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帝都初恋剣戟譚  作者: 新免ムニムニ斎筆達
帝都初恋剣戟譚 呪剣編
196/237

「村正」


 役場での出生登録において、受理を拒否される名前というものがある。


 それは主に二種類。


 一つは、(みかど)と同じ名前。畏れ多くて臣民には付けられない。

 もう一つは、人名として不適切な名前だ。


 基本的に、役場が立ち会うのは後者だ。

 漢字と読み仮名の齟齬(そご)が激しい名前。

 不適切な意味を持った漢字や語句の入った名前。

 そもそも日本語表記ではない名前。

 そして……世間的な悪印象(・・・・・・・)が強い名前。


 ——「村正(むらまさ)」という名前は、市役所が拒否をするほどではなかったものの、窓口対応での役人の表情がかすかに難色を示す程度の名前ではあった。


 その理由は、無論「妖刀村正伝説」にある。


 「村正」は、徳川将軍家の不幸に幾度となく居合わせた刀だ。……まるで「村正」が、その不幸を呼び寄せたかのように。

 それを元にしたのか、江戸時代の大衆芸能であった歌舞伎では、「村正」はしばしば登場人物の凶行の道具とされた。それによって「村正妖刀伝説」は大衆へ膾炙(かいしゃ)した。

 その俗説は「徳川家は村正を忌み嫌っている」という新たな俗説を呼び、文化六年(1809)から編纂された江戸時代の正史書「徳川実紀(とくがわじっき)」にその俗説を書かせてしまった。……実際には、家康の遺産である「駿府御分物(すんぷおわけもの)」の中に「村正」があり、それは尾張徳川家に引き継がれて折られず保管されていた。

 打倒徳川を目指した西郷隆盛(さいごうたかもり)も、「徳川を祟る妖刀」であるがゆえに「村正」を愛蔵していた。


 ——つまるところ「妖刀村正伝説」とは、単なる「風評被害」である。


 今は江戸時代ではない。科学と状況証拠が全てを決める現代だ。


 それでも、一度膾炙した俗説というものは、いい加減なモノほどなかなか消えずに残りやすい。


 ゆえに「妖刀村正伝説」は、今も(ちまた)においては忘れられることなく生き続けている。


 ——父である鴨井(かもい)秀吾(しゅうご)は、そんな「村正」という刀を祖父から受け継ぎ、そして深く愛していた。


 それと同じくらい、「村正」のいい加減な風評に憤りを抱いていた。


 そんな気持ちが……自分の息子に「村正」の名前を与えさせた。


 「村正」という名前に付いた印象が、負ではなく正に変わるくらい、大きく立派な人間になれと。


 実業家でもあった父らしい、良く言えば前向きで、悪く言えば配慮に欠けた命名由来だった。


 それでも、家族の仲は非常に良好だった。

 父も、母も、自分のことを愛してくれていたのがよく分かった。 

 周囲より裕福な家であったこともあり、満ち足りた、幸福な日々を送っていた。


 ——父の営んでいた会社が、潰れるまでは。


 さらに父はほどなくして事故死。


 それで得た保険金によって借金は返せたが、しかし残された母子は貧しい暮らしを強いられた。


 母はいつも酒に酔っていた。狭い住まいには常に酒気が充満していた。


 酔いのまま村正を叩いたり、煙草の火を押し付けたりした。


 そんな母がある日、父の残した「村正」を売りに出すと言い出した。


 家には金が無いのだから仕方ないと。


 こんなモノがあるから家は不幸なのだと。


 父が嫌っていた俗説のようなことを言い、もはや形見となってしまった「村正」を売りに出そうとする母を、必死に止めた。だが、


『——口答えしないでよ、この穀潰し!! あんたも「村正」と一緒に売り飛ばすわよ!?』


 サルのような金切り声を上げて、村正の細い首を思いっきり絞めた。


 途中で己の凶行を自覚した母によって中断されたため、一命は取りとめた。……だが、「一命を取りとめた」という表現自体が、すでに親子間のやり取りにおいては異常である。


 村正もまた、己の気道が押しつぶされる感覚とともに——親子の絆が壊れる音を幻聴した。


 たった、たった金が無くなった程度で、家族というのはこうも壊れてしまう。


 父は妻子を置いてこの世から逃げ、母親は息子に牙を剥く。父が遺した形見すらも、容易く売りに出そうとする。


 一番強い絆とされる家族でさえコレ(・・)なのだ。


 人間同士の信頼や絆というものの、なんと脆く、儚いものなのだろう。


 ——人間の絆など、信用できない。


 だから村正は、剣という無機物にしがみついた。


 家が没落してから道場へは通わなくなったが、それでも至剣流は学校でも習える。必修科目の剣術授業に、誰よりも熱心に取り組んだ。教練のために学校へ来ていた目録持ちの師範をたびたび捕まえ、剣を教わった。

 剣術関係以外で、人と関わるのをやめた。

 遊びに誘う同級生も、自分を好く女子生徒も全て無視し、剣のみに没頭した。

 中学を卒業したらすぐに家を出て、働いて道場へ行く金を稼ぎながら剣を磨いた。


 剣というのは植物と同じだ。適切なやり方で育てれば、その分だけ必ず成長してくれる。少しのきっかけで信頼関係が崩壊してしまう人間なんかより、ずっと素晴らしい。


 それから少しして、母が急性アルコール中毒で他界したと耳に入ったが、心底どうでもよかった。すでに村正にとって母は、自分を(はら)からひり出した雌というだけでしかなかった。


 そんな些事など捨て置き、剣を追求し続けた。


 そうして苦練に苦練を重ねた末に——村正は至剣を得たのだ。


 至剣流の本場である日本ですら非常に数の少ない至剣体得者の一人に、自分も名を連ねたのだ。


 全てを剣の供物として、ようやっと至剣という徒花は咲いたのだ。


 ——そんな、至剣なのに。






「どいつもこいつも、俺を愚弄しおって!!」


 胸中が焼け焦げるような激情のまま、村正は剣を振るう。


 目の前にいる、至剣使いの糞餓鬼へ。


嘉戸(かど)宗家の糞どもも!! 望月(もちづき)(ほたる)も!! そして貴様もぉっ!! 俺の剣を!! よってたかって否定しやがるかぁっ!!」


 手加減を一切せずに、振るう。


 腹の傷に障る「高級剣技」まで惜しみなく使い、光一郎(こういちろう)を押し潰そうとする。


「全てを剣に捧げてもいない出し渋り共が!! 剣のために捨てて然るべき絆や関係性にしがみつく脆弱な連中が!! 俺と同じように至剣を次々と開眼させ!! あまつさえ俺の至剣を外道(げどう)と見下すかぁ!!」


 だが、光一郎は潰れない。


 己にしか見えぬ力ある幻(・・・・)を追いかけ、そのままに剣を振う。


 それだけで、村正の発する太刀が、ことごとく虚無と化す。


 まるで、決して壊せない、水や空気を相手にしているようだ。


「殺してやる!! 貴様も!! 望月螢も!! 俺の剣でまとめて殺してやる!! 貴様らが俺の剣を否定するように、俺も貴様らの剣を否定してくれるっ!! 死ねぇ————!!」


 それでも、村正は剣を発し続ける。


 あらゆる方向から、あらゆる太刀筋を、緩急を巧妙につけて。


 開きかけている腹の傷の痛みにも鈍くなるほどに、攻めに没頭する。


 けれど、やはり、その刃が届かない。


 おまけに、光一郎はすでに『呪剣(じゅけん)』の呪いを受けている。ゆえに「かすり傷でも受けたら終わり」という優位点はもう村正には無い。それも村正の劣勢(・・)の一因となっていた。


「っ……!?」


 光一郎の刃がこちらの体を掠めることが、多くなっていた。


 剣を交える時間が積み重なるほど、その頻度は増す。


「——おのれぇぇぇっ!!」


 村正は焦燥と憤怒のまま、剣撃を連発させた。一太刀一太刀が稲光のごとき疾さを誇るその凄まじい打ち込みは『霹靂神(はたたがみ)』という高級剣技であった。


 絶え間ない雷火を剣で表現したかのようなその連撃で押し潰そうとしたが、その一太刀目を受けた途端に光一郎の小さな体は紙風船のごとく軽々と弾かれて後退。うまくバランスを取っているところから、意図的に弾かれたのだということがよく分かる。


 だが、弾かれている最中は慣性に体を引かれているせいで自由には動けまい——その動きへの対策を事前に用意していた村正は、前へ向かって巨大なアーチ状の太刀筋を描いた。『迦楼羅(かるら)(けん)』。仏典の神鳥が蛇を踏み殺すがごとき激甚(げきじん)な縦斬りが、今なお慣性に流されている光一郎へ容赦無く急迫する。


 村正の縦一閃は、しかし光一郎の切っ尖に触れるや——勝手に右へ流れた。光一郎の左肩をスレスレで通過し、空を斬った。


(これは『浮船(うきぶね)』……!?)


 至剣流の型の一つ。日本刀の特徴の一つである切っ尖のふくら(・・・)の丸みを使って、敵の太刀を受け流すと同時にそのまま突く。至剣流の中で最も実用難易度が高いといわれる剣技を、こんな土壇場で。


 これでもし光一郎が立ち止まっていれば、向かっていった村正の体に剣が突き刺さっていただろう。しかし光一郎はまだ慣性で後ろへ流さ続けていたため、そうはならずに済んだ。


 光一郎が安定を取り戻す。


 だがその時には、中段に構えられた村正の剣尖が、大きく両腕を伸ばして突き放たれていた。

 

 すでに剣尖はすぐそこ。受け流しも間に合わない。


 それに対し、光一郎は——剣尖を刺突に対して向けた。


 がぃんっ!! という甲高い金属音とともに、村正の剣尖に硬い感触。


「な——」


 それは、村正の剣尖が、光一郎の刀の(つば)挟まる(・・・)音だった。


 蜻蛉(トンボ)の意匠が細工されたその鍔は、透かし鍔である。その意匠の隙間に、村正の剣尖を差し入れたのだ。……見方を変えれば、村正の刀を掴んだ(・・・)状態。


 その状態のまま——光一郎は己の剣を思いっきり(ひね)った。


「ぬぉっ——!?」


 途端、その捻りの力に踊らされる形で、上半身が勢いよく左へ傾き、バランスを崩した。


 床には瓶の破片が散らばっている、ここで倒れたら危険だ——村正は刀から左手を離して、体のバランスを取ろうとする。バランスを取れなかったとしても、左手だけを床についてそれをバネにして体勢を取り直せばいい。


 どうにかバランスを取り、倒れずには済んだ。


 しかしそれと同時に——左手首から、あるはずのモノが無くなる感覚。


 左手を見ずとも、その理由はすぐに分かった。




 ——赤い軌跡を描きながら目の前の虚空を回る、己の左手(・・・・)を見たから。

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左手を落としたのは、いまの光一郎じゃ段を踏まないといけなかったからか、ただただ合理的だったからか
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