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帝都初恋剣戟譚  作者: 新免ムニムニ斎筆達
帝都初恋剣戟譚 短編集
211/252

雑草のケジメ《九》


 勝負をすることが決まるや、伊織(いおり)はあらかじめ持ってきておいた紙に、同じく持ってきていた筆ペンを使って起請文(きしょうもん)をしたためた。


 起請文とは、ある約束をすることを神仏に宣言し、そしてそれを破った暁には神罰を下して構わないという誓いを記した、日本古来から伝わる宗教的文書である。


 その風習はこの現代においてもなお根強く生き続けており、それを書いて約束事をするというのは、それだけ重い意味を持つ。……「仏神をたのまず」という武蔵の思想を尊重している伊織は、この起請文があまり好きではなかった。しかしこの文書でここにいる全員を納得させられるのならば、是非も無い。


 約束の遵守を誓う対象である神々の顔ぶれは時代において異なるが、多くの時代の中でその神々の最高位に位置するのは、皇祖神(こうそしん)たる天照(あまてらす)大神(おおみかみ)である。その子孫であるという(みかど)を君主と頂く大日本帝国においては特にそうだ。


 今回の「真剣勝負」の約束事を記した後にそんなお馴染みの神々の名前を書き連ね、それから血判を()した。


 伊織と辰之進(たつのしん)だけではない。『雑草連合』全員が。……たとえ辰之進が負けて『雑草連合』を解散させても、また別のメンバーが新しく作り直さないようにするための措置だ。現総長である辰之進の命令と、自分の剣の命を掛け金として用意した伊織の覚悟によって、皆が動かされたのである。


 勝負の立会人となるのは、(ほたる)だ。完全なる部外者である彼女を連れてきたのは、このためでもあった。


 それから伊織は、刀を取りに学生寮へ戻った。

 辰之進もまた、自分の愛刀を取りに住まいへ戻った。

 そうしてまた公園に戻ってきた頃には、すでに夜になっていた。


「——逃げなかったみてぇだな」


 すでに到着していた辰之進は、後から到着した伊織に言った。


「逃げるわけがねぇだろ」


「仏神に祈る仕草を見せたことのねぇ奴だからな、お前は」


「「仏神は尊し、仏神をたのまず」だ。別に軽んじてるわけじゃねぇよ」

 

「屁理屈を」


 吐き捨てるや、辰之進は持ってきた刀を抜く。手下に鞘を渡すや、その刀を構えた。いつものツナギ姿で取ったその構えは中段。しかしその切っ尖はわずかに右へ傾いていた。……道枢(どうすう)一刀流(いっとうりゅう)は、技術的に甲源一刀流の影響も受けている。甲源(こうげん)一刀流の「勢眼(せいがん)の構え」に似たあの中段構えはその片鱗である。


 伊織もまたコートを脱ぎ去って黒シャツ黒袴姿になると、左腰に()いた長短二刀をおもむろに抜く。右手に刀、左手に小太刀。……木刀とは違い、重く、充実した握り心地。


「無理しなくていいんだぜ? 木刀と違って、真剣の二刀流は重くてさぞ使いづらいだろうよ」


 軽く一笑してそう勧めてくる辰之進に、伊織は「無用」と断ずる。


「俺は、こいつ(・・・)しか知らんのでね」


 そして、その二刀をゆっくりと肩の高さに構えた。胸の前で両の切っ尖を近づけ、両剣と両腕で水平の円を作るような構え。これが二天一流の中段だ。「円相(えんそう)」ともいう。


「……後悔しても知らねぇぞ」


 辰之進もまた、己の中段構えに剣気を充実させる。


 ——両者とも、準備は完全に整った。


 たった一つの街灯が照らすだけの、ぼんやりとした薄闇の支配する公園。その真ん中で構え合う二人を、『雑草連合』の少年達が(くるわ)のごとく囲っている。

 

 立会人として、螢が宣言する。


「——わたし、望月螢は、この立ち合いにおいていかなる結果に終わろうとも、私心(わたくしごころ)の一切を差し挟むことなく公正に勝敗の判断を下すこと、ならびに立ち合いのさなか生じたいかなる損害をも他言しないことを、ここに誓います」


 その場における空気が張り詰めた。


 二人の構えもまた、さらに強い剣気を帯びた。どちらから爆発してもおかしくはなかった。


 その緊張感に、しかし螢は気圧されることなく、いつもの銀の鈴音めいた声で、戦いの火蓋を切った。




「では————始め」




 どちらも即座に動いたりはしなかった。


 木刀ではなく、少し当たれば斬れる真剣であるため、慎重にならざるを得ないから? ……それもある。


 だが、それ以上に。


(…………糞が。相変わらず、気味の悪い剣だ)


 「円相」の構えをとって佇む伊織に、辰之進が攻めかかることを躊躇(ためら)っていたからだ。


 ……二刀を構えた伊織の姿が、ひとまわり(・・・・・)大きくなって(・・・・・・)いたからだ(・・・・・)


 それは、伊織の構えから発せられる「気勢」が、辰之進に見せている錯覚だった。


 二天一流は「気攻め」の剣だ。他の剣術のように俊敏には動かず、ゆっくりとした動きによって剣気を練り、そこから来る威圧をもって敵の心を攻める。


 そう。錯覚である。


 それを分かっているのに、辰之進は二の足を踏んでいた。


 たとえ今自分が見ている「膨張した伊織の姿」が錯覚であるとしても、それを生み出している伊織の剣気は、決してハッタリではないことを知っているからだ。


 伊織が一歩進む。


 辰之進が一歩退く。


(——落ち着け)


 辰之進は自分を叱咤した。

 あの男の剣気に呑まれるな。

 世界を「印象」としてでは()るのではなく、「数字」として()るのだ。


 垂直に高く延びた公園の街灯。

 そこからほのかに降る明かり。

 その明かりが生み出す影。

 伊織の影の起点(・・)

 その起点と自分との距離。

 伊織の腕の長さは、自分とほとんど同じ。……ずっとあの男の隣に立っていたからこそソレを知っていた。

 二刀のうち、右手に握られた長い方の刀の長さも、自分の握る愛刀とほぼ同じ。

 それらの大まかな数値的情報と、今の伊織の構え。

 その「数字」を、「錯覚」よりも優先させるのだ。


 伊織はさらにもう一歩進む。


 辰之進は——前へ出た!


「ェイイィ!!」


 一拍子目で前へ出ながら剣を後方に置き、二拍子目で掛け声と気合を伴った一太刀を後方から前方へ勢いよく振り下ろした。いかなる虚ろな器も瞬時に満たし圧壊する高波のようなその剣は、道枢一刀流の『大盈(たいえい)』であった。狙いは伊織の右手の刀。強い衝撃とその勢いで少しの間刀を自由に動かせなくするためだ。


 対し、伊織は後退しながら二刀を左右へ逃した。それによって『大盈』の太刀は空気だけを裂くに終わる。


 しかし辰之進の剣は止まらず、さらなる前進とともに飛蝗(バッタ)のごとく跳ね上がった。伊織の顔へ向かうが、それもまた後退して躱される。


 伊織の右手の長い刀が、ゆっくりと、しかし最短の軌道でその刃が辰之進の手首に届こうとしている。辰之進は素早く我が剣を引き戻しつつ、刀身に時計回りの捻りを加え、刃が左側へ張る(・・)勢いを利用して伊織の剣を左側へ捌いた。さらにそこから間を作らずに、胴体を狙った刺突へと繋げる。道枢一刀流『環中(かんちゅう)』の用法だ。


 当たる——そう思った瞬間、伊織の胴体が瞬時に位置を右へ滑らせ、同時に刺突として直進する刀身に横からの力が僅かに入って軌道を左へズラされた。体を時計回りに捻って胴体の角度を変えつつ、垂直に立てた左手の小太刀の刃で辰之進の刀の峰を撫でて軌道を逸らしたのだ。さらに伊織の右手の長い刀は、辰之進にその剣尖を向けていた。


(危ねっ——!)


 辰之進は再び後退しながら刀を引っ込め、伊織の右刀の刺突を捌く。


 伊織は止まらない。一歩進みながら二刀を上段の掲げてから、次の一歩で「(たぁん)!!」とそれらを振り下ろす。辰之進は刀を後方へ引っ込めながら後方へ逃れる。


 振り下ろした流れで下段にし、さらに伊織は前へ出る。


 辰之進はそれを見て思わずさらに後退。下段というのは、真剣の戦いにおいて恐ろしい構えだ。自分の下半身を守り、なおかつ相手の下半身をすぐに斬りつけられるからだ。おまけに下段からは全ての構えに繋げることができ、その違う構えに移る過程が全て斬り上げになる。まさしく鉄壁の構え。


 そんな構えの威力をいいことに、伊織はその状態でなおも詰め寄ってくる。


(調子に乗るな——!)


 辰之進はそう思いながら、同じように下段に構えて、伊織の右側へ回り込んだ。……二刀のうち、右手にある長い刀の方が間違いなく重く、片手では迅速な取り回しは望むべくもない。反面、両手持ちの自分は素早く太刀を扱える。ゆえに、長い刀しか使えない立ち位置に回り込めば、こちらに有利となる。


 伊織は長い刀を外側へ振り、こちらへ斬りかかる。だがやはり遅い。


 辰之進が剣を垂直に構えてその一太刀を軽く受ける。——だが次の瞬間、伊織が己の右腕と刀を体に巻き付けるように時計回りしながら距離を詰めてきて、同時に左手の小太刀の切っ尖で辰之進を左から狙う。円弧の軌道で迫る刺突。


「っ——」


 粟立(あわだ)つ感覚を覚えつつ、辰之進は後退。


 小太刀による刺突を避けられた伊織は、流れそのままに左の小太刀を先んじた半身(はんみ)の状態でさらに攻め込む。辰之進の構えた剣に小太刀の刃を押し付けるようにして打ち込みつつ、右上段に持ち上げておいた右手の刀で袈裟懸けに斬りかかる。


 辰之進は右後方へ大きく飛び退き回避。


 伊織は空振りに終わるも、そのまま二刀の切っ尖を合わせ、中段に持ち上げた。伊織の視線と、交差した切っ尖と、それらから発せられる剣気がまっすぐ刺すのは辰之進の顔面。


「っ——」


 刹那、心臓が嫌な鳴り方をした。物質的な刀身は遠くだというのに、眉間を刺されたような錯覚を覚えた。


 その刹那の怯えの間に伊織は間を詰め、交差させた二刀の切っ尖を上段から振り下ろした。


(たぁん)!!」


 やや緩慢ながら、しっかりと刃筋の合った二刀一撃。辰之進は左手で切っ尖裏の峰を持った中取りの構えでもって、それを重々しく受け止める。


 二刀と一刀が再び離れる。


 それからも、まるで羽虫のごとく虚空を駆け巡り、離れたり接したりを繰り返す。


 一刀が俊敏に、二刀が緩慢かつ緻密に暗闇を白く駆け巡る。


 ——二人の剣は、何もかもが正反対だった。


(驚いたぜ、真剣でも二刀流をここまで使いこなせるとはな……!)


 二刀流による実戦の話はそれなりにあるが、そのほぼ全てが江戸期の竹刀剣術である。二刀(にとう)鉄人流(てつじんりゅう)を皆伝した佐賀藩士の牟田(むた)文之助(ぶんのすけ)高惇(たかあつ)がその代表例だ。


 辰之進の知る限りでは、真剣を用いた二刀流の実戦話は存在しない。


 普通に考えれば、無理からぬ話かもしれない。

 真剣は木刀や竹刀よりも重い。

 片手で素早く振り回すことは出来なくはないが、刃筋を合わせる(・・・・・・・)ということを考慮すると、どうしたって両手持ちほど安定した取り回しは期待しにくい。

 神の領域とまではいわないが、両手一刀持ちよりも難易度が高いのは確かだ。


 しかし伊織の真剣二刀流は、そんな通説を感じさせないくらい、洗練されていた。


 自分の立ち位置と間合い、刀の形状、刀と相手との距離と角度、さらには「触れて滑れば斬れる」という日本刀の最高峰の斬れ味を最大限に生かすことで……緩慢だが、最小限ゆえ(・・・・・)に最速で(・・・・)、かつ殺傷力の高い剣を次々繰り出してくる。


 おまけに、少しでも気を緩めるとこちらの心を圧迫してくる、重厚な気勢。


 ——己の剣の祖たる、宮本武蔵を尊崇しているだけのことはある。


 敵であるにもかかわらず、否、敵であるからこそ(・・・・・・・・)、そう惜しみない称賛を抱いた。


(——衰えてねぇみてぇだな、タツ)


 その伊織もまた、辰之進の剣からにじみ出る精進に匂いに、嬉しさを覚えていた。


 非行を繰り返してはいるものの、剣という核心は忘れておらず、怠らず磨いているようだ。


 変わらない、しかしより磨かれた、道枢一刀流だ。


 小野派一刀流と甲源一刀流の匂いをそこかしこに感じつつも、単なるツギハギではない。ソレらを繋げて調和させている「道枢」を感じる剣。……こんな良い剣がすでに絶伝してしまっているという事実が、残念でならない。


(だがタツよ。道枢一刀流は、まだまだこんなもんじゃねぇはずだぜ。まだ「先」があるはずだ)


 そう、まだ「先」がある。


 彼の祖父である、剣豪・鈴代(すずしろ)一玄斎(いちげんさい)が得意としたという絶技が。


 道枢一刀流の心法を用いた奥義が。


(見せてみろよ——お前の『谷神剣(こくしんけん)』をよ)


(見せてやるよ(・・・・・・)——俺の『谷神剣』をよ)


 二刀(伊織)が期待し、一刀(辰之進)が決意を固めた。


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