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帝都初恋剣戟譚  作者: 新免ムニムニ斎筆達
帝都初恋剣戟譚 二匹の秋津(トンボ)編
225/252

憂国者の神秘体験

お待たせしました。


最終章、これから始まりますです。

 日ソ戦が始まったのは、白鳥九郎(しらとりくろう)の中学二年の冬だった。


 あっという間に蚕食(さんしょく)された北方。平和だった街並みは、一瞬にして死と瓦礫の野原に変わった。


 北海道に隠居していた九郎の祖父母もその犠牲となり、家は木屑の山と化していた。


 ソ連軍は、祖父母の命を奪っただけでなく、過ごした思い出すらも凌辱したのだ。


 そんな凄絶な喪失の経験が、当時進路に悩んでいた九郎の方向性を決定付けた。


 卒業後は働こうと思っていた九郎は、陸軍士官学校へ進路を変更。もともと勉強がよく出来る方だったことが幸いし、難関であった士官学校の試験に合格。軍人への道を歩み出した。


 もう二度と、あのような災禍を起こしてはならない。起こさせてはならない……そんな憂国の想いは九郎を軍人として成長させ、同時に国家主義者への道へも走らせた。


 軍人としての任務の傍ら、時間を見つけては国家主義者の集まる私塾や政治結社へ出入りするようになった。


 どのようにすればこの帝国がより強く豊かになれるのか——アメリカに媚びて隠れて安寧にしがみつくなどけしからん——他国の援助を受けて先の日ソ戦に勝利したからこそ、次の戦争では我が国の独力のみで専守防衛ができるよう備えをすべきではないのか——輔弼(ほひつ)の連中は自分の思想に沿うように(みかど)叡慮(えいりょ)を誘導しているのではないか————同志達と会うたび、あらゆる議論を白熱させた。時に意見の食い違いで取っ組み合うこともあったが、それも含めて九郎にとっては楽しく有意義な時間だった。


 そんなある日、同志の一人から次のような誘いを受けた。


『是非ともお前に会ってもらいたい御仁(ごじん)がいる』


 一体どんな立派な国士なのかと期待を膨らませたが、宗教家であると耳にした瞬間、その期待は半分くらい(しぼ)んだ。


 二〇〇二年十一月に生まれた神道系新宗教の開祖だそうだ。

 剣の修行に明け暮れていた時、経津主命(ふつぬしのみこと)の声を聴いた。

 その時に「剣によって豊葦原(とよあしはら)を平らげよ」という神託と、それを成すための『刀自剣(とじのつるぎ)』という神剣を授かったという。

 『刀自剣』によって傷をつけられた者は、その内に閉じ込められていた「神の剣」を開放させ、それを自在に振るうことが出来るようになるという。

 そんなまごうことなき神力と、開祖の掲げる教義に惹かれ、集まる信者が急激に増えている。……かく言う同志もその一人であった。


 「ならばお前が開祖から授かったという「神の剣」とやらを今ここで見せてみろ」と言ったが、「いたずらに外界へ晒せば剣が(けが)れを帯びる」などと断られた。


 同志はダメ押しに「いいから、一度会ってみてくれ。そうすれば自ずと解る」と言われたので、仕方なく休みの日に付き合ってやることにした。


 そうして二〇〇三年三月六日、練馬区にあるという教団の支部に案内された。


 どんな豪壮な(やしろ)が出てくるのかと思ったが、連れてこられた場所に建っていたのは大きくも小さくもない木造の古民家だった。


 半減していた九郎の期待がその時点でさらに半減した。とっとと回れ右したいが、同志は「すでにお前の事を開祖に紹介してしまったんだから、せめて顔だけは見せてくれ」と頼まれたので、渋々頷いた。


 古民家の中へ入る。


 同志に案内されるまま、「祭壇の間」とやらへ訪れた。


 (ふすま)を全て開け、広々とした奥行きを遺憾無く見せつけている。

 前垂れの注連(しめ)(なわ)が上から垂らされた入口。その前に立つ九郎と、奥にある祭壇が、遠く離れて向かい合っていた。

 刀掛けに垂直に掛けられた日本刀が左右等間隔にいくつも並んでいて、入口から祭壇までの一本道を作っているさまは、灯籠(とうろう)の並ぶ参道を彷彿とさせた。


 見ると、祭壇の前に、誰かが立っていた。


 入口からだと、遠くて具体的な特徴が分からない。全身白づくめであるという事しか視認できない。


「——その方が、白鳥さんですか?」


 奥に立つ白い人物から、そう聞こえてきた。それほど声量が無いはずなのに、遠くからでもよく響いた。


 ……女の声。いや、少女と呼んでいい。


「はい。我が同志の白鳥です」


 九郎の隣にいる同志は、その白い人物へ向けてうやうやしく一礼し、返事をした。


「どうぞ、お入りくださいませ」


 言われたので、注連縄をくぐり、「祭壇の間」へ足を踏み入れる。


 空気の質が変わったような感じがした。


 両端に等間隔に並んだ刀に見られながら、奥へと進む九郎。


 進むにつれて、白い娘の容姿が、はっきり視認できるようになってくる。


 最初に目に付いたのは、女性の顔立ちを模した白い仮面(・・)だった。

 引眉(ひきまゆ)が特徴的なその造作は、美しさよりも不気味さの方が強い。前髪の生え際には金色の釵子(さいし)があり、そこを起点にしているかのように長い黒髪が降りている。

 装いは、表着(うわぎ)切袴(きりばかま)。両方とも白。

 背丈は、一八三センチある九郎よりもおよそ二十センチくらいは下だ。しかし、その佇まいには密度があった。神々しい衣装に着られている(・・・・・・)感じもいっさいしない。


 白い娘の前に、九郎は立つ。


 棒立ちしている九郎とは真逆に、一緒に来た同志は両膝を付き、深く一礼した。


 ——俺も、この娘に跪けと?


 どうしていいか分からず困惑している九郎に対し、白い娘は告げた。……仮面の向こう側の顔が微笑んでいるような声だった。


跪拝(きはい)などせずとも結構ですよ、白鳥さん。あなたは信徒ではないのですから」


「はぁ……」


 同志の手前、ぞんざいに振る舞うこともできず、曖昧な態度を取る九郎。


 白い娘は問う。やはり、少女らしい甘みの抜けきっていない声色で。


「私は石動(いするぎ)マヤ。この『枢剣教(すうけんきょう)』の開祖でございます。……白鳥さんのお話は、前もって伺っております。此度(こたび)、あなたがここへいらしたのは、私の『刀自剣』を見たいからでありましょう?」


「え、ええ……」


 九郎は少しだけ身構える。


 ……『刀自剣』など半信半疑のつもりだったが、いざその時が訪れると、やや緊張する。どうしてだろうか。


「——全ての人間は、己の中に「神の剣」を宿しております」


 開祖は、なにやら語り始めた。


「しかし、その「神の剣」は、「(くら)」の中に堅く閉ざされており、殆どの者は己の「剣」を目にする事なく生涯を終えます。……ですが、私が武神より授かった『刀自剣』は、その人の「剣」を閉ざす「蔵」の鍵を開け放ち、秘められていた「神の剣」を露わにすることができます。その「神の剣」の形は十人十色。人によって全く異なりますが、いずれも常識を超えた素晴らしい力です」


「はぁ……」


 少女の声で語られても、いまいち厳かさが伝わってこない。嘘臭さは伝わってくるが。


 そんな九郎の心中を読んだのか、開祖が仮面の奥でクスリと一笑する気配を起こした。


「百聞は一見に如かず、ともいいます。実際に(・・・)見て頂いた方が(・・・・・・・)、早いでしょう」


 言うと、開祖は横にいくつも並ぶ刀のうち、一振りを持ち出した。


 右手で柄を、左手で鞘を握る。


 そして——それを抜き放った。


 まさしく、居合の抜き方だった。


 寸毫(すんごう)のブレも無く、虚空へ滑らかに太刀筋を描いた白刃は、祭壇の蝋燭(ろうそく)の光に舐められて淡い朱色の輝きを見せ、その切っ尖を——九郎の左頬に(かす)めさせた。


 チリッとした刺激。傷は極めて浅いが、斬られたことに変わりは無い。


「な、何をするか貴さっ……ま…………」


 刺激に反応して噛みつこうとした瞬間——全身から力が抜けた。


 意思とは関係無く畳に両膝をガクンと付き、さらに上半身まで倒れてうつ伏せになる。畳の香ばしさ。


 さらに、全身の体重までもが地の底まで引っ張られるような感じがする。

 

 ——そんな奇妙な虚脱感とともに、九郎は眠った(・・・)











 夢を見た。

 懐かしく、二度と戻らない日々を追憶する夢。

 今よりずっと幼い頃、両親とともに北海道の祖父母の家へ遊びに来た時の記憶。……その中の一幕。

 台所の窓の隙間から、十二月の冷たい隙間風が擦り抜けて入ってくる。

 その時に聞こえる、ひゅるるる……という笛めいた音。

 幼い九郎は、それを妖怪か何かのせいだと子供心に思い、祖母を呼びに駆け出した。

 引っ張り込まれた祖母は、ひゅるひゅると鳴る窓を指差し「妖怪!」と叫ぶ自分に、可笑そうに笑った。

 その笑顔のまま、祖母は答えた。

 妖怪じゃないのよ。あれはね————








「————っは!?」


 九郎は目を覚ました。


 見慣れぬ天井。嗅ぎ慣れぬ空気の匂い。ちくりと痛む左頬。


 痛みで連鎖的に思い出す。そうだ。ここは練馬区にある宗教団体の支部だ。名前は確か……『枢剣教』。俺はここで教団の開祖に目通りすることになり、その開祖にいきなり刀で斬りつけられて、それから……


「——お目覚めですか」


 少女の甘い声に反応して、九郎は勢いよく上半身を起こす。最初に目に入ったのは、女性の(かお)の仮面を被った白装束の少女。


「調子は、いかがでしょう?」


 さらに尋ねてくる開祖。


 ……先ほど斬りつけられたことへの怒りは、不思議と全く再燃しなかった。


 代わりにあるのは、不思議な感覚。


 まるで、自分の体が、真ん中から両開き扉のごとく左右へ広がったような、妙に清々しい感覚。少なくとも、不快ではなかった。


 そして……広がった体の中心を芯のように垂直に貫く、「剣」の存在の感覚。


「……俺は、何時間、眠っていたんだ」


「ほんの二分程度です。——他に、何かおっしゃ(・・・・・・)りたい事は(・・・・・)?」


 まるで、こちらを見透かしたように問うてくる開祖。


 九郎は素直に、今、一番言いたい事を口にする。


「……刀を、お借りしたい」


「どのような?」


菊透(きくす)かし(つば)のものを」


「かしこまりました。——吾妻(あづま)


 開祖が固有名詞で呼びかけると、即座に「御意」という返事が九郎の真後ろから聞こえてきて、九郎は思わずビクッとしてから振り返る。……いつから後ろに?


 白い小袖(こそで)と灰色の(はかま)に身を包んだ、鴉天狗(からすてんぐ)の仮面の男だった。その仮面から後方へ一束に纏められた長い髪をなびかせながら、幾つも並んだ刀のうちの一振りを取り出し、九郎へ差し出してきた。


 首だけで一礼して受け取ると、尻餅をついた姿勢を正し、深い居合腰となる。慣れ親しんだ姿勢。


 左腰に添える形で鞘を持ち、右手で柄からおもむろに剣を抜く。

 露わになる美しい乱れ刃。

 菊花を(かたど)った鍔は、ぐるりと一周して並んだ花弁の部分が全て透かしになっている。……自分が誠忠を誓った君主の紋によく似た意匠。


 ——思い出す。先ほどの夢を。


 窓を風が通ったとき、笛のように鳴る現象。


 祖母は、その現象の名を、こう教えてくれた。





「——『虎落笛(もがりぶえ)』」





 ぴゅいぃぃ!! という笛めいた音に合わせて、部屋の空気が急変した。


 九郎を渦中(・・)として、空気が激しく渦を巻いた。


 その空気の渦は、あまねくモノを九郎の元へ引き寄せる、重々しい風の引力と化す。

 周囲の刀が次々と倒れ、引きずられる。

 祭壇の蝋燭の火も消える。

 近くにいた同志の体も、勢いよく吸い寄せられる。


「いてっ……!」


 同志の体の重みにぶつかり、九郎は居合腰を崩して横倒しになった。


 ……のしかかる一人分の重みも、今となっては些事でしかなかった。


 左手に持った刀の鞘を見る。

 ……いつの間にか、刀が納まっている。

 どうやって納刀したのか、自分は全くこの目で見ていなかった。


 だけど、分かる。


 どうやって納刀すればこの『虎落笛』が使えるのかを、頭で理解できずとも、体がよく(・・・・)分かっていた(・・・・・・)。理屈ではなく、感覚で分かる。


 さらに『虎落笛』は、この菊透かしの鍔でしか使えないことも。


 ——極め付けに、「この技」をいつの間にか『虎落笛』などと、当たり前のように呼称している。


 今日初めて見て接した技のはずなのに、長年慣れ親しんできたかのような感覚。


 そう……まるで、もともと自分の中(・・・・・・・・)にあったかの(・・・・・・)ような(・・・)


「——それが、貴方の『枢剣(すうけん)』です」


 そこで開祖の声が聞こえてきて、九郎は我に返った。


 顔を上げる。女人の面を被った白装束の姿。今の暴風にも関わらず、佇まいどころか、装いも全く崩れていなかった。……同じ部屋に立っていながら、まるで彼女だけがこことは別の世界にいるかのように。


「貴方は、その剣を今、開眼させたのではありません。その剣は、もともと貴方の内に秘められていたモノなのです。それを私が『刀自剣』によって切り開き、露わにしたのです。……それこそが『枢剣』。人の内に秘められた、神の剣」


 甘さの抜けきらぬ少女の声が、今はどうしてか、ひどく(おごそ)かに聞こえる。


「剣とは、この大和(やまと)(くるる)

 大和の歴史は、剣によって切り開かれてきました。

 剣で一柱の神を斬り殺したことで、その血肉から数多の神々が産まれ、のちの神々の祖となりました。

 神逐(かんやらい)を受けた荒ぶる神は、剣によって大蛇を(ほふ)り、罪をそそぎました。その屠った大蛇の尾から生じた剣は、この大和の宝となりました。

 雷神の持つたった一振りの剣が、国譲りを果たし、そしてのちにこの大和を平らげる助けとなりました。

 ——お分かりでしょう? この大和は、剣によって作られてきたのです。

 剣が無ければ、この大和はあり得ない。

 なればこそ我々は、この「剣」を尊び、崇めるのです」


 あれだけ胡散臭いと感じていたのに、今では彼女の声と言葉が、すっと心に入ってくる。


「私は、神より授かった「剣」によって、この大和を再び平らげたく思っております。豊かさと、それを守るための力を持った大和を成就させんと、「剣」に祈っております。しかし……私一人の祈りでは、届かない」


 開祖は、しん、と九郎に歩み寄り、告げた。


「——白鳥さん。どうか私とともに、「剣」を取ってはくださいませんか?」


 その姿、振る舞い、声、色、そして力と理想。


 九郎は開祖のそれら全てに、神威を見い出した。


 ——この方は、まぎれもなく、神の遣いだ。


 気がつけば、九郎は畳に両膝を揃え、


「——御意」


 持っていた刀を前へ置き、深く座礼をしていた。


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