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帝都初恋剣戟譚  作者: 新免ムニムニ斎筆達
帝都初恋剣戟譚 呪剣編
198/237

紫雲

 地下を出ると、空気に湿っぽい熱が宿った。


 雨は上がっており、割れた雲の隙間から夕空が覗いていた。


 薄暗い通りから出て、道玄坂(どうげんざか)を降り、駅前まで訪れると、林立するビルの向こう側で、赤紫色に染まった雲の群れがあった。


 紫雲(しうん)——それは、吉祥(きっしょう)をあらわす雲であると同時に、念仏を唱えて臨終(りんじゅう)する僧を迎えるために仏が乗ってやってくる雲でもある。


 僕はその紫雲から目をそらし、電車に乗る。


 ——確かに、村正(むらまさ)は、死んだ。


 それによって『呪剣(じゅけん)』の呪いは消えると、村正は言っていた。

 だけど、もしも、そうはならなかったら?

 至剣は謎が多い。使い手ですら、その至剣を用いる時の体の動き方などを説明できない。

 もしも、村正の言っていた「自分が死ねば呪いが解ける」というのが、本人の勘違いや単なる予想だとしたら?

 そもそも、その言葉自体が、僕を欺くための嘘であったら?


 渋谷から九段下まで、電車ではそう遠くない。しかし九段下まで着くまで、僕はずいぶん時間が経ったような感覚だった。……螢さんの病室へ到着するのを、僕が拒んでいるからか。そこへ行けば、否が応でも現実を突きつけられてしまうだろうから。


 しかし、僕は螢さんと同門だ。今日逃げたって、彼女の安否に関しては遅かれ早かれ嫌でも耳に入ってくる。今逃げることに意味は無い。


 僕は九段下の駅を降りるや、螢さんの入院している病院へ向かう。道のりは頭に入っている。


 自動ドアをくぐり、病院のロビーへ訪れた。あの異様に清潔な匂いが空気に宿る。


 壁にある時計を見ると、午後六時を過ぎたばかりだった。それでも空がまだ夕方なのは、真夏であるため陽が長いからだろう。


 見ると、僕が三時まで座っていた場所には、置き忘れた竹刀と面と小手がまだ残っていた。それらを刀袋と一緒に右脇に抱えて回収してから、僕は螢さんのいる入院棟三階へ向かった。


 そしてとうとう——螢さんの個室の引き戸までたどり着いてしまった。


 「面会謝絶」という札は、まだ外されていない。その事に一抹の不安を覚える。


 それでも勇気を出して、防具と竹刀と刀袋を抱えていない左手で、引き戸を開けた。


 そこには、






 病室のベッドに座って窓ガラスの外を見つめる、螢さんの姿があった。






「ほ、たる、さん」


 震えた声は、僕のものだ。


 螢さんはこちらを見ず、ただ窓の向こうに広がる紫色の雲を見つめながら、


「——見て、コウ君。綺麗な紫雲」


 いつもの、あの、銀の鈴が鳴るみたいな声を、聞かせてくれた。


 ゆっくりと振り返り、あのいつもの美しい無表情を、見せてくれた。


 真っ黒で澄んだ瞳が、ぱちぱちと瞬きする。


「……コウ君、どうしたの?」


 その瞳には、今にも泣きそうな僕の顔が映っていた。


「よ、よかった…………螢さんっ…………よかったよぉぉぉ……!!」


 ていうか、泣いた。


 みっともなく、泣いた。


 今まで堪えていたモノが溢れ出したように、泣いた。


 あまりの安堵感で全身から力が抜けた。床に両膝がガクッと落ち、抱えていた防具や竹刀、刀袋が床に散らばる。


 螢さんがベッドから降り、素足で音も無く僕へ近寄る。


 膝をついて子供みたいに泣く僕の前で正座し、吸い込むような自然さで僕の頭を胸の中に抱き寄せた。


 ミルクみたいな螢さんの体臭に包まれ、全身がさらに緩む。僕の一番好きな匂い。


「心配かけて、ごめんなさい」


「ううんっ……!」


「わたしは、もう、大丈夫だから」


「うんっ……!」


 いつもの丁寧な態度と言葉遣いを忘れて、幼児的な返事をしてしまう僕。


 いい匂い。柔らかい。そして……あったかい。心臓の音が聞こえる。


 螢さんは、ちゃんと生きてる。


 それをもっと感じたくて、僕は螢さんの背中に両腕を回す。


 螢さんは、それをいっさい拒まなかった。


 ひとしきり、そうやって抱き合っていると、


「——コウ君、なんでしょ?」


 そんな事を言われて、思わず身を一瞬震わせる。


 はっきりしない訊き方だが、螢さんがいったい何を尋ねたのか、僕には分かった。


「……何の話、ですか」


 だけど、僕は分かって(・・・・)いないフリ(・・・・・)をした。


「わたしは、『呪剣』に呪われた。……その呪いを解いてくれたのは、コウ君、なんでしょ?」


「……違い、ます」


 嘘をつく。


 だって、それを認めてしまったら、螢さんは自分の回復を喜ばないかもしれないから。……自分の不始末のために、弟弟子の剣を穢してしまったと。


 あるいは、それをした僕を、軽蔑するかもしれない。


 だから「理由は分からないけど回復した」といういい加減な結末として、螢さんの中では終わらせて欲しかった。


「コウ君の、その格好は何? それとその左手の傷はどうしたの? その袋に入っているのは、刀でしょ? あと……(はかま)(すそ)に、血の跡がある」


 だけど、それはやはり無理だったようだ。この人を、誤魔化せるわけがないのだ。


「——わたし、()を見たの」


「え……?」


「存在そのものを吸い込まれそうな、深い闇。

 その中で、わたしは一人ぼっちだった。

 その暗闇から出ようとどれだけ歩いても……抜け出せないの。

 出口も、果ても無い、深い深い闇の中」


 僕の背中に回された腕の力が、強まった。


「だけど、そこに一匹の……金色に光る蜻蛉(トンボ)が、現れたの。

 その蜻蛉は、黙ってわたしを案内してくれた。こっちだよ、って……コウ君と同じ声で。

 わたしはそれについて歩いて……しばらくしたら、光の差す場所が見えたの。

 蜻蛉はそこに向かっていって、わたしも同じようにそこへ向かっていったら——この、病室だったの」


「螢、さん……」


 僕の髪を、さらりと撫でる螢さんの手。


「話して、コウ君」


 静かな、しかし決然とした響きを持った声だった。


「何を聞いても、わたしは絶対に軽蔑なんてしない。あなたが、その剣をどのように穢したのかを、わたしに全て教えて欲しいの。……その穢れを、わたしも共有したいから」


 僕は、返事をしなかった。


「…………鴨井村正(かもいむらまさ)は……死にました。僕の、目の前で。だけど……それは、僕が殺したわけじゃ、ありません。……自分で、自分を刺したんです」


 代わりに、すぐに全てを語り始めた。


 僕の剣が積み重ねた、修羅と、穢れを。


 ——螢さんは、それをただただ黙って聞いてくれた。


今回の連投はここまで!


次にエピローグを投稿して、この「呪剣編」を完結といたします!

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― 新着の感想 ―
村正はコウ君が倒したからこそ少しはマシな死に方ができたとも思うよ。
村正が自害するまで追い込んだのはコウなわけだからコウが殺したとも言えるわけで、捉え方次第だな。 剣が穢れたとはいうけれど、そもそも剣は元来戦うための道具に過ぎない訳で、これもまた捉え方次第な気がするな…
いつか蜻蛉を切る日が来るのか
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