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帝都初恋剣戟譚  作者: 新免ムニムニ斎筆達
帝都初恋剣戟譚 呪剣編
162/237

天覧比剣——幕間「いつか見たような夕暮れで」

神奈川組sideのラストです。

 天覧比剣少年部の参加校には、それぞれ宿泊先であるホテルが手配されている。天覧比剣が閉会するまでの間、そのホテルに滞在することになる。


 一つの大きなホテルに二校から四校くらいまで収容する計算だ。


 神武閣に近い場所もあれば、駅をいくつか跨いだ先の場所もある。


 ——中陸中学校撃剣部が宿泊するホテルは、新宿区南東端の四谷(よつや)にあった。


 三回戦の全ての試合が終わった後、中陸(なかおか)中学校一同はそのホテルへ帰ってきた。着いた時には昼過ぎであった。


 部員らの表情はみな優れない。それが今日の結果を言外に表していた。


 ……だが、それは同時に、天覧比剣への真剣さの裏付けでもあった。


 毎年地区予選落ちの弱小部がここまで這い上がるまで、さまざまな苦労や軋轢(あつれき)を繰り返してきた。


 それらを乗り越えて、この天覧比剣まで来た。


 誰一人として、それで満足などしていなかった。


 行ける所まで、それこそ優勝まで行きたかった。


 ……だが、今日、その「行ける所」に達してしまった。


 富武(とみたけ)中学校に敗北してからというもの、部内は必要な会話以外、ほとんど無言に等しかった。


 機械的にシャワーを浴びて制服に着替えて身支度を済ませ、送迎バスへ乗った。バスの中でも会話が無かった。


 ホテルに帰ってきて、ロビー前にて必要最低限の言葉を交わして解散してから、ようやくすすり泣きが部員達から聞こえだした。


 ……一満(かずみつ)は、泣かなかった。


 胸の内には「終わったのだ」という気持ちが強かった。

 その気持ちを形作る感情は、安堵と虚無感。

 天覧比剣へ向かって無我夢中で走り続けて、ようやく座り込むことを許されたような安堵。

 大変でありつつも楽しかった日々が、終わってしまったことへの虚無感。


 そう、終わったのだ。


 悔しくないわけではない。


 だが、やっぱり「終わったのだ」という気持ちの方が大きかった。


 ——せめて心残りがあるとするなら、蓮美(はすみ)のために優勝できなかったことだ。


 もともと一満が撃剣部に入ったのは、蓮美が理由であった。


 最初は、ただ蓮美とお近づきになりたいという下心ゆえ。


 しかし、いつしか蓮美と「天覧比剣」という目標を同じくして、今日まで頑張った。


 その天覧比剣にも行き、今度は優勝を、とさらに頑張った。


 優勝した時、蓮美がいったいどんな顔で笑ってくれるのか——それだけが、一満の望みだった。


 だけど……それは叶わなかった。


 最も悔しがるとするならば、そこかもしれない。


 一満はホテルでバイキング形式の昼食をとってからというもの、気を紛らすため、持参してきたSF小説を空調の効いた自室で読んでいた。


 いつもより読むペースが早く、百ページ読んだあたりで少し喉が乾いてきたので、栞紐(しおりひも)を入れて本を一度閉じてベッドから降りた。時計を見ると、午後三時だった。


 部屋を出て、エレベーターで自販機のある一階へ降りてすぐ、一満は蓮美と再会した。


「……一満くん?」


 セーラー服姿の蓮美は一満に気がつくと、親しげな笑みを浮かべて話しかけてきた。


「どうしたの? 一階まで来て。部屋で休まないの?」


「あ、うん……ちょっと喉が渇いたから、飲み物を買いに」


「そっか」


 納得したように微笑む蓮美。


 それから少しの間、無言で見つめ合う。


「一満くん?」

 

 きょとんとした顔でこちらを見る彼女の顔には、曇りの感情は見られない。……あくまで表面上は。


「えっと……」


 一満は何と言えばいいか分からなくて、返事に窮する。


 だがその時、蓮美は一満の手を掴んだ。


「へぁっ!?」


 想い人の手の感触に、一満は思わず変な声を出してしまった。す、すべすべしてる……!!


 そんな一満の羞恥と歓喜を知ってか知らずか、蓮美は悪戯小僧のような微笑を浮かべ、次のように提案してきた。


「——ね、これから一緒に観光しない? せっかくの帝都なんだから」

 











 すでに午後三時であるため、そう遠くまでは行けない。なので必然的に近場をうろつくことになった。


 二人きりになり、見慣れぬ帝都の街並みを物見遊山(ものみゆさん)


 あちこち指差しながら楽しそうにしている蓮美を眺めながら、一満はデートしている気分を勝手に満喫していた。


 恥ずかしいけど……それ以上に楽しくて、嬉しい。


 四谷とは言わず、このまま東京二十三区全部踏破出来そうな気分だ。


 それに、あまり来る機会の無い帝都を見て回るのは、良い気晴らしにもなる。……蓮美も、そのつもりで「観光」なんて言ったのかもしれない。


(あと一つわがままを言うなら……手を繋ぎたい)


 さっきのすべすべした感触の手を、願わくば、もう一度握りたい。


 ぶらぶらと何も持たないお互いの手を、一満は歯痒い気持ちで見下ろす。


 そのような感じで、楽しくもこそばゆい観光は続く。


 だが、日照時間が長い夏といっても、日はいつか沈む。


 空が夕焼けとなった頃、蓮美が最後にと訪れた場所は、須賀(すが)神社(じんじゃ)であった。


 元々は赤坂の稲荷神社(いなりじんじゃ)であったのが、江戸城外堀(そとぼり)普請(ふしん)のため寛永(かんえい)十一年(1634年)にこの四谷へ遷座(せんざ)され、須佐之男(すさのおの)(みこと)などの神と合祀(ごうし)したのが始まりとされている。

 「須賀」という社名の由来は、須佐之男命が出雲(いずも)にて八岐大蛇(やまたのおろち)を倒したのちに発した「(われ)此地(このち)に来たりて、(こころ)須賀須賀(すがすが)し」という言葉である。

 ……以上、蓮美の説明であった。


 大鳥居へ一礼してからくぐって奥へ進み、夕日に彩られた拝殿の前まで来た。


 蓮美が苦笑気味にこちらを向く。


「えっと……何をお願いする?」


 そう問われて、一満は少し考え、思いついた。


叔父(おじ)さんが元気になりますように、って」


「一満くんの、叔父様?」


「うん。叔父さん、軍人なんだけど、最近仕事で何かあったみたいで、ちょっと悩んでるみたいなんだ。だから、元気になってくれたらいいなって」


「高校合格祈願、とかじゃないんだ?」


「うん。スサノオ様って厄除けの神様でもあるらしいし、丁度いいかなって。……蓮美さんは、お願い事とかある?」


 訊くと、蓮美は少し間を置いてから、答えた。


「——私のお願いは、もう叶ったから」


 その声音は、驚くほど穏やかで、かつスッキリとしたものだった。


「天覧比剣に、行くことができたから」


 どんな結果でも、それを聞き入れ、納得し、自分の感情と折り合いをつけた大人のような。


「弱小だった部でも、頑張って、頑張って、ここまでこれたんだから」


 しかし、大人というのは往々にして嘘が上手だ。


「あの望月(もちづき)さんと、同じ舞台で、戦えたんだから」


 納得していなくても、それによって軋轢を起こさず社会を回すため、嘘や建前を使いこなす。


「ほら、もともと「天覧比剣を目指す」ってことしか考えてなかったんだから! 勝ち抜いて、優勝しようなんて、最初はそんな事考えてなかったんだから!」


 そんな大人に、蓮美はなろうと、今、努めている。


「運良く二回勝てたけど……でもやっぱり、甘くなかったね。天覧比剣って。強い人達ばっかり。私もあっという間に負けちゃったし、一満くんに勝っちゃうくらい強い人もいたし」


 だけど——一満の目から見ると、それはひどく、サマになって(・・・・・・)いなかった(・・・・・)


「だから、私にお願い事なんて無いの。私のお願いは、天覧比剣に行く事で、それはもう叶ったんだから——」




 そんな蓮美を、一満はそっと抱き寄せた。




「…………かずみつ、くん?」


「——いいんだ(・・・・)。蓮美さん」


「いい、って?」


「痛いのに、痛くないって言わなくていいから。……少なくとも、僕の前では」


 蓮美は、拒絶しなかった。


 一満の背中に腕を回し、痛いくらい締め付けて、


「……かったもん」


 左耳に、そう(ささや)くように呟いてから、


「——悔しかったもんっ!!」


 思いっきり吐露(とろ)した。


「お願いが叶ったから負けても気にしないって!? そんなわけないじゃんっ!! 悔しいよ!! 悔しいに決まってるじゃんっ!!」


 心の(おり)を吐き出すように、


「負けたの!! 私!! 一本も取れなかったの!! 頑張ったのに、全然駄目だったのぉっ……!!」


 子供が駄駄をこねるように、


「一満くんも、部長も、他のみんなも……私のわがままで頑張ってくれたのに…………私……こんなに弱っちくて……足手まといで…………ああああぁぁぁぁぁっ!!」


 蓮美は涙の混じった声で悲嘆する。


「悔しいっ!! 悔しい悔しい悔しい!! 優勝出来なくて悔しいっ!! 悔しくて悔しくて死んじゃいそうだよぉぉぉ…………かずみつくぅぅぅんっ!!」


 ——自分も、悔しかった。


 負けた事が。


 それを遥かに超えるくらい、蓮美をこんな風に泣かせてしまった事が。


 一満の眼からも、ようやく涙が出てきた。


 一満がここまできたのは、全て蓮美のためだった。


 だからこそ、蓮美の涙は、自分の涙でもある。


 ……二人はしばらくの間、そうして抱き合ったまま、泣き合った。


 











 

「…………ごめんね。みっともない所、見せちゃって」


「みっともなくなんか、ないよ」


 一満は鼻をすする蓮美にそう言いながら、眼鏡を上へズラして涙を指で拭いていた。


 お互いの泣き腫らした顔を見つめ、そして思わず笑い合う。


「夕日の下で、二人きり…………なんか、「あの時」みたいだね」


 蓮美のその発言に、一満は「え?」と応じる。


「今年の五月十四日の、放課後。……一満くんが、私に「天覧比剣に行こう」って言ってくれた時だよ」


 茜色の夕空を見上げ、蓮美は懐かしそうに目を細めた。


「なんか……随分前の事みたい。たった三ヶ月くらいしか経ってないのに」


「……そうだね」


 一満は頷く。


「…………私、結局優勝できなかったし、それはまだ悔しいよ。でも……それでもやっぱり、私は天覧比剣に行けたんだ」


「蓮美さん……」


「ううん。違うね。——君が連れてきて(・・・・・・・)くれたんだよ(・・・・・・)。一満くん」


 蓮美は、こちらを振り返る。


「君がいなかったら、私は途中でまた負けてた。君がいなかったら、私はここまで来れなかった。……君がいたから、私は戦い続けられた」


 泣き腫らして赤みを帯びた頬に新しい朱を浮かべ、彼女は花のように笑った。


「——ありがとう、一満くん。私と一緒に戦ってくれて。撃剣部に入ってくれて。私と……出会ってくれて」


 それを見た瞬間、一満の心音が、大きく跳ね上がった。


 顔と、全身が、猛烈に熱を帯びる。


 蓮美の笑顔を見るのが恥ずかしい。


 だけど、ずっと見ていたい。


 そう……ずっと。


 ——言う(・・)なら、今しかない。


「蓮美さんっ!!」


「な、なぁに? 一満くん?」


「もうっ、天覧比剣は終わったよねっ!?」


「う、うん、そうだね。終わっちゃったね……」


「だよねっ! だから、その……もう、遠慮しないから! もう言うねっ! ずっと、蓮美さんに言いたかった事…………今! 言うからっ!!」


 一満は、思い切って打ち明けた。


 ずっと、胸の内に秘め続けてきた、彼女への想いを。 






「————蓮美さんが好きです!!」






 蓮美は大きく目を見開く。


「二年生の頃から、ずっと蓮美さんの事が好きでした!! だからっ、えと、そのっ…………ぼ、僕とっ! 結婚を前提にっ、お付き合いしてくれませんでしょうかっ!?」


 最後の方で変な日本語になってしまった。


 でも、言いたい事を、言うべき時に、はっきりと告げた。


 自分に出来ることは、ここまで。


 ここから先は、彼女次第だ。


「…………一満、くん……」


 蓮美は、驚いたような表情のまま、固まっている。


 ダメか、と一満は思いかけた。


 だが、蓮美はその頬にさらなる濃い朱を散らし、今までに無いくらい目を輝かせ、






「————はい。不束者(ふつつかもの)ですが、末永(すえなが)くよろしくお願いします」






 まぶしく、それでいて(あで)やかな笑顔で、頷いてくれた。


 ……夢かと思った。


 違う。夢じゃない。全部現実だ。


 嬉しい。


 すごく嬉しい。


 叫びたいくらいに嬉しい。


 けれど、成就の喜びを叫ぼうとは、思えなかった。


 そんなことよりも……もっと、彼女の存在を感じたい。


「蓮美さん……」


 一満は、蓮美に歩み寄り、その両肩へそっと手を置いた。


 蓮美の顔が、息がかかるくらい近くなる。熱病に浮かされたような惚けた表情で、こちらを見つめている。


 一満の視界の中で、その顔がどんどん大きくなっていき。




 夕日の作る二人の影が、一つになった。




「んっ……」


 蓮美は拒まなかった。


 身じろぎ一つせず、唇を唇で受け止めてくれた。


 ついばむような、軽く、一瞬の接吻(せっぷん)


 けれど、たったそれだけで、脳が痺れるような多幸感が一満を襲った。


 唇同士を離し、嫣然(えんぜん)と微笑む蓮美の真っ赤な顔と、再び見つめ合う。


「……一満くん」


「好きだよ、蓮美さん。……愛してる」


「うん。私も……大好きだよ。一満くん」


「蓮美さんっ……!」


「んむ、っ……」


 もう一度、唇を合わせた。


 今度はお互いの背中と後頭部へ手を回し、押し付け合い、ねじ込み合うように、深く。


 蓮美の唇の柔らかさ。眼鏡を湿らせる蓮美の息遣い。木蓮のような蓮美の体臭。高鳴った鼓動の混じった蓮美の体温……


 重なり合って一つになった互いの影のように、奥の奥まで一つになりたいと強く願い、濃密に互いを求め合う。


 しばらくして、唇を離した。


 目と目を合わせ、互いを愛おしむように微笑み合った。


「ねぇ……一満くん」


「なにかな? 蓮美さん」


「子供は何人欲しい?」


「ぶっ」


 羞恥で瞬間沸騰した一満の顔を見て、蓮美は可笑しそうにけらけらと笑った。


 ……きっと自分は、この時の彼女の笑顔を、ずっと忘れない。


 何年、何十年経っても。


 ずっと。


脇役すらこうだというのに主人公ときたら……


ちなみに中学出てすぐ働く人が少なくない社会ですので、「結婚を前提に」という口説き文句は大袈裟ではなかったりします。

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― 新着の感想 ―
一満くん、主人公よりも主人公らしい気がしますねw
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