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帝都初恋剣戟譚  作者: 新免ムニムニ斎筆達/岳兎佐助
帝都初恋剣戟譚 二匹の秋津(トンボ)編
280/286

真夏の来訪者《上》


 ——八月十六日、土曜日、午前十時。




 ヒートアイランド現象といったか。

 地面が隅から隅まで舗装され、ビルディングがたくさん立ち並び、そして空調設備の数や車両交通量のおびただしい現代都市では、夏の太陽熱を逃すことができなくなり、暑さが溜まるのだ。

 これは夏だけでなく冬にも影響する。真冬でも暖冬的な気候になりやすいのだ。

 (みかど)の膝元であるこの帝都東京も例外ではない。平均気温は年を追うごとに少しずつだが増しており、冬でもネズミが活発に動いている。

 

 望月家の敷地内にある小さな稽古場は、今でこそ側面の引き戸を開いて風通しを良くするだけでやり過ごせているが、このまま夏の気温が上がるようなら、空調設備の導入も視野に入れなければならない……と螢さんが言っているのを聞いた。


 ——そんな真夏の暑さに包まれた稽古場にて、僕は今、木刀を懸命に振るっていた。


「————ィヤァ!!」


 やや裏返った発声と気勢を伴い、僕は下段後方から前へ向かって、アーチ状の太刀筋を描いた。


 絶えず流れ続ける額の汗を袖で乱暴に拭い、少し荒れた呼吸を整える。


 僕は再び、右足を退き、剣を右下段後方に置いて構えた。前から見ると体の裏側に剣が隠れた「裏剣(りけん)の構え」。……今日、この構えをとるのは、これで何度目だろうか。


 フッ、とスイッチを切ったように心を(から)にする。白紙となった思考に、これから振るう剣技と、その一連の流れを構成する剣理のみを思い浮かべ、


「————ィヤァ!!」


 気合とともに、「裏剣の構え」から前へ向かってアーチ状に木刀を振り放つ。


 もう一度「裏剣の構え」。そしてまた剣を放つ。


 何度も、何度も、木刀が同じ軌道を、同じ勢いで虚空に描く。


 数えるのが嫌になるくらいに同じ剣技を何度も発し続けてから、


「——そこまで」


 それをずっと見ていた螢さんから制止を言い渡され、僕は剣と身を止めた。


 途端、思い出したかのように疲労が一気に全身に錘のごとく訪れた。それに引っ張られるように僕は座り込み、溢れ出る額の汗を拭いながら呼吸を整える。


「まだ少しぎこちないけど、だんだん良くなってきてる」


 螢さんは淡々とした、しかしちょっとだけ気色良い響きを持った声で言う。


「きょ、恐縮です……やっぱり、高級剣技(・・・・)って難しいですね……」


 僕は汗びっしょりなヘナヘナ笑顔を力無く浮かべ、息切れ混じりにそう返した。

 

 螢さんは僕から少し距離を取ると、顔を左へ向け、右足と木刀を後方へ退いた「裏剣の構え」を自然に取る。さっきまでの僕と同じ構えだが、彼女のソレは存在の密度(・・・・・)が違うように感じられる。まるでこの稽古場と、否、それが建つ地球と一体化したかのようだ。


 次の瞬間——螢さんのそんな「裏剣の構え」が爆ぜ(・・)、瞬時に、かつ轟然とアーチ状の太刀筋が振り下ろされた。


 マグマの爆発を思わせるその一太刀は、見ていた僕の心臓を鷲掴みにせんばかりの、凄まじい迫力があった。本当に、間近からマグマの爆発を目にしたような気分だった。


 剣を深く振り下ろした状態から腰を上げた螢さんは、いつも通りの無表情で僕に告げた。


「驚くことはない。コウ君もきっと、近いうちに出来るようになる」


「そ、そうですか……」


 硬く頷いた僕は、今の技がさっきまでの僕の技と同じ(・・)であるということを、いまだに信じがたく思っていた。


 ——『迦楼羅(かるら)(けん)』。至剣流の型の中でも特に強力な「高級剣技」と呼ばれるモノのうちの一つだ。


 去年の九月に初伝目録(しょでんもくろく)を得て以来、僕はこの型を含む「高級剣技」を練習し始めた。


 高級剣技は、ただその型だけを学ぶと、剣術でよくある技のうちの一つに思えてしまう。


 しかし、至剣流の基礎を養う四つの型『四宝剣(しほうけん)』に習熟してから学ぶと、恐るべき威力を発揮するのだ。さっきの螢さんの『迦楼羅剣』のように。


 なぜ、『四宝剣』を前提にしてから学ぶべきなのかは、高級剣技を習い始めてからすぐに解った。


 ——高級剣技には、一つの型につき、『四宝剣』四つの要素全てが含まれているからだ。


 例えば、今やってた『迦楼羅剣』。


 『四宝剣』の存在を伏せて教えている嘉戸(かど)派至剣流では、『迦楼羅剣』の稽古で「俊敏に、大きく、気勢を高めて勢いよく、整った半円を描くように振れ」という要訣を教えられる。これだけだと、やや抽象的だ。


 ……けれど、『四宝剣』をよく練り、その動きと理論を深く体得した後だと、これらの要訣に対する理解度が劇的に変わる。


 『石火(せっか)』の速さ、『旋風(つむじ)』の伸びやかさ、『波濤(はとう)』の勢い、『綿中針(めんちゅうしん)』の整然とした円の太刀筋……これら『四宝剣』に含まれる動きや性質を、『迦楼羅剣』という一つの剣技に集約させるのだ。


 無論、言うは(やす)しだ。まず『四宝剣』に含まれている動きや術理を徹底的に体に刻み込んで基礎を練らないといけないし、その後でようやく『迦楼羅剣』の稽古に入っても、性質の異なる四つの力と動きを秩序立てて一つにするのがいかに難しいかは、僕がこの身で経験済みである。


 だけど、それを見事実現できた時……さっきの螢さんのような、恐るべき威力を誇る一太刀へと変貌を遂げる。


 ……余談だが、『迦楼羅剣』の「迦楼羅」とは、インド神話から仏典に輸入された毒蛇除けの神鳥の名前だ。至剣流開祖である嘉戸(かど)至剣斎(しけんさい)が、かつて毒蛇と対峙したときに編み出したそうだ。「蛇の食いつきよりも(はや)き太刀を」と強く思って斬りかかると、蛇の俊敏な食いつきよりも先んじて毒蛇を真っ二つにすることが出来たという。そのことから、『迦楼羅剣』という名前を付けたらしい。


 閑話休題。


 そのような感じで、僕はここ一年近く「高級剣技」の稽古に明け暮れていた。


「コウ君はすでに、高級剣技の一つである『(みずち)ノ太刀(のたち)』を、高級剣技として(・・・・・・・)モノにしている。これは、コウ君の剣の基礎……すなわち『四宝剣』の練度が高い証。一つが出来て、他の三つが出来ない道理は無い」


 四つの「高級剣技」を全てモノにしている免許皆伝者の螢さんがそのように言うのだから、きっとそうなのだろう。


 自分の剣の更なる上達を約束されたような気分になれて、確かに嬉しい。


 ……一昨年の八月二日、螢さんと初めて出会った頃の自分を思い浮かべると、よくここまで来れたものだと感慨深い気持ちになる。


 だが、まだ目的地まで到達していない。


 至剣という、至剣流の最高到達点まで。


 螢さんに勝利する、という目標まで。

 

 以前はそんな目標へ邁進(まいしん)することに、何の迷いも抱かなかった。ただ前へ進むことしか考えていなかった。


 だけど……今は少しだけ、うしろめたさのようなモノも覚えた。


 それを自覚すると同時に、脳裏をよぎったのは——金髪(・・)


(……考えるな。今は稽古中。それも螢さんと一緒の時だ。他の女性のことを考えてはいけない)


 僕は物理的にかぶりを振って、そんな雑念を振り払う。


 剣術の事を考えよう、剣術の事を。


 僕は今まで何の稽古をしていた? そう、「高級剣技」だ。


 すでにそのうちの一つを、僕はモノ(・・)にできている。


 あの白鳥(しらとり)という男との戦いで、土壇場になって『蛟ノ太刀』を進化させることができた。


 思い出すに、不思議な技だった。

 まるで、自分の剣と触れ合った相手の剣が磁石のごとくくっ付き、そして強引に引きずり込んだのだ。

 僕より背丈も体力も優れていたであろう大人の男が、渦に引き込まれたように逆らえず、僕へ引き寄せられたのだ。物理法則を超えた「何か」が、あの剣には宿っているような気がした。


 しかし、白鳥の『迦楼羅剣』も凄まじかった。

 螢さんほどではないが、まるで爆発的な自然現象の再現のごとき一太刀。

 僕と違って「高級剣技」の存在を知らなかったのに、あそこまで鍛え上げるのは、敵ながら天晴(あっぱ)れと言うべきだろう。


 ——至剣だけでなく、この「高級剣技」も含めて、つくづく不思議な剣術だ。


「……それにしても」


 不意に、螢さんが僕へ歩み寄ってくる。


 ある程度近づいてくるだけかと思いきや、座り込んでいる僕が少し腰を上げて手を伸ばせば届くくらいの位置までやってきた。そこで無音でしゃがむ。

 つるりと伸びた細い手指が、僕の右手の持つ木刀の(しのぎ)にそっと触れる。

 その木刀を見つめている螢さんの顔は、どこか物憂げに感じた。


 ただ剣を触っているだけなのに、甘やかな湿っぽさを感じて、僕は少し緊張した。初々しい桜の花弁のような唇とか、肩から液体のようにしゅるりと流れ落ちる黒髪の一房とか、稽古着の襟からほんの僅かに覗く鎖骨のラインとか、ゆったりした(はかま)の布地がおぼろげに描き出す太腿と膝小僧とかが、いつもよりやけに鮮明に視える。流れ落ちた髪の風圧に乗ってふわりと薫ってきたミルクみたいに芳醇な体臭が、僕の心をさらに揺さぶった。ばくばくと鳴る心臓から、甘い熱が全身に波及する。


「コウ君の剣は——本当にお義父(とう)さんにそっくり」


 けれど、螢さんが静かに投じたその言葉は、僕を甘い熱を冷まして現実に引き戻した。


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