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帝都初恋剣戟譚  作者: 新免ムニムニ斎筆達
帝都初恋剣戟譚 呪剣編
192/237

剣身一如

 若武者になりきった竹刀剣士。


 それが、鴨井村正(かもいむらまさ)が、秋津(あきつ)光一郎(こういちろう)という少年に抱いた第一印象だった。


 頭に締めた鉢巻(はちまき)、稽古着の袖をまとめるためにかけた(たすき)……そんな装いでここまで来たのは、おそらく、人を斬るという覚悟を自分に課すためだろう。


 だが、それはしょせん、形から入ったに過ぎない。


 いかに装いを引き締めようと、己の本質までは騙しきることはできない。


 その本質は、一朝(いっちょう)一夕(いっせき)で変わるものではない。日々の積み重ねで変わる。


 そしてあの少年の積み重ねは……己の本質を「竹刀剣士」という枠組みから逸脱させるものではなかった。村正の『綿中針(めんちゅうしん)』からの突きを(さば)いた後に放った面狙い(・・・)の一太刀が、それを雄弁に物語っていた。あそこで腕でも狙っていれば、また違ったかもしれないものを。


 竹刀を忌避してきた者と、竹刀で栄光を掴んだ者——この斬り合いは、その差が歴然と現れた戦いといえた。


 中学三年の撃剣授業を最後に、村正は一度も竹刀に触ってはいない。竹刀は嫌いだ。村正にとって竹刀は、剣術の本質を見失わせる玩具(おもちゃ)と言わざるを得なかった。


 反面、光一郎は竹刀剣士として天覧比剣まで勝ち上がった身だ。確かに輝かしい成績であろうが、しょせんは竹刀の世界での話。真剣を使って戦う思考は育っていない。


 どれほど格好を取り繕って自分を誤魔化しても、太刀筋や体捌きのところどころに硬さ(・・)がある。斬り斬られに対する抵抗感が強い証拠だ。


 途中から強い怒りで恐怖心が薄くなったが、怒りなどという御しがたい感情に身を任せている時点で、剣客としては三流だ。


 竹刀剣士の英雄が、格好だけで武者を気取っている。


 それが、村正が、光一郎という存在に対して出した結論だった。




 なら————()目の前にいる(・・・・・・)こいつは(・・・・)誰だ(・・)




 勢いよく飛んできた椅子を、村正は滑るように右へ移動して回避。


 それは、バーカウンターの椅子だった。その椅子を投げつけた張本人である光一郎は、カウンター上を転がって奥へ着地し、棚にズラリと陳列された酒のボトルを手に取るや投げつけてきた。


 勢いよく飛来してくるボトルを横に動いて避ける村正。


 しかし光一郎は二度、三度、四度と続けざまに投げつけてくる。ぱきゃんきゃん!! とボトルが割れる音が連鎖する。


「……ちっ」


 だが回避の途中で、右肩が円柱にぶつかる。


 その柱で、光一郎が投げつけたボトルが炸裂した。


 破片と酒から顔を守るべく、腕で顔を覆う村正。


 目は守れたが、腕を下ろしたその時、すでに光一郎が次に投げつけていた酒瓶が迫っていた。避けられない距離。


「ト!!」


 短く鋭い気合を伴い、切っ尖を矢のごとく前へ発した。長年の修行によって研ぎ澄まされた『石火(せっか)』の一太刀は、バカルディの瓶を空中で見事に両断。直撃は免れたが、中身の酒が必然的に村正へぶちまけられた。


 アルコールは飲料非飲料問わず目に悪い。しかし目を腕で覆うとそれを隙にまた投げつけてくる。なので村正は折り合いをつける形で左後方へ身を逃した。


 光一郎がカウンターから飛び出した。酒瓶を持った左腕を顔に巻き付けるようにして右耳元まで引き絞り、まっすぐこちらを見据えて突っ込んでくる。


 右手は後方。その手に握った刀を後ろに隠しているのだ。瓶を投げつけて牽制したところへ一太刀を浴びせてくる算段だろう。


 そして案の定、光一郎は酒瓶を投げつけてきた。


 村正は瞬時に踊るように身を捻りつつそこから逃れ、酒瓶を回避。そしてその動きは『颶風(ぐふう)』のソレだった。つまり、回避からすかさずの一太刀がある。


 振り向きざま、身の捻りに伴った円弧の太刀で迎え討とうとした瞬間——光一郎の口から濃密な霧が吹き出された。


「う……!?」


 目に染みるその霧の正体は、匂いで()と分かった。プロレスでは「毒霧」と呼ばれている技だ。……酒瓶を引き絞っていたのは、投げつけるためだけでなく、酒を含んでいた口元を隠すため。


 予期せぬ刺激で太刀筋がブレる。しかし斬られてはなるまいと構えだけはしっかりさせ、次に放たれた光一郎の一太刀をどうにか受け止めた。その一太刀の重みで足元がよろけるが、どうにか踏ん張る。……下には無数に散乱した酒瓶の破片。倒れたら大怪我だ。


 次々と放たれる光一郎の剣を、今なお残る目の刺激に耐えながら受けていく。


「っ……!」


 後退を続けるうちに、上り階段の一段目に踵がぶつかった。


 そこを狙って光一郎が大きく踏み込んで袈裟斬りを発する。


 村正は『颶風』の体捌きで素早くその場から逃れ、袈裟斬りをやり過ごすが、


「——ぐ!?」


 光一郎が左手で腰から抜いた鞘で、振り向かぬまま村正の脇腹を突いた。閉じた傷が軋むような激痛。


 思わず飛び退き、距離を取る村正。


 しかし光一郎は即座に鞘を左腰に差し戻しながら、迫ってくる。斬りかかる。


 まるで休ませない、考えさせないとばかりに。


(どういうことだ……!? いったいこの餓鬼に何が起こった……!? 動きや戦い方が、先ほどとは全然違うではないか……! まるで人間が変わったかのようだ……!!)


 村正は驚愕を隠せなかった。


 それほどまでに、今の光一郎の変化は、異常だった。


 動きや太刀筋から、硬さや無駄が嘘のように無くなった。柔らかく、軽く、速く、鋭く、重い。


 場当たり的な行動も非常に少なくなった。周囲のモノをただ手当たり次第に投げつけているわけではない。一つ一つの行動に意味がある。次の、次の次の状況につながっている。


 何より——あの目。


 恐れや怒りといった感情が感じられない。


 余計な感情はいっさい放り捨てて、こちらを殺すことのみに集中しているような目。


 ——まるで、戦場にて果てた武士の亡霊が、少年の体を借りて、鬱憤(うっぷん)を晴らすべく暴れているかのような。


 怪我というハンデを抜きにしても、できる(・・・)


(望月(もちづき)(ほたる)といい、この餓鬼といい、妖怪じみた子供ばかりに出会う——!)


 そんな自分の心中の呟きに、村正は刺激感の薄れてきた目を見開く。


(……そうか、なるほど。この餓鬼が、望月螢の言っていた「大切なモノ」か)


 望月螢は、「剣以外の大切なモノ」のために、剣を取って立ち向かってきた。そして倒れた。……いつの間にか当たっていたらしい、自分の『呪剣』の力を受けて。


 そんな螢を呪縛から解き放つために、光一郎は剣を取り、こうして立ち向かってきている。


 剣技の力量差は火を見るよりも明らか。本来ならば勝負にすらならない戦いだが、こうして光一郎は食らいついてきている。……螢が自分に与えた、この傷というハンデのおかげで。


 螢の剣が、光一郎を勝利へと導こうとしている。


 嘘偽り無き真心が、また嘘偽り無き真心を呼び寄せ、目的を果たさんとしている。


 人と人の、絆と、繋がり。


 村正が捨ててきたモノ。


 ……その捨ててきたモノが、今、こちらを呑み込もうとしていた。












 ——昼夜晴天曇天雨天を問わず、槍林弾雨(そうりんだんう)の中を駆け抜けた日々。


 無数の敵を斬り、撃ち、殺めた日々。

 無数の味方を斬られ、撃たれ、失った日々。

 そうして(たお)れた彼我の亡骸(なきがら)が地上に作り出す、見渡す限りの屍山血河(しざんけつが)

 それでもなお足りぬと、斬り斬られ、撃ち撃たれを飽きもせず繰り返す彼我の軍勢。


 ——僕の知らない光景が、流れ込んでくる。


 妄想にしては非常に生々しい映像が、脳裏を絶えず流れ続ける。


 それら謎の映像を、己がかつて肌身で体感したという「錯覚」を覚える。


 ——村正を執拗に攻め立てている今の僕の原動力は、その「錯覚」だった。

 

 その「錯覚」は、「経験」へと転化される。


 その「経験」が、行動と思考に反映される。


 このステージフロアに存在するあらゆるモノが、使い方次第では武器となり得る。そのモノを一目見ただけで「武器」として最も有用な使い方と応用が瞬時に思い浮かぶ。


 もし「こういう行動」を起こした時、今の鴨井村正は果たして「どういう動き」をするのか……それも手に取るように予想できる。その上で機先を制することが出来る。


 極めつけに……刃を向けられることに対する恐怖心が、嘘のように消えていた。


 結果、形勢は逆転。

 格下であるはずの僕が、今、村正を劣勢に追い込みつつある。

 村正は脇腹の負傷で思うように動けない。おまけに上半身は裸だ。転倒すれば床に散らばる無数の酒瓶の破片が素肌に突き刺さるだろう。

 倒れれば危険なのは僕も同じだが、僕はまだ無傷だ。そして先ほどよりも(はら)()わり、安定した移動が出来る。

 今、このステージフロアを支配しているのは、紛れもなく僕だった。


 ——どくん。


 右手で握る「蜻蛉剣(せいれいけん)」からの脈動は続く。

 この剣が僕の骨肉の一部となり、血流の循環を同じくしているような感覚。

 剣心一如(けんしんいちにょ)ならぬ、剣()一如。


 ——ああ、なぜだろう。


 自分がこの「蜻蛉剣」を持って戦ったのは、今日が初めてだというのに。


 ずっと昔……気が遠くなるような遥か昔にも、こんなふうにこの剣を握って、敵と戦っていたような気がする。


 そんな「錯覚」は「経験」となり、その「経験」は行動と思考に反映される。


 ——僕の剣として顕在化(けんざいか)された「錯覚」は、確実に村正を追い詰めていく。


 刃同士が切り結ぶ。互いの重みが拮抗。

 僕は重心の乗っていない左足で、床に落ちていた酒瓶の破片を小さく蹴り上げ、左手でキャッチするやその尖った尖端を村正の手めがけて走らせた。破片を握る自分の左掌も切れていたが、こんなのは怪我のうちに入らない。


 村正は我が身ごと手を引っ込めて回避。

 だが手を守ることだけに固執していたため、両手を胸に抱くような形となり、それと一緒に剣も垂直に引っ込んでいた。……そんな村正の懐へ一息で飛び込み、全体重をこめて踏んづけるような蹴りを村正の手に叩き込んだ。


「ぐおっ……!!」


 足元をもたつかせながら流される村正。


 それと差を開かせない形で追いすがる僕。


 左手の破片を捨てて両手持ちにした「蜻蛉剣」を、間合いの中にいる村正めがけて袈裟懸けに振り放つ。


 当たる——確信した、その時だった。






 ——凄まじい喪失の感情(・・・・・)が、僕の中に流れ込んできた。




 


 青空を背景に燦然(さんぜん)(ひるがえ)る赤地の旗。

 大地に広がる友軍の死骸の山。

 守るべきだった城は、度重なる銃撃と砲撃を受けて、巨大な(あば)()と化していた。

 そして——足元には、近しい人間だった(・・・)肉塊。


 まるで、己の「()()」を失い、世界からはじき出されたような感覚。


 何もかもを失いすぎて(・・・・・)、己の中に巨大な虚無が生まれたような感覚。




 ……僕の目から、涙がこぼれていた。




 僕の剣は、左下まで振り抜かれていた。


 しかし、村正は斬れていなかった。無傷だった。


 どうやら、失敗したようだ。


 では、早く体勢を立て直さなくては……


 だけど、体が動かない。動いてくれない。


 突然僕の中に生じた巨大な虚無には、何の意思も生じない。


 どんなに何かを望んでも、巨大な虚無の中に溶けて、消えていくだけ。


 僕が止まっている間に、村正は重心の安定を取り戻す。


 そして、硬直する僕に向かって、散歩のように歩み寄り、




 僕の左腕に、刃を走らせた。




 それは、ごく浅い刀疵(かたなきず)だった。


「俺を殺しに来たとはいえ、子供の骨肉を斬るのは趣味ではない。だから——」


 しかし、刀疵だった。


「——侍らしく、己の剣で(・・・・)死ぬがいい(・・・・・)


 巨大な虚無となっていた僕の心の中に、黒いモノ(・・・・)が生まれた。


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