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帝都初恋剣戟譚  作者: 新免ムニムニ斎筆達
帝都初恋剣戟譚 呪剣編
186/246

穢れる覚悟《結》


 ……面と小手と竹刀をロビーに忘れてきたと気づいたのは、随分経ってからだった。


 僕は降り続く雨の中を、傘も差さずに歩いていた。


 お金を持っていなかったので、歩くしかなかった。だけど病院は富士見にあるので、僕の住む神田に近い。なので徒歩で十分だった。


 雨足が強まり、僕を容赦無く濡らす。しかし僕は鬱陶しく思わなかった。むしろ夏である今はこの冷たさが心地いい。


 空気をかっ切るような轟音。かなり近くに雷が落ちたようだ。神鳴りとも言われるその大自然の威光にいつもなら飛び上がるほどびっくりしているだろうが、今はそれすら気にならない。


 ——僕はただただ、考えていた。


 鴨井村正(かもいむらまさ)が警察に確保されるまでがタイムリミット(・・・・・・・)だと、寂尊は言った。


 その言葉の意味するところは一つだけだ。


 ……螢さんを本気で救いたいなら、警察の手に渡る前に、鴨井村正を斬れ(・・・・・・・)


 他の誰でもない、僕の剣で。


(斬れるのか……? 僕に……鴨井村正を……)


 病院を出たところから何度も抱いているその疑問には、二つの意味合いが存在する。


 一つは——鴨井村正と僕の実力差。


 至剣をテロに使おうなどという人格面はともかく、鴨井村正が至剣を得ていることは確かなのだ。


 すなわち、本場日本においても非常に数の少ない、至剣流の免許皆伝者。


 しかも、本来の至剣流(・・・・・・)より薄められた嘉戸派の至剣流で、皆伝したのである。そこへ達するまで、並大抵の努力ではなかっただろう。なおのこと剣士としての非凡さが際立つ。


 比べて、僕はまだ切紙(きりがみ)免状を貰った程度。


 普通に考えれば、どちらが勝つかどうかなんて、火を見るよりも明らかだ。


 だが一方で、鴨井村正は現在、負傷しているという。……倒れていた螢さんの近くにあった血痕は、おそらくその負傷のものだろう。


 いくら至剣を持つ皆伝者といっても、人間だ。怪我をすれば動きも鈍る。それが、僕とまともに斬り合うための足枷となれば……勝てる可能性は無くはない。


 さらに、僕の「影響の連鎖」を読む能力や『劣化(れっか)蜻蛉剣(せいれいけん)』を上手に使えば、勝機は薄いながらあるかもわからない。


 とはいえ、無茶な試みであることは百も承知。


 ——そして、「僕に鴨井村正を斬れるのか」という疑問に含まれる、もう一つの意味合いは。


(螢さんのためであるとはいえ…………僕に、人殺しが出来るのか……?)

 

 正直、こちらの方が前者よりも重要だった。


『コウ坊……わしはお前さんが、これから一度たりとも、殺し合いなどという場に立たずに済むことを、切に願うよ』


 思い出すのは、望月先生の、かつての言葉。


 先生から授かった剣と技。一生涯、これらを使って人を斬ることの無いようにと願っての言葉。


 僕もまた、そうあれるようにと願っていた。


 しかし、今の現実は、僕に剣士としての分水嶺(ぶんすいれい)を容赦無く突きつけていた。


 ——人を斬るのか、斬らないのか。


 斬らない道を選べば、僕の剣は綺麗なまま。望月先生の願いも果たせる。……だが、螢さんを救う手立ては完全に無くなる。それは螢さんの死を意味する。


 斬る道を選べば、わずかな可能性ながら、螢さんは助かる。……だが、どう考えても僕が斬られて死ぬリスクの方が大きい。たとえ勝って生き残ったとしても、僕の心身には決して消えることの無い深い傷が残る可能性がある。


 究極の選択に懊悩(おうのう)しながら歩いているうちに、僕の足は、神田にある『秋津書肆(あきつしょし)』の前に着いていた。


 僕は家に入る。


 神武閣の異変をすでに知っていたらしいお母さんに大丈夫かとか聞かれたが、適当に返事をして応じてからお風呂場に入る。着けたままの胴と(たれ)を外し、水浸しの稽古着を下着ごと全部脱いでおざなりに籠に放り込み、浴室へ入って熱いシャワーを浴びる。


 それから、着替えを脱衣所に持ってきてなかったのでタオルを腰に巻いて、自分の部屋へ入る。雨が降っている外と同じく、薄暗い。慣れた匂いが僕の気持ちを多少和らげる。


 時計が示す時刻は、すでに四時になっていた。


『残された猶予はあまりにも短いことを忘れるな』


 寂尊の言葉が脳裏をよぎり、僕を急かす。


(どうすれば……いいんだ……)


 その答えを求めるようにして、僕がフラフラと近づいたのは——部屋に飾られた一振りの刀だった。


 鞘を持って刀掛(とうか)から外し、おもむろに刀身を抜いた。


 薄暗い中、わずかに窓からもたらされる光によって、静かに、美しく閃く直刃(すぐは)の刀身。


 ……切紙免状を得た祝いと、「三本勝負」で望月派を勝利へ導いた感謝にと、望月先生から頂いた、僕の愛刀。


 秋津(トンボ)の透かし(つば)に、秋津(トンボ)が彫金された刀身。


 まるで僕のために用意されたかのような「蜻蛉剣(せいれいけん)」。


 これを僕が持つからには、必ず勝てる、と言わんばかりの。


 ——勝たなければ(・・・・・・)ならない(・・・・)と、言わんばかりの。


「……そうだ」


 僕が、剣を取った理由を思い出せ。


 螢さんに勝つためだろう。


 螢さんがこの世を去れば、僕はどんなに頑張っても、永久に螢さんには勝てなくなる。


 その目的を考えれば、僕の選択肢は自ずと限られているはずだ。


 何より、僕は——螢さんに、生きていてほしい。


 鴨井村正に、殺させてはならない。


 恐れに囚われて、本当に大切なモノを見失ってはならない。


 たとえ、この手と剣を血で染めてでも、守り抜かなければならない。


「……やってやる」


 ——覚悟は、今、決まった。


 これから僕がしようとしている行為は、僕だけでなく、僕と関わってきた人達全てを傷つけるものだ。


 人のみが犯せる、人として最たる(けが)れだ。


 この剣を授けてくださった望月先生も、僕の行いを悲しみ、落胆するだろう。


 螢さんからも、軽蔑されるかもしれない。


 それでも……僕はやる。


 必ず勝つために。


 初恋を、守るために。


 窓から鋭く差し込んだ雷光が、愛刀を白く光らせる。


「……斯様(かよう)な手段しかとり得ない非才と未熟、どうかお(ゆる)しください」


 僕は、祝詞(のりと)のように口にした。


 エカっぺ、香坂(こうさか)さん、峰子(みねこ)氷山(ひやま)部長、ミーチャ……僕が今まで関わってきた、その他全員の人達へ、


 自分の両親へ、


 望月先生へ、


 そして、螢さんへ。


「僕はこれから————人を斬ります(・・・・・・)


 穢れる覚悟を。

これから今章クライマックスを書き溜め開始します。

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