驚愕、そして驚愕
二〇〇一年十月六日、土曜日、午前十一時。
「あれぇ? どこに置いたっけなぁ……」
僕は実家の店——「秋津書肆」の本棚を探っていた。
店舗の本棚だ。つまり売り物。
お母さんに店番を頼まれ、一人になった隙を見て、売り物である古本の数々を物色していた。
本来なら、本を買いに来てくれたお客さんを妨害する良くない行いだ。しかし、今は誰もお客さんがいないし、お母さんも外出中で僕一人だ。セルフ営業妨害をしてもお母さんのゲンコツを頂戴することもない。
本当は今日も望月先生のもとで稽古をしたかったけれど、お母さんは今日は手が離せない用事があるらしく、家族の中においても暇人は僕だけだった。望月先生にもそのように電話すると了承してくれたので、こうして今日は店番に勤しんでいる。
ジャンル別に丁寧に分けてある本棚のうち、武芸関連の書籍が並ぶ本棚。そこに連なる背表紙を指でなぞっていく。ただし、新しい背表紙は全て避け、古い背表紙……明治とか江戸に出版された紐綴じの書籍だけを見つけてはそれを引っ張り出し、表紙を見て違うと判断したら挿し戻してまた古い背表紙を目と指で探る。
昔の紐綴じの本の背表紙には、題名が書いていないことが多い。なので現代書と違い、引っ張り出して確かめるしかない。そして、うちの店にはそういう本が結構ある。
見つけて、出して、戻して……それを何度も繰り返すうちに、ようやく僕はそれを見つけた。
「——あった」
手元にある本の題名は『至剣流剣術概論』。
ひと月前、本の品出しをしている途中に偶然見つけた、明治時代出版の至剣流テキスト。
お客さんが誰もいないことを再度確認すると、僕は『至剣流剣術概論』を開いた。
まずは目次。その中に並んだ、至剣流の型の一覧を見る。
「……やっぱり、二十四だ」
至剣流における型の数は、全部で五十。しかしこのテキストにはその半分以下の二十四しか書かれていない。
これが意味するところは何なのか。
僕は最初のページから読み進める。
字は経年で薄れているが、読めないほどではない。
文は古めかしい言葉遣いが多かったが、難解ではなかった。
まずは至剣流の開祖と歴史。至剣流は戦国末期から江戸初期までを生きた剣豪、嘉戸至剣斎美達が創始して云々——これは既知だ。
歴史の説明は、僕の知っていることと全く一緒だった。
ちなみに僕は文章を読むのが結構速い。幼い頃から本に慣れ親しんできた身ゆえ。
今度は至剣流の修行内容のあらまし。
そこで僕は違和感を覚えた。心のどこかで期待していた違和感を。
「——二十四ある型全てを能く能く磨き、その果てに己のみの奥義たる『至剣』の開眼を以て、奥伝目録を得て皆伝なり」
文章を我知らずそらんじる僕。
二十四ある型全て。——型の数は全部で二十四であるという意味の文。
それだけでも、僕を驚愕させるには十分な威力があった。
どういうことだ。至剣流の型の数は二十四? ということは、現在は倍以上増えていることになる。
さらに読み進めると、その一驚に浸る間もなく、さらなる一驚が僕を襲った。
「四宝剣。この四宝を以て流派の至宝とするなり。根幹あっての梢。四宝剣は根幹、その他二十の型は梢。四宝剣を離れた型は至剣流の型に非ず…………『四宝剣』だってっ?」
『四宝剣』という単語に言及しているテキストを見るのは、コレが初めてである。
現代の至剣流テキストは、驚くほどにこの『四宝剣』に言及していなかった。
エカっぺ曰く、至剣流宗家認可道場においても『四宝剣』を教えてはいなかったとのこと。
まるで『四宝剣』という存在が、この世界から抹殺されたかのようだ。……望月先生の教えを除いて。
エカっぺは「望月閣下が勝手に至剣流本来の教伝内容を改変して教えている」という仮説を立てていた。
しかし、このテキスト『至剣流剣術概論』が、その仮説を破壊してくれた。
これを書いたのは嘉戸久太郎美嗣……つまり嘉戸宗家の人だ。宗家の人自らが『四宝剣』という言葉を使っているのだから。
文字を読み進める目と、ページをめくる指が、おのずと加速する。
次は型の一覧。
『石火』『旋風』『波濤』『綿中針』——『四宝剣』と呼ばれるこれら四つは言わずもがな。『閃爍』『風車』『鎧透』『浮船』『霹靂神』『法輪剣』…………その他の型を含めて、全二十四の型全てを読み終える。
「……『浮木ノ太刀』と、『衣掛』が無い」
僕が現在知っている七つの型のうち、二つが存在しなかった。
そんな馬鹿な。至剣流は創始されてから、一度も伝承内容を変えていないはずだ。もしも伝承を変えてしまうと、「『至剣』を生み出す」という流派の特性を奪ってしまうからだ。
だがそうであるならば、こんな風に型の追加がなされている現実は、どう説明をつければ良いのだろう?
——願わくば、至剣流の不変の伝承と、流派の繁栄の華が、未来に咲き誇らんことを。
そんな巻末の文章を読み終えてから、僕は『至剣流剣術概論』を閉じた。
……嘉戸久太郎氏の願いは、半分は叶った。
今や至剣流は国内で最も盛んな剣術流派となって、海外でも修行者が多いという。日本国内どころか、世界にも根を広げている。
だけど、その教えは、どういうわけか歪んでしまっていた。
『ま、気になるんなら、色々調べてみるこったな。……明治かそれ以前の資料が見つかったらラッキーだ。そいつをベースにして調べるといい。大正以降の至剣流テキストは軒並みクソだからよ』
脳裏に、香坂伊織さんの言葉が蘇る。
その言葉によって、僕は好奇心を刺激された。
好奇心に突き動かされるまま調べ、こうして驚愕の事実へと辿り着いた。
しかし、ここから先は、僕の独力では限界だ。
——なぜ『四宝剣』は、無かったことにされている?
——その『四宝剣』を、なぜ望月先生や螢さんは知っている?
——なぜ、「型の増加」という、至剣流の家元制度を無に帰す行いがなされている?
「……明日、望月先生に訊いてみるか」
静かに決意を固めたところで、お客さんが来店してきた。




