旭光の清刃
——エントランスフロアにおける太郎とトーシャの剣戟は、なおも続いていた。
「カァァ!!」
トーシャの剣が、己の周りに渦を巻くような軌道を激しく、しかし整然と刻んだ。至剣流の『旋風』である。
その剣を当てるべき太郎は、数メートルも先に立っている。ゆえにその剣は虚空を斬る。——だがその剣の軌道から飛び出た不可視の刃は、剣から遠く離れているはずの太郎へと迫り、その構える刃に衝突した。
防がれても関係ない。渦のような太刀筋を何度も己の周りに刻み、そこから不可視の刃を飛ばし続ける。何度も、何度も。
「遠距離攻撃」という剣術にあるまじきアドバンテージを遺憾無く発揮し、一方的な戦いに持ち込もうとする。……どれだけ上等な銃器で武装した相手でも、この至剣『延金』を使えば楽に皆殺しに出来た。
だが——目の前の子供は、そんなトーシャの『延金』に向かって、果敢に攻め込んでくる。
玉砕覚悟の蛮勇ではない。トーシャの放つ『延金』を、一つ残らず完封している。
トーシャは幾度も振る太刀筋全てに『延金』を使っているわけではない。
「飛ぶ斬撃」と「飛ばない斬撃」を、混在させている。
さらに、一つ一つの太刀筋の緩急や長短も違う。
どのタイミングで「飛ぶ斬撃」がやってくるのかが、非常に分かりにくくなっているはずだった。
にもかかわらず、ことごとく防がれる。
かすり傷一つ付けられない。
近づいてくる。
間合いへ入られる。
心中で舌打ちしながら、トーシャは斜め右へ後退しながら素早く剣を発した。防がれるが、止まる事なく回転しながら別の角度へ移動しまた斬りかかる。それを防がれてもまた違う角度から。……それを何度も繰り返す。まるで羽虫がまとわりつく様にも似たその活発かつ小刻みな太刀筋は、至剣流『聚蚊』のソレであった。
太郎はそれらを全て防ぎ、躱す。
防がれた瞬間、トーシャが刃の向きを急変させて首めがけて発した『浦波』の剣技も、また。
同じ空間で動いているはずなのに、違う世界を歩いているような。
ゆえにいくら剣を振るっても、その世界には決して届かないような。
そんな感覚だった。
素人ならば「逃げるのが上手い」で済ませるだろうが、皆伝者級の剣腕を誇るトーシャの感覚は、その状況を「異常」ととらえた。
——おそらく、これがこの子供の『至剣』。
どういったモノであるのかは分からないが、使一切の危害から使い手を逃す、そういう至剣だ。
『延金』だけでは、相性の悪い相手。
(仕方がねぇな。——アレを使うか)
トーシャは、出し惜しみをやめた。
(——何か、なさる気ですね)
太郎もまた、無根拠ながらその事に勘づく。
様子見をすべく、ちょうど近くにあった円柱の一つへ身を寄せる。太郎の華奢な体を隠してくれる程度には太い、コンクリートの円柱だった。剣を振ったとしても、その円柱へ身を隠すようにして移動すれば、円柱が障害になって守ってくれるはずだ。
「————カァァァ!!」
トーシャが獰猛な気合とともに、剣を振り上げて急迫した。
太郎は転がるようにして、その円柱の裏に素早く身を隠す。
(——え?)
だが、太郎にだけ視える『八咫烏』は、剣尖から太郎の後方へ飛行した。
今すぐ退がれ、と。
円柱に隠れれば一太刀は防げる——そんな固定観念が、『八咫烏』の後追いを一瞬遅らせた。
トーシャの振り放った刀身が、円柱の端から端まで駆け抜けた。
いかに世界最高峰の切れ味を誇る日本刀であっても、太いコンクリートの塊までは両断できない。
そんな物理法則を完全無視し、トーシャの刃はコンクリートの円柱を豆腐同然に斬ったのだ。
さらにその刀身は、円柱の直径よりも少し長かった。ゆえに円柱から余った切っ尖の範囲内にあった太郎の刀身も——同じく両断された。
「なんと……」
驚きながらも、後退を忘れない太郎。
その次の瞬間に、トーシャの刃がまたも円柱を別の高さで斬った。巨大な円柱の切れ端がゴドン、ズゥンッ、と重々しく滑り落ちた。斬り取られて遮蔽の無くなった円柱だったモノの向こうで、トーシャは一笑を見せた。
「——随分と可愛くなったじゃねぇか、お前の剣よ」
柄を握る太郎の両手に伝わる剣の重みは、随分と軽くなっていた。……刀身が、七割ほど欠損していた。その片割れが地面に横たわっている。
円柱と、そして斬られた刀身の断面は、驚くほどに綺麗だった。
巨大なコンクリートにも、矮小な鉄塊にも、等しく美しい斬れ味を発揮する、至高の一太刀。
——おそらく、『延金』とは別種の技だ。
「……そういう、ことですか」
であるなら、非常に信じ難いことだが、答えは一つしかない。
こんな事例は、聞いたことが無い。
しかし、そうでなければ他に考えられない。
「何を一人で納得してんだよ?」
トーシャが煽るように笑いながら問う。
太郎はそれをまっすぐに見据え、答えを出した。
「貴方は——至剣を二つ持っていますね」
トーシャが、これまでに無い驚愕を表情に浮かべた。
だが、すぐに余裕げな笑みがそれを上書きする。
「へぇ? どうしてそう思うよ?」
「今のが貴方の『延金』の一部であったとするならば、私がこれまで防ぎ続けていられたことの説明がつきません。そして、貴方は至剣流の皆伝者です。……一人で複数の至剣を発現させるなど、前例の無い話ではありますが」
「——Правильно!」
軽く拍手をするトーシャ。
「状況証拠を頼りつつも既成概念にとらわれない、見事な回答だ。……だが、俺が至剣を二つ持っている事が分かったところで、何になる? お前の剣はもうその有り様だ。そんな剣で俺の『延金』をどこまでしのげるかね?」
太郎は再度、残り三割になった己の刀身を一瞥した。……確かに、これほど短くなってしまっては、無傷で防ぎ続けるのは難しいかもしれない。
「それとも、銃でも隠し持ってたりするか? だとしてもそいつを抜いて撃つよりも、俺の『延金』がお前の喉笛を斬り裂く方がずっと速いぜ。俺は刀一本で、銃火器で武装した極道どもやマフィアどもを皆殺しにしたこともある」
普通に考えれば、絶望的な状況。
だが。
「私の『八咫烏』は、まだ翔ぶのを諦めてはおりません」
依然、短くなった剣の断面をその三本足で掴み、留まっている。
……呼吸を整える。
澄み切った思考の中で、太郎は考える。
(神武閣の時とは違い、みだりに使うべき場ではありませんが……仕方がありません)
太郎は、一歩前へ出て、進む意思を示した。
せせら笑うような口調でトーシャが言う。
「おいおい、まさかそんなチビた刀で俺と戦う気か?」
「戦うのではありません。——貴方を、止めます」
言うや、太郎は駆け出した。
「——Пока」
トーシャは別れを告げるように言うや、虚空に何度も太刀筋を描いた。そこから生じた『延金』が、太郎へ向かって渡り鳥の群れのように飛来。
『八咫烏』が飛翔する。太郎は断面と化した剣尖でそれを追いかけ、それによってエントランスホールを縦横無尽に駆け抜ける。『延金』が壁や床に次々と刀疵を生じさせる。
刀身が短くなったことで防御がしにくくなってしまったせいか、真っ直ぐ正面突破をするような動きではなく、円弧状に迂回するような形でトーシャへ少しずつ、しかし確実に接近していく。
ひどく迂遠な上に、不可視の『延金』が弾幕のごとく無数に迫る中を走らないといけない、綱渡りのような強行軍。
しかし、太郎は恐れない。走り続ける。
『八咫烏』の導く「王道」を。
己が、生涯をかけて歩くべき道を。
「何ぃっ……!?」
——やがて、トーシャの間合いへと、踏み込んだ。
無論、太郎の今の刀身はナイフのように短い。間合いに入っても、まだ刀身が届く距離ではない。物理的には。
その刀身の断面から——新しい刃が伸びた。
太郎にしか視えず、解らぬ、純白の両刃。
あらゆる穢れを、旭光のごとき白で両断する清刃。
高天原から神逐を受けた海の神が、出雲にて大蛇を屠り、罪という穢れを祓いし象徴たる剣の神威。
『霊剣・草薙』。
トーシャの迎え打つ太刀が来るよりも、太郎の白き両刃がすれ違いざまにその胴を抜く方が速かった。
背中を見せた太郎めがけて、トーシャが振り向きざまに一太刀を発しようとした。
「————な」
振り上げられた刀身が、虚空で止まった。
否、動いた。……トーシャの手元から床に滑り落ちるという形で。
トーシャもまた、がくんと両膝を落とした。
「何、だ……これ……? 力が、抜けていく…………?」
見た目からは、何の外傷も見受けられない。
しかしそれでも、トーシャの表情は、まるで今にも倒れ伏しそうなほどに虚ろだった。
今度は上半身が崩れる。両手を床にべたんと付け、四つん這いの状態となる。それらを支える手足も、今にも崩れてしまいそうだった。
——気力、そして戦意が、急速に溶けていく。その影響で、全身からも力が抜けていく。
トーシャはなけなしの戦意と気力を込めて、この現象の原因たる人物を睨め付ける。病人じみたかすれた声で、
「てめぇっ…………いったい、なに……しやがった…………!?」
「貴方の「戦意」を斬らせていただきました」
「ん、だとぉ……っ!?」
「しばしの間、眠っていただきます。貴方にはまだ、お伺いしなければならない事がありますゆえ」
「て……め…………え………………」
どさっ、という倒れる音が、太郎の背後から聞こえてきた。
白い両刃を引っ込め、地下二階へ続く下り階段へ目を向ける。
「——コウ様のところへ、向かわなければ」