天覧比剣——兎塚祭
『火薬というのは、人を傷つけることも、喜ばせることも出来る。そのどちらを成すのかを決めるのは、他ならぬソレを扱う人間次第だ。ゆえに軽率はいかん。まずは冷静になれ。その上で、自分が火薬を使って何を成すべきなのかを考えるんだ』
小さい頃から今に至るまで一言一句変わらない、父の口癖だった。
兎塚祭は、花火師の家の末妹として生を受けた。
幼い頃から、仕事に取り組む父の背中を見て育った。
普段はひょうきんで面白い父であったが、仕事に関しては厳格だった。
花火師は、火薬を使って人を喜ばせる仕事だ。しかしその火薬は、使い方を違えば容易に人を死なせる凶器と化す。厳しくなるのも無理からぬ事といえた。
——十一年前の「玄堀村の戦い」において、そんな父の技術は、効率よく敵兵を殺すために応用された。
簡単な爆弾を作ったり、人工雪崩を起こして敵兵を生き埋めにしたり。
銃器の不足していた玄堀村において、父の技術は大変に役立った。
あの戦争では「首斬り小天狗」の武勇伝ばかりにスポットが当てられがちだが、祭の父もまた、あの戦いの勝利に大きく貢献した功労者の一人だ。
だが、父はそのことを誇ったことは一度たりとも無い。
「もう二度と爆弾なんぞ作りたくはない」という答えが、必ず返ってくる。
たとえ自分達の故郷を蹂躙せんとする軍勢と戦うためとはいえ、人を喜ばせるためにと思っていた技術を、殺人のために使ってしまったことが、父にとっては大変な苦痛だった。
……祭が「玄堀村の戦い」を誇らしく思いながらも、そこまで拘ることができないのは、そんな父を見てきたからかもしれない。
だからこそ、秋津光一郎から「不幸を勲章にしている」みたいな言葉を返された時も、反感を禁じ得なかった他の部員と違い「一理あるかもしれない」と思った。
部長のトキが「戦争から逃げた」と厳しい認識を向ける氷山京に対しても、別段軽蔑のような感情は持たなかった。
むしろ、軍人でもないのに強大なソ連軍との戦いを選んだ玄堀村の方が異常なのかもしれないと思うからだ。
地形的有利があるとはいえ、現代兵器に刀剣や猟銃で立ち向かうのはあまりにも部が悪い。普通は疎開を選ぶだろう。
……トキ。自分より一つ上の先輩。
見た目の素朴さ静けさとは裏腹に、その性格は活動的かつ激情的だった。
野良仕事をよく手伝い、猟で仕留めた獲物の解体を手伝いに行ったり、雪が積もるたび大きな雪像や雪室を作ったり、山歩きで遭難しかけた登山者を村に送り届けて保護したり。
村で行う撃剣大会では、他の少年を圧倒したりするほどの腕前。
山歩きでも、剣でも、同世代で彼女に敵う者は一人もいない。
……だが、トキの母親曰く、小さい頃はもっと弱虫で引っ込み思案だったという。
四歳くらいまでは、活発な親友の後ろに隠れてばかりだったという。
その親友のことを、まるで本当の姉のように慕っていたという。
いや、それどころか、初恋のようなものだったとさえ言っていた。
それが氷山京であった。
トキが今の性格になったのは、京がいなくなったことに起因しているというのは、むべなるかなと思う。自分を支えてくれていた人がいなくなった以上、自分で自分を強くするしかなかったのだろう。
だからこそ、自分を置いていなくなった京のことを、あんなにも厳しく見ている。
だからこそ、京が「首斬り小天狗」の弟子となったことを、快く思っていない。
だからこそ——十一年経った今なお、京にこだわり続けている。
トキが京と戦うために次鋒戦を選んだのは、どちらが優勢でも劣勢でも必ず行われる試合だからだ。
必ず戦いたいという、トキの意思の現れだった。
しかも、自分が負けたら、自分の宝である守り刀を差し出すという。
口では随分な物言いで京を揶揄しているが、トキは今なお京に強く入れ込み続けている。その接し方が昔と違うだけだ。
……いずれにせよ、祭が勝とうが負けようが、トキと京は次に戦うことになる。
そして祭は、この試合を譲るつもりはない。
富武中学側の先鋒。卜部峰子。
動きから察するに、おそらくは香取神道流か鹿島新当流だろう。それもなかなかの腕。
祭は冷静に彼女を見定め、結論を下した。
——自分の持っているモノを全て出せば勝てる、と。
——祭の動きが急変したのは、開始から一分ほど経った時だった。
右下段の「車の構え」から放たれたのは、大きな右袈裟。ただし左手だけで振った。
完全に両手で剣を振ることを前提で考えていた峰子は間合いを読み誤った。反時計回りに身を捻って剣で防ぐのが少しでも遅れていたら、面の左側に当てられていただろう。
祭はまだ止まらない。瞬時に両手持ちの左太刀へ切り替え、退がりざまに小手を狙う。
峰子は『綿中針』の防御の太刀で円く防ごうとする。
だがソレよりも早く祭は竹刀を右手で引き戻し、即座に左手に持ち替えて胴へ突き。
その突きを弾こうと、峰子は身を鋭く時計回りに切った。その体捌きに従い剣も左へ瞬発。突きを出した祭の竹刀は片手持ち。横からの衝撃に弱い。そう踏んでの動き。
だが次の瞬間、祭は己の竹刀に素早く身を寄せた。
同時に持ち方を左太刀に変え、体勢を左半身にし、竹刀の峰部分に左肩を押し付ける。
結果、峰子の剣によって弾かれることなく、左肩で竹刀の位置が固定された。
「っ!?」
祭の竹刀はそのまま運足に合わせて直進し——峰子の胴を突いた。
「——胴あり!! 一本!!」
……まさしく、瞬く間、という表現が似合う展開だった。
(持ち方の左右だけじゃなくて、片手持ちの左右まで自在に切り替えるなんて……!)
変化のパターンが増えた。
それによって、より迅速で、より変則的で、より読みにくい連撃を実現している。
おまけに、洗練された体捌き。
柳生心眼流は日本武術の中でも特異な流派だ。
徒手技術が投げや制圧ではなく、打撃を主軸にした拳法であり、それを徹底的に鍛える。
拳法を練ることが、そのまま他の武器を練ることにも繋がる。なぜなら他の武器術は、拳法の動きを基盤にしているからだ。
ゆえに拳法が強ければ、剣も強くなる。
まるで中国武術のように。
(強敵ね……!)
おそらく、剣でも、組討でも、彼女は自分よりも強い。峰子は確信する。
覚悟はしていたが、これほどとは。
(けど、諦めてやられるつもりはないわ——)
峰子は開始位置へ戻ると、気勢を取り直し、「引の構え」となった。
対し、祭が取ったのは「露構え」。
右足を引いて全身を陰へ開き、左掌を前へ突き出し、平行に担ぐように持った右手の剣をその真後ろに隠した構え。
……あれでは次の剣の動きを読むのが一瞬遅くなるばかりか、今右手が柄のどの辺りを握っているのか分かりにくくなる。
「二本目——始めっ!!」
瞬間、祭は大きく身を進めながら右袈裟の太刀を放ってきた。……持ち方は左太刀。
峰子は後退しながら同じく右袈裟を発して切り結ぶ。そこからすぐに祭の剣尖が瞬時に小さく時計回りしながら小手を狙ってくるが、竹刀ごと振りかぶって回避。だがそこでさらに反時計回りしつつ右太刀となって再び小手に迫る。
退がりたくなる衝動を殺し、峰子は前へ進む。祭の竹刀を左へ弾き、すかさず右側へ向かって鋭角三角形のような太刀筋を鋭く描く。鹿島新当流『地ノ角切』。
だが、その鋭角三角形の太刀筋の中に、異物は無かった。——祭は床に尻が付かんばかりに深々と腰を落とし、その下をくぐっていたからだ。
「っ!?」
その柔軟性に驚きつつ、峰子は体を左に捌いて竹刀を左下へ斬り下ろし、一瞬後に祭が放った一太刀をギリギリで受け止めた。……先ほど祭に近づいた際、その竹刀を「弾く」ではなく「受ける」にとどめていたら、剣の自由をすぐに取り戻されて胴を斬られていた。たった一瞬の何気ない判断が峰子を助けたのだ。
が、深く腰を落とした状態になってもなお祭の剣は動く。小手を狙ってきたのを峰子は振りかぶって後退して躱す。そして勘づく。……今の小手斬りは、かなり低い位置にある自分の面を峰子に打たせないための牽制であると。
祭は腰を上げながらさらに接近。その過程で右下からの斬り上げ。
峰子は大きく後退して回避。空振りした流れで上段に振りかぶった竹刀を翻し、祭は振り下ろした。左手だけで。両手振りでは届かないが、片手振りなら届く程度の間合い。
「っの——!?」
またしても間合いを読み誤り、峰子は素早く竹刀を頭上で平行に構えて一文字受け。ギリギリのタイミング。
すると、祭は竹刀を引っ込めながら足を進めた。剣尖は峰子の頭上の竹刀から滑り降り、そしてまた胴めがけて直進。
(なめるな——!)
突きが胴に当たる直前、峰子の姿が瞬時に右へ動く。突きを外させると同時に、それをした祭の片手持ちの竹刀へ一太刀を振り下ろした。
祭もまた独楽のごとく足腰を切る。自身の真左に立つ峰子へ瞬時に振り向くと同時に自分の竹刀を後ろから右肩で押し、迫った峰子の一太刀を重々しく左へ弾き返した。その拍子に峰子へ向いた剣尖を運足で近づける。
やむなく、峰子は転がって後退。刺突の回避を見送るや瞬時に体を起こし、すぐさまやってきた祭の一太刀を己の剣で受け止める。
かとおもえば、祭の握りが左太刀に変じ、返す刀で胴を斬りにかかる。
峰子は左手で峰を持った中取りの構えでそれを防御。
祭は峰子の間合いのギリギリ外まで身を退かせ、そこから左手一本で刺突。小手に迫る。
峰子がそれを右へ弾くタイミングと被せる形で、祭は後方へ素早く飛び退いた。二太刀目で斬られないようにするためだ。
それから祭は再び接近しながら左手だけで竹刀を右へ薙ぐ。
もう一度竹刀を弾かんがために峰子が発した『拂ノ太刀』とぶつかり合う直前——柄を両手持ちにしながら急激に全身を時計回りに捻る。それらの動きによって急激に重みを増した祭の一太刀は、峰子の薙ぎ払いを重々しく弾き返した。
「っく……!?」
峰子もその衝撃に体を持っていかれる。だがその勢いに逆らわず倒れ、転がり、立ち上がった。
そして追い討ちに迫った剣をまた受ける。
次も、その次も、受け続ける。
峰子は上手く攻めることが出来ず、ほぼ防戦一方となっていた。
技の速さと激しさもあるが、それは理由として小さかった。
ある時は持ち方が変わり、ある時は持つ手の本数が変わり、ある時は剣に宿る重みが変わり、ある時は剣同士がぶつかった時の感触の硬軟が変わる——虚実の変化をありとあらゆる手段で行われ、次の変化が予想しにくく、攻め所がどうにも見つからないのだ。
そうして攻めあぐねている間に、祭は峰子の対応能力を少しずつ超えてくる。
峰子の防御をどんどん掘り進んでくる。
真綿で首を絞めるように。
(駄目……!)
徐々に、徐々に。ゆっくりと。
(押し潰されるっ……!)
しかし、着実に。
(ちくしょう、また、私は負けるのか————!!)
確実に。
やがて。
「胴あり!! 一本!! ——勝負あり!!」
絞め殺された。