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帝都初恋剣戟譚  作者: 新免ムニムニ斎筆達
帝都初恋剣戟譚
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急成長、そして名前呼び

 それからまた平日が過ぎ、九月二十九日。土曜日。昼過ぎ。


 今日も僕は望月家の稽古場で、型の稽古を行なっていた。


 やっている型は『綿中針(めんちゅうしん)』。


 打太刀()が、左右交互から剣を発する。

 仕太刀(望月先生)が、それらを(まる)く柔らかく受け流し、八回目を防いだその瞬間に刺突を僕の喉元へと走らせ、寸止め。


 もう、ここ二週間ですっかり慣れた動作だ。


 次は、打太刀と仕太刀を交替して行う。


 打太刀(望月先生)が仕掛け、仕太刀()が受けて反撃。


 どちらも大切だ。


 仕太刀はその型の正しい使い方を学ぶ。

 打太刀はその型で反撃された時に受ける視覚情報や気迫、木刀越しに伝わる衝撃などを学ぶ。

 

 前者を欠けば、型そのものの技術と理念を欠く。

 後者を欠けば、「やられる側」の気持ちが分からず、打たれ弱くなる。


 自分と相手を両方知るのが、型稽古というものである。


 しばらく繰り返し、休憩となる。


 いつも通り稽古場の端っこで休憩しようときびすを返した僕を、先生が呼び止めた。


「コウ坊、少しいいか」


「はい?」


 振り向いて応じると、望月先生の唖然とした顔と対面した。


「ど、どうしたんですか、先生」


 僕はいつもと違う先生の態度にまごつくと、白いカイゼル髭に包まれた口は次のように発した。


「お前さん……()()()()()()()()?」


 言っている意味が分からなかった。


「え、えっと……どういう意味でしょう……?」


「決まっておる。先ほど、お前さんが見せた型の動きだ。——先週来た時に比べて、()()()()()()()()()()()()


 僕はますます意味を分かりかねて、小首をかしげる。


「そりゃあ……家でも一人で出来る限りの稽古はしてますから、ほんのちょっとくらいは成長してる……と思うんですけど……」


「練度が違いすぎる、と言ったはずだぞ。お前さんのあの『綿中針』の練られ具合、あれは一週間程度で達するものではない。いや、『綿中針』に限らず、他の型もそうだ。……先週は気のせいかと思っていたが、今日の稽古ではっきりした。お前さんの成長速度は明らかに異常だ。ゆえに「何をした」と聞いているのだ」


 いつもに比べて鬼気迫る感じの望月先生。その大柄な体格も手伝って、僕がビビって縮こまりそうになるくらいの迫力があった。


 だが先生もいささか落ち着きを欠いていることを自覚したからか、一息でその迫力を鎮静化させ、努めて静かな口調で問うた。


「……すまんな。少し取り乱していた。しかし、やはり普通ではないのだ、お前さんの型の練度の向上は。寝る間を惜しんで一週間稽古したとしても、あれだけの練度には達しないだろう」


 まあ、寝る間まで惜しんで稽古するな、と先生に釘を刺されているし。……先生は最初の稽古日に「良い稽古とは、規則正しい生活の上にこそ成り立つものだ」とおっしゃられたのだ。


 僕はどう言い返したらいいか分からず、ぼんやりしていると、


「——お義父さんの型に、よく似てる」


 銀の鈴が鳴るような、可憐で、抑揚に乏しい声が、僕らの会話に割り込んできた。


 いつの間にか稽古場に入ってきていた望月さんである。


「も、望月さん……」


 その姿を見て、僕は心がときめいた。


 今日は若干肌寒いせいか、少しあったかそうな格好だった。

 薄手のリブニットセーターに、サイズに余裕のあるインディゴブルーのジーンズ。全体的にユルさを漂わせる気の抜けた、しかしどこかぼんやりとした望月さんにマッチした装い。


 可愛い……クマのぬいぐるみとか抱かせてみたい。


「わしの型に似てる、とはどういう意味だ? (ほたる)よ」


 そんな僕の淡いピンク色な思考をよそに、望月先生は娘さんに尋ねた。


 彼女はいつもと変わらぬ平坦な口調で答える。


秋津(あきつ)くんの型の中に含まれる、風格というか、動き方というか……そういうものが、お義父さんにそっくりな気がする。うまく表現できないけど……」


「はい。だって()()()()()()()()()()()()()()()


 僕がそうあっさり肯定すると、二人は揃ってこちらを向いた。望月先生の方は、またしても驚いたような目。


 え、なにこれ。どうしたんだろう。何かマズイ事でも言った?


「わしの動きに似せた……というのは?」


 先生の問いに、僕はおそるおそる言った。


「えっと……道場での稽古の時、望月先生の動きをよぉ————く見続けて、全身の筋肉の働き方とか、関節の細かい動きとか、足指の動きとか、目つきの具合とか視線の向かう方向とか……そういうものを総合的に見て、それを「雛形」として頭に留めておくんです。それから家に帰って、その「雛形」を自分の動きになるべくトレースするように一人で稽古してたんです」


 それは言ってしまえば、「スケッチ」と変わらない。


 自分の目でよく見て頭の中に取り入れた被写体の情報を、紙に描き写す……僕はこの行為に長年慣れ親しんできた。


 至剣流免許皆伝、望月(もちづき)源悟郎(げんごろう)——剣士として申し分無い極上の被写体を、僕は稽古の最中によく「観た」。


 被写体を得たのなら、あとは描き写すのみ。


 ()()()()()()()()()()()


 僕は家で、望月先生を見て覚えた「型の雛形」に少しでも一致するよう稽古した。


 それが、いわゆる「見取り稽古」というものだと思っていたのだけど……


「えっと、何かまずいことをしてしまったんでしょうか……」


 今なお絶句した様子の望月親子を前に、僕はおずおずと尋ねた。


 数秒の間隔を置いてから、親子がそれぞれの感想を述べた。


「——()()()()()()()()()()()()は、間違ってなかった」


「うむ…………これは、もしかすると……ど偉い拾い物かもしれんな」


 またしても、何を言っているのかよく分からなかった。


 ぽかんとしている僕に、望月先生は取り繕うように言った。


「いや、何も悪いことではないよ。むしろ、お前さんはお前さんなりに工夫して稽古しているようで、面白いと思っただけだ。師からの教えを唯々諾々と守るだけでなく、自分なりにどうやって上達するのかを模索することは大事だよ。同じ流派を学んでいても、学ぶ人間はそれぞれ違う「個人」なのだからな。これからもそうやって、至剣流の教えから逸脱しない範疇で精進なさい」


「あ、ありがとうございます。望月先生!」


 とりあえず、非難されているわけではないと判断した僕は安堵し、先生に一礼した。


「……頑張って」


「あ…………ありがとうございますっ!! 望月さん!!」


 望月さんにまで感謝された。僕は感極まって、再びガバッと勢いよく一礼した。


 オスというのはなんとも都合の良い生物のようだ。好きな女性にたった一言「頑張れ」と言われただけで、稽古の疲労感が一気に吹っ飛んだ。あと二十四時間稽古できそう。


 僕は頭を上げると、望月さんはその澄んだ黒い瞳を数回ぱちぱちさせた。可愛い。


 彼女は不意に、


「——わかりづらい」


「へ?」


「お義父さんは「望月先生」、わたしは「望月さん」。どっちも「望月」という苗字で呼ぶと、少しわかりづらいと思う」


 いつも通り抑揚に乏しい口調で彼女が言う。


「では……何と呼べと?」


「螢、でいいよ。そっちの方が呼びやすいと思う」


 僕は我が耳を疑った。


「は……!? い、いいんですかっ!? 本当にお呼びしても!?」


「いいって言ってる」


「本当ですか!? 嬉しゅうございます!! ほ……螢さん!! 今日から螢さんって呼びますからね!?」


「ん」


 何でもないことのように頷く「螢さん」。


 だが、僕は魂が月までぶっ飛んでウサギと一緒にお餅をつきそうなくらいの高揚感を覚えていた。


 名前呼びが許された!! 僥倖(ぎょうこう)!!


 しかし、である! 


 ここで満足するのは、恋愛素人のすることではないだろうか!? 


 今一歩、踏み込むべきではないだろうか!?


 いけ、秋津光一郎(こういちろう)! 男として一段上へと登れ!


 「振りかざす太刀の下こそ地獄なれ 一と足進め先は極楽」だ!


「で、でででで、でわっ……そ、その、僕のことも、ど、どうか「コウ」とお呼びください! あ、「光一郎」だと長いので、友達にはそう呼ばせているんです! だからどうか「コウ」と! 是非!」


 友達って言っても、エカっぺしかいないんだけどね——そう心の中で付け足す。


「ん。分かった、そう呼ぶね。()()()


 コ ウ 君 。


 コ ウ く ん 。


 コ ウ ク ン 。


 K O U K U N 。


 僕を愛称を呼ぶ銀鈴の声が、心中で何度もエコーし染み渡る。


(ふぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ——)


 やばい。めっちゃ嬉しい! 


 嬉し過ぎてスーパーヤサイヤ人になりそう。


 めっちゃやる気出てきた。


 単純な生き物だと笑っておくれ。男とはこういう生き物だ。


「先生!! 稽古を再開しましょう!!」


 遠くに立っている望月先生へ元気良く呼びかけた。


「………………青春だのう」


 先生は、とても懐かしいものを見るような目で僕を見て、そう呟いた。


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