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帝都初恋剣戟譚  作者: 新免ムニムニ斎筆達
帝都初恋剣戟譚 呪剣編
174/237

死の情景

 ——見渡す限り、「死」が広がっていた。


 老若男女問わず、数えきれないほどの人々が、そこかしこに横たわっている。


 彼らは一様に息をしていない。


 各々異なる場所に深い刀疵(かたなきず)が刻まれ、そこから赤黒い血を流出させている。……そう、死体だ。


 無数の(かばね)が川石となり、そこからこんこんと流れ出る各々の血が混ざり合って川のごとく一つの流れと化している。その光景が、果てなくどこまでも続いている。


 ——「死」が生み出した肉と血の情景の中で、二人の生者(・・・・・)がいた。


 その一人であるエカテリーナ・ルドルフォヴナ・伊藤(いとう)は、同じく生者の一人であるその少年——秋津(あきつ)光一郎(こういちろう)の後ろ姿を見つめていた。


「コウ……?」


 恐る恐る、彼に呼びかける。


 何度も見てきた、けれど今なお見飽きない彼の後ろ姿。

 しかしその右手からは、足元を流れる血の川と同じ赤黒い色がこびりついた刀身が伸びていた。

 切っ尖からは赤い雫がねばっこく(したた)り落ち、刀身に彫られた蜻蛉(トンボ)意匠(いしょう)深紅(しんく)に染まっていた。……光一郎と、そしてエカテリーナの師でもある源悟郎(げんごろう)が彼に贈った「蜻蛉剣(せいれいけん)」。


 その「蜻蛉剣」こそが、周囲に広がる死の情景を凄惨に描いた筆であることは、もはや問うまでも無い。


 だけど、信じられなかった。信じたくなかった。


 だって、コウが、そんなことするはずがない。


 単純で、アホで、ちょっとスケベで、だけど誰よりも強くて優しいあいつが、こんなことを。


 そんなエカテリーナの果てしない希望的観測は、しかし振り向いた光一郎の顔を見た瞬間に打ち砕かれた。


 後悔と悲しみの表情を無理やり笑わせたような、(いびつ)な泣き笑い。


 その頬にも、返り血がついている。もはや決定的であった。


「コウっ……!」


 エカテリーナは光一郎へ向かって歩き出す。何があったのかは分からないが、今はまず、光一郎のことを抱きしめてあげたかった。何があったのか考えるのはその後でいい。……あんなコウの顔、見たくないから。


「きゃっ……!」


 だが、屍に足を取られ、前に転ぶ。転んだ拍子に、粘度の高い血の川に身を浸す。


 だけど立ち上がって、ゆっくりとだが、光一郎のもとへ歩く。


「……ごめんね、エカっぺ」


 光一郎が喋った。泣き疲れて(かす)れたような声だった。


「これから、僕…………この償いを(・・・・・)しなくちゃ(・・・・・)


 かと思えば——血塗れの刃を己の首に添えた。


「駄目っ!! やめてコウ!!」


 何をしようとしているのかを理解したエカテリーナは、悲鳴のように静止を訴えながら、近寄る足を早める。手を伸ばす。


 しかし、その手は彼からあまりにも遠い。


 比べて、その刃は彼とあまりにも近い。


「——さよなら、エカテリーナ」


「やめてぇっ!! コウっ!! 嫌ぁぁ————っ!!」


 光一郎は、握った柄を前へ引いた(・・・・・)















「————嫌ぁっ……!!」


 ベッドから(・・・・・)飛び起きる(・・・・・)のと同時に、エカテリーナの眼前の風景が一転した。


 血生臭い光景など何も無い。


 いつも見ている自分の部屋。


「はぁっ……はぁっ……!」


 夜中であるため部屋は真っ暗闇だが、目をつぶっていたため夜目がきく。


 息を切らせながら慌ただしくベッドから降り、()いた手つきで額縁を壁から外し、思いっきり胸に抱き締めた。


「コウ、コウ、コウっ……!!」


 額縁の冷たい感触。

 この中に(・・・・)納まったモノ(・・・・・・)の存在を強く意識し続ける。

 ばくばくと嫌な鳴り方をする心音が、徐々に落ち着いていく。


 冷たい。これは現実の感覚。


 アレは……さっきのあの血塗れの光景は、夢だ。


 ここは、光一郎がちゃんと生きてる世界。


 それを確かめたくて光一郎の家に電話したい衝動に駆られるが、こんな時間からは迷惑だろうし、何より今は光一郎は自宅にはいない。天覧比剣大会運営が用意した宿泊施設にいる。


 現実感で頭が一気に明瞭になってくるにつれて、エカテリーナは心情が、安堵から強烈な自己嫌悪へと移行した。


「…………馬鹿じゃないの。あたし。コウがあんなこと(・・・・・)、するわけないじゃん」


 あの光一郎が、無差別に人を斬ってから、自決など。


 彼の優しい所をたくさん知っていて、なおかつソレに救われた自分が、そんな夢を見るなど。


 自分が心底恥ずかしく、エカテリーナはそう吐き捨てた。


「ごめんね、コウ」


 抱きしめていた額縁を胸から離し、そのガラス面を見つめて謝る。……オニヤンマの鉛筆画が、中には納められていた。

 去年、光一郎がくれた絵だ。

 一時の気まぐれで渡したのであろう一枚目とは違い、「エカテリーナに持っていて欲しい」と明言した上で譲ってくれた二枚目。

 エカテリーナの宝物である。

 気持ちがしんどくなるたびに、エカテリーナはこの絵を抱きしめている。

 そうしていると、まるで光一郎の胸にしがみついている気分になり、とても幸せな気分になる。

 叶わない恋慕を誤魔化す行為であると分かっていても、エカテリーナはそれをやめられなかった。

 

 だって、あたしは——コウが好きだから。


 そんなあたしが、あんな夢を見るなんて、やっぱり死にたくなる。


「今度は……ちゃんと笑ってるあんたの夢を見るから」


 エカテリーナは、額の中の秋津(トンボ)にそう告げる。


 明日は天覧比剣の決勝戦が行われる日だ。寝坊は出来ない。今度はもうあんな夢を見て目を醒ますのはごめんだ。


(……それにしてもコウ、まさか本当に天覧比剣に行っちゃうなんてね)


 エカテリーナはその事に対して、今なお驚き続けていた。


 天覧比剣への出場だけでなく、まさか決勝まで勝ち残ったものだから、余計に。


 自分と同じく学校で浮いていた光一郎が脚光を浴びる様子を、エカテリーナは誇らしさと優越感と嫉妬を抱きながら眺めていた。

 ……お前らと違って、自分は昔から光一郎を見つめていたのだ。今更彼の凄さに気づいてももう遅い。あんまり馴れ馴れしくすんな。


(たった一年で、ここまで剣の腕を上げちゃうなんて…………)


 仏生寺(ぶっしょうじ)弥助(やすけ)という天才剣士の話を思い出す。

 今でいう靖国神社の位置にあった江戸期の名門道場「練兵館(れんぺいかん)」の風呂焚きをしていた弥助は、ある日道場の師範から遊びで剣の試合に参加させてもらうと、思いのほか筋が良く、その後本格的に塾生として剣を学ぶことを許された。

 それから弥助は瞬く間に才能を開花させ、たった二年で神道(しんとう)無念流(むねんりゅう)の免許皆伝を受け、道場屈指の剣士となった。

 だが一方で、学問を嫌うため教養に乏しく、私生活もだらしなく、人格に難があった。

 その人格が仇となり、金銭由来の悶着(もんちゃく)を起こし、(くるわ)で酔っていたところを暗殺されるという哀れな最期を迎えた。享年三十三歳。


 ——光一郎の剣の飛躍ぶりは、まさしく仏生寺弥助という天才剣士を彷彿とさせる。


 だけど、光一郎は弥助とは違う。

 想い人の(ほたる)に対しては、見ていて蹴りを入れたくなるようなデレデレした顔を時折見せるが、それ以外ではいたって良心的だ。

 彼に救われた人も多い。自分もその一人だ。


 ……そう。光一郎は断じて、あの夢のような凶行にその剣を染めるような男ではない。


 夢は所詮夢だ。


 あんな悪夢は、早いところ忘れてしまうに限る。


「……汗臭い」


 今更ながら、エカテリーナは自分の身の状態に気づいた。ずいぶん寝汗をかいたようだ。額と下着がべたべたしてて気持ち悪い。……こんなところ、明日の光一郎に見せられない。


「シャワー浴びてこよっと……」


 エカテリーナはオニヤンマの絵に軽くキスをしてから、額を元の場所へ戻し、服を用意して部屋を出たのであった。


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