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帝都初恋剣戟譚  作者: 新免ムニムニ斎筆達
帝都初恋剣戟譚 呪剣編
167/240

天覧比剣——玄堀の剣

 次鋒戦が始まる。

 

 玄堀中学校撃剣部——雪柳(ゆきやなぎ)トキ。

 富武中学校撃剣部——氷山(ひやま)(きょう)







 ……どれだけ、この日を待っただろうか。 

 ……どれだけ、この日を楽しみにしていただろうか。

 ……どれだけ、この日の到来を恐れていただろうか。


 これまで氷山京は、今この瞬間に対して、あらゆる感情を抱いてきた。


 帝国(ていこく)神武閣(しんぶかく)、地下二階層に広がる大武道場。


 その中心で、京と——雪柳トキは向かい合っていた。


 周囲からこちらを俯瞰する観客。(みかど)と国賓である米国大統領がいるVIPルームに通じているカメラもどこかにあるはずだ。


 だが、そんな衆人環視と、帝の御前であることすら気にならなくなるくらい、京は目の前に立つかつての親友に意識を吸い込まれていた。


 呼吸を整え、気持ちを鎮めようと努める。しかしどうにも気が沈下しきらない。


 早まる鼓動の振動を強く実感する。喉の辺りまで脈動感がある。


 一方、トキはまるで気負った様子無く構えた。竹刀を下段にして、右足と一緒に後ろへ引いた「(しゃ)の構え」。

 まるでそこに氷山(ひょうざん)の一角が出来上がったような、重心の落ち切った構え。

 それでいて、四肢を屈した狼のごとく今にも飛び掛かってきそうな、抑制された気迫。


 京はそれに対し、「勢眼(せいがん)の構え」を取った。

 竹刀を中段に伸ばし、剣尖をトキへ向ける。

 両者の目付が、その剣を通して一線上に一致した。


 視線を一切逸らさず、合わせ続ける。


 トキの黒い瞳は、一寸の揺らぎも見られない。


「一本目——始めっ!!」


 その揺らがぬ瞳のまま——トキは一直線に飛び出した。 


 中段に構えられた京の竹刀に切っ尖がギリギリ当たる間合いとタイミングで、「車の構え」から瞬時に左へ薙ぐ。


 京は竹刀を軽く持ち上げてそれを空振りさせる。


 だが当たらないことが確定するや、トキの剣は即座にその軌道を円弧から直進に切り替えた。トキのさらなる急加速も相まって、その剣は一瞬で京の間合いの奥へ入り、胴へ剣尖を急迫させた。……最初の薙ぎは、こちらの竹刀を上へ逃がさせて(・・・・・・・)、間合いを小さくするための(ブラフ)であると京は確信。

 

 京は斜め右へ退がってその突きを回避しながら、トキの面めがけて右袈裟を発した。左へ体を展開させる体捌きの勢いも込めた、重い一太刀。


 それに対し、トキも(おぼろ)のような俊敏さで全身を左へ開き、その右袈裟に竹刀を叩き込んだ。


 ばぁんっ!! という落雷めいた撃音とともに、京の足元が一瞬、ほんの微かに浮き上がった(・・・・・・)

 

(重い——!)


 よく見ていなければ視認できないほどのわずかな隙だったが、そのわずかな隙の間にトキは彼我の距離をずいっと詰めてきた。すでに間合い深くだ。

 

 どうにか対応が間に合った。素早く身を左へ開きながら、体の前に剣を垂直に立てる。胴を狙った刺突を避け、そこから両手持ちから左手持ちに分化すると同時に振り放たれた左薙ぎも防御する。


 さらにトキは急激に反時計回りに旋回。京の竹刀と触れ合った己の竹刀の峰めがけて右肩を叩き込んだ。剣越しに当身(あてみ)のインパクトをぶつけて吹っ飛ばす算段だったようだが、すでに京は後退しており、なおかつ竹刀を中段に構えて刺突への対応準備を整えていた。


 当身を失敗しても、剣尖を京に向けるという形で次の布石を作っていたトキは、運足とともに刺突。

 両剣が触れ合った瞬間、京は反時計回りに剣尖を回して巻き取ろうとしたが、それよりも速くトキの剣尖が時計回り(・・・・)を刻んだ。

 互いを追い合うように逆回転した両剣は合流することなく(・・・・・・・・)剣尖を奥へ進めていき——京の小手に迫ったトキの剣尖が蛇のように急加速!


「っ!」


 瞬時に右半身(みぎはんしん)を剣とともに引っ込め、トキの剣尖を捌く。そこから流れを途切れさせずに剣で剣を上から押さえ込みにかかるが、トキは竹刀ごと身を引っ込める。飛び退きざまに放った左太刀の打ち込みを、京はうまく避ける。


 再び開いた両者の間。


 呼吸を整え、気を整え、構えを整える。

 左足を引き、左胸から前方斜め上へ向かって剣尖を向けた構え。

 柳生(やぎゅう)心眼流(しんがんりゅう)三角(さんかく)()の構え」。

 防御から即座に反撃へ移せる構えである。


(トキ相手に、その場しのぎだけの防御は逆効果だ。その場だけでなく、「次」も予測した上で、一動作で防がなければ——)


 一動作に、攻撃や防御や牽制といった多数の性質を含ませるのは、京の得意技だ。


 だがそれは、同じ玄堀の剣を体得しているトキもまた同じ。


 ゆえに、場当たり的な対応だと、今の防御にはなり得ても、それはそのまま次の隙(・・・)になる。なにせ敵は、今と次を、下手をすると次の次まで見越して動いているのだから。


 そのトキがとった構えは、右上段から剣尖を前へ倒して並行にしたものだった。

 一般的に「(かすみ)の構え」と呼ばれていて、至剣流では「稲魂(いなだま)の構え」とされているものだ。

 こちらもまた攻防一体の構えである。


 両者、徐々に近づき、間合いがチョンと一瞬触れ合った瞬間、トキが最初に動いた。

 霞の構えから放たれた左への薙ぎを、京は瞬時に間合いから外れることでやり過ごす。

 さらにもう一歩踏み出しながら右へ走らせた二太刀目も竹刀で受け止め——そこから剣を弾ませるような形で体ごと奥へ出て、面へ横一閃に剣を発した。

 

 直撃寸前にトキの面が消えるのを見た瞬間、京は右へ足腰を切る(・・)。俊敏な時計回りの体捌きとともに発せられた右めがけての一太刀は、トキが床へ背を預けて転がりながら放った小手狙いの剣を弾いた。


 即座に立ち上がりざま「車の構え」となり、そこから左上へ逆袈裟で斬りかかるトキ。退がりながら左下へ竹刀を振り放って防御する京。


 上下から両剣が激しく触れ合い——その瞬間にトキの剣に捻りが生じた。前へ出ながら「三角矩の構え」となり、その構えの形(・・・・)が持つ力で京の剣を外側へ張り出したのだ。京の剣の後ろにトキの剣が回り込み、いつでも喉元を斬れる状態となった。退がっても間に合わない。


 だが、京は動き続ける。退がって駄目なら、前へ出ればいい(・・・・・・・)

 トキが「三角矩の構え」を取ったその瞬間、京は腰を深く落としながらトキの至近距離まで詰め寄り、その後方へ左足を置くと同時に左腕を喉元へ滑らせた。


 柔術の技法そのままに、左足を支点にし、梃子(てこ)の原理で投げ転がそうと試みて——しかし、できなかった。


(なんて重さだ(・・・・・・)、びくともしない——!)


 まるで大地に重々しく居着いた岩のように、トキの体は動かなかった。


 思えば、彼女の制服のスカートから伸びた足はやや太めでしっかりしていたし、重心の安定ぶりも恐ろしかった。あれはきっと心眼流の稽古の影響ではなく、険しい山と身近に関わってきた中で培われた結晶だろう。こういう点で、都会暮らしの長い自分との差をつけられた——


「っ!?」


 事態はそれだけで終わらなかった。

 自分の重みが、トキの重心に吸収されていく(・・・・・・・)感覚。


 一七〇センチを超える京の体を、トキの矮躯(わいく)が持ち上げていた。


 京が腰を落として重心を盤石にしているにもかかわらず、トキの強靭な足腰はそれをゆっくり、しかし着実に持ち上げていき、京の両足が床から完全に離れるやさらに加速(・・)


 まるで水面に跳び上がった(こい)のごとく、京の体はトキの真上で半月の軌道を暴力的に描いてから、床に背中から叩きつけられた。


「————っ」


 呼吸どころか、意識すら飛びそうになるほどの衝撃。


 竹刀で面を叩かれた感覚すら、どこか他人事のように感じた。


「——面あり!! 一本!!」


 審判の宣言が耳朶(じだ)を打った瞬間、京はまるで火薬に引火したように激しく咳き込んだ。


「げほっ!! がはっごほっごほっ!! ごっほっ、ごほっ……!!」


 涙が浮かぶ。胃液が出かけて喉がいがらっぽくなる。咳のし過ぎで顔が熱くなる。


 両手両膝をついて喘息(ぜんそく)のように咳き込む京へ歩み寄ったトキが、京にしか聞こえないほどの声で言う。淡々と、しかし冷厳に。

 

「私を投げるなんて、京ちゃんには無理だよ」


 咳が落ち着いてきた京は、涙のにじんだ目でトキを見上げた。


「京ちゃんが都会でぬくぬくしてた間に、私はずっと山を駆け回ってた。帝都(ここ)では男の人が持つような重い物も、玄堀村(あっち)でたくさん運んでた。過ごしてきた環境からして違う」


「トキ……」


「そんな京ちゃんに、「首斬り小天狗」の剣は相応しくない。剣を振るった分だけ、私達の英雄の名誉を傷つけるだけ。……今日を期に、私が捨てさせてあげる」


 容赦の無いその言葉に、京は呼吸を落ち着けてから、同じ声量で言葉を返した。


「……悪いが、そういうわけにはいかん。私にだって……私なりの意思があって、藤林(ふじばやし)先生に師事したんだ。トキ……君という友達と、もう一度会って、私が体得した玄堀の剣を見せたいと思って」


 それを口にした瞬間、トキの落ち着いた瞳に、激情のような光が一瞬浮かんだように見えた。……今にも掴みかかって来かねないような、そんな激情が。


 今なお膝をついた京に、審判が歩み寄って気遣わしく尋ねてくる。


「どうした? 大丈夫か? 無理なら棄権でも構わないんだぞ」


「——無用」


 審判の心遣いを、京はそう断じた。


 ゆっくりと立ち上がる。


 背中にはまだ衝撃の余韻が残っているが、動く分には問題は無い。鍛錬の成果だ。


 開始位置へ戻る。


 同じように戻ったトキと、再び向かい合った。


 静かに気力が燃える彼女の瞳を、まっすぐ見つめる。


 京は、決心をつけた。


 ——「あの技」を、今ここで()せずして、いつ見せようか。


 否や、京は「構え」を取った。

 右足を後ろへ退き、体を一重(ひとえ)にした真半身(まはんみ)の体勢。その状態で腰をまっすぐ落とす。

 両腕を前後へ真っ直ぐ伸ばす。

 左掌を前に。

 その延長線上反対側にある右手に握る竹刀は、(つる)を下にした並行。剣尖は真後ろ。

 目線は、前に構えた左掌の指先から先を見据える。——その延長線上に、トキの姿を置く。


 気を鎮め、意識を研ぎ澄まし、全身の細部まで行き渡らせる。


 心なしか、衆人環視のざわめきが、一段と静かになった。


 京の心が静まったからそう感じるだけか、あるいは(・・・・)


(——見せてやる、トキ。私が師より授かった「玄堀の秘剣」を)














「…………あなた。(きょう)ちゃんのあの構え(・・・・)って、もしかして」


 観客席北側二階。一才の娘である木芽(このめ)を抱っこして座っている藤林(ふじばやし)千鶴(ちづる)が、左隣に座る夫の静馬(しずま)に神妙な顔で問いかける。


「うん。……使う気だよ、京ちゃん。「あの技」を」


 静馬は答えながら、眼下の京を見つめていた。


 妻や我が子に向けるような優しい目ではなく、厳しくも誠実な師の眼差しで。


 ——静馬は十一年前の戦争で、何度も人を斬ってきた。


 故郷を守ろうという亡き兄弟子の意思を受け継ぎ、心を殺して「鬼」となり、数多の敵兵の首をその剣で刎ねてきた。


 だが、たとえ侵略者であっても、同じ人間。それを忘れて相手を憎しみのまま悪魔化(・・・)すれば、自分達もいつか彼らと同じ狂気に染まりかねない。

 ……静馬があの戦争で刀を武器にしていたのは、射撃が下手だからというだけでなく、そういう心構えもあったからだ。

 刀であれば、殺すたびに「人の骨肉を断った」という感覚が手元に残る。相手が人であることを忘れずに済む。


 日本軍はソ連による侵攻を阻止し、玄堀村も村民の奮戦によって守り通された。


 静馬もまた、あの戦争で多くの人々を守った「英雄」の一人として、世間に数えられている。


 だが……静馬の手には、人を斬ってきた感覚が今なお濃く残っている。


 斬ったのは一人や二人ではない。勘定するのも嫌になるほどの数だ。


 肉体に刻み込まれた修羅な記憶は、静馬を「武」とつくモノ全てから退かせるには十分過ぎるものであった。


 戦後、静馬は武術を捨て、ずっとやりたかった植物学の道へ進んだ。


 上京して高校と大学に入り、講師にもなり、千鶴とも正式に祝言を挙げた。


 ——京と再会したのは、三年ほど前だ。


 図書館にあった、帝都大学公開講座の張り紙。そこの講師名の欄で自分の名を見つけたらしい京は、帝都大の門前で自分のことを待ち伏せしていたのだ。「藤林」と「静馬」という、玄堀村に馴染み深い苗字と名前に、彼女は賭けたのだ。


 当時小学六年生にまでなっていた京だが、幼い頃に知っていた彼女の顔と面影が容易に重なり、小さい頃に両親と村を去ってしまった氷山京本人と静馬は判断。

 京もまた同じく、かつての田岡(・・)静馬本人だと見て気づいたようだった。


 数年来の再会を喜び近況を話し合う二人だったが、京が「自分に武術を教えて欲しい」と志願してきた時は、さすがに顔色を曇らせざるを得なかった。


 静馬は武術を捨てたのだ。それなのに、武術の指南など出来ようはずはない。京の志願を、静馬は丁重に断った。


 だが、京は諦めなかった。


 何度も静馬のもとを訪ねて、伏して弟子入りを請うてきた。


 「本物の玄堀の剣を教えて欲しい」と。


 断っても、何度も。


 それから一ヶ月後、マンションの前で座り込んでいたせいで京が風邪を引き、倒れてしまった。


 このままでは彼女のために良くないと思った静馬は、精一杯の「妥協案」を提示した。


 静馬の課す「修行」を耐え抜いたら、入門を認める——そのような「妥協案」。


 その内容は、大人でも音を上げかねないほどの、過酷なものだった。

 それを子供である京が、夏休み期間中、一日も休まずに行う。

 最後の一日まで脱落せずに耐え抜いたら、入門を認める。


 静馬はそれを「無理だろう」と考えた。


 無理だからこそ、それで駄目なら、諦めてくれるだろうと思っていた。


 ……だが、京は耐え抜いた。


 過酷な試練を経てもなお、その目に宿る光を少しも薄らせず、教えを乞うてきた。


 それを目の当たりにした時——静馬は己の天命を悟った。

 自分がかつて受け継いだ「玄堀の秘剣」。

 その剣をお前の代で途絶えさせず次代に継承させよという、玄堀村の氏神(うじがみ)命じ(・・)を。


 静馬はようやく折れ、入門を許した。


 柳生心眼流を一から徹底的に教えた。


 京は静馬の教えを凄まじい勢いで吸収していき、あっという間に上達していった。


 それを見た静馬は、京を認めた。


 自分が持つ「玄堀の秘剣」を受け継ぐに値する剣士であると。


 そうして静馬が「玄堀の秘剣」を教え始めたのは、今年の一月からであった。


(使うんだね、京ちゃん————「玄堀の秘剣」を)


 かつての親友に対して。


 玄堀村の、一番の心残り(・・・)に対して。


 このために自分は玄堀の剣を学んだのだと言わんばかりに。


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