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帝都初恋剣戟譚  作者: 新免ムニムニ斎筆達
帝都初恋剣戟譚 呪剣編
135/237

ヒトにしか作れぬ地獄——元大日本帝国陸軍大将望月源悟郎回顧録『戦場の螢火』より

ショッキングな描写が多いです。

ご注意ください。


 ——出来れば、戦争など、生涯経験したくはなかった。


 ソ連との戦争が起こって以降、望月(もちづき)源悟郎(げんごろう)がそう思わない日は無かった。




 †




 1991年1月8日。

 ソビエト連邦が、大日本帝国北方へ軍事侵攻をしかけてきた。

 本当に突然の事であった。

 領空侵犯こそこれまで何度かあったものの(それだけでも軍事的には十分に重い意味を持つが)、大がかりな軍事行動はこれまで一度も起こさなかった。

 それが去年の10月を境に、ソ連極東沿岸へ兵器や軍用医療車、輸送用船舶などの「戦力」を集結させて、翌年にそれを一気に雪崩れ込ませてきた。

 アメリカに次ぐ軍事大国という肩書きに嘘は無かった。

 日本北方島嶼から北海道の半ば辺りまで、あっという間にソ連軍に蚕食(さんしょく)された。


 それを聞かされた当初の国民は、パニックを起こした。

 ——飛行機や船舶のチケットの価格高騰。

 ——それを先読みした者による買い占めと転売。

 ——自力での日本脱出を試みた者の船が次々と転覆ないし沈没。

 ——大量に出回ったデマや陰謀論。

 ——在日ロシア人を対象とした不当な暴力事件や殺人事件。

 

 無理からぬことである。

 1904年の日露戦争以降、日本が外国との大規模な戦争を経験したことなど、一度も無かったのだから。

 戦を知る世代はほとんど鬼籍に入り、残っているのは文章と映像のみ。

 ここ百年近く、日本人にとって「戦争」という言葉はほぼ他人事だった。明治から続く徴兵制度もほとんど形骸化していたからなおのこと。

 しかし、戦争が他人事であれる国など、世界中のどこにも存在しない。

 そんな現実が、アメリカ軍に次ぐ強大な軍事力を誇るソ連軍の侵攻という形で、大津波のごとくやってきたのだから。


 さらに悪いことに、開戦当時の日本は、アメリカとの軍事同盟を結ぶ前だった。

 それだけではない。かつての西側諸国との仲違いの影響で、そちら側との軍事同盟もほぼ一方的に切られてしまっている。

 当時の大日本帝国は、軍事同盟を結ぶ国が一つも無い、武装中立国であった。

 すなわち、一国の力のみで国防を成さなければならなかった。

 無論、日本には弾薬を自力生産する能力がある。「海外に武器生産を依存しない」が、明治期からの日本軍の伝統的姿勢である。

 しかしソ連の圧倒的物量を前には、需要が生産供給を大きく上回ることは必至だった。

 

 最低でも、北海道まではソ連に持っていかれるだろう——そんな悲観的な見通しが、各国の共通認識だった。

 あらゆる国が、日本の敗戦と諦めかけていた。

 

 だが、それでも日本軍は戦った。

 死力を尽くして侵略者に立ち向かい、奪われた土地を徐々に取り返していった。

 国民も取り乱すのをやめ、「ソ連討滅すべし」と心を一つにした。

 中には捕虜になることを良しとせず、独自にゲリラ戦を行った村もあった。 


 その奮戦を目の当たりにしたことで、各国もその戦争への見る目を変えた。


 日本に対し、各国が積極的な支援をした。

 

 結果——奪われた領土を寸土残らず取り返すことができた。


 さらに、度重なる作戦の失敗によって、ソ連内部にて民族紛争が発生。

 旧衛星国も続々と独立を宣言。

 東西ドイツの壁も破壊され、再統一を果たす。

 まるでドミノ倒しのごとく苦境が度重なり……やがてソ連最後の指導者であったヴィークトル・ヴォロトニコフの暗殺をきっかけに、超大国ソビエト連邦は一気に崩壊した。






 こうして日本は侵略者に勝利し、平和を勝ち取った。


 ——少なくない犠牲者と、傷跡を残して。

 

 

 



 †





 

 ——1991年 2月某日。

 



 源悟郎は、奪還して間も無い北海道北部を視察に訪れていた。


 ソ連軍の伏兵がまだどこかに潜んでいるかもしれないから危険だという周囲の将校らの反対を押し切ってまで、源悟郎はこの地に足を踏み入れたのだ。


 危険であることは百も承知である。


 しかし、源悟郎はどうしても今、ここへ訪れたかった。


 無論、好奇心などでは断じてない。


 ——侵略者の攻撃と、自分の下知が相剋した結果、どういう惨状をもたらしたのか、片付けられる前にこの目で見て知りたかったからだ。


 将官とは、言葉と手振り一つで、多くの兵を死なせることのできる立場だ。

 不肖ながらそんな立場にある身として、命じた後に知らんぷりを決め込むのは、嫌だった。

 下士官兵の中には、階級を抜きにし、剣士として親睦を持った者も少なくなかった。だからこそ、余計に。


 そんな自分の無茶な願いに(みかど)も共感し、国防省に歎願(たんがん)してくれた。


 こうして源悟郎は希望通りに戦地へ訪れ——そして想像を大きく超えた地獄を見た。


 瓦礫の山と化した建物が軒を連ねる街中。


 そこは、ありとあらゆる「死に様」が見られる、血生臭い博覧会場だった。


 遺骸が横たわっているだけなど上等な部類。

 体の一部が欠損した遺体。もしくはその「片割れ」。

 頭部の一部が欠けた遺体。

 散々弄ばれたことがよく判る遺体。


 さらにおぞましいことに、そのような遺体は日本人だけでなく、ソ連兵も含まれていた。


 戦争である以上、どちらの陣営にも死者が出るのは避けられない。それは分かる。

 だが、そのソ連兵の死体の中には、拘束された上で、明らかに不必要と思えるほど酷い暴行を受けたものもあった。

 友軍の兵をここまでいじめ抜く合理的理由は無い。

 十中八九、日本人がやったことだろう。祖国を侵された憎しみの()(ぐち)にされて死んだのだ。


 ——なんと(むご)い。


 戦争は敵味方問わず、こうも人間を猟奇的にしてしまうのか。


 人をいたぶって殺す行為は「獣の所業」とよく形容される。

 しかし、その表現は適切とはいえない。

 獣というのは合理主義者だ。いたぶるなどという無意味な事はしない。殺す必要があるならすぐ殺す。

 人間だからこそ、多種多様な惨い殺し方が出来てしまうのだ。

 この地獄は、地球上で、ヒトにしか作れぬものだ。


 あまりの惨状に耐えかね、酷い動悸(・・)を起こしたことも一度や二度ではない。


 しかし、後悔はしなかった。


 一軍を率いる将として、この光景を知らずに余生を過ごす事は不誠実だと思えたからだ。






 そんな視察の末に——源悟郎は、その少年(・・・・)と出会った。






 破壊された村の氏社(うじやしろ)にて、その少年は枯れ木のごとく立ち尽くしていた。


 ボロボロの冬着をまとった、短く剃りこまれた坊主頭の少年。十歳にも満たないであろう今の幼さでも、将来の美貌を約束されているのがよくわかる端正な顔立ち。


 その少年は、眉間を撃ち抜かれた男女の遺体の前にいた。


 衣類という衣類を全て剥ぎ取られて横たわった若い女と、その近くの鳥居に縛られた若い男。

 殺される直前、この男女がいかにして尊厳を奪い尽くされたか、想像に難くない。

 戦場の生々しい現実をまた一つ知り、源悟郎は動悸を覚えた。


 涙の跡が濃く残る女の遺体の顔立ちは、少年と似ていた。

 この少年の入れ込んでいる感じも相まって、この遺体が両親であることは明白だった。


 源悟郎は、その少年を保護した。


 鈍色(にびいろ)曇天(どんてん)の下。手を繋ぎながら、荒れ果てた村を歩く。


 その途中で、一ヶ所に集められている五人のソ連兵を見かける。

 周囲には小銃を持って佇む日本兵。

 今日見つかった敵兵を捕虜にしたのだろう。


 その時——左腰が軽くなった(・・・・・・・・)。 


「な——!?」


 かと思えば、少年はいつのまにか、源悟郎の左腰から抜き取った軍刀を持って駆け出していた。


 剥き出しのステンレス刀身の切っ尖が向く方向は、捕虜となったソ連兵。


 少年が何をしようとしているのかは、火を見るよりも明らかだった。


「待つのだ!」


 源悟郎はそれを追いかける。


 狼のごとく俊敏に、一直線に突っ走る少年にどうにか追いついて、服を引っ張って引き倒す。


 それから少年を地面に仰向けに押さえ、流れるような手際で軍刀を奪い返した。


「〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」


 殺気で目をギラつかせ、言葉にならない抗議の声を上げる少年の頬を、源悟郎は平手で打った。


「——使い方を知らぬ者に、(これ)を振りかざす資格は無い」


 そう厳格に告げた源悟郎に、少年は一瞬怯むが、すぐにキッと睨み返してくる。

 なぜ邪魔をする。

 こいつらを殺させろ。

 そんな顔だ。

 ——年端も行かぬ子供が、このような憎悪の表情をするのが、泣きたくなるほど悲しかった。


(それにしても……なんという子だ。このわしに気取られる事なく(・・・・・・・・)、刀を抜き取るとは……)


 刀を奪われることは、武人にとって恥だ。

 源悟郎とて、それを常に心得ている。

 そんな源悟郎が、このような十歳にも達していないであろう少年に、刀をあっさり奪われたのだ。

 子供と思って油断していなかったと言えば嘘になる。

 だがそれでも、ああまであっさりと奪われることは、普通ならばあり得なかった。


(——この子には、剣才がある。おそらく、稀代(きだい)と呼べるほどの)


 この状況でそんなどうでも良い気付きを得ていると、捕虜を囲んでいた日本兵が訝しむようにこちらを見ているのに気がついた。


 だがその目は、源悟郎の軍服の肩章を見た途端、かつてない驚愕でギョッと見張られた。


「——こ、これは大将閣下!!」


 兵が一様に、整った敬礼を見せる。


 源悟郎も敬礼を返そうとして——やめた。


 上官、それも陸軍を率いる大将への敬意を払うという下士官兵の習慣が、そのまま隙(・・・・・)となった(・・・・)


 捕虜の一人が日本兵に踊りかかり、小銃を奪い取ったのだ。


「——Иди на хуй(死にやがれ)!!」


 その銃口を、源悟郎に真っ直ぐ向けた。……現在の日本軍において、帯刀を許されているのは上級将校のみだ。それを見て、重要なポストにつく人物だと悟ったのだろう。

 

 距離的にも、引き金が引かれるタイミング的にも、もはや避けるのも止めるのも極めて難しいタイミングであった。


 普通の人間ならば(・・・・・・・・)


「————ぬんっ!!」


 すでに源悟郎は、マグマの塊を呑むような気合とともに軍刀を上段に構えていた。


 引き金を引く指に力が入る寸前、その構えから発せられた死の剣気(・・・・)が、小銃を構えた捕虜の精神を斬った。


 捕虜は動かなくなる。弾も発射されない。

 かと思えば、体の芯を抜き取られたように崩れ落ち、地面に倒れる。

 そのまま、微動だにしなくなった。


 凍りつく、場の空気。


 小銃を奪われた兵士が、それをそっと取り返してから、容体を確認し、


「…………し、死んでる(・・・・)……!」


 震えた声でそう告げた。


 敵味方問わずざわめく。


 『泰山府君(たいざんふくん)(けん)』——源悟郎の開眼した『至剣』だ。構えから発した剣気を相手にぶつけて「己の死のイメージ」を強烈に植え付け、ショック死させる。気攻めの最高峰。


「……すまない」


 源悟郎は刀を納めると、そう静かに謝った。

 殺さざるを得なかった相手へ。

 不注意を起こさせてしまった兵士らへ。


 どれも、自分が前線へしゃしゃり出てしまったがために起こったこと。


 将失格だ、自分は。


「すまない。あとは、頼んだ」


 今一度告げて、源悟郎はその場を歩み去った。


 あの子を忘れていた、と途中で気づいて振り返ると、坊主頭の少年はしっかり後ろについて来ていた。


 荒れ果てた村を、再び二人一緒に歩く。カルガモの親子のように。


「……おじさん、さっきの(・・・・)、どうやったの?」


 少年が、そう尋ねてきた。男女かまだ判別がつかない、舌足らずな甘い声。


 初めてこの子の、ちゃんとした言葉を聞いた気がする。


「さっきの、とは何のことだ?」


さっきの(・・・・)。かまえただけで、兵隊やっつけた、さっきの」


 『泰山府君剣』のことを言っているのだろう。


 源悟郎は一応しらばっくれた。


「……どうして、私がやったことだと信じる? 剣が届く距離ではなかったし、拳銃を取り出す暇もなかったのだ。相手が勝手に死んだのかもしれぬぞ」


「ううん。ちがう。なんとなく、わかる。……あれは、きっと、あなたがやった」


 源悟郎は何も言わない。


 それは限りなく「()」であった。


 少年は、源悟郎の袖を掴んだ。


「おじさん、さっきの(・・・・)、どうやったらできる?」


 ここで無視しても良かった。


 だが、源悟郎は答えてしまった。


「……修行が要る」


「しゅぎょう?」


「そうだ。長い修行だ。決して楽ではない。お前さんにそれができるか、坊や?」


 尋ねると、少年が掴んだままの軍服の袖がキュッと引っ張られた。少年が立ち止まったからだ。


 少年は、その生気に乏しい目をやや不満そうに細め、源悟郎を見つめていた。


「……ぼうや、じゃない」


「ぬ?」


わたし(・・・)は、かしわぎほたる」


 源悟郎は面食らったように目を瞬かせ、そして苦笑した。「女の子だったか」


 坊主頭にしたのは自分の意思ではあるまい。両親がやったのだ。


 ついでに、このボロボロの冬着も。


 こうすれば男女の区別(・・・・・)がつかない(・・・・・)からだ。


「すまなかったな、お嬢さん。今のがお前さんの名前か。どういう字を書く?」


「かしわぎ、は習ったからかける。(かしわ)の木。ほたるは……まだかけない。でも、光る虫の(ほたる)だってきいた」


(ほたる)か……良い名だ」


 戦地の焼け跡に残った、一粒の螢火(ほたるび)


「おじさんの名前は?」


「望月源悟郎だ。どういう字かは……お前さんにはまだ説明が難しいな」


「じゃあ、おじさんでいい」


 その雑さに、源悟郎は思わず笑ってしまった。


「……わたしも、おじさんと同じ「しゅぎょう」をすれば、さっきの(・・・・)ができる?」


 そのように訊いてくる。切実そうな声音で。


「出来るようになって、それからどうする?」


 仇を討ちたいのか。


 自分の両親を殺した連中と、その仲間を、片端から鏖殺(おうさつ)したいのか。


 そう言外に問うたつもりだった。


 しかし、返ってきた答えは、こうだった。


「なにもできなかったから、みんなしんだ。しぬしかなかった。だから……わたしは、なにかができる(・・・・・・・)ようになりたい(・・・・・・・)。そうすれば、わたしはしなない。なにもできないより、ずっといいことがおこる」


 憎い相手を片端から斬り殺す凶剣ではなく。


 自分を侵そうとしてくる相手の喉元を食いちぎるための牙が欲しいと。


 彼女はそう答えた。


「わたしも、おじさんみたいになれる?」


 再びそう訊かれて、源悟郎は今度こそ答えた。


「——なれるさ。簡単だ。おそらく、私よりも強くなるだろうよ」


 確信を持って、そう答えた。


 この子には、類稀な剣才がある。


 しかしそれだけではない。


 一度は憎悪に身を任せたが、今は違う。


 『至剣』に対して、志を見いだしつつある。


 崇拝と言ってもいいかもしれない。


 無慈悲に全てを失ったちっぽけな子供が出会った、崇拝すべき神のごときもの。


 少なくとも、憎しみの虜囚となり続けるよりは、ずっと人として明るい生き方に違いない。


 源悟郎は、問うた。


「——ならば、わし(・・)と共に来るか」


「くる」


 即答だった。


 二人は再び手を繋ぎ、歩き出した。


 戦火に焼けた地を。


 そして——同じ剣の道を。

幕間的な話なので、単話投稿です。


これからまた書き溜めします。

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