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帝都初恋剣戟譚  作者: 新免ムニムニ斎筆達
帝都初恋剣戟譚 短編集
214/252

「エカっぺ」という証《一》

エカっぺの短編です。

どうぞよしなに。

 秋津(あきつ)光一郎(こういちろう)


 それは、あたし——エカテリーナ・ルドルフォヴナ・伊藤(いとう)が好きな日本語の一つだ。





 パパの祖国であるソビエト連邦が行った侵略戦争。

 この大日本帝国は、その軍事侵攻から見事に祖国防衛を果たす。

 ソ連は度重なる軍事的失敗が原因で、元々抱えていた民族問題などの火薬が盛大に弾け、嘘のようにあっさり崩壊した。

 そうして戦争は終わったが、日露両国間の憎悪はそのまま残り続ける。戦争とはそういうものだと教わった。……そして、そのとおりになった。


 あたしは物心ついた時から日本にいて、そして周りの子供達からよくいじめられた。


 露助(ろすけ)露寇(ろこう)——これらの単語をぶつけられない日はほとんど無かった。


 見た目からしてパパ譲りのスラブの血を濃く受け継いだあたしは、一般の日本人にとって敵性外国人でしかなかった。


 当然ながら、あたしもそんな日本社会と日本人を、好きになれそうになかった。


 ロシアに移り住みたいと、パパとママに頼んだこともあった。

 しかしそれを言うと、二人ともきまって難しい顔をした。

 あたしは確かにスラブの血を引いていて、ロシア語も話せるけど、日本人の血も引いている。

 日本人がロシア人を憎むように、ロシア人もまた日本人を恨んでいるからだ。


 ……ソ連崩壊後のロシアは、荒廃と混沌を極めていた。


 社会主義という拠り所が突然失われ、自由と市場経済が導入された新生ロシア連邦になってからは、状況が様変わりした。悪い意味で。

 自由という言葉は耳当たりが良いけれど、自己責任という意味も内包している。そこへさらに市場経済という弱肉強食の論理が加わり、社会主義の安寧に慣れきっていたロシア人に襲いかかった。オリガルヒなどの一部を除き、ロシア人の多くは貧乏な暮らしを強いられた。

 多数のロシア人にとって、不自由だけど平等で互助(ごじょ)の精神が強かった共産主義社会は、それなりに居心地がよかったのだ。なのにそれを突然ぶち壊され、何の予備知識も無しに競争社会という極寒の地へ蹴り出された。

 加えて、「なんでもあり」という歪んだ自由の概念は、悪を蔓延(はびこ)らせた。おびたたしい数のロシアン・マフィアが生まれ、銃器薬物の密売、要人の暗殺などといった凶悪犯罪に手を染めた。そのマフィアの中には、失脚したソ連の役人、軍人崩れやKGB(カーゲーベー)崩れなども多数在籍しているため、現政府や軍との癒着(ゆちゃく)が酷く、それに起因する汚職が絶えない。この問題は二〇〇〇年代に入った今なお続いている。


 人心も治安も荒れ果てた、戦後ロシアの暗澹(あんたん)たる現状。


 ……そして、その現状をもたらした日本という国に、少なからぬ恨みを抱いている。


 そっちから攻めてきて勝手に自爆しておいて何言ってんだ、というのがあたしの率直な感想だが、きっと理屈ではないのだろう。


 そして、そんな日本人の血を引くあたしが今のロシアへ来ても、きっと歓迎されないだろう。


 それがパパとママが難色を示した理由だ。


 ——今のあたしは、日本人にも、ロシア人にもなりきれない、浮き草のような状態だった。

 

 ときどき悩む。


 あたしは、いったい、どっち(・・・)として生きていけばいいのだろうか、と。


 どちらの国も、相手の国を恨んでいる。


 あたしは、その(あわい)揺蕩(たゆた)い、定まっていない状態だ。


 このまま大人になることに、あたしはときどき、そこはかとない不安を抱く。


 中学に上がっても、あたしは相変わらず周りの学生から白い目で見られた。

 ひそひそと陰口をささやかれた。

 ロシア人、露助、露寇。

 まるでソレしか鳴き声を出せない山の獣のように。


 流石にもう慣れた光景だが、良い気分でないことは変わりない。


 きっと、中学校生活も、これまでと変わらないんだろうなと、天を仰ぎたくなった。


 ——そんな憂鬱な予想は、思わぬ形で裏切られることになる。


 「初恋」という形で。






 秋津光一郎。

 あたしが、生まれて初めて好きになった男の子。

 それを口にするだけで、幸せな気分になれる、呪文のような名前。

 単純で、珍妙な行動が目立つ変な奴。

 しかし面白くて、懐が広くて、誰よりも優しい人。

 灰色一色だったあたしの日本での暮らしを、彼は色鮮やかにしてくれた。

 あたしにとっての、陽だまりみたいな男の子。







 二〇〇二年大晦日の夜。


 あたしは、その男の子と出会い、惹かれていった頃の記憶を、夢に見た。






 †






 二〇〇一年四月九日。月曜日。


 あたしは、新しい学び舎である、富武(とみたけ)中学校に来ていた。


 四月六日、つまり先週の金曜日に行われた入学式から、二日目の朝だ。


 黒髪の群れの中に、金髪碧眼の白人であるあたしは嫌でも目立つようで、中学でも変わらず注目を浴びた。

 さらにあたしがスラブ系であることが知れると、その眼差しはいとわしいものに変質する。

 ……これまで通り(・・・・・・)の光景で、真新しさがない。こいつらの顔の造作は一人一人違うのに、男女問わずみんな同じ顔に見える。つまらない。


 だからせめて、おろしたてのセーラー服の真新しい感触と、新しい校舎の匂いと景観を楽しむ。……セーラー服は可愛いから、以前から着てみたかった。これを毎日着れるだけでも、中学に通う意味はあると思っておこう。


 あたしはまだ慣れない昇降口で自分の下駄箱に履き替える。……ちなみに下駄箱から名札は外してあり、なおかつ出し入れの際は周囲の目が無い時を狙っている。ダメ押しに南京錠で鍵もかけてある。小学校の頃、下駄箱にイタズラをされた経験がそうさせていた。おかげで靴の履き替えも一苦労だ。


 そうして階段を登ろうとした時、あたしはそいつ(・・・)に会った。


 ——秋津光一郎。

 入学式の日、あたしに率先して声をかけてきた、同じクラスの男子。

 自販機で押したボタンとは違う飲み物が出てきて腹を立てていたあたしに「その飲み物と、同じ額のお金とを交換しない?」と持ちかけてくれた。さも名案であるかのように得意げに。

 あたしはその言葉に甘えて、お金をもらってジュースを差し出した。

 その時、あたしは不思議な気分になったものだ。

 こいつは、あたしのことを、変な目で見ない。 

 同い年の男の子と、ここまで平和に会話が弾んだことも、初めての経験だった。

 変な奴だ。

 だけど、嫌な奴じゃなかった。


 そいつとまた会えて、あたしは——




「ぎゃ————っはっはっはっはっはっはっ!! いっっっひひひひひはははははははは————!!」




 ……朝っぱらから、はしたなく大爆笑していた。


 なぜかって?


 それは、秋津の今の姿(・・・)が原因だ。


「笑わないでよぉ…………恥ずかしくて死んじゃいそう……」


「いや、ごめっ、むり!! ひっひっひっひっひっ…………!! だ、だってさ、うひひひっ、秋津さ、あんたさ…………うっははははははははは————!!」


 だって、真っ赤になってうつむいている秋津の姿は、詰襟の制服ではなく——私服にランドセルだったから。


 ……さっき聞いた、秋津(こいつ)の説明によると。


 今朝、盛大に寝坊したことで、慌てて体に染みついた習慣のまま身支度をした。

 だけどまだ中学生としての習慣が身についていなかったため、その無意識に刻んだ習慣は、小学校時代のものだった。それがこのランドセル姿の原因だ。


 大慌てで家を出て登校し、違和感に気づいたらそこはすでに中学校の昇降口……ということだ。


 こんなの、笑うなっていう方が酷な話だろう。


 もともと同年代の男子の中では小柄な方だから、余計に小学生に見えて仕方がない。


「あっはっはっはっはっはっはっ…………ふひっひっひっひっひっひっひっ…………!!」


 ばふっ、ばふっ、と秋津のランドセルを笑いながら叩くあたし。


「もぉ———--!! 伊藤さんのばか——っ!!」


 羞恥で真っ赤な顔のまま悲鳴みたいに抗議する秋津の顔もまた、更なる笑いを誘った。


 ひとしきり笑った後、ふひーっ、ふひーっ、と酸素を補給しながら、あたしは秋津に問うた。


「くふふふっ、腹いてーっ…………それで? なんで寝坊しちゃったのよ? 親が寝てる間にこっそりエッチな本でも読んでたとか?」


「ち、ちがうよぉ」


 からかわれて恥ずかしそうに萎縮(いしゅく)する秋津。


 なんか可愛いんだけどこいつ。もっとからかってやりたい。そんな風に思って眺めていると、


「——あなた達、うるさいんだけど」


 冷ややかに低まった女の声が、あたしと秋津に浴びせられた。


 振り向くと、一人の女子がこちらを不快げに見つめていた。

 肩を少し過ぎる程度の長さの黒髪をまっすぐ下ろしている。似合ってはいるけど飾り気の少ない髪型。その下には、そこそこ美人ではあるが、どこか陰のある顔つき。特に目元には若干(けん)がある。身長は百七十一センチあるあたしほどではないが、秋津よりは僅かに高い。女子にしてはやや高身長。 

 その学校()れした感じの佇まいと、セーラー服の校章の色が水色であることから、三年生と断定。

 

 秋津はかしこまった態度で、


「す、すみません。気をつけます」


「あんまり騒がしくしたり、おかしな真似しないでよね。迷惑だから」


 その三年女子の口調はひたすら刺々しかった。


 秋津の場違いな格好を見れば、まずそこへ追求を入れるであろうに、この女はそれをしなかった。


 ……ただただ、あたしだけをいとわしそうに見つめていた。


「まぁ、不満なら今すぐ転校してもいいけど」


 そう吐き捨てるように言うなり、その女はすたすたとあたし達を通り過ぎ、階段を登っていった。


 「うわ、丸山(まるやま)さん(こわ)〜……」「なんか、危ない感じがするよね。あの人」「聞いた話だと、家庭環境が結構複雑みたいよ。なにせあの人の両親……」ヒソヒソと話している声が聞こえる。見ると、同じ三年生の女子達だった。……なるほど、丸山というのか、あの女は。まぁもう関わる事は無いだろうけど。


Сука(クソ女)


 あたしはボソッとそう毒付き、秋津に気づかれないように中指も立てた。丸山に。


「こ、怖かったぁ……」


 秋津は心底安堵した様子で、ため息をつくように言った。


 あたしはふんっと鼻を鳴らし、語気を皮肉に尖らせた。


「今日、これから新入生歓迎会が始まるんだっけ? 全然歓迎してねーじゃんね」


「うう、もう絶対ランドセルで学校来たりしないぞ……」


 秋津は先ほどの叱責を、自分のせいだと思っているようだ。


「秋津のせいじゃないわよ」


 ……あたしのせいだ。


 秋津がこんな面白い格好じゃなかったとしても、あの女は何かしらアヤ(・・)つけてきたに違いない。


 あたしは——ロシア人だ。


時々ボソッとロシア語で毒づいて中指立てる同級のエカっぺさん


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