の頃はただただ圧倒されていたこの望月家の門構えも、今ではそれほど畏れ多さを感じなくなってきていた。
だがそれは、尊敬していない、馴れ馴れしいのとはまた別の話であった。
稽古場と同じ意味で使われている「道場」という単語は、もともとは仏教における修行の場を意味する単語だ。つまり、外界とは隔絶された神聖な空間。
武芸においてもそれは変わらない。稽古場に入ったらそこはもう別の空間。必ず稽古前に神前へ礼をし、それから師範に礼をする。
「でかくて怖そうな元軍人のおじいさん」という望月先生への最初の印象はすっかり消えているが、尊敬し、追いかけるべき師範であることは最初の頃から変わっていない。
これはそう、なんというのかな……心を通わせている、距離が近づいた、とでも言えばいいのかな。よくわかんない。
そういうわけで、僕は師事したての時よりも軽い調子で呼び鈴のボタンを押し、応答を待った。
すぐに螢さんの声がインターホンのスピーカーから返ってきて、入っていいと言われたので木の門を開けて中に入る。
螢さんから洗濯済みの稽古着を感謝を交えて受け取ると、望月家敷地内の稽古場へと入り、そこで着替えた。それから準備運動をして待っていると、すぐに望月先生と螢さんがやってきた。僕と同じく稽古着姿。
——よし。
望月先生の姿を見た瞬間、僕は意を決し、呼びかけた。
「あの、望月先生……今日は稽古をする前に、少しお聞きしておきたいことがあるのですが」
「ん?」
望月先生は何気ない感じで応じた。すでに見慣れたカイゼル髭と白髪頭の老夫の顔。しかしその眼差しはよく見てみるとやはり鋭さがある。
ごくっ、と僕は唾を飲む。
これから僕がぶつけようとしている質問は、ともすれば、望月先生と螢さんの反感を買うことになるものなのかもしれない。「ここで学んでいる至剣流は、正当なモノではないのではないか」という問いに感じられなくもない質問だからだ。
『四宝剣』という、他の至剣流道場ではいっさい教えていないことを、教えているのだから。
あの雲衝く山のごとき老夫の顔が怒りに染まり、なんたる無礼かと爆発する光景は、想像したくもない。もしもそうなったら、その迫力のあまり僕は失神してしまうかもしれない。
だけど、僕は知っている。『四宝剣』……それと同じ名前の技を、他ならぬ明治時代の嘉戸宗家の人間が公開していることを。
僕は、自分の持つ理屈の正しさを知っている。
——現代の至剣流には、明らかに改変が加えられている。
ただし、僕が知っているのは「状況証拠」だけだ。
この免許皆伝者に問いたいのは、その「状況証拠」のありさまとなった理由だ。
『四宝剣』という、今はしていない教え方を今なお墨守し続けているこの人に聞けば、おそらく、分かる。
僕はこの人に就いて、これからも学び続けるのだ。疑念やわだかまりは残しておきたくなかった。
息を大きく吸って、吐いて、覚悟を決めた僕は、用意していた質問をぶつけた。
「————もしかすると、望月先生の教える至剣流は、他の道場で教えられているものとは全く違うのではないですか?」
案の定、望月親子の表情が激変した。
表情の変化に乏しい螢さんでさえ、ほんの微かにだが、その大きな目を上下に広げているのだ。
望月先生の顔色は、よりはっきりと示していた。
驚愕を。
爆発するか——僕はそうなった時に備え、気持ちを引き締めた。
だが、爆発はしなかった。
お二人は、驚いた顔のまま固まっていた。
数秒ののち、望月先生は顔にとりついていた驚きを緩めた。
まるで、長年隠していた秘密をようやく知られたため、観念して白状しようと思っているような、穏やかな表情。
そして、白状した。
「武人として、わしの名を教えよう。——わしの名は、望月源悟郎美石」
「同じく。——わたしの名は、望月螢美冬」
己の名を。
いや、お二人のフルネームはすでに知っている。
だけど、
「よしこく? よしふゆ? …………まさか、諱ですか?」
望月先生が「左様」と肯定する。
武芸における「諱」とは、免許皆伝者のみが己に付けることを許される、いわば「武名」である。「武人として」という望月先生の前置きは、それを意味しているのだろう。
免許皆伝者であるお二人が告げたのは、「諱」を加えた己のフルネーム。
そこまではいい。
しかし、
「……お二人の「諱」に付いている「よし」という発音に当てられている漢字は?」
「「美人」の「美」と書いて「よし」と読むの」
螢さんがそう淡々と答える。
今度は僕が衝撃を受ける番だった。
「諱」の中に、必ず「美」という漢字を付属させる——これは、嘉戸宗家の中でのみ付けられる諱のルールだ。
そもそも、至剣流を皆伝して「諱」が与えられるのは、嘉戸宗家の人間だけに限られる。宗家でない皆伝者には付けることを許されていないのだ。
お二人の苗字は「嘉戸」ではない。
では、なぜ——
宗家ではないのに宗家と同じ名を持つ親子は、立ち位置を横に揃えて、厳かに、真摯に名乗った。
「わしらは『望月派』。至剣流開祖、嘉戸至剣斎美達の正当なる伝承を受け継ぐ————もう一つの至剣流宗家だ」




