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帝都初恋剣戟譚  作者: 新免ムニムニ斎筆達
帝都初恋剣戟譚 短編集
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雑草のケジメ《終》


 剣の勝負は、伊織(いおり)の勝利という形で幕を下ろした。


 当然ながら、約束は約束だ。しかも口約束ではなく、起請文(きしょうもん)で交わした重い約束。


 伊織が勝ったその時点で、『雑草連合』は解散となった。


 しかし、辰之進(たつのしん)を始めとして、その決定に不満を表する者は、誰もいなかった。


 起請文でした約束であるがゆえでもある。


 だがそれ以上に、みな、伊織の本気に胸を打たれたのだ。


 自分の負の遺産の解消を、剣士の命である片腕を賭けてまで臨んだ姿勢。


 中途半端な戦意と衝動で暴れ回っていた自分たちをはるかに超える「強烈な覚悟」を、伊織から感じ取ったのだ。


 それを見せつけられ、自らの今の半端な立ち位置を恥じたのだ。


 同時に、伊織に対して「剣士」として、再び尊敬の念を抱いた。


 そしてそれは、かつて一方的に『雑草連合』の解散を言い渡した時よりも、雄弁に彼らの心を動かした。


 ——そういう意味でも、『雑草連合』は、この時ようやく解散したのだ。


 その光景を、立会人であり、源悟郎(げんごろう)の娘である(ほたる)は確かに見届けた。


 ゆえに、十二月十五日、土曜日——伊織はようやく稽古への復帰を許された。


「……やれやれ、飽きねぇなまったく」


 午前十時ごろ。望月家の稽古場を訪れて早々、今日も今日とて螢との勝負にボロ負けした光一郎(こういちろう)を見て、伊織は呆れ笑いを浮かべた。


 敗けて尻餅をついている光一郎を見下ろしながら、螢が淡々と述べた。


「——慣れていない技を実戦で使うのはおすすめしない。それは技そのものが巨大な隙となる可能性が高い。覚えたての『颶風(ぐふう)』を使ってみたい気持ちは分かるけれど、わたしの剣を受け流した時の足捌きのぎこちなさが、そのままわたしのもう一太刀によって弾かれて尻餅をつかされる原因となった。これが真剣を使った斬り合いなら、あんな冒険はすべきではない。わたしに勝ちたいなら、技の前にまずそれを心得て」


 光一郎は「はい……」としょんぼりした様子で頷く。


(んな説教みてぇに言いつつ、速攻で終わらせられるのにそれをしないで勝負を長引かせてるあたり、あんたもなんだかんだで楽しんでやしねぇか? お嬢)


 伊織の心の声が聞こえたかのようにこちらを向き、何か言いたげにジッと見つめてくる螢。——心読まれたりしてねぇよな?


 自分と同じく端っこで観戦していたエカテリーナは、すまし顔でいる。……だがその口角が微妙に吊り上がっているのを、伊織は見逃さなかった。


 ……いつもの望月家の光景が、戻ってきた。


「集まっているようだな」


 そこで、稽古場に新たな一人が入ってきた。……源悟郎。


 伊織はすぐさまそんな師へ歩み寄り、その顔を見上げて、はっきり告げた。


「師範——今度こそ、(みそぎ)を終えてきました」


「そのようだな。螢から聞いているよ」


 源悟郎は厳かに頷き、そして微かに目元を緩めた。


「……いい顔に、なったな」


「え?」


「何か、重い呪縛から解放されたような、そんなすっきりした気持ちを、今のお前さんの顔からは感じるよ」


 伊織は思わず、自分の顔面をべたべた触る。……そんな顔をしていたのだろうか?


 源悟郎は可笑しそうに一笑してから、引き締まった口調で言った。


「——いいだろう。晴れて今日から、二天一流の稽古の再開だ」


 ようやくその言葉を耳にできた伊織は、感激しつつも、それを表に出さぬよう謹みながら、深く頭を下げた。


「改めて、御指南(ごしなん)(たまわ)りたく存じます」


 





 †






 十二月十七日、月曜日。


 早く目が覚めた伊織は、いつもより早めに身支度をして、学校へ向かった。


 そのため、早朝の空いた教室を見ることができた。級友の人数は四人ほどで、人が少ない分熱気に乏しくいつもより空気が冷えていて、なおかつ澄んでいるような感じがした。


 黙々と自習をしている少数の生徒の中に、学年次席の優等生が混じっていないはずはなく。


「はよ、いいんちょ。朝から勉強熱心だな」


 自分の席で教科書と睨めっこしていた喜恵(きえ)に、伊織はそう挨拶を告げる。


 喜恵は眼鏡を整えて伊織の姿を認めると、やや意外そうに目をしばたたかせて、


「おはよう香坂君。今日は早いわね」


「普段より早く目が覚めちまったもんでな。たまには早めにガッコ来てみんのも悪くねぇかなと思って」


「良い心がけね」


 ふふ、と鈴を転がすような笑声をこぼす喜恵。


 いつもの仏頂面ではない、そんな(こころよ)い笑みを見せられて、伊織は胸の中にむずむずするモノを感じた。


 それから、二人はしばらく沈黙する。


 いつもなら伊織から無遠慮に話題を持ち出すであろうところだが、今はそれが出来なかった。


 予習中であろう喜恵への配慮もあるが、それ以上に、先ほど喜恵の快い笑みを見せられた時の奇妙な感情が胸中にまだ残っていた。


 五輪書の火之巻にあった「むかつかするといふ事」という文をここで思い出す。人間は予想外の事態に遭遇すると動揺して上手く動けなくなるので、それを利用して敵に当たれという内容だ。これまで喧嘩の時は「やる側」だったが、今は「やられる側」になっていた。


 それでも伊織は意を決して、自分から切り出すことにした。


「——あのよ」「——あの!」


 だが、全く同じ拍子に、喜恵も話を切り出そうとしてきたため、またしてもお互いにびっくりして会話がつまづく。


「……な、なによ?」


「いや、あんたこそ何だよ……?」


「あ、あなたが先でいいわよ。……私に何か用なの?」


「え、ああ、うん。まぁ、な。……自習の邪魔するようで悪いが、一つ聞きたいことがあってよ」


「別にいいわよ。もう終わったもの」


 喜恵にそう言われたので、伊織は妙に狂った調子を無理やり整えてから、その「聞きたいこと」を切り出した。


「——委員長はさ、なんで至剣流を始めたんだ?」


 その問いに、喜恵は伊織の顔を見つめた。


「どうして、そんなことを訊くの?」


「いや……なんとなく、気になってさ。まぁ答えたくねぇならそれでもいいよ……」


 らしくなく言葉を先細らせる伊織に、しかし喜恵は、清々しいくらいの微笑を見せて答えた。


「——強くなりたいからよ。支えてもらってきた分、いつか誰かを支えられるくらい、強くなるため。勉強も、剣術も、全部その一環なの」


 彼女のその答えは、伊織の胸の中に、心地良く浸透した。


 ——やっぱり、委員長にも委員長なりの(・・・・・・)、剣を取った理由があるんだな。


 戦災孤児であった若き女剣豪が、二度と戦争のような理不尽から何かを奪われないための「牙」として剣を取ったように。

 そんな彼女に惚れ込んだ古本屋の息子が、彼女に勝って結ばれたくて、剣を取ったように。

 喜恵もまた、誰かを支えられる強さを得る一環として、剣を取ったのだ。


 たとえ、その至剣流……嘉戸派至剣流の伝承が、歪められたモノだったとしても。

 宗家のエゴと生存戦略に踊らされながら、剣を学び続けていたとしても。

 その剣を取り、学び続けている人々の想いは、偽物ではない。


 流派は関係なく、それぞれの剣に、それぞれの想いがある。


 ……そんな彼らを打ち据えて、自分の正当性を声高に叫ぶ行いは、結局は他人ばかりに気を取られて、自分と向き合うことを避けているだけでしかなかった。


 無論、嘉戸(かど)宗家と、それが伝え広める至剣流に対しては、今でも嫌悪感が捨て切れない。


 だけど、それを暴れる理由にするのは、もう終わりだ。


 他人の剣を折ろうとする暇があるのなら、自分の剣と向き合う。


 自分も、そして辰之進も、きっと最初からそうすべきだったのだ。


 ——ようやく、伊織の中で、未練が解消されるのを実感した。


 伊織は、嬉しそうに微笑んだ。


「かっこいいぜ、いいんちょ」


「……からかわないでよ」


「からかってねぇよ。そうだ、委員長の要件はなんだよ? あんたも何か言いたい事があるんだろ? 俺に」


 そう尋ねるや、喜恵は表情を硬直させた。


 かと思えば、みるみる頬を赤くして、余所見をして、ズレてもない眼鏡を整えて、髪を耳に掛けて……と、せわしない仕草を見せる。まるで、何か言いたくても言えないような。


 そんな奇妙な反応に、伊織が何か問いかけようと考えると、それよりも早く、思い切った様子でブレザーの中から何かを取り出した。


 その「何か」を、勢いよく伊織に差し出してきた。


「こ……これ……!」


 それは、二枚のチケットだった。

 紙面にプリントされているのは、歌舞伎の写真。

 それを差し出したまま、喜恵はさらに顔を背けて伊織に表情を見られないようにする。……その耳はうっすら赤い。


「こ、この間、福引で当たったの。だけどお父さんとお母さんも弟も、興味無いって。私一人だと一枚余るからっ、だからっ、その…………香坂君、一枚どうかな(・・・・・・)って」


「……くれんの? 俺に」


 喜恵は「ん……」と、喘ぐような声で頷く。


 ……チケットは二枚。

 二枚とも、同じ公演日時でしか使えない。

 喜恵は「私一人だと」と言っていた。つまり喜恵はコレを見に行くということだ。

 さらに「一枚どうかな」と、伊織に渡そうとしている。


 ——その意味(・・・・)を理解した伊織は、これまでにないくらい驚愕する。


「なぁ、いいんちょ、それってまさか——」


「貰うの!? 貰わないのっ!?」


 伊織のその先の発言を、喜恵は乱暴に(さえぎ)りつつ選択を迫る。


 ソッポを向いているが、耳元はもう真っ赤だ。チケットを持つ手からも湿度をかすかに感じる。


 そんな彼女の様子に当てられて、伊織もまた、強烈に恥ずかしくなってくる。


 しばらく押し黙ってから、


「……じゃあ……ありがたく貰おうかね。歌舞伎、好きだしよ……」


 伊織はおずおずと、チケットの一枚を受け取った。





 †





 ——ちなみに、『雑草連合』解散後の辰之進はどうしたのかというと。


 祖父に少しでも近づくには、祖父の辿(たど)ってきた剣の道を自分も辿ることだと感じ、道枢一刀流の源流となった剣術を学ぶことに決めた。


 そのうちの一つである甲源(こうげん)一刀流(いっとうりゅう)を、八王子にある「大桐(おおぎり)神社」の神主(かんぬし)のもとで学んでいる。


伊織編はここまで。


今度はエカっぺの短編を書き溜める予定。

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