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帝都初恋剣戟譚  作者: 新免ムニムニ斎筆達
帝都初恋剣戟譚 二匹の秋津(トンボ)編
237/252

二〇〇三年四月十九日土曜日 〜一日の終わり〜

 それからも三人は、談話を楽しんだ。


 久しぶりに会うし、おまけにこうして会える機会も今回が最後かもしれないのだ。とにかく一分一秒も惜しまず使った。


 言葉だけでなく、剣での語らいも楽しんだ。


 (ほたる)源悟郎(げんごろう)が、ウィルキンソン達に至剣流を披露した。


 『生々流転(せいせいるてん)』——どちらか片方の太刀筋か動きが途切れるまで、何度も至剣流の技を打ち合う稽古法——は源悟郎の体力的に少し厳しいため、至剣流の基礎を成す『四宝剣(しほうけん)』を見せた。源悟郎が(うち)太刀(たち)、螢が仕太刀(したち)として。


 望月家の稽古場にて、両者の剣が宙を滑るたび、ウィルキンソンだけでなく護衛二人も拍手を送った。極限まで研ぎ澄まされた螢の剣は、人種や文化すらも超えた「神威」のようなものを感じさせた。


 また、源悟郎とウィルキンソンで、将棋を差したりもした。


 そのようにして、短くも濃厚な時間は過ぎていった。


 夕方になると、とうとうウィルキンソンも帰ることになった。


 帰りの送迎も、来た時同様、後藤(ごとう)がレンタカーを使って行うことになっている。


 帰り際、ウィルキンソンは名残惜しそうに手を差し出した。


「——またいつか、こうして会って、茶の湯を交わそう。ゲン」


「……そう、だな。それまで達者でな。レイよ」


 源悟郎も、少し寂しそうに微笑み、その手を握り返した。


 堅く繋がれた、兄弟子と弟弟子の無骨な手。


 そこに込められた握力は、まさしく万力のようだと見て判る。お互いの名残惜しさが伝わってくる。


 ——それらが、ゆっくりと解かれ、そして離れていくさまを、螢はただ見つめていた。






 †






 牧瀬(まきせ)家との談話は、僕にとっても楽しい時間だったようで、あっという間に時は過ぎていった。


 夕方になると、陽司(ようじ)さんとギーゼラさんは、我が家を出た。


「また機会がお有りでしたら、是非とも今日のようにお話をしましょう。今度は家内と、そちらの旦那様も一緒に。せっかくの時代を超えた再会なのですから、出来る限りこの繋がりを保ちたく思います」


 別れ際の陽司さんの言葉に、お母さんは「喜んで。うちの夫にも伝えておきますわ」と快く頷いた。


 牧瀬親子の後ろ姿が見えなくなるまで見送ってから、僕ら秋津(あきつ)家はいつもの日常に戻った。


 お母さんがご飯を作り、その間に僕がお風呂の準備をする。


 湯船を洗い流してから、湯沸かし器のスイッチを入れる。だいたい二十分ちょっとでお風呂が沸くだろう。


 湯沸かし作業を終えた僕は、一度僕の部屋へ戻った。


 棚の上の刀掛(とうか)に置き戻してある「蜻蛉剣(せいれいけん)」。それを一瞥(いちべつ)してから、僕は棚の引き出しの一つを開ける。

 中には幾冊ものスケッチブックが積まれている。絵のジャンルごとに区別されたソレらを、僕は探りながら下へ掘り進む。

 「昆虫」「螢さん(女中服)」「動物」「刀」「建物」「螢さん(割烹着)」…………あった。「未分類」というジャンル名の書かれた一冊。


 ペラペラとページをめくっていき、やがて「その絵」にたどり着いたところで手を止めた。


 ——そこには、えらくかすんだ絵が、鉛筆で描かれていた。


 全体の輪郭がはっきりしない。まるで霧中に隠れたようなおぼろげな像。

 だが、輪郭を表す線こそ途切れ途切れではあるものの、それがボロボロになった城の天守閣(てんしゅかく)を描いたものであるということを、脳が勝手に保管してくれる。


 ——僕の脳裏に、この絵と全く(・・・・・・)同じ映像(・・・・)が、うっすらとよぎった。


 その「映像」は、あの時……そう、鴨井村正(かもいむらまさ)との戦いの最中に見たものと、同じだった。


 斬り殺されるかと思ったその瞬間、走馬灯が脳裏を流れた。人は死ぬ寸前に本当に走馬灯を見るのだと、他人事のようにその時は思った。


 しかし、走馬灯として流れてきた「映像」は、僕の人生の中で一度たりとも見たことがない光景ばかりだった。


 ——無数の敵を斬り、撃ち、殺めた日々。

 ——無数の味方を斬られ、撃たれ、失った日々。

 ——そうして(たお)れた彼我の亡骸(なきがら)が地上に作り出す、見渡す限りの屍山血河(しざんけつが)

 ——それでもなお足りぬと、斬り斬られ、撃ち撃たれを飽きもせず繰り返す彼我の軍勢。


 その「映像」を見てからというもの、恐れが消え、やたらと体が動き、機転が利くようになった。

 持っていた刀だけでなく、そのステージフロアにあるモノ全てが武器のように思えた。バーカウンターに並んでいた椅子やボトルキープや、ステージフロアの地形を利用し、奇策で村正を圧倒した。 

 ……まるで、僕が僕でなくなったかのような、手際の良さ、迷いの無さだった。


 だが、脳裏に流れ続けていた「映像」の最後。



 ——青空を背景に燦然(さんぜん)(ひるがえ)る赤地の旗。

 ——大地に広がる友軍の死骸の山。

 ——度重なる銃撃と砲撃を受けて、巨大な(あば)()と化した、守るべき城。

 ——足元に、近しい人間だった(・・・)肉塊。




 これらを見た瞬間、今まで僕を駆り立てていた戦意が一気に消え失せた。まるで、己の寄る辺を全て失い、世界から一人だけ蹴り出されたような、埋めようのない巨大な喪失感。


 ……この絵の天守閣の姿は、この「映像」の最後にあったモノと同じだ。


 去年の『神武閣(しんぶかく)事件(じけん)』の後、僕はその「映像」の中にある城を思い出しながらスケッチした。


 しかし、能動的に思い出そうとすると、ぼんやりとしか浮かばない。まるで霞がかかっているみたいに。それでも懸命に思い出し、書き足し、どうにか今の形にした。


 ……僕は再び、「蜻蛉剣」へ視線を移す。


 村正との戦いの最中に見た「映像」。

 それを見ている最中、手にしっかり握っていたこの刀が、脈打っているような感覚があった。

 まるで、この刀と血を共有し、その血を介して僕に知らない記憶を流し込んでいるかのような感覚。

 この奇妙な現象に、戦いの最中こそ大して疑問は持たなかったが、その後にはずっと頭の片隅に引っかかって気持ち悪かった。

 ……だって、見たことのない光景だけでなく、見覚えのあるモノ(・・・・・・・・)も、その「映像」の中にはあったから。

 既視感の混じった未知の光景。 


 再度、ボロボロの天守閣の絵を見る。


 ……この城のことを、僕は知っていた。


 もしかしたら、と思っていた。


 だけど今日、牧瀬家との交流の時に「蜻蛉剣」に言及したことで、その「もしかしたら」は「確信」に変わった。




 ——これは、若松(わかまつ)(じょう)。またの名を、鶴ヶ城(つるがじょう)だ。




 会津藩の象徴的な城。今でいう福島県会津若松市にある。

 現在は史跡認定を受けて外観復元こそされているものの、それはあくまで明治時代の写真をもとにしてのものに過ぎない。

 ……本物の鶴ヶ城は、会津戦争の時に薩長軍の砲撃で著しく損傷し、その後の廃城令(はいじょうれい)によって陸軍の所有物になったのち、一度完全に取り壊されたのだ。


 スケッチブックに描かれた、ボロボロの天守閣。……これは、戊辰戦争後に撮られた鶴ヶ城の写真と、損傷箇所がほぼ一致していた。


 この絵の元となったのは、村正との戦いで見た「映像」。


 あの「映像」は——十中八九、会津戦争の光景だ。


 であるなら、「映像」の中で翻っていた赤い旗は「(にしき)御旗(みはた)」だ。薩長軍が、自分達を朝廷から認められた「官軍」であると主張するために振った旗。

 

 その「映像」を見せたのは……握っていた「蜻蛉剣」。


 さらに、その「蜻蛉剣」は——朱雀隊(すざくたい)として会津戦争に参加していた、秋津(とう)右衛門(えもん)の愛刀であったという。


 今日の陽司さんの話を聞いて、過去から現在が、細いながらも一本の線で繋がった気がした。


 陽司さんの祖先である牧瀬秀継(ひでつぐ)の兄、牧瀬隆之助(りゅうのすけ)が、秋津東右衛門に「蜻蛉剣」を譲り、

 東右衛門はその「蜻蛉剣」を戊辰戦争(ぼしんせんそう)で振るい、しかしその途中でどこかへ落とし、

 落ちていた「蜻蛉剣」を誰かが広い、それを刀屋に売りつけ、

 それを望月先生の二天一流の師匠が衝動買いして磨き上げ、

 望月先生が若い頃にそれを譲られ、

 それが、僕へと譲られた。

 こんなところだろうか。


 ——なんという、運命の巡り合わせか。


 秋津東右衛門の愛刀が、巡り巡って、弟の子孫である僕のところへやってきたのだ。


 偶然かもしれない。


 それこそ、砂漠の中の砂金の一粒を見つけるような極小の確率を、運良く引き当てただけかもしれない。


 それでも、この巡り合わせに、意味のようなモノを求めたがるロマンチストな僕が、心の中にいる。


 ……しかし、「意味」が仮にあったとして、その内容(・・)とは?


 思い出すのは、あの「映像」の最後の方で感じた、強烈な喪失感。

 「映像」の正体が、東右衛門の記憶であるとするなら、その喪失感さえも東右衛門のモノということになる。

 ——親友に先立たれ、妻とその胎内の子も亡くなり、挙句は会津藩という故郷まで奪われた、敗残兵の記憶。

 ——何もかもを失くしすぎて、己の中に巨大な(うろ)が生じたような気持ち。

 この刀が、一三五年という時を超えて、それらを僕に教えたのだとしたら。


 ……これはいったい、何を意味するのだろうか。





 


 †






 ——電気スタンドのみで照らされた薄暗いホテルの一室には、白いシーツが大きく乱れたベッドが一つあり、そこにはひと組の男女が乗っていた。


 女は、蜂蜜の甘みを想起させるような、絶世の美女だった。

 東洋的とも西洋的ともつかない、しかし見目麗しいということだけははっきりとした、エキゾチックな美貌。その頭部から緩く曲線を作って流れる、ハニーブロンドの長い髪。

 細くあるべきところは細く、豊満であるべき所は形良く豊満である白皙(はくせき)の肢体。しかし細さも太さも、ともに女体としての柔らかさを備えており、指圧すればその指が瑞々しく沈む。

 そんなはずはないのに「舐めれば甘い」と思わせ、なおかつそうしたくなる衝動に男を強く駆りたてるような、そんな破滅的な美貌を誇る女であった。


 男は、見るからに東洋人の血が強い容貌だった。

 ショートボックスに整えられた黒髭で覆われた、精悍でありつつも角ばった感じのしない目鼻立ち。背中の中心ほどもある黒髪を、無造作に下ろしていた。

 遠くから見ると細く、しかし近くで見ると分厚くしっかりしているように見える、油絵みたいな肉体。

 

 ……そんな二人の乗ったベッドの周囲の床には、二人の衣類が散乱していた。


「んんぅ……」


 女が、悩ましげな声を漏らして、ベッドの端に座る男の後ろ姿にそっと抱きついた。触れ合う肌と肌。女の体温と柔和さが男の背中に押し付けられる。並の男ならば、その瞬間に自制心の大部分を削ぎ落とされるであろう、魅了の暴力。


 男は、口端を釣り上げて笑う。

 それは女の魅力にとろけた笑みではない。

 己の投資がうまく利益となったのを目にした時のような、愉快げな一笑。

 

 それを見た女は、深い紅色のリップを尖らせ、やや不満げな声で言った。


「ここのところ、随分と楽しそうね。——トーシャ(・・・・)


 その男——トーシャはいっそう笑みを深めた。


「まぁな。まさかこんな早い段階から、次の手(・・・)が打てるとは思わなかったんでな」


「……随分と、面白い計画を思いつくものね。モスクワ本部の人達は怪訝な顔をしていたけれど」


「まぁ、普通はそうだろうよ。映画みたいに荒唐無稽な計画だ。しかしそれを可能にするピースは、着々と手元に集まりつつある。そのために、お前にももうちょい協力してもらうぜ? クラーシャ」


 その女——クラヴディア・マルコヴナ・ハルロヴァは、トーシャの左肩に顔を乗せ、その左頬に軽くキスをした。理性を強く揺さぶるような、甘い声で、


「なら……もう少しおひねり(・・・・)が欲しいところだわ。前払いで」


「……やれやれ」


 トーシャは呆れたように一笑し、右手でクラヴディアのハニーブロンドの髪を撫でた。


「今はまだ、下ごしらえ(・・・・・)の段階だ。だが状況は限りなく俺の望んだ方向に動きつつある。——この腐った帝国が、地獄に変貌する日は近い」


 そして、厲鬼(れいき)の微笑を浮かべた。


今回の連投はここまで。

また書き溜めます。

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― 新着の感想 ―
やっぱり至剣には理屈では解明できないファンタジーな要素が混じってそうだな…… 至剣流にはある種の儀式的な側面もあるのかも
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