表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
帝都初恋剣戟譚  作者: 新免ムニムニ斎筆達
帝都初恋剣戟譚 呪剣編
175/237

ダムの小さな亀裂


 山根(やまね)純吉(じゅんきち)は、午前でさっそく暑気を発露してくる太陽と戦いながら、額に汗して自分の任務に従事していた。


 内容は、帝国(ていこく)神武閣(しんぶかく)入口ゲート前における検問。

 巨大なタープテントの中にゲート型金属探知機を四機用意し、来場者一人一人にその中を潜らせた上でボディーチェックを行い、危険物無しと判断したら通す。

 危険物を持っていたら一時的に預かるか、物品によってはその場で没収した上で拘束して事情を伺う。それを拒否したら退場させ、それでもなお無理やり入ろうとしたら拘束。

 

 実に簡単な仕事である。


 ——目の前に並ぶ、長蛇の列が相手でさえ無ければ。


 八月一日から今日六日にかけて、ずっとこの任務についている純吉は、目が回りそうな思いだった。


 一定時間おきに交代はするものの、それでも延々と同じ作業をしていると頭と体が鈍って仕方がない。まるで工場の流れ作業である。


 無論、これもまた重要な任務であることは純吉とて百も承知。

 今回の天覧比剣には(みかど)だけでなく、米国の大統領まで来ているのだ。水際対策をしっかりしなければ、あらゆる意味でこの国を揺るがす事態になりかねない。

 真実かどうかは寡聞(かぶん)にして知らないが、ダムは小さな亀裂から瓦解するとよく聞く。同じように、小さな瑕疵(かし)が大きな不可逆の失敗をもたらす原因となることもある。


 だがそれでも、自分も警官になってすでに五年目だ。いい加減、もう少し手応えのある事件とぶつかってみたいものである。そしてゆくゆくは刑事となって、数々の事件に関わり、それらを解決していきたい。


 ……中学時代、『羽柴屋(はしばや)』という喫茶店でコーヒーを飲んだことが、警官を志すきっかけだった。


 三年生になってもなお進路が定まらず、途方に暮れていた時に気まぐれで入ったその喫茶店のマスターは、かつて警視庁にてノンキャリアの刑事をしていた人物であった。退職後に喫茶店を開き、今では警官や内務官僚の常連が多い(いこ)いの場となっている。

 そこで色々な警官と会い、話をしていくうちに、自分も彼らと同じ場所で働きたいと思うようになっていった。

 純吉は卒業後、警察学校に入り、そこで訓練したのちに警察官として着任した。


 今はまだ下っ端だが、年数とともに功績を重ねて、いつか自分も刑事になって数々の事件を解決する……そんなドラマのような夢を抱いてはいるが、なかなか思うようにはいかないものである。


 ——でも、この地味で退屈な仕事も今日で終わる。


 今日は天覧比剣最終日。つまり決勝戦と、表彰式、閉会式が行われる日だ。


 そのせいか、観客の数がいつもより多めだが、これが今日で最後だと思うと多少気分が軽やかになる。


(試合も見てみたかったよなぁ……)


 学生時代に剣に打ち込んだわけではないが、純吉も天覧比剣という催しにそれなりに興味はあった。


 もしも任務が無ければ、ゆっくり観戦の一つもしてみたかったものである。


 休憩時間中に見てみたかったが、あいにく疲れ過ぎてそんな暇は無かった。


 それに今年の天覧比剣は、例年にも増して動員された警官の数が多い。神武閣の内外のそこかしこで警官が睨みをきかせている。何かあればすぐにでも飛びかからんばかりに殺気立っている。


 むべなるかな。今年は帝だけでなく、米国の大統領まで来ているのだ。何かあったら国際問題だ。現在この国の安全保障の要ともいえる日米の同盟関係にヒビでも入ったらコトである。……十一年前のような戦争は、できれば、生きている間は御免こうむる。


 現場だってピリピリしているのだから、()の心労たるや察するに余り有る。


(それに……この写真の男(・・・・・・)を念入りに探せって言われたけど……)


 胸ポケットに入った一枚の写真を意識しながら、純吉はふとそう思った。


 この天覧比剣の警備を行うにあたって、「この顔をよく覚えておくように!」と一枚の写真が警官全員に配布されたのだ。


 そこには、一人の男が写っていた。痩せこけた細面(ほそおもて)と、手入れのされていない荒れた長い髪が特徴の、無頼漢じみた男。


 その男を見かけたらすぐに拘束し連行するように、と何度も現場指揮官に言われた。


 理由を尋ねても「いいからやれ」と追求を許さなかった。


 ……いや、そう突っぱねた指揮官も、やや戸惑っている感じがあった。自分はなぜこのような事を指示せねばならんのか、とばかりな。


 考えられる理由は一つ——内務省の連中の指図だろう。


 内務省は警視庁を含む全都道府県警を統括している強大な省庁だ。


 今回は帝と米大統領のツートップが一堂に会しているのだ。ここの警備に連中が関わっていないわけがない。


 「こいつを捕まえろ」と一方的に命令と顔写真だけ警視庁に与えて、それ以上何も教えていない感じだろう。……中学時代、似たようなぼやきを『羽柴屋』の客の私服警官から小耳に挟んだことがある。


(エリート様は良いご身分なことだ)


 彼らと同じように脳裏でぼやきながら、半ば機械的に来場者の検査をこなしていく純吉。


 その時だった。


(……随分と、痩せた爺様(じさま)だなぁ)


 次の手荷物検査の対象となる、二人組。


 痩せ細った老夫と、それに付き添う若い男。


 老夫の方に、純吉はやや痛ましい印象を抱いた。


 上背はそれなりにあるのだろうが、背中が大きく前に曲がっているせいで小柄に見える。

 ポロシャツとコンバットパンツに身を包んだその体はげっそりと痩せていて、腕は骨と筋が濃く浮かび、襟元からは肋骨の暗い影が覗ける。


 坊主頭にキャップを被り、眼鏡をかけた老夫の細く(しわ)のある顔は、心ここにあらずのような無表情だった。痩せていて頬骨がはっきりしていて、顔色も良くない。目もどこか虚ろだ。


 生気に乏しいその老人を甲斐甲斐しく支えているのは、陽気そうな青年。

 さっぱりと短めに切られた髪。顔つきは精悍(せいかん)さがありつつも(かど)が取れた、親しみやすそうな造作。一見細身に見えるが、少し目を凝らせば筋肉の凝縮が分かるしっかりした体付き。


 おそらくはこの老夫の息子だろう——純吉はそう断定しつつ、ゲート型の金属探知機をくぐるように促した。


 老夫が杖をつきながらゆっくりと金属探知機をくぐり、無音で通過。


 続いて青年が通り、甲高いアラームが鳴った。


「あ、すみません! 財布があったんでした」


 青年は済まなそうに言いながら財布を純吉に渡し、今度こそ無音で探知機をくぐった。


 鞄の類も持っていないので、一応渡された財布を確認。武器の類は無し。


「通っていいですよ」


 純吉から許可を得られた青年は「ありがとうございますー」と陽気に笑う。


 何かが倒れる音。


「あ、父さん、大丈夫っ?」


 老夫が転んだ音だった。青年が助け起こそうとするのを、純吉も手伝った。……青年の腕力もあるのに、少し重い。


「ありがとうございます」


「いや。……大丈夫なのかな? 君のお父さんは」


 枯れ木のように弱々しい老夫のさまに、純吉は思わず踏み入った質問をしてしまう。


 青年はことさらに笑顔を作りながら言った。


「その、父は今年、末期癌になってしまって。今年を超えられるかどうかも怪しい感じで」


「それは……御愁傷様で」


 純吉は済まなそうに言った。


「だから、せめて旅立つ前に……自分が子供の頃に目指してたという天覧比剣を見ておきたいと。それと、帝の御稜威(みいつ)も拝んでおきたいと」


 切なげに弱っていった青年の言葉に、純吉は胸を打たれる。


「そうか。なら、今日は楽しんでいくといい。何せ今日は最終日だ。決勝戦と、表彰式が一日のうちに行われるからな。剣の試合も、帝の御尊容も、両方見られることだろうさ。せいぜい親父殿に孝行してやるといい」


「は……はい! ありがとうございます!」


 青年は嬉しそうに頷く。


 純吉は財布を手渡してから敬礼し、父子を入口ゲートへ送り出した。


 見送りたいところだったが、自分の任務はまだ終わっていない。


 純吉は意気込んだ。


「……頑張るかな」


 帝や大統領の身柄を守るためだけでなく、あの親子が安心して最終日を終えられるようにするためにも。


 この単純な流れ作業に初めてやりがいを覚えつつ、純吉は己の任務に戻ったのであった。













 小さくなっていく老夫と、それに伴って歩く青年の後ろ姿。

 

 青年の口が、純吉はおろか周囲にも決して聞き取れない、ささやくような声量で呟く。


「——Лох」


 と。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ