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帝都初恋剣戟譚  作者: 新免ムニムニ斎筆達
帝都初恋剣戟譚 呪剣編
185/245

穢れる覚悟《転》

「……盗み聞きとは、良い趣味ではないな」


「どういうことだ」


 寂尊(じゃくそん)の問いかけにはまともに答えず、僕は問うた。


(ほたる)さんが……「開幕演武」なんてものに出てたのは、あなたがそうさせた(・・・・・)からか?」


「…………」


「螢さんが、その『呪剣(じゅけん)』を使う剣士と戦ったのも、あなたのせいか」


「…………」


「螢さんが今、あんな状態になってるのも、元はと言えばあなたのせいなのか」


「…………」


「もしそうだとしたら、これは去年に交わした神文(しんもん)を破ったことになるぞ。望月派(僕ら)に対して不干渉でいるという約束を」


「…………」


「…………なんとか言ったらどうだ!?」


 とうとう僕は我慢出来ず、声を荒げてしまう。病院であると分かっていても。


 それに対し、寂尊はあっさりと答えた。


違う(・・)


 と。


「俺は、不干渉を破ってなどいない。神仏から罰せられる事は、何一つしていない」


「じゃあどうしてっ……!!」


「俺は——望月螢に教えただけ(・・・・・)だ」


 その言葉に、僕の中から、いっさいの感情が消失した。


「『呪剣』と、それを持つ鴨井村正(かもいむらまさ)のこと。そいつがKGB(カーゲーベー)の流れを汲むロシア系犯罪組織『玩具(イグルシュカ)』の傘下に加わったこと。『呪剣』の力を使い、今年の天覧比剣少年部でテロを起こそうとしていること…………それらを全て、望月螢に包み隠さず教えただけ(・・・・・)だ。その先の選択の自由は保障している」


 余計な感情が消失した白紙のような心に、純粋な憤りの種火が生まれる。白紙全体が燃える。


「分かるか? 望月螢がああなった(・・・・・)のは、他ならない望月螢自身の選択の結果だ。干渉というのは、自分の考えを相手に強要することを指す。だが俺は「至剣を使ったテロが起こるかもしれない」という純然たる事実を教えただけで、それを止める行為までは強要していない。お前が普段食卓で何気なく聞いているテレビの報道と同じだ。報道は情報を発しているだけで、それを見た後にどうするかの選択は強要しない。ゆえに俺の行いは「不干渉」という約束を破ってはいないのだ。神文はいまだ守られ——」


 その先は続かなかった。


 僕が寂尊に飛びかかり、その頬に思いっきり拳を叩き込んだからだ。


「っ……」


 かすかに呻きをもらして尻餅をついた寂尊に、僕は馬乗りになって胸ぐらを掴み上げた。


「強要してない……? 不干渉……? よくもそんな詭弁(きべん)をいけしゃあしゃあと……! 去年から全く変わってないな…………!!」


 声を抑制できたのはそこまでだった。


 憤りで燃えた心のまま、僕は喝破した。


「あんたはっ——あんたは分かっていたんだっ!! 

 この話をすれば、螢さんが座視するわけがないって!! 鴨井村正を止めようとすると!! 剣を取ると!! あんたは分かっていた!! 

 分かった上でっ……あんたは螢さんにその話をしたんだっ!!」


 僕の剣師である望月先生は、偉大な軍人だ。

 その先生から、かつて聞いたことがある。

 KGBは、ソ連国防省に属してはいないが、国境警備軍という部隊を傘下に持ち、国防省からも装備提供を受けている、れっきとした軍の一部(・・・・)だと。

 当時の僕はそのことを聞き流していたが、今はその意味(・・・・)がハッキリと分かった。


「どうせご存知なんだろっ…………螢さんは戦災孤児(・・・・)だ!! ソ連軍に酷い形で家族を殺された!! 村を焼かれた!! 

 そんな螢さんが、KGBの流れを汲む組織のテロを見て見ぬ振りなんか出来るわけがないんだ!! 

 お前らはっ……それを利用したんだ!! 螢さんの真心を、自分達の尻拭いのために利用したんだっ!!」


 自分の流派から、その至剣を悪用するテロリストが出たなんてことになれば、それは流派にとっては醜聞(しゅうぶん)だろう。

 鴨井村正という存在は、嘉戸宗家にとっては汚点以外の何者でもないはずだ。

 だからこそ、その汚点を排除しようとした。

 自分達の剣ではなく、螢さんの剣を使って。


「あんた達のせいだ!! あんた達のせいでっ……螢さんは死にそうになってるんだっ!! 戻せよっ…………螢さんを元に戻せよぉっ!!」


 限界を超えた怒りで、手が震え、涙が目に浮かぶ。首元と顔が熱い。


 そんな僕に対し、寂尊は静かな態度で告げた。


「それは、出来ない」


 どこまでも、淡々と、(よど)みなく。


「俺が知る中で最も解呪に長けた御仁(ごじん)の力を借りたが、望月螢にかかった呪いを取り除く事は出来なかった。であれば、彼女の呪いを解く方法は一つ…………呪いをかけた本人を、鴨井村正を殺害することだ」


「……ならあんたがやれよ。もともとやりたかったことじゃないか。免許皆伝だろ? 次期家元だろ? あんたなら、至剣持ちにだって勝てるだろう」


「無理だ。奴の『呪剣』は、ごく浅い切り傷だけでも呪いにかかる強力な至剣だ。俺ならば勝てるが、傷一つ負わずに勝つのは難しいだろう」


「……出来ないんじゃないだろう? したくない(・・・・・)んだろう? 目障りな分派のために、お前らはリスクなんか絶対に犯さない。宗家の看板の方を気にする。そういう連中だもんな」


「否定はしない」


 ただただ淡々とした態度。


 まるで螢さんの命を軽く扱っているようなその態度が、僕の気分を激しく逆撫(さかな)でした。


 その憎たらしい無表情を睨み、再び拳を振り上げた。


「おい君、やめたまえっ!?」


 そこで、こいつと一緒にいた眼鏡の人が、僕の腕を後ろから掴んで止めに入る。


「離せよっ!!」


「ぐっ……!?」


 カッとなった僕は思わず全身を力いっぱい振るい、その人を後方へ放り出す。ドタバタと転がる音がした。


 邪魔者がいなくなったことで、僕が殴打を再開しようとして——止まった。


 寂尊は床に身を任せて大の字になり、その無感情に見える瞳で僕をまっすぐ見つめていた。


 今にも振り下ろされようとしている僕の拳にも、身構える様子を少しも見せていない。


 その様子に、僕はたじろぐ。……その真っ黒な瞳に映る僕の顔は、怒りに戸惑いが加わった表情で強張っていた。


 寂尊は、さっきとずっと変わらない、静かな口調で答えた。


「——言い訳も、謝罪もしない。殴りたければ、今、存分に殴れ。俺の顔面一つで至剣流を守れるならば、安いものだ」


 僕は、思わず息を呑んだ。


 同じだ。

 この感じ。

 去年(・・)と。

 自分の非を覆い隠したり、言い訳もしない。

 しかしそれでも自分の目的を曲げたり、間違いと認めたりは決してしない。

 善悪を超えた、絶対的な信念とエゴ。

 去年の「三本勝負」の前にこの男とした会話を、今また繰り返したような感覚に陥った。


 僕は拳を振り下ろし——寂尊の頭の隣の床を打った。


 いくら殴っても、この男は絶対に、変わらない(・・・・・)


 螢さんは、眠りから覚めない。


「…………ちくしょうっ」


 視界の中の寂尊の無表情が、ゆらゆらと揺らぐ。


 ……どうすれば、いいんだ。


 どうすれば、螢さんを助けられる。


 僕に、もう、出来ることは、無いのか……?


「……お前は、まだ、諦めていないのか(・・・・・・・・)


 不意に、寂尊がそう訊いてきた。


 僕は苛立たしげに訊き返す。やや枯れた声だった。


「なんの、話だよ」


「望月螢の命を、まだ、諦めてはいないのか?」


 愚問過ぎる問いに、僕はカッとなって、叩きつけるように答えた。


「——諦められるわけ、無いだろ!!」


 寂尊はそれすらも、無表情で受け止める。まるで柔和な水のように。


「そうか」


 納得したように呟くと、寂尊は僕の稽古着の襟首を掴み、強引に引っ張り込んだ。


「何をす——」


 僕が抗議を上げるよりも早く、僕の耳元で寂尊が次の言葉をささやいた。


「——鴨井村正の今の居所は、先ほど、すでに割れている(・・・・・・・・)


 その内容に、目を見開く僕。


「『玩具(イグルシュカ)』と鴨井村正の関与が確定した頃から、俺はこの帝都にあるいくつかの場所を、付近の門人に見張らせていた。……過去に『バザロフ文書』に載っていた者と、その親族の住まう場所だ。つまり、反体制的な可能性のある人物」


 僕にしか聞こえない声でささやかれる情報を、僕は戸惑うことなく不思議なほどすんなり受け取っていた。


「その場所の一つ——渋谷区のライブハウス『WEED』に、負傷した痩せた男が今日の十一時頃、車で運び込まれた。その人物を目撃した門下生は、過去に鴨井村正に剣を教えたことのある者だ。その者が言うには、服装と髪型こそ違うが、鴨井村正本人で間違いないそうだ」


 告げられた、鴨井村正の居所。


「これは、現時点ではまだ(・・・・・・・)警察側にも教えて(・・・・・・・・)いない情報だ(・・・・・・)。だがすぐに教える。そうしたら警察は即座に確保へ向かうだろう。だが逮捕され、仮に死刑になったとしても、その執行までには随分かかるだろう。その間に、望月螢はとても生きてはいられない。

 ——分かるか? つまり鴨井村正が警察側の手に渡れば、望月螢を救う手立ては完全に失われる。これは(・・・)時間との戦いだ(・・・・・・・)


 寂尊が何を言いたいのか、僕はすぐに察した。


 僕は懐疑的な目で、寂尊を睨む。


「……不干渉じゃなかったのか?」


「干渉ではない。情報提供だ。そこから先(・・・・・)をどうするのかはお前の自由だ、秋津(あきつ)光一郎(こういちろう)。そして、残された猶予はあまりにも短いことを忘れるな」


「…………借りだなんて、絶対思わないからな」


「好きに取れ」


 襟首を掴む寂尊の力が弱まるや、僕はすぐに立ち上がった。


 寂尊に背を向け、尻餅をついている眼鏡の人を素通りし、速やかにその場を後にした。









「いたたたっ…………あんなに小さいのに、凄い力だなぁ」


 光一郎が去った後、(あゆむ)はため息混じりに呟きながら、おもむろに立ち上がった。


 ワイシャツの背中とスラックスのお尻をはたきながら、今なお仰向けになった寂尊へ歩み寄る。


「寂尊。君さ——わざと殴られただろう?」


 まるで世話の焼ける友人を見るような目で見下ろしながら、歩は指摘した。

 

「僕は父さんや兄さん達と違って剣もからっきしなモヤシだけど、それでも、君がすごく腕が立つって事は分かるよ。そんな君が、あんな子供の殴打を避けられないとは思えないんだよね」


 寂尊は、打たれた頬を撫でる。


 鋭かった。そして、速かった。


 ……去年の「三本勝負」の時よりも、格段に成長している。


「それだけじゃない。……覚えてるかな? 大学二年の頃、君と僕が一緒に通学していたある日、何故か君はいつものバスを使うのを嫌がって、次のバスを選んだでしょ? その途端、君が乗らなかったバスでバスジャックが起こったよね。……そう、君は昔から、勘の良い奴だった。そんな君が、あの子がこっそり付いてきて、盗み聞きしていたのを、気付けないとは思えないんだ」


 この旧い学友は、思っていた以上に、自分の事を見ているようだ。


「君はさ……あの子に、殴られたかったんじゃないのかい。望月閣下のご令嬢があんなふうになった原因を作ってしまったことについて、非難されたいと思ったんじゃないのかい。憎まれなければならないと、そう思ったんじゃないのかい」


 その問いかけに、寂尊は答えなかった。


 代わりに、寂尊は大の字に倒れたまま、深く沈むように呟いた。


「存外、疲れるものだな…………流派を守るというのは」


 その歴史も、名誉も、伝統も、そして(けが)れすらも背負わなければならないのだから。

 

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