天覧比剣——ある三人
息継ぎ回です
「くっそ、卜部ちゃん負けちったかぁー……」
悔しがるような、苦笑するような、そんな口調で呟いたのは大河内篠であった。
カーキ色のタンクトップにショートジーンズという夏らしくラフな装い。それらの裾の短い服から伸びる細くも筋肉の密度の高い四肢と、ベリーショートの髪と快活な笑みの似合う顔つきはいかにも少年らしさがあるが、タンクトップの胸元を形良く膨らませる双丘が唯一、しかし雄弁に女性であることを表している。
観客席二階、南側最前列。そこに座って準々決勝第三試合を俯瞰しているのは、篠だけではなかった。
「卜部さんを見た感じ、左太刀への対応の訓練をそれなりに積んできていたようですけれど……相手が悪すぎましたわね」
篠の右隣に神妙に座る天沢紫が、静かにそう口にした。
露出の大きい篠とは反比例し、半袖とロングスカートの白いセットアップという極力露出が抑えられた格好。彼女の綺麗な黒い長髪とツートーンで相性が良い。
「そういや紫、あんたの新陰流も左太刀をよく使うんだっけか?」
「ええ、まあ。わたくしも使えますけれど、あんな風にホイホイ持ち手を変えられるほどの技量にはまだ自信がありませんわ。失敗して竹刀を取り落としたらその時点で負けですもの」
「だよなぁ。そんなお手玉を危なげなくホイホイやれちまうのは、去年と変わらずか」
言いながら、三人は眼下の大武道場を見つめる。
先鋒戦が終わり、次鋒戦が始まるところだ。敗北した富武中学の先鋒の卜部峰子は、これから戦う次鋒とすれ違いざま、ねぎらうように軽く肩を叩かれていた。
これで富武中に後が無くなった。勝負の分かれ目は、この次鋒戦にかかっている。
勝てば、大将である秋津光一郎へ襷を繋ぐことができる。
負ければ、富武中の今年の夏はここで終わりだ。
紫も篠も、固唾を吞んで見守る。
そんな中、紫の右隣に座っていた三人目——ギーゼラ・ハルトマン=牧瀬だけは、いつもの生意気そうな高い声で言った。
「天沢先輩ってば、随分と真剣に見てるじゃないの」
二束の三つ編みにした金髪に、パフスリーブが特徴的な黒い半袖ワンピース。人種由来の色白さも相まって西洋人形のような愛らしさのある風貌だが、その猫っぽい顔に浮かぶのは人を食ったようなニヤケ顔。
言われた紫は、バツが悪そうな顔をした。
「な、何がおっしゃりたいのかしら」
「いや別にぃ? ただ、あんな毛虫みたいに嫌ってた秋津光一郎クンのガッコの試合なのにー、って思ってただけヨ。悪態つくか、富武中の試合だけ見ないかすると思ってたのに、初日から今までずっと富武中の試合だけ特に注目するようになってんだもん。その心の内やいかに、って思っただけ。マジでどったの? どったの?」
うざったく絡んでくるギーゼラへひと睨みを送ってから、紫は試合へ向き直って言った。
「……嫌いですわよ。今だって。あんな男の事なんか。対面した瞬間、あのトボけた顔に唾でも吐きかけてやりたくなるくらい」
「まぁお下品」
「うるさいギーゼラ。……でも、残念ながら、甚だ残念ながら…………わたくしは剣士としての秋津光一郎には、一目も二目も置かずにはいられませんの」
そこで篠が会話に加わる。「まぁ、不調ありきとはいえ、あんたに勝つくらいだしな」
「ええ。それに……あの男は、何か持っている」
「ナニカって?」
「分かりませんわ。けど、確実に、わたくしには持っていない、凄まじい「何か」を。……わたくしはあの試合で、その片鱗を己の剣で味わいましたわ」
篠は考える仕草を見せてから、
「……そういや、あの秋津とかいう坊っちゃん、二本目の終盤で急に動きがめちゃくちゃ良くなってたよなぁ」
「ええ。まるで別人のように。……わたくしがあの嫌いな秋津光一郎をここまで注視するのは、ひとえに、その「何か」の正体を看破したいという思いからでしょうか」
「んで、出来たかよ? カンパ」
ふるふるとかぶりを振る紫に、ギーゼラはなおも小憎らしい笑みを浮かべて、
「あと、「開幕演武」っていう嬉しい誤算もあったしねぇ? 望月先輩が剣を振るうたびに「きゃー! 螢様ー! 素敵ー! 抱いてー!」って叫んでたし」
「嘘をおっしゃい!! 嘘を!!」
真っ赤になって否定すると、きゃはははと笑いながら飛び退くギーゼラ。観客の一人が目の前を遮られて迷惑そうに顔をしかめる。
(まったくギーゼラったら、そんなふうに叫んでいたわけがないじゃありませんの)
……なぜなら自分は、螢と息ぴったりに『生々流転』を披露してみせた嘉戸寂尊に対し、強い嫉妬を抱いてしまっていたのだから。
それを自覚して、自分の中に螢への想いがまだ根強く残っていることをさらに連鎖的に自覚させられたのだ。紫にとって「開幕演武」は、軽い拷問のような催しだった。
「あ、そろそろ次鋒戦始まるみたいよ。静かにしなさいよ天沢先輩」
「貴女がふっかけた話でしょうっ?」
自分のことを棚に上げるギーゼラに苦言を呈する紫だが、自分の席に戻ったギーゼラの神妙な横顔を見て、少し妙に思った。
彼女の目は、すでに構えを取った次鋒二名に集中している。
より正確には……富武中学の次鋒に。
「……ギーゼラ?」
その神妙な横顔が気になった紫は、思わず声をかけた。
「——とうとう、氷山さんの試合だわ」
ギーゼラは、期待のにじんだ声で、独り言のように呟く。
「今回は掛け値無しの強敵よ? 氷山さん。——この状況でもまだ、アンタは自分の「全力」を隠し通せる?」
猫のような吊り上がった瞳を、好奇心で輝かせながら。