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帝都初恋剣戟譚  作者: 新免ムニムニ斎筆達
帝都初恋剣戟譚 呪剣編
194/237

灯火

 村正(むらまさ)の剣で斬られた。


 これは、『呪剣(じゅけん)』で斬られたことを意味する。


 『呪剣』で斬られたということは、その呪いを受けたということを意味する。


 ——どくん


 僕の心の中に、突如として、その「黒いモノ」は生まれた。


 視覚的な姿があるわけではない。「黒い」とは、あくまで感覚だ。


 太陽が沈んで押し寄せる暗闇のように。


 あらゆる色を塗りつぶす墨のように。


 僕の心に広がっていき、全てを覆い尽くそうとしていく「黒いモノ」。


 先ほど、村正は「己の剣で死ね」と僕に告げた。


 その言葉の意味するところは、すなわち。




 ——何、間抜けに頑張っちゃってるんだよ。らしくない。




 そんな声が、「黒いモノ」の奥底から聞こえてきた。


 紛れもなく、僕の声だった。


 ——これで村正をやっつけて、(ほたる)さんが元に戻ったところでどうなる? 


 僕のモノではない、しかし僕の声。


 ——また元通り(・・・)になるだけだ。


 ——圧倒的な螢さんを追いかけるだけの、惨めで、無力感に苛まれる日々に、戻るだけだ。


 僕自身、これまで聞いたことのないような、ひどく意地悪な響きを持った僕の声。


 ——だいいち、螢さんを助けたところで、螢さんが何をして(・・・・)くれるんだ(・・・・・)


 ——命を賭けて助けてあげた僕の想いに心を打たれて、僕に惚れてくれるのか?


 ——結婚してくれるのか? 身も心も僕に捧げてくれるのか?


 聞いていて嫌な気分になるその声に、僕は思わず耳を塞ぐ。


 ——そんなわけがないだろう? 夢を見るなよ。


 だけど、聞こえてくる。


 だってこれは、音ではなく、心の中からの訴えなのだから。


(ミーチャは、コレ(・・)を味わっていたのか……)


 僕は今になって初めて、彼の苦しみを理解できた。

 耳を塞いでも、聞こえてくる。

 嫌な事を、次々とささやきかけてくる。

 

 ——螢さんは何一つ僕には与えない。

 ——身も心もどころか、キスの一つだってしてくれやしない。

 ——いつもみたいに無表情の「ありがとう」で済ませるだけだ。

 ——そんなもののために命を賭けるとか、馬鹿じゃないの?


 うるさい。

 僕は、螢さんに生きていて欲しいから、戦うんだ。

 それが叶うことが、僕にとって何よりの見返りなんだ。


 ——本当に(・・・)


 まるで見透かしたような口調で、「黒いモノ」は言う。やはり僕と同じ声で。


「どういう……意味だよ」


 思わず、口から心の呟きが漏れ出てしまう。


 ——螢さんが生き続けることは、僕にとって、デメリットしか無いんじゃないのか?


 そんなわけない。


 好きな人に生きていてもらいたいと思うのは、当たり前のことだ。


 ——好きな人だからこそ(・・・・・)、だろ。


 え……?


 ——螢さんと一緒になるには、螢さんに剣で勝つしかない。

 ——だけど僕の剣は、まだまだ螢さんには及ばない。

 ——『蜻蛉剣(せいれいけん)』っていう至剣が僕の中にはあるけど、それを完全にモノにできるのは一体いつだ?

 ——それまでの間、螢さんは待っていてくれるのか?


 待っていて……くれるはずだ。


 ——どうしてそう思う?


 だって……螢さんは、最強から。


 誰にも、負けないくらい、強いから。


 ——じゃあ何で今(・・・・・・)病院のベッドで(・・・・・・・)寝てるんだよ(・・・・・・)


 あざけるようなその言葉を聞いた瞬間、僕は急所を突かれた気分になった。


 ——村正も大怪我をしたみたいだけど、螢さんだってあいつの至剣に倒れたんだ。

 ——これはつまり、螢さんはあいつに負けたんだよ。

 ——これで最強? 笑わせないでよ。

 ——村正が螢さんに惚れてたら、螢さんは今頃あいつの腕の中だぞ。


「うるさいっ!!」


 聞くに堪えない言葉に、僕は悲鳴のように叫ぶ。


 ——ね? 

 ——待っててくれる保証なんか、どこにも無いだろ?

 ——僕がちんたらちんたら稽古しているうちに、螢さんを倒す剣士が現れるかもしれない。

 ——その人が、螢さんに言い寄って、受け入れられたらどうする?

 ——もしそうなったら、僕は堪えられるのか?

 

「それ……は……」


 ——堪えられないだろう?

 ——考えただけで、死にたくなるだろう?

 ——それは、今まで剣に費やしてきた時間が、全て無駄に終わることを意味するんだから。

 ——おまけに、螢さんとは兄弟弟子という、中途半端に親しい仲になってしまった。

 ——螢さんの「お相手」との進展(・・)も、僕の耳に嫌でも届くはずだ。

 ——キスしました、デートしました、祝言を挙げました、赤ちゃんが産まれました、もう一人妊娠しました……そんな進展を聞かされ続けるんだ。


「やめろぉっ!! これ以上聞かせるなっ!!」


 もう嫌だ! ききたくない! 早く僕の中からいなくなってくれ!


 ——だけど僕は、(お前)を救う方法を知っている。


 だけど、「黒いモノ」はいなくなるどころか、どんどん、どんどん、大きくなっていく。


 ——簡単なことだ。今、手元にある刀を使えば、今すぐにでも出来る。

 

 僕の心を、飲み込もうとする。






 ————今ここで(・・・・)自刃しろ(・・・・)






 僕の刀が、動く。


 ——僕がここで死ねば、螢さんが助かる術は無くなる。

 ——螢さんは死ぬ。

 ——だけど、誰のモノにも(・・・・・・)ならずに済む(・・・・・・)

 ——誰かにかっさらわれるのを見て、惨めな思いをしなくて良くなる。

 ——むしろ、あの世で一緒になれる。独り占めできる。だってあの世には、螢さんの恐れる「喪失」は無いのだから。

 ——どうだ? 一石二鳥な方法だとは思わないか?

 ——さぁ、自刃しろ。

 ——自刃しろ。

 ——自刃しろ。

 ——自刃しろ。

 ——自刃しろ。

 ——自刃しろ。

 ——自刃しろ。


 僕の心が、真っ暗になった。


 完全に僕の心を埋め尽くした「黒いモノ」の命じるがまま、ゆっくりと、刃を首へ近づけていく。


 刃が、首の皮に食い込んだ。その食い込んだ場所から、何かが一滴流れるのを感じる。血だ。


 あとは、刀を持ったこの両手を、前へ思いっきり引けばいい。


 そうすれば、僕の首など簡単に斬り裂ける。


 僕は死んで救われる。


 螢さんも誰にも奪われずに済む。


 僕が、両手を一気に前へ引こうとした、その時。







 ——「金の蜻蛉(トンボ)」が、僕の目の前に現れた。






 まるで、暗闇に光る、唯一の灯火のように。


 「金の蜻蛉」は、僕の目前を、一定の高さと位置で滞空していた。


(一瞬だけじゃない……ずっと、その場にとど(・・・・・・)まっている(・・・・・)……)


 つまり、一瞬だけ姿を見せる『劣化・蜻蛉剣』ではないということ。


 「金の蜻蛉」が翔ぶその位置は、僕の剣が届く位置だった。


 ——まるで「お前が剣を向ける場所はそこではない」と、僕に告げているように。


(…………無理だよ。『蜻蛉剣()』がこうやって現れてるのだって、きっと前から時々見てきた一時の奇跡に過ぎないんだ。これが終わったら、また使えなくなる。君を本当に使いこなせるようになるまで、あと何年かかるか分からない。それまでに……螢さんが、僕を待っていてくれる保証は無い。ここで剣を取ることに、いったい何の意味があるっていうんだ)


 「金の蜻蛉」は、何も言わない。


 ただ、そこで、羽を震わせて浮遊し続けているだけ。


 しかし、それゆえに(・・・・・)、雄弁に語っていた。


 考えるな、と。


 剣を取れ、と。


 剣尖を自分に合わせろ、と。


 後のことはそれからでいい、と。


 ……僕が生み出した至剣らしい、単純明快な、無言の答えだった。


 僕の刃が、震えながら、首筋から離れ始める。


 ——何をちんたらしている! 早く自刃しろ!


 だが、それを「黒いモノ」が止める。


 ——夢見るなって言ったはずだぞ! 

 ——どうせ勝ったって、螢さんは何もしてくれない!

 ——結婚も交際もしてくれない! キスだってしてくれない!

 ——安っぽい「ありがとう」の一言で済ませるだけだ!

 ——それが奴隷といったい何が違う!?

 ——僕は奴隷になりたいんじゃない! 恋人になりたいんだ! その先(・・・)にだって行きたい!


 ……確かに、その通りだね。


 ——だろう!?

 ——だったら今! 早く死んでしまえ!

 ——螢さんを道連れにしろ!

 ——誰にも渡すな! 独占しろ!


 ……だけど、お前は、間違ってるよ。


 ——何がだよ!? 僕は(お前)だ! 

 ——(お前)が思っていることと、僕が思っていることは、一致しているはずだ!


 嘘だよ。


 だって、お前が言っているのは、恋情でも愛情でもない…………所有欲だからだ。


 ——同じだろ!?

 ——螢さんに勝って、螢さんを手にいれる!

 ——(お前)はそのために剣を取ったんだろ!?

 ——恋愛ってそういうものだろ!? 紙一重なんだよ、所有欲と!


 紙一重、か。確かにそうかもしれない。

 でも、紙一重の差はある(・・・・・・・・)

 決して同じじゃない。


 僕は、螢さんを遠巻きから見て、一方的に憧れていたわけじゃない。

 自分からあの人に近づいて、話しかけて、弟弟子になって、その後もよく一緒に過ごした。

 その過程で、螢さんの「違う顔」を知った。

 綺麗で強い、というだけじゃない。

 彼女の強さの源でもあり、そして弱さでもある、心の傷を。

 ときどき、その傷が原因で激情的になったり、怖くなったりするところ。

 螢さんという、一人の人間を知った。

 それをひっくるめて、僕は、望月螢を愛している。

 あの人の傷を、埋められるだけの人になりたい。



 

 だから、お前は僕じゃない(・・・・・・・・)


 僕の命どころか、螢さん自身の命まで「喪失」させようとしているお前なんかが——僕であるはずがない!!




 僕の剣が、再び動き始めた。


 ——やかましい!! とっとと死ね!! 

 ——自刃しろ!! 首を斬れ!!

 ——無駄な希望なんて持つな!!


 「黒いモノ」は依然、僕の声で絶望を煽り続ける。


 ——他人に期待なんかするな!!

 ——自分以外の他人は、みんなままならないんだ!!

 ——それに期待するだけ無駄だってことをいい加減理解しろ!!


 だけど、今度は何を言われても、止まらなかった。


 ——(お前)だって、見たくないだろ!? 

 ——自分以外の男にしなだれかかる螢さんなんか!!

 ——自分以外の男の子供を宿してお腹を大きくした螢さんなんか!!


 剣尖が、「金の蜻蛉」の滞空している位置を目指す。


 ——ここで死ねば、そんな嫌なモノを見なくて済むんだ!!

 ——死は(お前)にとっての救済なんだよ!!

 ——だから早く死んでしまえ!!

 ——自刃だ!!

 ——自刃しろ!!


 ゆっくりと、しかし確実に。

 

 ——自刃しろ!!

 ——自刃しろ!!

 ——自刃しろ!!

 ——自刃しろ!!


 松明に、火を灯そうとするように。






 灯った(・・・)






 僕の剣尖を、止まり木にした。


 心の中に渦巻く闇よりも強く輝く、「金の蜻蛉」が。


 この剣を「必勝」に導く、勝ち虫が。







 そして————秋津(トンボ)は勝利へ向けて飛翔した。


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