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帝都初恋剣戟譚  作者: 新免ムニムニ斎筆達
帝都初恋剣戟譚 呪剣編
158/237

天覧比剣——三回戦第一試合 先鋒戦


 先鋒戦が始まった。


 中陸(なかおか)中学校撃剣部——三田(みた)蓮美(はすみ)


 富武(とみたけ)中学校撃剣部——卜部(うらべ)峰子(みねこ)






 双方、開始位置へ付き、各々の構えを取る。


 中段に竹刀を構えた蓮美は、峰子の様子を伺う。右足を引いてやや腰を落とし、突き出した左肘の裏に剣を隠した構え。


(やっぱり、新当流(しんとうりゅう)の「(しゃ)の構え」だ)


 その構えに高い密度を幻視し、蓮美は緊張する。それを自覚し、呼吸を整え緊張を弛緩(しかん)


 諸説あるが、天然理心流開祖の近藤(こんどう)内蔵之介(くらのすけ)は、鹿島新当流と竹内流(たけのうちりゅう)を学んで天然理心流を興したという。……天然理心流は剣術・柔術・棒術の三技ともに一度絶えているため、今となっては検証が難しい。


 國木田(くにきだ)一族の手によって天然理心流はいちおう復元されたものの、絶伝前と全く同じ姿であるのかは國木田家からしても怪しいらしく、また全てを復元出来たわけでもないようだ。蓮美も天然理心流を学んで久しいが、稽古の最中、時折何かが足りないような、欠落の感覚を覚えることがある。——だからこそ「國木田派天然理心流」という流儀名なのだ。


 世情に呑まれて絶伝に追い込まれた天然理心流と違い、細々とながらも正伝を守り繋いできた鹿島新当流……正直、少しばかり嫉妬と劣等感を抱きたくなる。


 だが、蓮美はそんな感情を振り払う。それは、限られた伝書から懸命に復元を行なった國木田一族を侮辱する感情だ。


 復元流派だからといって、小さくなることはない。


 こと天覧比剣に関しては、勝てれば良いのだ。


(そうだ。私は勝つんだ。部のために。憎まれ役を引き受けてくれた部長のために。……天覧比剣に行こうって言ってくれた、一満(かずみつ)くんのために)


 蓮美は迷いを捨て、構えに剣気をみなぎらせた。


 「車の構え」を取り続けている峰子を、よく見つめ、観察する。


 鹿島新当流は戦国期の剣術らしく、対甲冑の様相を濃く残した剣だ。はっきりと面や胴を狙うよりも、迅速かつさりげなく小手狙いを仕掛けてくる。手首は甲冑の中の数少ない弱所だからだ。


 さらにこれまでの試合を見た限り、彼女は新当流だけでなく、至剣流の技も使ってくる。至剣流の技は多彩だ。用心を怠らず、臨機応変に対応する必要がある。


「一本目——始めっ!!」


 開始宣言がなされた瞬間、蓮美は斜め右へ大きく踏み出した。

 峰子の左斜め前を取る形で瞬時に接近しながら、竹刀を面へ鋭く右袈裟懸けに発した。

 ……峰子の竹刀が構えられているのは右側面。つまり今の蓮美の位置からは遠くにある。であれば、どんなに速い振りでも、どういう軌道をとるのかは一瞬ながら目視できる余裕がある。


 峰子は即座に反応。(たい)(さば)いて避けながら右袈裟を放つ。速い。だけど視えた!


 小手を狙ってくると察した蓮美は剣を引いた(・・・・・)。峰子の竹刀が迫る先に、小手ではなく竹刀が置かれ、両剣が切り結ぶ。


 だが蓮美はまだ止まらない。足をもう一度斜め右へ踏み出しながら、間合いの奥へ我が剣を挿し入れ、切っ尖で面を打とうとする。

 だが当たる寸前で、下から上へ(まる)く走った峰子の竹刀によって、切っ尖ごと竹刀を持ち上げられた。太刀筋が歪められ、峰子の頭上を通過。


(至剣流の『綿中針(めんちゅうしん)』!)


 すでにこちらへ向いていた剣尖から、蓮美は(たい)を躱して逃れる。

 面のあった位置を刺突が貫く。それをした竹刀を握る峰子の小手を蓮美は上から打ちかかる。

 だが峰子はすぐに小手を引っ込め、双方の竹刀が触れ合った瞬間、腰の沈下とともに己の竹刀に重みを与え、蓮美を竹刀ごと押さえ込みにかかる。


「っ!」


 完全に竹刀が縫い留められる前に、蓮美は柄から右手を離した。左手だけが下に流されて剣尖が床を叩くが、それだけだ。

 蓮美の右足は峰子の背後へ回り込み、空いた右腕は峰子の喉元へ当てがわれる。

 そのまま()丹田(たんでん)に術気を込めて腰を(まわ)し、右腕の円転に峰子を巻き込み、さらにはその背後へ置いた右膝による梃子(テコ)の原理を利用して軽々と投げ転がした。


 転がる峰子へ近寄り、追い討ちに斬り掛かる蓮美。

 だが、峰子は受け身を取って体勢を整えるのがギリギリで間に合い、片膝を付いた体勢になると同時に、竹刀の柄と切っ尖を持った中取(なかど)りの構えを頭上に掲げた。その構えをとった拍子に、蓮美が振り下ろした竹刀をギリギリで受け止めた。……駄目だったか。


「——小手あり(・・・・)!! 一本!!」


(な……!?)


 馬鹿な、一体いつ。


 その答えは、柄の上を握る蓮美の右手の中指に押し当てられた硬い感触であった。——頭上に構えて蓮美の剣を受け止めた峰子の竹刀。その剣尖が、ほんの微かにだが当たっている。

 

(全然気づかなかった……!)


 ……蓮美とて、好機を攻める時に生じやすい不注意には気を配っていた。人間、勝ちが近づくと思考が停止し、動きが単純化しやすい。そこを隙として狙われることは剣の世界においてはままある。


 だからこそ、蓮美の追い討ちを受け止めると同時に小手を打つケースは当然想定し、細心の注意を払っていた。


 もしも、峰子がこちらの小手がある位置に竹刀を走らせようとしたのを見たら、即座に小手を手前に引っ込めて阻止しようと考えていた。


 だが峰子は、竹刀の剣尖がわずかに小手に当たり、なおかつこちらにソレを悟られないほどの絶妙な位置へ調整を行い、蓮美の事前策を潰したのだ。


 なんという、緻密な剣捌きか。

 

 真剣での戦いなら、自分の右手中指は転がり落ちている。


(——強い)


 蓮美は思わず生唾を呑み込む。


 ——昨夜の作戦会議において、次のような発言が出た。

 

 曰く『秋津(あきつ)光一郎(こういちろう)が一番の要注意人物である。彼の至剣流は卓越しているが、それ以外にも何か持っている(・・・・・)』。


 曰く『氷山(ひやま)(きょう)はまだこの大会において剣を振るっていないため、未知な部分が大きい。油断は出来ない』。


 曰く『卜部峰子は、おそらくあの中で一番弱い。彼女で一勝を稼げるかもしれない』。


 弱いだなんてとんでもない。


 峰子もまた、天覧比剣の参加者なのだ。


 蓮美とて、決して油断などしていなかった。


 だがそれでも、一本を取られてしまった。


 もう自分には後が無い。


 そして自分が負ければ中陸中学にも後が無い。


 先ほど打たれた中指が、激しく脈動しているような錯覚に陥る。


(——落ち着きなさい)


 悪い方へ流れていきかけた自分の思考を止める。


 現時点では、まだ戦えるのだ。


 なら、先の事より、今出来ることを考えろ。


 呼吸を落ち着け、気を鎮める。


 開始位置へ戻り、中段に構えを取る。


 対する峰子もまた、中段だった。より正確には、左足を引いて半身(はんみ)となり、中段に竹刀を置いた構え。あれが鹿島新当流の中段である。


「二本目——始めっ!!」


 審判の一声とともに、峰子がその中段を保ったまま近づいた。


 中段の竹刀同士が触れ合った瞬間、峰子の竹刀は外側へ張るように円弧を描き、蓮美の竹刀を外側へ払った。その拍子に蓮美の小手へ向いた剣尖を、右足の大きな踏み出しと一緒に進めてきた。『綿中針』である。


 蓮美は飛び退き、体ごと小手と竹刀を引き寄せる。峰子の刺突は外れるが、左足でさらに大きく前へ踏み出した拍子に蓮美の竹刀を左へ弾き、そこからすかさず右手を離して左手だけで蓮美の面を突きかかった。腕一本で突く分、両手よりも必然的にリーチが伸びる。これは届く——!


「っ!」


 それに対し、蓮美はあえて後ろ倒しになった。

 面狙いの刺突が頭上を通過するのを見てから、後転して受け身を取る。片膝を付いた体勢になった拍子に、追い討ちに振り下ろされた峰子の竹刀を頭上で一文字受け。

 

 さらに、左にある剣尖を左下に傾けて峰子の竹刀を滑り落とさせながら、体を起こし、両手持ちに戻しつつの右袈裟。

 峰子はそれにも反応し、大きく飛び退いて体を左に開きながらの薙ぎ払い。両剣が衝突。


 蓮美の竹刀が右へ大きく弾かれる。


 峰子は左足で踏み出しながら、左肘の裏側に竹刀を隠す「車の構え」へ移行する。


 ——この瞬間、蓮美は迅速に、かつ冷静に状況を分析した。


 「車の構え」によって剣の姿を隠されているため、次の太刀筋を読めるタイミングはどうしたって少し遅くなる。

 だが、右側に剣を担ぐように構えている分、次の太刀筋は蓮美から見て左側か真上から来ることだけは確実。


 ならわざと右へ転がって離れて受け身を取る? いや、むしろそれが狙いかもしれない。打ってくると見せかけて構えを変化させ、追い討ちをかけてくるかもしれない。


 なら——近づく。


 蓮美はちょうど左足を進めている峰子へ向かって、左肩を先んじて足を進めた。


 お互いがお互いに向かえば、合流は自ずと速くなる。


 だが、ぶつかることはなかった。

 半身となって左肘を突き出し、前へ向かって鋭角状になった峰子の「車の構え」。

 対し、左肩を前に出した、前へ向かって楕円形となった蓮美の突進。

 それらは、互いの重みを触れ合わせた瞬間——衝突することなく、背中同士を(・・・・・)滑らせて(・・・・)すれ違った(・・・・・)


 峰子の剣の範囲から逃れると同時に、背後を取った。


 刹那、蓮美は全身を大きく左へ切る。

 その動きに導かれるまま、竹刀が右から左へ鋭く疾る。その先には、峰子の面の側頭部。


 当たる——そう思った瞬間、峰子の体が急速に時計回りを刻んだ。


(また『綿中針』……!)


 振り向きざまに蓮美の奇襲の一太刀をさばいたのは、前方にある仮想の球を内側から撫でるような剣の動き。受け流すだけでなく、その拍子に剣尖を相手へ向けて「次」への布石とする。


 ほとんど間を作らず発せられた突きを、蓮美は退がりながらさばく。本当は弾き飛ばしたかったが、そのためにはあまりにも時間が足りなかった。


 しかし、その判断が誤りであったことを——蓮美の手元を引っ張る引力(・・)が告げた。


「ぐ——!?」


 さばいたと思った峰子の竹刀は急激に重みを増し、今なお触れ合った状態である蓮美の竹刀を上から圧迫したのだ。


 竹刀を握る蓮美の手も、その手と繋がる全身も、峰子の剣の重みに引っ張られて体勢を前のめりに崩す。……確か『(ばく)ノ太刀(のたち)』といったか。


 すぐには動けぬ状態。居着いた状態。

 

 目の前には、こちらを真っ直ぐ視線で射抜く鹿島の女剣士。

 腰を深く落としてはいるが、その骨格には地球の重力に逆らうことなく真っ直ぐ軸が通っている。その気になればネズミ花火のごとく瞬時に円転できる。


(駄目、避けられない——!)


 蓮美を縛る剣の桎梏(しっこく)が解かれるのと同時に、峰子の剣が蓮美の面を一文字に薙いだ。

 

「面あり!! 一本!! ——勝負あり!!」


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