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帝都初恋剣戟譚  作者: 新免ムニムニ斎筆達
帝都初恋剣戟譚 短編集
205/252

雑草のケジメ《三》

「寒くなってきたな……」


 ワイシャツと制服ブレザーの二枚重ねでも肌にほのかに刺さる冷気に、伊織は思わずそうひとりごちた。


 放課後。学校から出た伊織は、浅草橋の街中を歩いていた。


 いつもならそのまま真っ直ぐ地下鉄で学生寮に帰るのだが、今日は気分を変えて寄り道でもすることにした。とはいえ、この辺りで伊織が好む施設は書房くらいしか無いが。なのでそこへ向かっている最中だった。


 細長いビルディングが剣山みたいに林立した狭い通りには、濃厚な影が溜まっていた。まだ四時だというのに、日没が近い。季節が冬の顔を見せ始めている。


 そういえば、先の日ソ戦が終結したのは、この十二月だった。当時の伊織は七歳で、こんなふうに寒い季節だったのを覚えている。……寒い季節であったのに、街中は祖国の勝利の熱気に包まれていた。


 親の教育熱心さの賜物で、伊織は七歳の時点から半端に賢しい子供だった。だがそれゆえに戦争の意味も、そして負ければこの国がいったいどうなるのかも分かっていた。だからこそ、日本の戦勝に子供ながら安堵を抱いたものだ。


 ……そんな平和を勝ち取った大英雄の一人に、自分は師事しているのだ。


 先師と同じ純粋な二天一流をまた学ぶ機会をくれたことだけではない。


 何も気負うことなく、剣を存分に学べる世の中を、今の師は自分に遺してくれたのだ。


「……しっかり、しねぇとな」


 であるならば、今の自分にできることは一つだ。


 彼の二天一流と、その勝ち取った平和を正しい形で引き継ぎ、次の世代へ正しくバトンタッチすることだ。


 ……だからこそ、もう、苛立ち任せに暴れ回る半端な行いからは、足を洗わなければならない。それが師の言いつけとあらばなおのこと。


 しばらくして、濃い影から脱し、朱い陽光に染まる十字路に出た。沈みかけの夕日は右側。その逆方向である左へ曲がる。


 方向転換したと同時に、


「……あ」


 ちょうどこちら手前へ歩いている途中だった、見覚えのある人物(・・・・・・・・)と顔を合わせることになった。


 向こうもまた、こちらの顔を見た瞬間、眉間に(しわ)の寄ったその目をかすかに見開いて、口を開いた。


「——イオさん(・・・・)、っすか」


 馴れ馴れしく、しかしそれでいてどこか取り繕うように強張った声。


「……久しいな、タツ(・・)


 伊織もまた、愛称を交えてその少年に声をかけた。……少し硬い声。


 染められた短い金髪を持ち上げて立たせ、彫りが深く無骨な感じの目元を目立たせている。伊織よりも少し大柄な体格を、灰色のツナギが上から下まで覆っていた。


 鈴代(すずしろ)辰之進(たつのしん)


 伊織がかつて総長を務めていた喧嘩屋集団『雑草連合』の副長。


 否。()副長だ。


 なぜなら『雑草連合』はもう無いのだから。


 かつて自分の片腕のような存在だったその男は、いつも炯々(けいけい)としている目元をわずかに緩めて苦笑気味に言った。


「久しいって、まだひと月くらいしか経ってないっすよ。イオさんが『雑草連合』を解散させた日から」


「……まだガキなんでな、俺は。時間の流れがゆっくりに感じるのさ」


「それを言ったら俺だってガキっすよ。イオさんのいっこ下(・・・・)なんすから。だけど俺は働き始めてから、時間の流れがひどく速く感じるっすよ」


 そういえば、辰之進は以前からすでに工場で仕事をしていた。学生の伊織とは違う。


「仕事はどうよ? そろそろ慣れたか?」


「もともと剣に明け暮れてた身で、体力があったのが幸いでしたね。とりあえず細かい仕事のし方さえ分かればこっちのもんっすよ。それでも工場長はやかましいっすがね」


 愚痴るような辰之進の口調に、思わず伊織は表情が緩む。


 ——『雑草連合』は、至剣流以外の剣術を身につけた集団だ。ましてその副長だった辰之進はなおのこと。


「『道枢(どうすう)一刀流(いっとうりゅう)』の稽古の方はどうだよ? 順調か?」


「……まぁ、欠かしちゃいねぇっすけど。でも、もうこれ以上進みそうにないっすよ。だって、もう俺の『道枢一刀流』は……」


「だが、お前のジサマ(・・・)の遺産だ。たとえ中途半端に残ってるからって、それを粗末に扱ってやるなよ」


 伊織は、気遣うようにそう告げた。


 ……この現代でも、新たな剣術流派は生まれている。


 無論、剣術流派そのものがある種のベンチャービジネス化していた江戸時代よりは盛んではないが、それでも既存の剣術で免許皆伝を手にした剣客が、ときどき己の流儀を新しく興している。


 辰之進が身につけている『道枢一刀流』も、この現代で新しく生まれた剣術の一つだった。


 小野派(おのは)一刀流(いっとうりゅう)甲源(こうげん)一刀流(いっとうりゅう)を皆伝した鈴代(すずしろ)一玄斎(いちげんさい)によって創始された剣術。

 一刀流に、老荘思想的な心法と技法理論を取り入れたものだ。

 「一刀(いっとう)即万刀(そくばんとう)」という従来の一刀流の理論と同じように、全ての剣技を貫く「道枢」にあたる技術を最初から最後まで徹底して磨くことで、その「道枢」を主軸とした千変万化の剣を成す。

 さらに、老子の思想を活用した、(おご)りと慢心を防ぐ思考法。

 (どう)(むな)しきも、(これ)(もち)うれば()()たず。(えん)として万物の(そう)たるに似たり——常に己の中に「欠落」を感じていれば、満足することも、そして慢心することも無い。それは剣を磨く上で大きな力となる思考法である。


 伊織も、そんな一玄斎の剣に、いたく感銘を受けていた。


 だからこそ、そんな一玄斎の()である辰之進と出会った時は、えらく喜んだものだ。


 しかし、その時はすでに、一玄斎はこの世にはいなかった。


 その遺した剣術も(・・・・・・・・)また(・・)


「ところで、そのカッコ、これから学校帰りっすか?」


 辰之進は話題を無理やり切り替えようとばかりに、そんな問いかけをしてきた。


 伊織もその気持ちに配慮し、話を合わせた。


「まぁな。下校の途中、本屋にでも寄ろうかと思ってな」


「まだ学生やれるなんて羨ましいっすよ」


「んな良いモンじゃねぇぞ。俺の場合、成績が十位から落っこったら、なりたくもねぇ医者を目指さないといけねぇからな」


 このまま順調に進めば、高校卒業までに十位以内を保てるだろうが、油断はできない。


 側からは適当に学生生活を送っているように見えて、伊織は結構考えて動いているのである。


「いやいや、ほんと——良い身分っすよ。それじゃ、俺はこれからちょいと用事がありますんで」


 辰之進はそう言って、伊織の横を通り過ぎていった。


 伊織は、その去り行く後ろ姿が小さくなり、やがて景色に溶け消えるまで、見送った。


『ほんと——良い身分っすよ』


 そこはかとなく尖った語気のあった、彼の発言を脳裏に去来させながら。









 伊織と別れた後、最初の曲がり角に入ってすぐに目に付いた自販機を、辰之進は苛立ち任せに蹴りつけた。


 ——まったくもって、良い御身分だ。


 かつて散々、至剣流はクソだとか、驕りに満ちた連中の伝統を叩き潰せとか、勇ましく自分達を煽動しておいて。


 飽きた途端、そんな自分達を平気で捨てて、ただのエリート学生に戻った。


 あの時、殴りかかる事なく、努めて以前のように慇懃(いんぎん)に接し続けた自分を誰か褒めて欲しい。


「——おい、お前! 何してるんだ!? 今自販機を蹴っただろ!?」


 自分を(とが)める怒声の来た方向へ振り向く。年配くらいの、会社員らしき男だった。


「壊れたらどうするんだ!? お前責任取れるのか!? まったく、最近のガキは……!」


 人生の先輩風を吹かし腐るその男に、辰之進はあからさまに大きな舌打ちを前置し、


「うるせぇよ、糞爺(クソジジイ)


「な……なんだと貴様その口の利き——」


 男の顔面に蹴りを叩き込んだ。


 鼻血を散らしてよろけながらも、しぶとく立っていたので、ダメ押しに胴体にもうひと蹴り。


 仰向けにぶっ倒れた。起き上がろうとしない。戦意を失ったようだ。


 その血だらけの顔面に唾を吐きかけ、何事もなかったかのようにその場を歩み去る。


 濃い影の溜まった細めの路地をしばらく歩くと、


「——鈴代さん」


 手下の一人(・・・・・)である若い男が、自分を尋ねてきた。


 辰之進は、親分然とした居丈高な態度と口調で応じた。


「おう、どうしたよ?」


ウチ(・・)鎌田(かまた)が、『帝都(ていと)鉄騎隊(てっきたい)』の連中にぶちのめされたそうです」


「……チッ、(いも)()いて天狗の手先になりやがってた腰抜けの分際で、調子付きやがって」


「どうしますか? 今夜あたりに仕掛けますか(・・・・・・)? 鉄騎隊のタマリ場はもう把握済みっす」


「……よし。今夜、鉄騎隊のクソ共をシメるぞ。俺達(・・)雑草連合(・・・・)』に弓引くってのがどういう意味か、俺らの剣で教えてやんぞ」


 手下の男は、戦意と嗜虐の混ざった笑みをニヤリと浮かべる。


「期待してますよ——総長(・・)


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― 新着の感想 ―
まあ解散って言って解散するなら「連合」なんてやってないよね。
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