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帝都初恋剣戟譚  作者: 新免ムニムニ斎筆達
帝都初恋剣戟譚 短編集
203/237

雑草のケジメ《一》

短編です。

伊織が望月先生に弟子入りして間も無い頃のお話となります。


およそ四万文字半くらいあります。

 香坂伊織(こうさかいおり)は、埼玉県東村山(ひがしむらやま)市に医院を構える開業医の長男として生まれた。


 個人経営の医院なので経営の自由度が高く、かつ勤務医の二倍近い年収が入るが、医院を続けていくためには後継者が必要だった。


 父は、生まれた三人の息子に、その願いを託した。


 従順であった次男と三男とは真逆に、長男の伊織はたびたび父に反発した。


 帝都大学附属高校の一つである功隆(こうりゅう)学院(がくいん)を志望していたまでは父の思惑に沿っていたが、大学入学後の進路として伊織が望んだのは医学部ではなく、文学部史学科だった。……父は、それを許さなかったのだ。


 幾度もの激論の末に、伊織はわずかながらの譲歩を父から勝ち取った。

 ——史学科への入学を望むのならば、高校三年間で一度たりとも学年成績を十位以下に落としてはならない、と。


 帝都大附属高校は、日本全国単位で見ても屈指のエリート校だ。その中での十位以内の維持など、並大抵のことではない。


 ……だが伊織は上京して入学後、十位以内どころか、学年主席を維持したまま三年間を送ることになる。


 勉強というのはしょせん積み重ねだ。幼い頃からやめることなく積み続ける作業を、これから先も続けるだけである。そこは教育熱心だった親のお陰だろう。伊織には十分すぎる積み重ねがあった。


 なにより、学業など、伊織にとっては些事でしかなかった。


 ……剣と、それにまつわる歴史を追求するという、崇高な目的に比べれば。


 伊織を剣の道へ進ませるきっかけとなったのは、幼い頃に出会った、老い先短い二天一流の剣師だった。


 よくある一刀勢法や棒術などが併伝(へいでん)された二天一流ではない。武蔵の遺した二刀勢法「五方ノ形(ごほうのかた)」から増やしても減らしてもいない、純然たる二天一流。


 そんな純粋な武蔵の剣と、この国で剣というものが歩んできた悠久の歴史を、師は幼い伊織に植え付けた。


 師のもとへ足繁(あししげ)く通い、剣を学んだ。

 字が下手だから文字書きの練習もしておけと言われたので、練習した。

 古文書の読み方も教えてもらった。

 ……思い返すだけでも、充実した、楽しい少年時代だった。


 しかし師は、伊織が中学三年生の頃、剣の完成を目にする前に天寿を(まっと)うしてしまった。


 形見となってしまった二天一流。しかもまだ皆伝していないため、これを次世代へ伝える資格は伊織には無かった。……有名無実を嫌った師の性格を考えても、未完成での伝承は嫌がるだろう。流祖に顔向けができぬと。


 二天一流のうちの一派は、ここで途絶えてしまったのだ。


 そんな枯れ枝めいた有様な二天一流とは真逆に……昨今の剣術界で隆盛を極めている、至剣流剣術。


 ——師の影響でいくつもの古文書に触れてきた伊織は、至剣流嘉戸(かど)宗家が行った「改悪」についても、すでに既知であった。


 偽りの伝承を「正伝」と騙って百万を超える門人に教え広めている至剣流の隆盛と、正伝を変えずに守って消えゆく自分達。


 嘘が脚光を浴び、(まこと)が省みられぬ理不尽な世。


 そんな鬱屈とした思いの数々が……上京後、伊織を喧嘩の道へと走らせた。


 同じく至剣流を快く思わない若い衆が集まってきて、それらは群れをなし、やがて『雑草連合』となり、帝都で暴れ回った。


 相手は主に、至剣流の使い手。


 至剣流を実力で負かしまくって、その有名無実ぶりを天下に知らしめ、剣術界における権威を失墜させようと狙っていた。


 宮本武蔵は、無駄に高邁(こうまい)な哲理などよりも、実戦を重んじた。


 実戦を重んじることこそ、武蔵の遺した伝統の一つであると、伊織個人は思っていた。


 欺瞞こそが至剣流嘉戸宗家の伝統保守の手段ならば、実戦こそがこちらの伝統保守の手段である。


 伝統同士のぶつかり合いだ。


 どちらの伝統が強いかの勝負である。


 そんな心持ちのまま、伊織は仲間とともに剣を振るい続けた。


 ——だが、そんな荒れた日々は、突如として終わりを迎えた。


 秋津(あきつ)光一郎(こういちろう)という少年に出会ったことで。


 その流れで……望月(もちづき)源悟郎(げんごろう)という、純然たる武蔵の剣の伝承者と出会ったことで。








 †








 ——二〇〇一年十二月二日、日曜日。夕方。





「——では、今日の稽古はここまでとする」


 師の雲衝くような体躯の頂点から、神妙な響きを持った言葉が降ってくる。


 それなりに背の高い伊織よりもさらに大柄で、しかし存在感を主張しすぎていない、仏像のごとき体格。白んだ髪とカイゼル髭が特徴の、傷跡のような(しわ)の目立ついかめしい顔つき。鋭い目つきの隙間に覗く眼光は、強い生気と深い悟性(ごせい)の色が垣間見える。


 その両手には、こちらと(・・・・)同じように(・・・・・)二刀一対の木刀が柔らかく握られていた。

 右手に長木刀、左手に短木刀。

 ……その堂々たる体格も相まって、宮本武蔵の肖像画を想起させるような気迫を感じさせる、隙の無い佇まい。


「——ありがとうございます」


 香坂伊織は、目の前にいる今の剣師、望月源悟郎に一礼した。


 端々のささくれ立ったようなボリュームのある髪。その下にある尖った気力を感じさせる顔つきと、師と同じ稽古着を身にまとった体は、しかし師とは正反対に汗まみれであった。


 ……ちょうど今、源悟郎による、二天一流の指導が終わったところだった。


 全身には、何度も同じ型を繰り返したことによる疲労が絡みついている。しかし嫌な疲れ方ではなかった。心地良い疲労、とでもいえばいいのか。


 この苦労が、自分で望んで受けているものだからだろう。


 そしてもうひとつは、得難い奇跡に遭遇したことに対する、今なお冷めやらぬ感動。


「どうかね、香坂君。稽古の感想は?」


 源悟郎が相好を崩して尋ねてきた。先ほどまでの張り詰めた雰囲気が嘘のように和やかであった。……この英雄的元将官が二天一流を皆伝していたのにも驚きだったが、このとっつきやすさにも同じくらい驚きであった。


 伊織は満足げに微笑を浮かべ、はっきり告げた。


「今でも、幸運と嬉しさでいっぱいっす。止まっていた時間が、動くはずのなかった時間が、動き出したような。そんな感じでしょうか」


 好青年めいたその受け答えに、我ながら可笑しさがこみ上げた。……ちょっと前まで、街角での喧嘩に明け暮れる不良だったのだから。自分は。


 そう。

 

 そんならしくなさ(・・・・・)を発露してしまうくらいに、今の時間は幸福そのものであった。


 熊本や新潟など、あらゆる場所に伝承の種を拡散した二天一流であるが、そのほとんどが「五方ノ形」以外の別の技を取り入れられたり、新免(しんめん)二刀流(にとうりゅう)のような竹刀剣術に変化したりした。


 武蔵の頃から変えずに「五方ノ形」のみを伝授している二天一流は、虫の息であった。


 その虫の息すらも、伊織のかつての師が鬼籍に入ったことで絶えたのだと思っていた。


 しかし、「弟子が準備を整えた時、師はおのずと現れる」というチベットの格言は本当だったようだ。


 師は現れた。望月源悟郎という師が。


 十年前の戦争を勝利に導いた英雄の一人にして、数少ない至剣流剣術皆伝者。おまけに二天一流の皆伝までしていたというのだから驚くしかなかった。


 弟子入りを志願し、それを条件付き——かつて結成していた『雑草連合』の解散——で受け入れてもらったのは、先月の話だ。怪我が完治してから稽古を始めた。


 純粋な二天一流の稽古をこうしてまた受けられる幸福は、筆舌に尽くし難い。


 本当に、止まっていた時間が動き出したような感じだ。


「——少し前までお前さんのやっていた喧嘩三昧の日々と、どちらが楽しい?」


 今の稽古の日々です。


 伊織はそう答えようとした。


 だが……どういうわけか、言葉にできなかった。


 口に出そうとしたら、喉の段階でせき止められたような。


 ……自分の心の奥底にある「未練」が、そうさせたような。


「……意地の悪い、質問だったか」


 源悟郎はそう苦笑すると、稽古場を音も無く出て行った。


 伊織はそれを、何も言えずに見送った。







 †





 ——そう。伊織は確かに、今の状況には満足している。


 『雑草連合』と、楽しかった喧嘩の日々を捨てる代わりに、得難い機会を得た。


 終わったはずの自分の二天一流の道が、再び続きだした。


 新たな師と一太刀合わせるたびに、喜びを感じる。


 そう、満足していたのだ。


 ——だが、その一方で、心の奥底にいるもう一人の自分が、ささやいていた。


 偽物が脚光を浴び、本物が顧られぬ世の中が、ひどくいとわしいと。


 欺瞞に満ちた昨今の剣術界に、一太刀を浴びせてやれと。


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