表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
帝都初恋剣戟譚  作者: 新免ムニムニ斎筆達
帝都初恋剣戟譚 呪剣編
154/242

天覧比剣——二回戦第二試合 次鋒戦

(……なんか、随分とフラフラしているわね)


 先鋒戦に見事勝利し、次鋒としてこれから戦う峰子(みねこ)とすれ違った光一郎(こういちろう)を見て、峰子は少し訝しむ。


 撃剣部に入って度重なる竹刀稽古を繰り返したことで、入部前に比べて光一郎の持久力はかなり上がったはずだ。三本目まで戦ったとはいえ、あそこまで消耗するものだろうか? 天覧比剣という大舞台に緊張して、気力も使い果たしたからか?


 さらに、三本目の終盤、光一郎の動きにも奇妙な変化が見られた。

 これまでずっとギリギリのやり取りを繰り返していたはずなのに、いきなり動きに余裕が生まれた。

 光一郎が竹刀を少し動かすだけで、相手の選手がきまって動きづらそうにしていた。

 そのやりづらさのようなものは剣を交えるたびに大きく、顕著になっていき、やがて明確な隙を作ってそこを打たれて負けた。

 

 光一郎が、一定時間経つと相手の次の動きをほぼ完全に読めるようになるという恐るべき特技を持っていることは、峰子も知っている。

 しかし、先ほどの剣は、その特技とは質を異にするモノのように感じた。

 相手の次の動きを読んで対応しているのではない。

 まるで、光一郎の剣の動きに対し、目前の現実が忖度(そんたく)して勝たせようとしているような。


 これまでの試合でも時々見てきた、謎の剣技。


 光一郎はおそらく、高度な先読みの特技の他にもう一つ、「何か」を隠している。


 以前、光一郎にその正体を尋ねようとしたことがあるが、はぐらかされた。その時の光一郎の態度はまるで、宇宙人やUMAを見たけどどうせ信じてくれないだろう、みたいな諦念を感じさせるものだったので、ついムカついて脛を軽く蹴ったのであった。


(……っと、いけないわね。今は目の前の相手に集中しないと)


 気持ちを瞬時に切り替えた峰子は、真っ直ぐ前を向いて、試合開始位置へと進み出た。


 潮来(いたこ)(ひがし)中学の次鋒は、先ほど櫛田(くしだ)(いね)に激励を送っていた女子だった。入れ替わりざま、励ますように稲の背中を軽く叩いていた。仲が良いようだ。


 空知(そらち)和泉子(いずみこ)。それが彼女の名前だ。


「——チワワちゃん、頑張ってっ!」


 やや(かす)れた激励の声が聞こえた。声の主は稲だった。


(チワワちゃん…………)


 その犬犬(いぬいぬ)しい渾名(あだな)の由来を察した峰子は吹き出しそうになった。なるほど、「()」と「()」だから「チワワ」というわけか。


 そのチワワちゃんこと空知和泉子は軽く手を振って応じてから、開始位置まで来た。


 双方、構えへと移行した。


 お互い「清眼(せいがん)の構え」だった。


 それを目にした和泉子は、面金の向こうで目を丸くし、そして微笑んだ。嬉しそうでありつつ、挑戦的な笑みだ。


 峰子もおそらく、同じ気持ちだった。


 至剣流の隆盛ぶりとは反比例し、その他多くの剣術は修行者が昔より少なくなっている。

 特に鹿島(かしま)新当流(しんとうりゅう)は、江戸時代においては門外不出の内向きな伝承形態を続けてきた。今のようにある程度開かれた教え方をし始めたのは、比較的最近になってからである。

 皆が至剣流の門戸を叩く中、古き良き鹿島の剣を好んで学ぶ同志が遠く離れた地にいたことが、嬉しく思えた。


「一本目——始めっ!!」


 審判の一声を火種として引火したように、鹿島の剣士二人は同時に前へ出た。


 峰子は、自分の竹刀で相手の竹刀を押さえつけようとする。

 しかし和泉子は、押さえ込みが出来上がるよりも速く己の剣を逃しつつ、体を左に開いて右手一本で峰子の面へ打ちかかる。

 その『鴫羽返(しぎのはがえし)』の一太刀を、峰子は竹刀を瞬時に上へ掲げて受け、そこから右小手を狙う。

 和泉子は退がって中段に構えて小手打ちから逃れつつ、再び踏み出して峰子の小手を狙い返す。

 峰子は竹刀の角度をズラして、やってきた小手狙いの突きを受け流す。


 ——まるで割符が合うような攻防が繰り返されていく。

 

 生まれも育ちも背丈も性格も違うこの二人に共通しているもの。

 それは学んだ剣術だ。

 鹿島新当流。塚原卜伝(つかはらぼくでん)の遺した剣を、お互い浅からず学んできた。

 生い立ちの差異を超えた、流派という共通の絆が、二人の剣戟をこうまで整然とさせていた。


 しかし、学ぶ剣を同じくしていようと、やはり多くが不揃いな他人同士。全く同じ剣はあり得ない。

 

 必ずどこかで、そのやり取りには(ほころ)びが生じる。


 その時は、すぐに訪れた。


 『綿中針(めんちゅうしん)』。袈裟懸けに振るった和泉子の一太刀を、峰子が円く受け流すと同時に剣尖を面へ向け、次の瞬間には突きへと変じた。


 突然の至剣流に和泉子はギョッと面食らいながらも、敏速に反応。立ち位置をズラして刺突を避けながら、真下から峰子の小手を狙う。


 峰子はソレも『綿中針』の円い太刀で防御。当然ながらその剣尖は面を向いている。


 同じ手は食わない。和泉子は斜め右へ後退し、刺突の延長線上から離れると同時に次の攻撃への準備をした。突いてきたらその小手に一撃か、もしくはすれ違いざまにその面を『地ノ(ちの)角切(かくぎり)』で横一文字に打つつもりである。


 だが、峰子は大きく、そして俊敏に前へ出た。

 剣も軌道を急変させ、斜め左の方向、つまり和泉子の面へ向いた。


 峰子は風のように和泉子の視界を横切りざま——切っ尖で和泉子の面を横一文字に引っ掻いた。


「——面あり!! 一本!!」


 そんな微かな擦過音(さっかおん)も審判はめざとく聞いていたようで、そう声高に告げた。


 打たれた(斬られた)側である和泉子は、今さっき自分を斬った技の正体を冷静に考察していた。


 ——間違いない。今のは『地ノ角切』だ。


 まず、『綿中針』で攻撃を受け流したのち、剣尖を向ける動作で刺突を警戒させた。そうすることで、刺突に対して安全に対応できる角度へ和泉子を誘導。

 その瞬間に刺突の仕草を急変させて大きく前へ出て、剣を素早く操作して切っ尖の届くギリギリの間合いから打ってきたのだ。

 ……真剣であれば、目元を斬られている。


 峰子の使う『綿中針』は、明らかに至剣流を付け焼き刃で身につけた者の振るい方ではない。


 自分の個性に合う型を選別し、それを鍛え、活かした。


 己の剣に、色をつけた(・・・・・)のだ。


 ——なら、こちらは混じり気無しの本場の新当流を、存分に見せてやるのみ。


 双方、開始位置へ戻り、構えた。


 「清眼の構え」となった峰子に対し、和泉子は「(いん)の構え」。右足を大きく退いて八の字にし、剣を右耳隣で垂直からやや後傾させて構えたソレは、いかなる技に対しても軽快な円転の体捌きで対応できる。


「二本目——始めっ!!」


 お互い、すぐには仕掛けなかった。


 和泉子が先んじて峰子の間合いへ入るギリギリまで近寄ったが、そこまでだった。


 峰子は何もせず、いや出来ず、じりじりとゆっくり退がる。和泉子も差を開かぬようにゆっくり近づく。


 分かっているからだ。打ったら打たれる(・・・・・・・・)と。同じ新当流の剣士として。


 『(いん)ノ太刀(のたち)』。

 この「引の構え」より発せられる剣技。いかなる剣を発しようと、迅速な円転の動きにて紙一重で回り込んで避けつつ死角から斬る。


 剣を大きく横へ振り抜く薙ぎ払いであれば回り込みの余地を埋められるが、それをされた時の対処法も事前に考えてある。


 案の定、峰子はそれをやってきた。右から左、左から右へ大きく払うその動きは『(ほつ)ノ太刀(のたち)』だ。


 和泉子は右足を踏み出しながら「清眼の構え」となって、その払いの途中へ竹刀を割り込ませ、切り結ぶ。

 そこから相手の竹刀を上から押さえ込みながら入身(いりみ)。すれ違いざまに胴へ打ち込む算段だ。


 だが峰子はその入身よりも迅速に、かつ大きく斜め後方へ後退。それに伴って引き寄せられた己の竹刀で和泉子の胴打ちを防御してから、腰を落として竹刀で竹刀を圧迫にかかる。

 しかしそこから霞のように素早く逃れた和泉子の竹刀が、車輪のように一周してくる形で峰子の面を狙う。

 峰子もまたその上段からの一太刀を受け流しながら、車輪のごとき太刀筋で斬り返す。それもまた受け流されて反撃が迫る。

 お互いの剣が、霞のようにハッキリしない太刀筋を刻みながら、目まぐるしい攻防を繰り返す。


 ——鹿島新当流には「太刀を霞む」という言葉がある。

 やってきた相手の剣を避けるか受け流すかしながら間合いに入り込み、斬り返す技法のことだ。

 多くの剣術にこのような技法は存在するが、新当流においてはとりわけこの「太刀を霞む」ことを重視する。……峰子が至剣流の『綿中針』を戦力の補強として選んだのも、新当流の「霞む」太刀筋と相性が良いと本能的に感じたためかもしれない。


 峰子も、和泉子も、「太刀を霞む」ことを徹底して練り上げてきた。

 そのことを二人とも、剣戟を繰り返す中で味わっていた。

 

 だが、何度でも言おう。

 学ぶ剣を同じくしていても、二人は異なる個人である。


 ……和泉子は峰子とは違い、大胆な性格だった。

 言いたい事があれば先輩や師に対しても遠慮無く物を言うし、好きな男子が出来たらとりあえず好意を伝えて交際を申し込む(今のところ実った試しは無いが)。

 それは優劣にあらず。相違である。

 だがこの二本目において、その「相違」こそが、和泉子に勝利をもたらすこととなった。


 目まぐるしい剣のやり取りの中で、峰子が繰り出した上段からの袈裟斬りに対し、和泉子は横へ逃れるのではなく、()へ逃れた。

 身長は峰子の方が低い。しかし深々と限界まで体を沈めたことで、峰子の剣の真下へ入ることが出来た。

 峰子の剣が和泉子の面に当たるほんの数センチのところで、峰子の剣がピタリと止まる。——両手で剣の両端を持った中取りの持ち方で和泉子の頭上に構えられた竹刀が、峰子の小手を真下から受け止めていたからである。

 鹿島新当流『上霞(うわがすみ)』。


「——小手あり!! 一本!!」


 不覚を取ったか。


 峰子は内心で(ほぞ)を噛んだ。


 しかもよりにもよって、あの女——大河内(おおこうち)(しの)から一本取った時のやり方で取られるなんて。


 まるで自分が成長していないような錯覚に陥りそうになって、峰子は暗澹(あんたん)たる気分が生まれかける。


 ……思えば、これまでの試合、富武(とみたけ)中学の黒星(くろぼし)はたびたび自分が稼いできた。


 富武中学の勝利の足を引っ張ってきたのは、いつだって自分だった。


 自分には、何の取り柄も無い。


 光一郎のような珍妙な特技もなければ、(きょう)のような優れた体術も無い。


 富武中レギュラーの中で、自分は一番弱い。


 ——だとしても。


 今の自分は、絶対に、去年の自分とは違う。


 たとえあの二人に及ばなくても、心身ともに、確実に成長している。


 頑迷なこだわりや自尊心にとらわれることをやめ、自分の剣を新しく構築できている。


 ——心を()たにして、事に()たれている。


(見てて、光一郎。……私、絶対に負けないから)


 開始位置へ戻り、「清眼の構え」を取る。


 構えに気を充実させ、中段にある剣尖からそれを発するような気持ちで、真っ向に立つ和泉子の姿を見つめる。……右足を退き、斜め後方へ傾けた剣を左肘の裏に隠した「(しゃ)の構え」。


 一瞬、第二会場だけが、極限まで静まったかのような錯覚を覚える。


「三本目——始めっ!!」


 その静寂に投じられた、最後の一戦の開始宣言。


 瞬間、峰子は中段に竹刀を構えたまま、相手の間合いまで一気に突っ込んだ。切っ尖が胴へと急迫。


 流石にこれには対応せざるを得なかったようで、和泉子は素早く立ち位置を峰子から見て左へズラしながら、胴狙いの刺突を上から打ち落としにかかった。


 だが峰子の剣は、和泉子の剣と触れ合った瞬間ににゅるり(・・・・)と小さく時計回りの円を描いて受け流し、逃れた。『綿中針』である。


 和泉子は退がりつつ竹刀を振り、剣尖を自分へ向けた峰子の竹刀を右側へ弾きにかかる。だがまたしても小さな円の太刀筋によって逃げられる(・・・・・)。そう、防いだのではなく。


(竹刀で「防ぐ」んじゃなくて、竹刀を「逃す」ために『綿中針』を——?)


 『綿中針』の意外な使い方に内心で驚く和泉子。そうしている間に峰子の剣尖がさらに円弧を描き、和泉子の小手を撫でようと近づく。


 舌打ちしながら、和泉子は竹刀から左手を離す(・・・・・)。空振りしたことによってまだ竹刀に残っている右向きの勢いが、小手を嵌めた和泉子の右手を連れて右へと流した。

 結果、和泉子の左右の腕は開き、峰子の小手斬りは当たらず。


 距離を取るべく、後方へ退く和泉子。


 それに対し、峰子は大上段に竹刀を振りかぶりながら、飛び込んでくる。


 遅い。そして迂闊(うかつ)。おまけにこちらは今、竹刀を片手持ち状態だ。リーチを伸ばして刺突を送るか、当たる寸前に体を捻りつつ斬り返す『鴫羽返』で迎え打つか、いくらでも対策など出来る——


(いや、待った。片手持ち(・・・・)——?)


 内心で引っかかりを覚える和泉子。


 それを裏付けるかのように、今なお大上段に竹刀を構えたまま駆ける峰子の両足は、間合いに和泉子を収める直前で——和泉子から見て斜め右へと急激に進路を変えた。


 峰子が睨む先は、和泉子が右手だけで握る竹刀。


(ヤバっ——!!)


 和泉子が峰子の狙いに気づいた時には、何もかもが手遅れだった。


「——エェィィィィッ!!」


 峰子が直立から急激に腰を沈下させるのに引っ張られる形で、大上段にあった竹刀がまっすぐ急降下した。


 『遠山(えんざん)』。ギロチンのごとき縦一閃を叩き込まれた和泉子の竹刀は——右手から床に弾き落とされた。


 ……競技撃剣では、竹刀を取り落とした側は「一敗」となる。


 峰子の記憶の中に、そんな「弾き落とし一本」を得意とする、馬鹿力の女剣士が一人いる。


 一度は苦杯を()めさせられ、そして乗り越えた剛剣。


 そんな峰子だからこそ振るえた剣。


「一本!! ——勝負あり!!」


 審判が、峰子の勝利を告げた。








 天覧比剣第二会場、二回戦第二試合、勝者————富武中学校撃剣部。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ