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帝都初恋剣戟譚  作者: 新免ムニムニ斎筆達
帝都初恋剣戟譚 呪剣編
189/237

小さな侍

 薄暗いL字状の階段を警戒しながらゆっくりと降りていき、地下二階へとたどり着いた。


 降り立ってすぐ、一番奥のステージと、手前から扇状に広がった空間が目についた。いつもはここでライブとかやってお客さんも多く盛り上がるのだろうが、無人である今は音楽どころか物音一つしない。賑やかであるべき場所が静かというのは不気味に感じる。

 階段から大きく右側へ振り向いた先には、無人のバーカウンターがある。奥の棚にはいろんな色のボトルがずらりと並んでおり、当然ながら全てお酒だ。


 臨時休業……ということになっているためか、広く天井も高い地下二階には、必要最低限しか明かりがついていない。なので上階に比べて薄暗く、そこらじゅうに濃い影がくすぶっている。


 僕の左親指が、(つば)から離れない。


 ——落ち着いて考えろ。僕がまず、何をすべきかを。


 僕は、鴨井村正(かもいむらまさ)を斬りに来たのだ。

 であれば、その鴨井村正を見つけなければ話にならない。

 さっきの男が僕らに攻撃してきたという事実が、「ここに鴨井村正がいる」という寂尊(じゃくそん)の訴えに嘘が無いことを僕に雄弁に教えてくれていた。

 ……確実に、この階のどこかに、いる。

 だからこそ、探すのだ。


 警戒をさらに厳とし、足音を立てぬようゆっくりと進む。


 無音。しかし僕の中の心臓はうるさいくらい鳴っている。その振動を首筋に感じていた。


 まずはステージを探してみようと思い、そこへ近づき始めた、その時だった。




「——誰かいるのか」




 僕以外の声に、僕は鋭く息を呑んだ。


 感情の含蓄の薄い、低まった、枯れ気味な男の声だった。


 声の聞こえた後方へ迅速に振り向く。いつでも刀を抜けるよう、柄に右手を添えておく。


 バーカウンターの奥の壁には、ドアが一つあった。それが開放されていた。


 開け放たれたドアの奥から、ゆっくりと、浮遊する幽霊のように一定の頭の高さを保ちながら、一人の人物が出てきた。


 亡者——


 僕はこの薄暗く無音という不気味な状況と、そしてその人物の風貌(・・)から、そんな第一印象を抱かずにはいられなかった。

 刈り上げたばかりに見える坊主頭に、痩せて頬のこけった細面(ほそおもて)

 裸となった上半身もまた痩せて骨と筋の陰影がはっきりしていた。腹回りに分厚く巻かれた包帯だけが、彼が生きた人間であるという説得力を持たせていた。

 そして、左手には、鞘入りの刀。


 なおも無音で、かつ頭の高さを一定にした幽霊じみた歩き方で、バーカウンターを端までなぞり、出てきた。それによって、初めてコンバットパンツとスニーカーを履いていると視認する。だがその左脚の布には赤黒い染みが大きく彩っていた。


「子供だと……? 子供がこんな所に何の用だ?」


 その男の目が、僕を真っ直ぐ見る。


 僕もまた、その男を緊張しながら見つめる。


 痩せているせいで眼窩(がんか)の影が濃く、まるで眼窩という深淵の奥から僕を見つめているような、異様な光を持った眼差し。


 あの目(・・・)——やっぱり、神武閣(しんぶかく)にいたあの男か。


その目(・・・)——貴様、神武閣の大武道場にいた餓鬼か」


 僕が思っていたのと同じようなことを口にしたことで、僕は確信した。


 間違いない。


 この男が、この男こそが——


「鴨井、村正……!!」


 恐れと、驚愕と、そして敵意をもって、僕はその名で呼んだ。


 村正は「ほう」と少し驚いた声を漏らす。


「貴様、俺を知っているのか? あの男の仲間……というわけではあるまい。誰だ?」


「僕は、秋津(あきつ)光一郎(こういちろう)だ。……あなたを斬るために、ここに来た」


 深淵じみた村正の目が、驚愕したように、ギョッと見開かれた。


 だがそれも一瞬だけ。すぐに可笑しげな笑みを浮かべ、

 

「噴飯ものだな。貴様のような餓鬼が、俺を斬るだと?」


「笑いたければ勝手に笑え。……何と言われようと、僕はあなたを斬る。あなたの『呪剣』で斬られた(ほたる)さんを救うために」


「……何だと? 螢、というのは……まさか、望月螢のことか?」


 それを聞いて、僕の中の敵愾心が一気に高まった。……螢さんをあんな風にしておいて、このとぼけ(よう)


「そうだ! お前のせいで、螢さんが今、死にそうになってるんだ!」


「……望月螢が? そんな馬鹿な…………」


 村正は、ひどく動揺していた。


 何だ? この驚きようは? まるで今初めて、自分が螢さんを斬ったことを自覚したみたいだ。……なんか、様子が変だ。


 だが、気持ちを切り替えたのか、強引に何かを自分を納得させたのか、村正は態度を落ち着けた上で、不審な眼差しを僕へ向けてきた。


「…………小僧。貴様、今『呪剣』とほざいたな? ということは、嘉戸(かど)宗家の(クズ)どもに入れ知恵でもされたか?」


「……答える義理は無い」


「ふん。こんな小豆(あずき)のようにちっぽけな小僧に俺の始末を頼むとは、宗家はよほど腕に自信が無いと見た」


 ほくそ笑むような表情で一笑すると、村正は告げた。


「おおかた貴様の考えている通りだ、秋津光一郎。『呪剣』の呪いは、使用者の俺であっても解く方法は分からぬ。確実に言えるのは……俺が死ねば、全ての呪いが消える。望月螢を蝕む呪いもまた、そうして消すことができる。俺が死ねば、な。それで? 貴様はどうしたいんだ? ——抜く(・・)のか? ソレを」


 そんな指摘に、僕は思わず我が身を震わせた。


「もしも抜けば——俺はもう貴様を子供とは思わん(・・・・・・・)。俺の命を刃にかけんとする、一人の(さむらい)であると認める」


 ……これは、最後通牒だ。


 刀を抜けば、その時点でお前は侍であると。

 侍である以上、こちらも容赦無く刃を抜き、迎え撃つと。

 剣を抜いて侍となる勇敢さが無いならば、刃を納めたまま早々に立ち去れと。


 最後の警告。命のやり取りの舞台までの、最後の一段。


 それを登れば、僕はもうそこから逃れられなくなると。


 確信した途端、僕の全身が凍ったように硬直した。

 

 手が震える。体が痺れる。足元がぐにゃぐにゃした感じがする。


 本能が、死の危険を訴えている。


 逃げたいと、僕の体は告げている。


 ——夏祭りの時に見た、明るさと甘さに溢れた螢さんの笑顔が、脳裏に浮かんだ。


 わたしを好きになってくれてありがとう、と言ってくれた。

 わたしのために剣を取ってくれてありがとう、と言ってくれた。

 わたしを好きでい続けてくれてありがとう、と言ってくれた。


 ……あの笑顔を見せてくれた螢さんの希望や、感謝を、無意味にしたく(・・・・・・・)なかった(・・・・)


 震えが、和らいだ。


 呼吸もいくらか落ち着く。


 指も動く。


 右手で、柄を握れる。


「……抜いたら認める、だって? ——何を悠長な」


 僕は、剣を一思いに抜き放った。


 露わとなった秋津(トンボ)の刀身。


 その剣尖と、視線と、剣気を、村正に真っ直ぐ向ける。


螢さんを救う(・・・・・・)と決めた時から(・・・・・・・)、僕はもう侍だ」


 村正は息を呑んだ。


 だが、すぐに好戦的に(わら)い、おもむろに剣を抜いた。鞘を捨てる。


「よかろう。来るがいい——小さな侍よ」


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