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帝都初恋剣戟譚  作者: 新免ムニムニ斎筆達
帝都初恋剣戟譚 二匹の秋津(トンボ)編
230/252

二〇〇三年四月十九日土曜日 〜二つの再会〜

 二〇〇三年四月十九日、土曜日、午前九時——




 後藤(ごとう)は、十二年前の日ソ戦の帰還兵であった。俗に言う『北方(ほっぽう)帰り』だ。


 日本軍による反転攻勢の際、敵の攻撃によって左脚を負傷し、惜しくも前線から退かざるを得なくなった。

 その後、左脚は義足に置き換わり、戦後は軍を去った。

 最終階級は中尉。


 その後、源悟郎の家の運転手として働くようになったのは、戦場における縁ゆえであった。 

 「自分の作った戦場をこの目で見ておきたい」という源悟郎の無茶を運転手として叶えたのは、他ならぬ後藤だったからだ。……ちなみに後藤はこの頃から、当時戦災孤児となっていた(ほたる)と面識があった。


 将官など、後方から下知を送るだけで、ろくに前線など見たりしない殿上人(てんじょうびと)のような存在だという偏見が、これまでの後藤には無くはなかった。

 なので、「自分の目で戦場を」と願い、そしてそれを見て苦しむ源悟郎に、後藤はどうしようもなく「人間」を見出し、そして敬意を抱いた。


 片足を失ってもなお、この人物の采配の下で戦えたことを、後藤は誇りに思っている。


 戦後も、彼の助けになることなら、いくらでも力を貸したいと思っていた。

 

 ——しかし、これはいささか、責任重大が過ぎるのではなかろうか。


 いつもの黒塗りの車とは違う、日本でありふれた一般自家用車を運転しながら、後部座席に座る三人をバックミラー越しに一瞥(いちべつ)し、後藤(ごとう)はそのように思った。


 まず、二人の人物。

 彼らの特徴はほぼ共通していた。

 鍛え抜かれた巨躯、

 精悍な顔つき、

 手掴みできないくらいに短く刈り上げられた髪、 

 目元が完全に見えないサングラス、

 それらの物々しい風貌を多少和らげるような、灰色のビジネススーツという整った装い。

 ——二人の特徴の差といえば、片方が黒人で、もう片方が白人ということくらいか。


 そして極め付けに、そんな二人に挟まれて座る、一人の白人の老夫。


 やや白さの混じった短い金髪。四角っぽい輪郭をとった顔は、アングロサクソンらしい硬そうな彫りの深い顔立ちだが、不思議とソフトな雰囲気があった。

 青のスーツを纏う体躯は、両隣の巨漢よりだいぶ華奢で小柄に見える。しかしそれはあくまで対比だ。立った時の背丈は一七五センチの後藤よりも高かった。

 両隣の巨漢と同じくサングラスを着用しているため目元が分からない。しかし後藤はその黒いレンズの下にある目のありさまを知っていた。——テレビで見た(・・・・・・)ことがあるから(・・・・・・・)


 その三人は、ただただ無言で座りながら、後藤の運転に全てを委ねていた。


 ステアリングとペダルが重く感じる。気分も重い。責任も重い。


 慣れ親しんでいるはずの東京の車道が、初めて通る道みたいに感じる。


 ——元とはいえ、アメリカで大統領だった人物を乗せているのだから当たり前だ。


 レイモンド・N(ネイサン)・ウィルキンソン。

 日ソ戦時、アメリカ大統領だった大人物である。

 アメリカ政界における数少ない親日家。日米関係の重要性を各所で訴えて「地ならし」をした上で、大統領になったのちに同盟計画を進めた。

 それがモスクワに漏れてしまった結果起こった日ソ戦の時も、対日レンドリースなどの支援を積極的に行ってくれた。

 彼がいなかったら、日ソ戦は長期化し、泥沼の様相を見せていたことだろう。

 日本にとっても、帝国陸軍として前線にいた後藤にとっても、恩人と言っていい人物。


 本当なら、元軍人として感謝の一つもしたかったが、お忍びであるため正体のバレるような真似はしたくなかったし、何よりいざ彼の前に立つと緊張が勝った。小物だなと我ながら思う。


 せめて、彼らをこの命に代えてでも、無事に目的地へ送り届けよう。それがウィルキンソンのためにも——そして、その友人である源悟郎のためにもなるのだから。


 後藤は運転に集中した。


 フロントガラスの向こうの景色を、視界を広げて見渡す。その視界の上端にはバックミラー。……そこに巨漢二人のサングラスが、自己主張しているみたいに黒光りしていた。


 この二人の男はシークレットサービス所属の、ウィルキンソンの護衛だ。

 大統領は退任後も、その身柄を一生涯手厚く保護される。退いてもなお、手続き次第では国家機密にも触れることができる身分だからだろう。

 護衛二人がサングラスをしているのは、ファッションではない。目元を覆い隠すことで視線を読まれないようにするためだ。目は口ほどに物を言う。ともに剣豪と呼ばれている源悟郎や螢によると、達人同士の戦いでは視線や呼吸といった仔細な情報から次の手を予測する「読み」の技術が当たり前のように用いられるそうだ。それを考えると、洋の東西を問わず、人間の考えることは同じだと分かる。

 また、この三人が一般人と変わらぬ装いをしているのは、一般人に擬態するためだ。さらにこの普通乗用車も借り物だ。いつもの黒塗りの車では目立ってしまう。それでは擬態できない。


 そのように頭の片隅で考えながら運転を続けることしばらく。


 ようやく、目的地へと辿り着いた。


 敷地と二階建て木造家屋を四角く囲う、(さわら)生垣(いけがき)

 そこのうち、家屋裏側の部分に小さな駐車場がある。

 今日は黒塗りの車は後藤の家に置いてあるため、駐車場にこの車を停めた。


 車を停止させ、キーを抜いてフロントドアから外へ出て、それからリアドアを開く。

 巨漢二人と元大統領がゆっくりと出てくる。

 リアドアを閉じ、車をロック。


 義足ゆえの、ややぎこちない足取りで三人を後ろ姿を追う。


 だが、すぐに追いつく。三人とも立ち止まっていたからだ。


 ——すでに家主(・・)が、駐車場まで出向いていたため。 

 

 源悟郎と、螢だ。


 あの屈強かつ冷静沈着な護衛二人が、ほんの微かにだが(ほう)けた溜息を漏らしたのは、ひとえに、螢の美貌を目にしたからだろう。


 ……後藤が十二年前の戦場で目にしたボロボロな丸坊主の女児は、今や誰もが振り返る傾国の美女へと成長を果たしていた。

 濡烏(ぬれがらす)という表現がこれほど似合うものは無いと呼べるほどの、美しく長い黒髪。

 甘やかでありつつも静謐な整い方をした美貌。

 未踏の雪原めいた色白の素肌。

 力強く根を張り茎を伸ばした高原の一輪花のような、気品と芯の強さを感じさせる佇まい。

 大和撫子(やまとなでしこ)という言葉そのものを人の形にしたような、そんな美しすぎる少女。幼児の頃から彼女を知っている後藤でさえ、彼女の美しさに時々目が痛くなる。

 ……あの少年(・・・・)は、こんな高嶺の花を夢中で追いかけているのか。是非とも実って欲しいものだと密かに思った。


 ジーンズにセーター姿の螢の背後で山のように佇む、作務衣(さむえ)姿の偉丈夫。

 白んだカイゼル髭のと鋭い眼差しが目立つ顔が、護衛二人とほぼ同じ目線に並んでいた。……望月源悟郎。


 最初に口火を切ったのは、螢だった。


「——Would you like us to speak Japanese or English?」


日本語で(・・・・)構わないよ(・・・・・)。……久しぶりだね、螢ちゃん。見違えるほど綺麗になったね」


 白人老夫の口から、驚くほどに流暢な日本語が飛び出し、後藤は思わず驚く。


 源悟郎が前へ出て螢と並び、慣れたように表情を緩めて言った。


「——久しいな、レイ」


 白人老夫は、おもむろにサングラスを外した。


 露わになった青い瞳は、懐かしさのような感情で細められていた。


「——ああ。親愛なる兄弟子(・・・)に、再び会えて嬉しいよ。ゲン」


 片や、元帝国陸軍大将。

 片や、元米国大統領。

 そんな立場を超えた友人二人が、大きな手同士で握手を交わした。





 †




 ——そもそも、結びつけなんて難しいだろう?


 「牧瀬(まきせ)」なんて名字の人は、世の中にはたくさんいる。この帝国において最大の人口密度を誇るこの帝都東京ならなおのことだ。そしてその全ての人が、僕ら秋津家と関わりのある旧会津藩士の一族ではないのだ。


 だから名字だけでは、断定は出来ない。


 ましてや、人種(・・)すら違う。なおのこと結びつけは困難だ。


「——はぁい、モルゲーン! そしておひさぁー! 秋津(あきつ)光一郎(こういちろう)!」


 「臨時休業」という掛け札がされた『秋津書肆(あきつしょし)』の入口前。その小柄な少女——ギーゼラ・ハルトマン・牧瀬さんは、さんさんと輝く朝陽に負けないくらいの元気さでそう挨拶してきた。


 両耳の下あたりで二束に纏められた地毛の金髪。猫っぽく吊り上がった碧眼。色白と呼ぶにはいささか白さの過ぎる肌。黒い長袖シャツとチェックのワンピースという色の落ち着いた装いが、その眩しい感じの容姿にいくらか落ち着きを持たせていた。


「やっぱり思った通りだったわよ親父! 先週「秋津家」の話を聞いて、もしかしたらと思ったら、案の定コイツだったわ! 帝都ってせまーっ! きゃははっ!」


 明らかに日本人ではない見た目をしたその少女が「親父」と呼んだその男性は、日本人だった。なにやら気後れしたように右手で目頭を揉んでいた。左手には小ぶりな革の鞄。


「……申し訳無い。この子がどうしても「ついてくる」と言って聞かなかったので」


 それに対して僕の隣のお母さんが「いいんですよ」とにこやかに言った。


 牧瀬(まきせ)陽司(ようじ)——この人こそ、今日における本来の客人だ。


 シワ一つ見られないブラウンの背広の上下セットを着こなす、いかにも壮年って感じの男の人だ。

 四角い輪郭の内側には、硬く透き通った鼻筋と、その頂点左右にある穏やかでいてどこか厳しい感じの眼差しが目立つ顔つき。そのあちこちに、苦労を重ねているかのような浅く小さな皺がちらほら見られた。

 ……やっぱり、隣の金髪碧眼の少女とは似ても似つかない。


「娘さんですか?」


「ええ……ドイツ人の後妻の連れ子です」


 陽司さんにそう確認してから、お母さんは身を少し屈めてギーゼラさんにやんわり話しかけた。


「うちの光一郎と知り合いみたいね? 私は秋津(あきつ)仁光(ひとみ)、光一郎の母親よ。よろしくね?」


「アタシはギーゼラ! ギーゼラ・ハルトマン・牧瀬よ! ドイツ人だけど、会津の剣である溝口派(みぞぐちは)一刀流(いっとうりゅう)を学んでるの! 心は猛将(おに)佐川(さがわ)よ! よろしくおばさま!」


「こらギーゼラ、きちんとした挨拶をなさい」


 陽司さんの軽いお叱りに、お母さんは口元を押さえてクススと一笑を漏らし、


「あら、別に構いませんわ。女の子は多少元気で扱い難い方がよろしいじゃありませんか。ねー、ギーゼラちゃん?」


「ねー、おばさま!」


 楽しそうに笑い合う二人。やっぱり女性同士だから気持ちが合いやすいようだ。


 陽司さんは苦笑して二人を見てから、視線を僕へ移した。少しだけ緊張する。


「君は、仁光さんの息子さんだね。私は牧瀬陽司。ギーゼラの継父(ままちち)だ。この子が世話になっていたようだね」


「秋津光一郎です。よろしくお願いします」


「よろしく。君の事はよく知っているよ。去年の天覧比剣の優勝者だものな。元気があってよろしい」


「きょ、恐縮です」


「ははっ、謙虚なところもまた良しだ。「(けん)(えき)()く」というからね。その姿勢を持ち続けていれば、立派な大人になれるだろうさ。……良い息子さんを持ちましたな、仁光(ひとみ)さん」


「ありがとうございます。ふふっ」


 お母さんは奥ゆかしく笑声をこぼす。


 そよ風が吹いた。すでに季節は春だが、風にはまだほのかに冷気が宿っていた。


「ここに立っていてもなんですから、中へ入りましょうか。さ、どうぞ」


 お母さんがそう言って二人を屋内へ招き入れようとした、その直後。


「ちょっと待っておばさま! アタシ、まず最初に、やりたい事があるの!」


「なにかしら? ギーゼラちゃん」


 ギーゼラさんは僕をビシッと指を差し、猫みたいな笑みを浮かべて挑戦的に言い放った。


「——秋津光一郎! アタシと剣で勝負なさい!」


 なっ!? と声を上げたのは、僕ではなく陽司さんである。


「アタシね、去年の『創設祭』でアンタと一度切り結んで以来、思ったの。アンタは絶対強いって。アンタといっぺん、マトモに剣でやり合ってみたいって! こうやって会えたのも何かの縁だし、アタシと()ってみないっ?」


「ギーゼラっ、いい加減にしないか! ——血の気の多い子ですまないね、光一郎君。別に断っても構わないからね」


 陽司さんはギーゼラさんを叱責してから、僕に逃げ道を用意してくれた。


 ……だけど僕は、その逃げ道に素直に進むべきか、迷っていた。


 確かにこの場で剣の勝負というのも場違いかもしれない。

 一方で、ギーゼラさんが通う学校は、お嬢様学校といわれるヨシ(じょ)だ。今回みたいな機会がなければ、普通に過ごしていて彼女と接点が生まれることはほとんど無いだろう。手合わせをする機会も。

 それを考えると、引き退るのも勿体無い気がしてくる。

 

 僕はお母さんへ振り向く。


 お母さんは、何も言わず微笑んでいた。おまえの好きにしろ、とでも言いたげな笑みだ。


 背中を押された気分を勝手に覚えつつ、僕はギーゼラさんへ向き、告げた。


「——いいよ。良い機会だし、一度やってみようか」

 

 視界の端っこで、陽司さんの困ったような顔が見える。それを見て、申し訳無さを少し覚えた。


 一方、眼前のギーゼラさんは、あの猫っぽい笑みをさらに深め「きゃはっ」とこぼす。


「——そうこなくちゃね。天覧比剣優勝者さん」


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