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帝都初恋剣戟譚  作者: 新免ムニムニ斎筆達
帝都初恋剣戟譚 短編集
207/252

雑草のケジメ《五》

 ——十二月八日の午後、韮山(にらやま)喜恵(きえ)は秋葉原の街中を歩いていた。


 東京都千代田区外神田(そとかんだ)にある秋葉原は、この帝都でも有数の電気街だ。

 大正末期まで神田淡路町(あわじまち)にあった電機部品卸商(おろししょう)が移転してきたことがきっかけで、歴史を歩むごとにこの街は電化製品や電子機器部品の一大マーケットとして進化を遂げた。


 家の電球の一つが切れたので、喜恵は今日ここへ買いに来たのだ。

 

 家から歩いて行けるほど近い場所であり、なおかつ電球以外の用事も無い。なので、髪こそいつも通り整えているが、服装はフライトジャケットにジャージズボンという飾り気に欠けたものだった。……母からは「もうちょっと可愛い格好にしたら」と言われたが、別にデートに行くわけではない。そんな相手も、今のところ心当たりが無い。


 喜恵の住まいは、岩本町にある団地の一室だった。


 そこの管理人は、陸軍の退役軍人である。夫が戦死して未亡人となった母親の家族、または傷痍軍人(しょういぐんじん)を持つ家族には割安で部屋を貸してくれる。


 ——喜恵の父は、『北方(ほっぽう)帰り』の軍人である。


 『北方帰り』とは、十年前の日ソ戦にて出征し、そして生還した帝国軍人の俗称だ。北方帰還兵とも。

 侵略者からこの国を護るために戦いぬいた彼らは、世間では英雄として讃えられている。

 戦争での負傷で不具者となった者も、国による手厚い保護の対象となっている。


 喜恵の父は、十年前に北方でソ連軍と戦い、左手を失った。


 世間では英雄扱いされる『北方帰り』だが、その一方で、戦場でのトラウマに由来するPTSDによって戦後も苦しめられ、家庭内暴力や薬物乱用に走ってしまう者もそれなりにいる。


 しかし父は、そんな素振りはいっさい見せない。戦場に赴く前と同じ、優しい父のままだ。


 「俺達を庇って亡くなった卜部大尉(うらべたいい)らのことを考えると、腐って生きてなどいられない」というのが、父の口癖である。


 喜恵はそんな父が、今も昔も大好きだ。


 ……だからこそ、良い大学に入って勉強して、官庁勤めになろうと思った。

 父を楽させたいと思った。

 父が片手を失ってまで守ったこの帝国のために働こうと思った。


 傷痍軍人には手厚い経済的保護がされているとはいえ、家計は決して楽とはいえない。まして喜恵には年が大きく離れた弟が二人もいる。


 だからこそ、学校では良い成績を勝ち取り、奨学金で大学に通う必要があった。


 その努力の甲斐あって、喜恵の試験と成績は学年二位を維持している。このままいけば特待生として大学に進学することも十分に可能だ。


 ……その上の学年一位に、あの男(・・・)が居座り続けているというのだけが、かなり(しゃく)だが。


 嫌な事を思い出したので、喜恵はさっさとお目当ての電球を探し、それを購入した。


 品物の入った紙袋を抱えて、秋葉原の細い路地を歩いていると、


「……あの、なんですか?」


 見知らぬ男六人に、行く手を塞がれた。


 柄の悪そうな外見、こちらを値踏みするような嫌な眼差し、片手に持った木刀……明らかに碌な用件があるようには見えないその連中に、喜恵は声を尖らせて問う。


「——ココ通りたいんだったら、通行税よこしなよ」


 ニヤニヤした表情で、男の一人が告げる。


 付き合ってられない。喜恵は無言できびすを返して引き返そうとしたら、今度はそこへもう二人が回り込んだ。


「おっと、こっちにも通行税が必要なんだわ。つーわけで、ほら、とっとと寄越せよ」


「金無いんだったら、別のモンで払ってもいいぜ? 体でとか」


 ゲラゲラと品無く笑い出す六人を見て、喜恵は明確に「敵」と認定。


 近くもなければ遠くもない、そんな距離感にいる一人の男に狙いをつけるや、瞬時に身を詰めて体でぶつかった。


「ぐぁ!?」


 男女問わず、人間は重い物体だ。非力な女とて全体重で勢いよくぶつかれば、大の男を転がすくらいは可能である。ぶっ倒れた男にさらに近づき、流れるような手つきで木刀を奪い去る。


 木刀はあくまで牽制と防御のために奪ったものだ。そのまま走り去ろうと思っていた喜恵だが、舐めた真似をした女を逃すまいとばかりに、五人はすでにこちらを囲んでいた。


 喜恵は電球の入った紙袋を置き、剣を構える。「正眼の構え」。剣を中段中心に置き、いかなる変化にも対応できるようにする。……初伝目録(しょでんもくろく)持ちである父から教わった至剣流剣術。その腕は少し前に切紙(きりがみ)を受け取った程度だ。大威張りするほどではないにせよ、腕には覚えがある。


 爆発寸前の火山のように静まった五人のうち、いったい誰が先に動き出すのかを、鎮まった心で観察する。


 動いた——それを目にした瞬間、喜恵は電撃的に身を切った。剣もまたソレに合わせて電撃的に左へ動き、やってきた木刀の一太刀を横からしたたかに弾いた。さらに弾いた瞬間に喜恵の刃が(ひるがえ)り、男の厚い胸板を打ち据える。至剣流『浦波(うらなみ)』。


「ぐぉ……!?」


 苦痛のうめき声をあげ、空を仰ぐように傾いた男をダメ押しに蹴ってぶっ倒しつつ、その()から抜け出ようと走るが、すぐに追いつかれ回り込まれ、また行く手を阻まれる。品が無いと思っていても舌打ちを禁じ得なかった。


「舐めやがって!」


 上段から放たれた敵の木刀を、喜恵は両手で両端を持った木刀を頭上で構えて一文字受けする。だが己の剣に降りかかった重み全ては受け切らず、すぐに一文字を左斜めに傾けて下へ滑り落とし(・・・・・)、同時に木刀の切っ尖で顔面を打とうとする。至剣流『蔓剣(ばんけん)』。


 だが、喜恵は反撃を入れず、瞬時に横へ向いて木刀を構えた。間髪入れずにその木刀へ敵の一太刀が打ち込まれ、喜恵は後方へ退がる。そこは建物の外壁。


 その壁を伝って移動しながら、喜恵は敵の剣を受け続ける。


(数が多いわね……!)


 壁際を走って移動しても、また回り込まれて追撃を喰らう。

 かといって立ち止まれば、後方180度以外の全方向から剣がひたすら飛んでくるだろう。

 壁から離れるのは論外。全方位から殴られる。


「おい、こっちだ!! 手ぇ貸せ!!」


 男の一人が高らかにどこかへ呼びかける。それから足音が近づいてくる。


 目の前の相手に応じるのに手一杯で目を向ける余裕が無いが、その音で察する。


(嘘でしょ? 増えるのっ?)


 仲間を呼ばれた。


 冗談では無い。このままやり合っていたら、多勢に無勢で圧壊されかねない。


 喜恵は逃げることに全力を注ぐ。


 全速力で駆け、ちょうど回り込んできた敵に勢いよく突っ込む。重心を地べたに這わせるような据わった(・・・・)運足とともに、肩口に添えて構えた木刀を先んじての体当たり。男は強引に弾き倒される。そうして開いた道を駆け抜ける。……あと少しで左の曲がり角だ。


 だが、


(ちくしょうっ——!)


 もう少しのところで、後から駆けつけたのであろう敵の新手が、三人ほど回り込んできた。


 右から飛来してきた木刀を、俊敏に振り向くと同時に弾く。

 右斜め前から迫ってきた突きを捌く。

 左斜め前からやってきた袈裟斬りを飛び退きながら木刀でいなす(・・・)

 左からの刺突を避けながら身を寄せて体当たり。だが苦し紛れの体当たりだったので威力が大して乗っておらず、敵はそれに倒れず受け止め——喜恵のジャケットを掴んで力任せに引き倒した。


「っ……!!」


 巨大な硬い地面に殴られ、全身に鈍い痛みが染みる。だがそれよりも喜恵の中では危機感が勝った。この状況で地面に転がされるのはかなりマズイ。転がっている間に敵は一気に囲ってくる。


 素早く体勢を立て直し、膝をついたまま上を見るが——そこには剣を構えた大の男が何人も自分を囲っている最悪の光景。


 すぐそこに迫った危機への恐怖を押し殺し、どうにか足掻こうと前方を睨み据える。この連中に女々しい声も姿も見せたくない。


(こうなったら、多少打たれるのを覚悟で押し通るしか——)


 喜恵が覚悟を決めた、その時。


 周囲を囲む男達のわずかな隙間を縫って——木刀が飛んできた。


 喜恵から見て、前方の右端から入ってきた木刀は、ちょうど喜恵の前の地面にぶつかり、かぁーん、という澄んだ音を立てて弾み、宙を回転し、やがて完全に落ちて沈黙した。


 周囲の男も、喜恵も、沈黙した。


 沈黙のまま、木刀が飛んできた方向へいっせいに振り向く。


 そこには。


「こ……香坂(こうさか)君っ?」


 伊織(いおり)が立っていた。


 実は初めて見る伊織の私服は、武道の稽古着姿にコートを羽織ったものだった。右手には手提げ鞄、左手には小太刀の木刀。


 伊織も男達の間から喜恵の姿を見て、少し驚いた目をした。


「あれ? あんた、ひょっとして委員長か?」


 それから、こちらへ歩み寄ってくる。男達は当惑した様子で、思わず道を開けてしまう。


 喜恵の姿を見下ろしてから、少し楽しげに笑声をこぼし、


「ははっ、似合ってるぜ。そのカッコ」


「う、うるさいわよ! 悪い!?」


 伊織の称賛が皮肉に聞こえた喜恵は思わず反駁(はんばく)してから、学校の教室で話しているのと同じ気分になっていると自覚した。……こんな危機的状況であるというのに。


 当惑していた周囲の男達も、ようやく気を取り直したようだ。


「なんだ、テメェはぁ!?」「木刀投げたんはオメェかぁ!?」「何のつもりだ貴様コラァ!?」


 突然割って入ってきた伊織に、男達は怒気と怒号をワッと浴びせかける。


 だが伊織は少しも怯むことなく、煽るような笑みと言葉を返す。


「何だテメェは、だぁ? そりゃこっちの台詞だっつぅの。おめぇらこそ何だ? こんな可愛い子を数集めて木刀で打ちまくろうとする、腰抜け共の名前はなんてゆうよ?」


 可愛い子。伊織に言われたことが無いことを不意にその口から聞かされ、思わず胸が疼く。そうさせたのは意外性か、あるいは。


 男の一人が、抗議に怒号を上げる。


「テメェ! 俺らを誰だと思ってやがる!? 『雑草連合』だぞ、俺らは!」


 聞かない名前だ。そもそもその界隈の事には興味が無いから知らない。自分だけじゃなく、功隆(こうりゅう)学院(がくいん)の他の生徒もそうだ。そんな連中に構うだけ、学業の妨げだと。


「…………んだとぉ?」


 だが、伊織はそれを聞いて、目を大きく見開いていた。


 かと思えば、すぐに次のように言った。


ちょうど良かった(・・・・・・・・)。おいお前ら、俺をお前らの今の溜まり場に案内しろや」


 それを聞いた男達は、一瞬顔を見合わせて静まり、そしてドッと笑った。


「——病院になら、すぐにでも連れてってやるよ?」


 男達が、片手持ちの木刀をもう片方の手にポンポン当て、武力を誇示する。


 すると、伊織は右手の鞄から手を離し、すぐ近くに落ちていたさっきの木刀の柄頭の(かど)を踏んだ。その梃子(てこ)の原理で木刀は虚空を回転しながら跳ね、空中でその柄を伊織の右手が掴む。


 右手に長木刀。左手に短木刀。


 それらを、おもむろに下ろした。


 否。あれは構えだ。伊織は今、二刀を下段に置いている。


 肩を落とし、ゆったりと二刀を下ろし、気負わず自然に立っている。

 自然に立っているがゆえに、鋭い立ち方。大地に乗って生まれた反力が、余計な筋力の横槍を受けることなく、足底から頭頂部までまっすぐ垂直に貫いている。

 まるでその場に根付いた樹木のよう。硬い芯の通った体幹と、柔らかく緩んだ二刀の(こずえ)

 一身に、剛と柔を高度に備えた構え。


 そんなふうに、構えていた。


 そんなふうに、構えただけ(・・)だ。


 だというのに——それを見た喜恵の心音が、嫌な鳴り方をした。


 血の気が下がるのを実感する。


 今すぐそこから逃げろと、本能が警鐘を鳴らしている。


 喜恵だけではない。


 さっきまで数の優位で得意げだった男達も、みな揃って表情を強張らせていた。


 伊織がその構えのまま、一歩進む。


 そのたびに、男達が揃って一歩退く。


 伊織の進歩と、男達の退歩が、完全に同調している。


 まるで見えない球状の壁に押し出されるように。


「…………俺ぁ今、虫の居所がすさまじく(わり)ぃ。()るんなら、相応以上の目に遭うと覚悟しとけ」


 不機嫌さを押し殺したような、伊織の低い声。


 男達の一人が、すっかり震えた声で、


「お、お前、一体ナニモンだ……?」


「この二刀を見ても()せねぇってことは、やっぱお前ら新顔か。——俺ぁ香坂伊織だ」


 男達が、揃って息を呑んだ。


「もっぺんだけ言うぞ。——お前らの今の集会所に連れてけ。今の親玉とナシ(・・)付けに行く」


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