【トーナメント表付き】天覧比剣——過去を超えた証
致命的な不注意を一部見つけましたゆえ修正致し候
「いたた……まだあちこちが痛むな……」
今なお体にジンジンと残留した鈍い痛みに、氷山京は思わず苦笑した。
頭上のシャワーヘッドから、心地良い暖かさを持った温水が絶えず流れ落ちる。
その温水は頭にかかり、顔と首を伝い、そこから下に広がる京の体をなぞって末端から流れ落ちていく。
細い所は細く、豊かであるべき場所は程よく豊かな均整のとれた女性的ライン。
一方で全身を形作る筋肉は一寸の無駄無くしっかりとついている。
曲線美に強靭さを宿した、まるで日本刀のような肢体。
そんな我が身を、京は修行を積んだ結果と誇る一方で、やや引け目のようなものも感じていた。綺麗に六つに割れている腹筋。年頃の娘として、やはりその雄々しさのある腹部が少し気になっていた。
一方で、この体は見かけ倒しでは決してない。ここまで鍛えていたお陰で、トキのあの投げ飛ばしを食らってもなお立ち上がって戦い続けられたのだ。
「……トキ」
思わず、その名を呟く。
——この天覧比剣における自分の望みは、一つ叶えられた。
トキに、自分が学んだ「玄堀の剣」を見せること。
その中でも、最上級の剣技である『鴻鵠ノ太刀』を。
村の英雄たる「首斬り小天狗」が振るったその秘剣を自分も振るうことで、自分はその英雄に認められる情熱と才覚を持つということを示す。
そうすることで——自分が今なお、生まれた村と、そこに住む幼馴染を想い続けているのだと伝えること。
自分の想いは、はたして、彼女に届いただろうか?
「……よし、行こう」
京は静かに、決意を呟いた。
今こそ、トキと直接向き合って、話をする時だ。
幸い、こちらには「勝ったので約束通り「玄堀の守り刀」を貰いにいく」という目的もある。会いに行く理由はちゃんと存在する。
……彼女と話すことにまだ引け目を感じている自分に呆れながらも、京は汗を流し切ったと判断してからシャワーを止めた。
体を拭き、夏物のセーラー服を着て、控え室から外へ出ると、
「……あ」
ドアを開けて早々、玄堀中学校のセーラー服を着たトキと遭遇。
いきなりの再会に、京は気が動転する。
トキはこちらの顔を見ることなく、うなだれている。身長差も相まって、ツヤツヤなおかっぱ髪に顔が隠れてよく見えない。
「……京ちゃんのあの技って、『鴻鵠ノ太刀』だよね」
そのまま、トキは重い語気でそう口にした。
京は気持ちをしっかり持ってから、
「ああ、そうだ。藤林先生から授かった、玄堀の秘剣だ」
「やっぱり……そうなんだ」
トキの呟きからは、まるで知りたくなかった事実を知らされ、それを渋々認めようとしているような、そんな鈍い響きが感じられた。
しばらく、お互い無言になる。
それからまた、トキが口を開いた。
「……認める」
「え?」
「認めるって言ったの。——京ちゃんは、今でも、玄堀村の住人だって。他ならぬ「首斬り小天狗」が、唯授一人の秘剣まで与えるくらいに認めているのだから。認めるしか、ない」
ぎりっ、という音がする。トキが拳を固く握りしめた音だ。
「でも私…………やっぱり、納得したくない」
「トキ……」
「だってそうでしょっ?」
今まで低まっていたトキの声が悲嘆するように高まる。同時に勢いよくこちらを見上げた色白な顔は……責めるような感情で歪んでいた。
「だって京ちゃんは——村を捨てた!」
涙の溜まったその瞳で、キッと射抜くように見据えてくる。
「苦楽を共にするべき時に、共にしなかった! 逃げたの!」
これまでにない凄烈な口調で、京のことを詰ってくる。
「みんなが村のために、ソ連軍や、それに対する怖い気持ちと戦ってる間……京ちゃんは安全であったかい帝都でぬくぬく過ごしてたの!」
その口調は、天井知らずに激しさを増していく。
「そんな人に、どうして静馬おにいちゃんは秘剣なんて教えるのっ!? 意味わかんない! 馬鹿なんじゃないの!? 京ちゃんは私をっ……私達を裏切ったのにっ!!」
悲嘆と怒号が入り混じったものに変わる。
「ふざけないでよ! 何が友達なの!? 裏切ったくせに!! 私を捨てたくせに!! 一番一緒にいて欲しい時に、一緒にいてくれなかったくせにっ!!」
今にも噛み付いて来そうなくらいに、京への瞋恚をまくし立てる。
「私がどれだけ怖かったか分かるっ!? いつ敵兵が村の奥まで来るか分からなくて、そうなったら辱めを受けるまえに自刃しろって!! それを言われて、臆病だった私がすんなり受け入れられたとでも思ってるのっ!? いっつも京ちゃんの後ろに隠れてばっかりだった、この私が!? そんなわけないじゃない!! なんでそんな簡単な事も分からないの!? 分からないクセに友達面しないでよ!!」
そして。
これまでにないくらい、怒りと悲しみに表情を歪め、あらゆる重々しい感情を短い言葉に込めて発散した。
「大嫌いっ…………京ちゃんなんて大っ嫌い!!」
この地下二階全体を揺るがさんばかりの声量。
それを発したトキは、肩を大きく上下させながら息切れしていた。色白な頬も紅潮していた。
——トキの気持ちを、京は今、全て理解した。
怖かった時に、一緒にいてくれなかったこと。
言い方を悪くすれば……トキはその事に対して駄駄を捏ねているだけなのだ。
だが、京にソレを指摘し、咎める資格は無かった。
……思えば、京の知る昔のトキは、随分な弱虫だった。
飾ってある羆の剥製が怖いという理由で役場に行きたがらず。
山で鳥がぎゃあぎゃあ鳴く声を聴くたびに京にしがみついてきた。
お泊まり会の時は、怖くて夜に一人でトイレに行けないから、必ずついて行った。
他にも、トキの臆病なところを、たくさん知っていたはずだ。
そんな子が、どうして、自刃など受け入れられようか。
本人の口から言われるまで、そんな事にも気づけなかったのは、なるほど、確かに友達失格かもしれなかった。
今でも故郷を想っているつもりで、昔の親友のそんな性格まで、言われるまで忘れかけていた。
そのことを、京は今、恥じた。
しかし一方で、約束は約束だ。
「……トキ。約束どおり、守り刀は渡してもらうからな」
トキは京を見ないまま「分かってる……!」と、静かに吐き捨てるように言った。
それから京は、静かに、懺悔するように言った。
「——ごめん、トキ」
「…………」
「君を一人にしてしまって。私だけ逃げてしまって。怖い時に、心細い時に、一緒にいてあげられなくて」
トキは何も言わない。見向きもしない。
それでも、京は言い続ける。
「私も、ずっとそのことを気にしていた。君を置いて行ったことを。君や、村の人達と、苦楽を共にできなかったことを。……私だって、君に、すぐにでも会いに行きたかった。怖かったよねって、抱きしめてあげたかった」
「…………」
「でも、できなかった。望まなかったとはいえ、結果的に、私は村を捨てて逃げてしまったのだから。その事実は、傷のようにいつまでも消えずに残り続ける。……そんな人間が、どの面を下げて帰れるというんだ」
「…………きょう、ちゃん」
「だから、私は、藤林先生から玄堀の剣を学んだ。たとえ戦争を生き抜いた経験を共有できなくても、せめて剣だけでも同じくしたかった。その剣を磨き、村の人達に少しでも近づきたかった」
そして言った。
愛の告白をするような、そんな気持ちで。
「そして、トキ……君にもう一度、会いに行きたかった」
瞬間、
「————ばかっ!!」
トキは、京の胸に飛び込んできた。
試合で当身を喰らったときは岩のように重かったのに……今は草の塊みたいに軽かった。
「大嫌いって言ってるでしょっ……! 私を捨てた、京ちゃんのことなんか……!!」
「ごめん」
「寂しかった!! 悲しかった!! 怖かった!! 京ちゃんが急にいなくなって、私がどんな気持ちだったか、京ちゃんに分かるっ!?」
「……ごめん」
「謝るな!! 許さないっ!! あの時のことっ、私、ずっと根に持つから!! 一生忘れないからっ!!」
京の双丘に顔を沈めたまま、くぐもった悲鳴みたいな涙声で訴えるトキ。
「どうしたら……許してくれる?」
京が、囁くように問いかける。
トキは背中に両腕を回し、強く抱きしめてきた。
「——もう、どこにもいかないで」
その声には、縋りつくような響きがあった。
「勝手にいなくなるのはもうやめて。……苦しい時、怖い時、泣きたい時、いつでもこうやって抱きしめられるくらいに、側にいて。ずっと一緒にいて。私のこと、もう捨てないで……!」
「捨てるものか」
京も、トキの背中に腕を回した。
「約束するよ、トキ。今より少し大人になったら、私は必ず玄堀村に帰ってくる。また、君の隣に戻ってくる。その時に……守り刀を君に返すよ」
「京ちゃん……」
「それが叶った時——君の守り刀は、私達の絆になる」
あの戦争を生き抜いた女としての誇りでもなく。
あの戦争の恐怖を思い出す傷跡でもなく。
——それらの過去を乗り越え、絆を取り戻した証にしようと。
「…………しんじても、いいの?」
「ああ。もしも違えたなら、私は自刃する」
「うんっ……!!」
ようやく、トキは京の胸元から顔を上げた。
お天気雨を思わせる泣き笑い。
京が覚えている昔のトキの顔と、ぴったり重なった。
「…………京ちゃんは、今でも、私よりおっきいね。背」
「そうだな」
「うん……このまま、潰れちゃうくらい、抱きしめて」
言われた通り、思いっきりトキの体を抱きしめた。
ゼロ距離にあるトキとの距離をさらに縮め、胸の奥底まで引き寄せるような気持ちで。
……四歳の頃からは随分と成長したが、それでもやっぱり京にとっては小さな背中。
この小さな背中を、もう一人にはしたくない。
自分は絶対に、この子を迎えに行く。
またこうやって抱きしめに行く。
そしたら、もう絶対離すものか。
そんな自分の胸の内を知って欲しいと思いながら、京はひたすらに強く抱擁した。
「嫌いなんて、嘘。——今でも、大好きだよ、京ちゃん」