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帝都初恋剣戟譚  作者: 新免ムニムニ斎筆達
帝都初恋剣戟譚 呪剣編
200/237

ある男の遺言《中》


 『神武閣(しんぶかく)事件(じけん)』の影響で中止となっていた天覧比剣少年部だったが、再開されることが決まった。


 再開日は——八月二十八日。


 今年の少年部はもう完全中止にしようという話もあったらしいが、あとたった一試合であるため勿体無いというのと、その日のための子供達の努力を無駄にしたくないという配慮と……何より(みかど)と、特に親王(しんのう)殿下(でんか)の強い願い出により、再開という方向に舵が切られた。


 ただし、事件によって荒れた神武閣の整理整頓がまだ完全に終わっていないため、会場は帝都武道館に変更となった。都予選が行われた場所である。


 事件から間も無い頃、完全中止か否かがまだ曖昧であったため、各都道府県代表校は各々の故郷へ帰還していた。

 ……再開が決まったことで、鹿児島県代表の拝山学院(はいざんがくいん)は帝都にまた戻ってくる必要が生じたが、その他の学校は来るも来ないも自由ということになった。なにせ、もう戦わないため、遠路はるばる来ても仕方がないから。


 しかし、代表校は一校残らず帝都に戻ってきた。

 閉会式で帝の尊容を拝見するため、参加校全員に配られる参加賞を郵送で受け取るというのは味気ないため、普段は遠くて簡単に行けない帝都にタダ同然で来てもう一度満喫したいため……いろいろ理由はあるっぽい。


 こうして、二〇〇二年度天覧比剣少年部は、再開された。







 もう無理かと思われていた決勝戦が始まった。


 東京都代表——富武(とみたけ)中学校撃剣部。

 鹿児島県代表——拝山学院郷士会(ごうしかい)


 どちらが勝ってもおかしくない、緊迫した試合だった。


 まず先鋒戦は、峰子(みねこ)が戦った。

 相手は示現流の使い手。……『神武閣事件』の時に峰子を助けてくれた、薩摩弁(さつまべん)の女子だった。

 示現流使いに一度負けている峰子にとって、鬼門といえるであろう相手だった。

 そして、流石は全国級。その剣の迅速さと重さは、都予選三回戦の相手を超えていた。それなりの重みのあるはずの竹刀が、まるでビニール紐のような軽々しさで虚空を俊敏に、柔軟に駆け巡る。

 峰子は一本目で、胴を打たれてしまった。

 しかし峰子も、ここまで強さを積み重ねてきた。一本を取られたことに調子を崩さず、二本目を毅然と戦い、そして新当流(しんとうりゅう)お得意の俊敏な小手打ちで一本を取り返した。

 そして三本目、両者ともに温存していた体力を解き放つように打ち合い——峰子が一本を取った。


 次鋒戦は、氷山(ひやま)部長が出た。 

 相手が使う剣は、直心影(じきしんかげ)(りゅう)だった。

 四貫(よんかん)(およそ十四、五キロ)もの巨大な振り棒で素振りを繰り返すという剛腕から繰り出される春夏秋冬の剣技は、雪崩のように重々しく、それでいて名工のように緻密だった。

 一見すると大振りだが付け入る隙がほとんど無い相手の技に、しかし部長はどうにか一本を取った。

 だが二本目で、剣を操る手の内が緩んだごく僅かな瞬間に重い切っ尖の一撃を竹刀に受け、バランスを崩され、そこへ一太刀を入れられて一本を取り返された。

 三本目は接戦となったが、またしてもほんの僅かな隙を的確に狙われ、そこから新たな大きな隙を作られていき——部長は二本目を取られてしまった。

 

 大将戦は、もちろん僕だ。


 ……ここで予想外なことが一つ起きた。

 鹿児島側は、今日に限ってレギュラーを一人変えていたのだ。

 示現流使いが抜けて、代わりに入ったのは新陰流(しんかげりゅう)の使い手だった。

 僕の相手である。


 凄まじい攻勢の目立った今までの鹿児島のメンツとは違い、積極的に攻めず「後の先」を重んじる類の剣士だった。……僕と同じような類であり、そして僕の苦手な相手だった。

 その実力は、とても補欠から無理やり引っ張り出してきたとは思えないほどに卓越していた。……そして確信する。この人は補欠でも何でもなく、相手が立てた事前の作戦の意表を突くために用意された伏兵(・・)なのだと。

 実力的には、同じく優れた新陰流の使い手であり、かつ僕を敗北寸前まで追い込んだ天沢(あまさわ)(ゆかり)さんに、匹敵するかも分からなかった。


 不思議なことに——僕は驚くほど楽に打ち合えた。


 確かに彼の新陰流は、良い腕だった。

 けど、どうしたって——あの鴨井村正(かもいむらまさ)よりは目劣りしてしまう。

 人格に問題はあっても、村正は剣客としては一流と言って差し支えなかった。

 そんな一流の剣士と、それも木刀や竹刀ではなく真剣でやり合ったという無茶な経験が、ここに来て活きていた。

 剣の重さと怖さ、形状とその活用法、構えの持つ深い意味——斬り合いの経験は、僕にそれらをこれまで以上に教えてくれた。

 一本目、二本目と、あっという間に取り、僕は勝ち星を得た。







 二〇〇二年度天覧比剣少年部、優勝————富武中学校撃剣部。







 †






 そして夏休み明け初日の九月二日、月曜日。


(ちん)思ふに 我が皇祖(こうそ)皇宗(こうそう) 国を(はじ)むること宏遠(こうえん)に 徳を()つること深厚(しんこう)なり——」


 校長先生による勅語(ちょくご)奉読(ほうどく)から始まった始業式で、真っ先に言及されたのは、撃剣部の天覧比剣優勝であった。


 ——帝より(たまわ)った、帝室技芸員作の短刀。


 体育館の壇上に上がった僕ら撃剣部がそれを掲げて見せると、全校生徒は大いに湧き立った。


 校長先生は涙ぐみながら、僕らの健闘を讃えた。まさしく感涙であった。映えある天覧比剣に優勝したことだけでなく、目立たないこの学校がこういう形で帝国の歴史に名を刻んだことが嬉しいのだろう。……校長先生は、この中学の卒業生らしいから。


 ——こんな感じで、僕らは拍手喝采の渦中にあった。


 讃えてくれるのは悪い気はしないけど……お昼ご飯くらいは、落ち着いて食べさせて欲しいものである。

 





 †






 今日は始業式の日ということで半ドン、つまり午前中で授業は終わりだった。……ちなみに「半ドン」の語源は、宮城(きゅうじょう)の中の近衛工兵作業場にあった午砲(ごほう)に由来している。正午になったらソレを撃って知らせたそう。


 撃剣部も、今日は活動を休止している。


 することが無くなった卜部峰子(うらべみねこ)は下校し、その帰りに駄菓子屋に寄った。ラムネを一本買い、ビー玉を外して、しゅわしゅわと漏れ出さないうちに口をつけて飲む。


 三分の一ほど飲んでから、ベンチに座る。ちょうど店先の(ひさし)が陽光を遮る位置だった。おかげで日陰に入れた。まだまだ残暑が厳しい。


 夏用セーラー服のスカートを整え、額に浮かんだ汗を腕で拭う。……心なしか、少し日に焼けているような気がする。


 ふぅ、と一息つける。体の力が一気に抜けた。


(今日の学校が半ドンで、本当に良かったわ……)


 覚悟はしていたが、学校での撃剣部優勝の興奮ぶりは、天覧比剣出場の切符を手に入れた時とは比べものにならないものだった。


 優勝である。参加することに意義がある大会で、優勝したのだ。校長でさえあの感涙だったのだから、生徒らに関しては何をか言わんやである。


 鬱陶しいといくら追い払ってもキリが無い。こんな状況では昼食もおちおち食べられない。


 いずれほとぼりが冷めることだろうが、それまでは面倒で仕方がない。


「ふぅぅっ……」


 再度、ため息が漏れる。一回目よりも大きな。


 ——終わったんだ。


 自分と、その仲間達のひと夏が。


 天覧比剣という、帝国剣士としての晴れ舞台を目指して邁進(まいしん)した、長いような短い日々が。


 優勝という、最たる有終の美を飾って。


 最初は優勝どころか、天覧比剣に参加さえできればいいとしか思っていなかったのに。


 峰子とて剣を学び、磨くことを好む剣士だ。その修練が優勝という形で実を結んだことは、とても喜ばしい。


 だが、今の峰子には勝利の高揚感よりも……虚脱感のようなものの方が強かった。

 

 コレは、なんなのだろうか。


(きっと——終わってしまった(・・・・・・・・)から(・・))


 部長と、光一郎と、他の部員のみんなと、天覧比剣を目指していた日々が。


 苦しくも、今にして思えばそれを遥かに超えるほどに楽しかった日々が。


 優勝という結果を生み出した、尊き数ヶ月の「過程」が。


 何より。




 ——自分の恋が、終わってしまったから。




「……え、なに、これ」


 目から頬へ、何かが流れ伝う。


 目からは汗も鼻水も出ない。出るのは涙だけだ。


 どうして、涙。


 どうして、自分は、泣いて——


「——あ、卜部さんじゃん」


 そこで、知っている声が耳に入り、そしてその人物(・・・・)に見られまいと腕で涙をひと拭いした。


 振り向くと、やはりそこには思った通りの人物がいた。 


 ふんわりしたショートな金髪。青い瞳。気丈さと愛嬌の同居した顔立ち。人種に由来した白さを持った肌。


「よぉ」


 エカテリーナは軽く気さくに挨拶をすると、自販機でコーラを一本買い、峰子の隣にどっかり座り込んだ。額の汗を軽く拭い、コーラ缶を煽る。


「……何の用?」


「あんたと多分おんなじー。休憩ー」


 つっけんどんな峰子の対応に、エカテリーナは軽い口調で答える。


「いやー、大変ねぇ、あんたもコウも。これからしばらく落ち着いてメシも食えないわよ」


「別に……しばらくは続くでしょうけど、どうせしばらく(・・・・)したらあっさり冷めるわよ」


「なんならその「しばらく」の間、あたしと昼飯食う? あたし嫌われてるから、野次馬も寄り付かなくなるわよ」


「……それを、自分で言う?」


「あはは」


 エカテリーナは軽く一笑し、コーラを煽る。 


 それから、沈黙が訪れる。


 峰子は今は話したい気分ではなく、エカテリーナも何も言おうとしないからだ。


 ミンミンゼミの合唱ばかりが聞こえる。


 その時、一匹の大きなオニヤンマが女子二人の間に止まり、そしてまた飛び去っていった。


 トンボ。光一郎と同じ名前を持った虫。


 その虫の飛翔を名残惜しそうに見つめながら、エカテリーナは静かに言った。


「あんたさ——コウに告った(・・・・・・)でしょ(・・・)?」


 峰子は驚き、勢いよく振り向いた。


「……光一郎から、聞いたの?」


「まさか。あいつはそういうの言いふらす奴じゃないわよ。勘よ、女の勘。——同じ男を好きになっちゃった女としての、ね」


 その発言に、峰子はかすかな嫉妬を覚えた。光一郎がそういう口の軽い男ではないと、それをさらって言えるほどのエカテリーナの光一郎への理解度に妬けてしまったのだ。流石は、光一郎との付き合いが長いだけのことはある。


 ……そして、そんなエカテリーナでさえも。


「あたしね……卜部さんの事、尊敬してる」


「え……?」


「あんたもさ、聞いてるでしょ? コウが(ほたる)さんを好きだって事と、その螢さんのために剣を始めたって事。……それを知った上で、叶わないと分かった上で、あんたはそれでもコウに好きって言ったもの」


「……それは」


 確かに自分は光一郎に想いを告げたが、それは想いを成就させるためではなく、単なる自己満足というのが大きい。


 そんな峰子の気持ちを読んだように、エカテリーナは寂しそうに微笑んでかぶりを振った。


「どんな理由であれ……あたしには、そんなことは出来ない。そんな勇気が無い。あいつと今まで通りの関係でいられなくなる可能性があるって思っただけで、ずるずると現状維持にしがみついちゃう」


「貴女……」


「だからね……卜部さんはすごいの。めちゃくちゃ良い女。尊敬する。あたしが男だったら、今すぐ傷心の弱みにつけこんで口説いてるくらいに」


「…………なによ、それ。いみ、わからない……」


 弱々しい悪態をつく口に、一滴、また一滴と、目からの雫が伝う。しょっぱい。


 再び心が緩んだことで、その緩みから気持ちが溢れ出したのだ。それが涙として現出したのだ。


 よりにもよって、嫌いなロシア人であるこいつの前で。


 しかし、同じ想い(・・・・)を共有する、彼女の前で。


 エカテリーナはそんな峰子の肩に手を回し、優しく抱き寄せてきた。


 彼女の方が頭ひとつ分くらい背丈があるので、包み込まれる形となった。


「なによ……はなしてよぉ…………ほっといてよぉっ……」


 涙声でそう言いながら、しかし峰子はその抱擁をいっさい振り解かなかった。


 峰子の髪を、エカテリーナの白い手がさらさらと撫でる。


 異人の血ゆえか女子にしては背丈の大きなエカテリーナだが、実際触れ合ってみると思いのほかゴツゴツしておらず、柔らかな感触だった。彼女の首筋は間近から見るとやはり白く、夏の気候でほのかにピンク色に上気しているのが見えた。


 自分でも驚くくらい落ち着きながら、エカテリーナに身を預けていた。


 しばらくそうしていると。


「ね、卜部さん。これからあんたのこと……峰子って呼んでいい?」


 そんなことを訊いてきた。


 正直、今の自分にとって、その問いはとても些事に思えた。峰子はほとんど惰性(だせい)で答える。


「……好きにすれば」


「おしっ。んじゃ峰子、あたしのことも遠慮なく「カチューシャ」って呼んでいいわよ」


「……エカっぺ、じゃなくて?」


「あ、それダメ。ニェット。そう呼んでいいのはコウだけだもーんっ」


「こいつ……」


「ふふんっ」


 ここぞとばかりに特権性をアピールしてくるエカテリーナに、若干イラッとした。胸でも(つね)ってやろうか。自分より少し大きいのがなんかムカつくし。


「この呼び方だってね、随分特別なのよ。パパとママしか使ってないんだから。峰子が三人目になるの」


 もう峰子とか呼び始めてるし。


 なんだか一方的に攻められている気がして面白くないので、峰子も言ってやった。苦味を吐き出すように。


「はいはい、カチューシャ(・・・・・・)


「あー。なんか呼び方が雑ぅ」


「気のせいでしょ、カチューシャ(・・・・・・)


「このやろー」


「なによ」


 二人は間近でじっと睨み合う。


 息がかかるほど近く。互いの目に互いの顔が鮮明に映る。


 相手の目を通して自分の顔を見た二人は、なんだか可笑しくなって、揃って吹き出した。


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