天覧比剣——馬鹿者の剣《下》
——これが、玄堀の剣士か。
今の玄堀中のメンツが実際に山岳ゲリラとしてソ連軍と戦ったわけではないが、それでもすでに自我が発達していた子供の頃にあの戦争と隣り合わせていて、その恐怖と戦っていたことは事実。
当時、比較的安全な帝都で過ごしていた僕とは、「戦い」というモノに対する心構えが違う。
ほんの一瞬の油断が死を招く。それを彼らは知っている。だからこそ、一太刀一太刀に隙を見出すのが難しい。
本当の戦いは、競技撃剣とは違う。
剣だけでなく、あらゆるモノを利用する。
発想の柔軟さと、迅速な決断力が求められる。
その点において、目の前の玄堀の剣士は、僕よりずっと優れている。
「不幸を勲章にしてる」なんて、僕はもう二度と彼らに言えないだろう。
——僕なんかより、彼の方が、よほど「剣士」と名乗るに相応しいのかもしれない。
(でも、それでも僕の剣は、そんな彼に届いたんだ)
先ほどの『風車』。
あれは、マグレでも、奇跡でもない。
螢さんを、ずっと見てきたからこそ使うことのできた「必然」だ。
彼女の剣を見つめ続け、追いかけてきた僕の生き方あっての剣。
(……誰だって、それなりに闘って、それなりに悩んでるんだ)
玄堀村の人達が、先の戦争で闘い、苦しんだように。
氷山部長も、そこから逃げたことに苦しみ、しかし逃げた故郷にもう一度顔向けするために闘った。
どの生き方にだって、貴賎は無い。
それなりに闘って、それなりにつまづいたりしながら、前へ進んでいる。
そこにどうして優劣などつけられようか。
だったら——好きな子のお尻を追いかけ回す馬鹿者の剣が、侵略者と戦い抜いた高潔な剣に勝ったっていいはずだ。
僕は開始位置へ戻る。
前を向いたまま体を右に開いて、剣尖を右こめかみから前へ並行に伸ばした構え。
実った稲穂を思わせるその構えは、至剣流において鉄壁の防御の構えとされている「稲魂の構え」である。
桃哉氏もまた開始位置で構えをとる。右足を退き、右上段で剣をやや後傾させた構え。
……泣いても笑っても、これが最後だ。
持っているモノを、この三本目で全て出し切る。
出し渋りをして勝てるほど、この天覧比剣は甘くない。玄堀中が相手ならなおさらだ。
——僕は、桃哉氏の姿を見据えた。
「三本目——始めっ!!」
「ィャァァア!!」
開始がかかるや否や、桃哉氏はすぐさま距離を詰めてきた。
右上段から発せられた右袈裟に、僕は『電光』の太刀で対抗。瞬時に虚空に刻まれる「く」の字の太刀筋は、桃哉氏の剣に直撃するが、
(弾けない——!?)
強力な打撃力を誇る『電光』に当たっても、彼の竹刀は弾かれる事なく、僕の竹刀と切り結んだ状態を保っている。……桃哉氏は腰を落とし、右肩を竹刀の峰に添えてストッパー代わりにして、自分の竹刀の位置を固定していたのだ。さらに、彼の剣尖は僕の面を向いていた。
刹那にやってきた刺突を、僕は立ち位置を移動させながら『綿中針』の防御で円く受け流す。そんな防御と同時に向けた剣尖で牽制しながら後退するが、桃哉氏はそんな牽制などお構いなしに勢いよく追いすがってきた。
牽制を刺突に変更。しかし鋭く送り出された僕の剣尖を、桃哉氏は大きく僕の左隣まで飛び込んで躱す。それと同時に、面へ横一文字に斬りかかる。
その剣が届く前に、僕は速やかに後退しながら左手で竹刀を引き戻した。峰に右手を添え、柄頭を頂点に垂直に構えることで、十字の形になるようにして桃哉氏の横薙ぎから身を守る。さらに右へ飛び退いて距離を取ることで、返す刀に斬られぬようにする。
「正眼の構え」に戻り、桃哉氏に剣尖と視線と意識を向ける。
桃哉氏もまた休む事なく向かってくる。あれだけ動いてもなおその動きは鈍っていない。
攻防を続ける僕ら。
僕は完全に防戦一方であった。
だがそれは——僕が自ら選んだ選択だ。
僕はひたすらに桃哉氏を観ていた。
筋繊維の動きどころか、細胞と、そこでエネルギーを生成するミトコンドリアの活動をも看破する気持ちでひたすらに。
骨格の形、個々の骨の長さ、それに沿って伸び縮みする筋肉の動き、目線の動き方のパターン、 面金の向こうに見える表情筋の動き。
——絵というのは、最初の一線を描いた時点からすでに始まっている。
なぜならその一線は、その他の部位の輪郭を描く上での「大きさの基準」となるからだ。
すなわち、一箇所は全箇所に繋がっている。
人間の動きも同じだ。
人間は量産された機械のように、部品と可動域とプログラムが画一化されてはいない。
それぞれ個性がある。
個々人によって動きの質は異なる。
体のとある部位が「こういう動き」をしたら、体全体が「そういう動き」をする——本人が自覚していない「こういう動き」が、微細ながら存在する。
その「こういう動き」を知ることで、そこから「そういう動き」を逆算する。
——それこそが「影響の連鎖」を掴むということ。
螢さんや望月先生にだって無い、僕だけの権能。
それを掴むために、ひたすらに桃哉氏を見る、視る、観る。
——桃哉氏の表情筋がかすかに浮かべているのは、焦り。
彼の剣も、先ほどより激しい。
危険を省みず懐へ大きく飛び込んだりと、動きも少々大胆になってきている。
早く決着をつけようという気持ちが、そこはかとなく表れている気がする。
もう後が無いから?
いや、もしそうだとしたら、二本目ですでにこんな風になっているはずだ。
おそらく——早くケリをつけないと自分の勝ち目が薄くなる、と思ったからだろう。
彼が僕の「影響の連鎖」を読む特技を察したとは考えにくい。
たぶん、単なる直感だ。
しかしその直感は大当たりだ。流石は玄堀の剣士といったところか。
手数と重みとダイナミックな動きで僕を呑み込もうとする、彼の剣。
呑み込まれまいとその中でもがく、僕の剣。
相剋は連綿と続き——やがて終わりが訪れた。
重みと気がよく乗った桃哉氏の鋭い一太刀に弾かれ、左の虚空へ流される僕の剣。
弾むように軌道を変え、ガラ空きな僕の胴を斬らんと疾る桃哉氏の剣。
しかしその時、僕はすでに桃哉氏のリーチ外にいた。
————掴んだ。
僕はもう一歩後退しながら、先ほど払われた竹刀を手前へ引っ込めていく。
間髪入れずに鋭く送り込まれた、桃哉氏の片手突き。
しかし僕の胴は、後退し始めた時点で確実にその延長線上からズレようとしていた。
同時に、引っ込めた僕の竹刀が、突き出される竹刀を握る桃哉氏の小手へと予定調和のようにスムーズに近づく。
——桃哉氏が自覚無く己が身に描く「影響の連鎖」。
——それを観た上で動く僕。
双方が、決められた一つの型を演じるがごとく動き、勝敗を二分していく。
桃哉氏の刺突が、紙一重で空を裂き、
「————見事」
そっと花を添えるように、桃哉氏が呟くのと同時に、
僕の剣が、手前へ戻りながら、桃哉氏の小手を撫でた。
「小手あり!! 一本!! ——勝負あり!!」
準々決勝第三試合、勝者————富武中学校撃剣部。