都予選三回戦第二試合——英雄と同じ剣
ちょっと長いです。
北千駄ヶ谷中学校戦史研究会は、たった三人で構成されたちっぽけな同好会である。
水嶋慶人。
高町翔。
そして部長の叶大樹。
この三人で、去年から活動を開始した部だ。
部員数が少ないため部活動としての格が低く、降りる部費も微々たるものであった。
しかしながら、三人とも戦史や軍事関連の資料を自分でたくさん持っていたし、無ければ図書館で借りれば良いので、その辺はあまり活動上の障害にはならなかった。
三人の関係性を一言で言い表すなら「同志」であった。
あらゆる点で共通していたからだ。
軍人に憧れている点。
成績が非常に優秀で、中学卒業後は士官学校志望である点。
至剣流以外の剣術を学んでいる点。
そして——十一年前の日ソ戦にて、ソ連軍に故郷を焼かれた戦災孤児であった点。
無慈悲に牙を剥いたソ連軍から自分達を守り、この国の平和を勝ち取った軍人達の勇姿に、幼い日の三人は心を奪われた。
身命を賭して、武器を取り、帝国を侵す敵の軍勢から国民を守ってくれた彼らのような存在になりたいと、幼い頃から強く思っていた。
そんな三人が出会い、知り合ったのは、去年の秋。
歩んできた境遇、胸に抱く志、軍事関連の知識——あらゆる点で似通っていた三人が、学級の垣根を超えて意気投合し、そして同志となるまで、大して時間はかからなかった。
そうして設立したのが、戦史研究会だ。
活動内容はその名の通り、古今東西の戦史の研究。
しかしそれだけでなく、その当時の戦争の価値基準を担っていた思想や宗教、戦時国際法を始めとするあらゆる国際法や条約、昨今の主要国の兵器運用や部隊編成などから考察する次代戦争形式……
大なり小なり軍事に関連するものなら、あらゆる活動を行っていた。
部費がもっと多ければ、戦国時代の戦場へ赴いて実地調査などもやっていただろう。
さらにその活動内容には——剣術も含まれた。
日本剣術は単なる斬り合いの技ではない。
その技術の中に濃厚な哲理を含んだ、いわば「剣の哲学」である。
そこには人としての在り方や、目の前の問題に対処する思考法や心構えなど、学びとれることが非常にたくさんある。
大樹が学ぶ二天一流の祖である宮本武蔵も、生涯に渡る研鑽の末に、剣を哲学の域にまで高めたのだ。
さらに、三人が尊敬してやまない『三傑』も、日ソ戦を勝利に導いた名将であると同時に、武芸界にて名高い剣豪でもあった。
——元海軍大将の樺山勇魚丸は、投げたコインを空中で三回斬るという脅威の早業と、近くの御猪口が爆砕するほどの激甚な猿叫を誇る。
——元空軍大将の星朱近は、ほとんどの剣の勝負を一太刀のみで勝利してきたほどの巧緻な剣技を誇る。
——元陸軍大将の望月源悟郎は、襲ってきたソ連兵を『至剣』によって触れずに殺したという嘘みたいな武勇伝を持っている。
将であり剣豪。まるで足利義輝のような。
ゆえに三人は考察した。
剣術の深い追求には、優秀な軍人に成長するための、何らかの滋養になるのではないかと。
そんな考察が、天覧比剣という大舞台へ三人を駆り立てた。
しかし、そのためには一つ問題があった。
すでに北千駄ヶ谷中学には、撃剣部が存在していたことである。
天覧比剣少年部はどの中学校からでも参加可能であるが、参加できる団体(つまり部活動)は一校につき一団体のみと決まっている。
そう。「戦史研究会」として参加するには、撃剣部と揉め事になるのは不可避なのである。
三人が撃剣部と掛け持つという手もあるが、それをやるとレギュラーになれない可能性が発生する。
部活動では単なる実力主義だけでなく、どれだけ部で長いか古いかとか、先輩か後輩かとか、どれだけ部内で好かれているか信頼されているかなどもレギュラー決定の基準になり得るからだ。
だからこそ、三人は「戦史研究会」としての参加を希望した。
そして案の定、同じく天覧比剣参加希望である撃剣部と対立した。
話し合いでは埒が明かないため、即効性と適性と公平性を求める形で、撃剣による勝負で出場権を奪い合う形となった。
結果——戦史研究会の圧勝。一敗どころか、一本も取らせず完勝した。
さらに天覧比剣予選でも、多くの相手校を下してきた。
——叶大樹は、望月源悟郎に憧れた影響で、二天一流を学んでいる。
「至剣流の免許皆伝」という肩書きの印象が強い望月源悟郎だが、実は二天一流の皆伝者でもあるという事はあまり知られていない。
宮本武蔵の遺産である二天一流は、終の住処である熊本をはじめとして全国各所に伝わっている。
しかし、そのほとんどが二刀勢法の他に一刀勢法などが混じったものだ。
熊本藩二代目藩主である細川忠利の新陰流が、二天一流ともども藩学へ伝えられ、そこで混じり合った可能性があるというのが研究者の見解だ。
大樹が学んだのも、その一刀勢法混じりの二天一流である。
二天一流の最大の特徴は、二刀を用いた気攻めの剣だ。
気勢をもって相手を威圧し、ずんずんと山のごとく攻めていく剣法。
しかし、この境地に至るには長年の修行が必要である。
大樹はまだそこまでの領域に達していない。
その境地に達しなければ、二天一流は剣の勝負において本領を発揮しない。
だからこそ大樹は、それを補う形で新免二刀流も併修している。
宮本武蔵から「五輪書」を譲り受けた高弟である寺尾孫之丞の系統の二天一流が越後に伝えられ、そこで二刀を用いた試合剣法として発達した流派である。
重厚な気勢でゆっくりと攻めていく二天一流とは真逆に、新免二刀流は迅速な攻撃で勝ちを得にいく剣法である。
まだ気勢で敵を攻める境地に達していない大樹にとって、この剣法は撃剣において大変重宝した。
多くの相手を、攻める間も与えずに二刀の猛攻で押し潰してきた。
今回の相手——富武中学校撃剣部の大将、秋津光一郎とやらも、同じように潰しきる、はずだった。
「——断!!」
両断の気合を付随させて、長短の竹刀が十字に振り下ろされる。叩き潰すような勢いを帯びた二刀一撃。
その一太刀を、光一郎は内側から円を描くような太刀筋でもって、柔らかく下へ受け流した。
至剣流の『綿中針』か——大樹がそう納得するのに並行して、光一郎が大樹の右側へと身を滑り込ませる。素通りする途中で小手を打つ気だ。
させるかと大樹は身を捻り、右手に持つ長竹刀で光一郎へ斬りかかった。案の定それも受け流されたが、光一郎と真正面から顔を合わせることが出来た。その過程ですでに左手の短竹刀による刺突を開始させている。
真っ直ぐ迫った刺突を、光一郎は踊るように身を翻して避ける。
さらにその次に大樹が放った右の長竹刀による鋭い横薙ぎを、振り向きざまの一太刀にて弾き飛ばす。
長竹刀が弾かれて防御が手薄になったところへ攻め入って来るのかと思いきや、光一郎は退がって距離を取った。互いの竹刀が当たらない遠間の距離感。
そのまま、光一郎は攻めることなく、こちらの様子を伺っている。
——面金の奥にある彼の瞳には、大樹の構え姿が鏡面のように鮮明に映り込んでいた。
(……間違いない)
しばらくの睨み合いの末、大樹が先んじて前へ出る。光一郎は意地でも先に動かないつもりだ。であれば、自分が出る他あるまい。
右手の長竹刀で、内から外へ薙ぐ形で素早く斬りかかる。右腕のリーチを加えたロングレンジな牽制の一太刀。使うのは切っ尖のみ。たとえ防がれても距離があるので小手を打たれにくい。
光一郎は半歩退がる。薙ぎ払いが外れる。
踏み出してもう一太刀発する。光一郎は半歩退がる。薙ぎ払いが外れる。
踏み出してもう一太刀発する。光一郎は——火花が弾けたような速度で切っ尖を発してきた。至剣流の『石火』だ。
両者の切っ尖同士が衝突し、大樹の長竹刀が弾かれた。それを握っていた右手も一緒に巻き込まれ、左肩に乗せるような形で長い竹刀が懐へ帰ってくる。
怯むな、ここからなら竹刀を振り抜いて威嚇して接近を防げる——そう思った時には、すでに光一郎は大樹の右側面へまたも入ってきていた。
「っ!」
大樹は身を捻って立ち位置を微妙に移動させながら、内から外へ向けて長竹刀を振った。
風のように光一郎の右側頭部へ急迫した長竹刀は、しかし光一郎の「陰の構え」によって防御された。
……訂正。防御できていなかった。
なぜならばそれは、防御ではなく攻撃だったからだ。
「小手あり!! 一本!!」
右耳隣に垂直に構えられた光一郎の竹刀は——長竹刀をスイングした大樹の右小手を受け止めていた。
大樹はそんな秀逸な「陰の構え」の使い方に舌を巻くとともに、心中にずっと渦巻いていた疑問を確信に変えた。
(間違いない。この少年——二刀流との戦いに慣れている)
二刀流の最大の売りは、ワンアクションで攻撃と防御を同時に出来る点だ。
片方の剣が攻撃、もう片方が防御——そのように左右の剣を分業させる。それを「パッ」という一瞬の間に。
扱いは難しいが、慣れればこれほど強力な剣法は無い。
だからこそ、光一郎は正面から斬り合うことを徹底して避け、常に側面を狙ってきていた。
また、状況不利と見るや、迷わず距離を取った。
正面からの斬り合いでならば二刀の攻防一体が行えるが、片側側面に回り込まれれば、その側の剣しか使えない。
二刀流のアドバンテージが失われるどころか、腕一本でしか動かせないので両手持ちよりどうしたって取り回しの柔軟さに負ける。
二刀使いが最も嫌うそんな位置関係を、光一郎は積極的に狙ってきていた。
これは、その場で思いついた作戦というにはやや無理がある。
彼の背後には、二刀流を深く理解したブレーンの存在が間違いなくある。
そんなことを考えながら開始位置へ移動し、
「二本目——始めっ!!」
審判の再開の声とともに、大樹は一気に前へ出た。
前方に左手の短竹刀を構え、右手の長竹刀を外側から振り放った。
すでに大樹の長竹刀のリーチ半ばに、光一郎を食っていた。今さら後方へ退がっても回避は間に合わない。
なので光一郎は否応無しに大樹の薙ぎ払いの防御を強いられた。相変わらずの『綿中針』。円の太刀によって長竹刀が左斜め上へと柔和に流される。
大樹はさらに踏み出す。
円の防御とともにこちらへ向いた光一郎の切っ尖が疾駆。
しかしその刺突を、あらかじめ構えておいた左手の短竹刀が滑らせて軌道を歪める。紙一重で大樹の左側頭部を通過。
攻勢は続く。
大樹の右手の長竹刀が、右斜め上から光一郎の面めがけて突きかかる。……面という防具は、どうしたって視界をいくらか狭める。この右斜め上からの刺突はそんな狭まった視界では捉えにくい。防具の欠点を利用しているという点は撃剣を強く競技視している感じが否めないが、逆に合理主義の宮本武蔵であるならばきっとここを狙うことだろう。
さすがというべきか、光一郎はその半ば卑劣な奇襲にも反応してみせた。大きく後方へ飛び退き、刺突を回避するとともに、長竹刀の射程内からも抜け出した。
(よし、いいぞ)
光一郎は今までのように、側面に入ってくることが出来なくなっている。
弱点があるから負け、なのではない。
その弱点は、工夫次第で埋められる。
大樹は先ほどの剣戟で、光一郎に横を取られぬよう工夫して攻めていた。
学んだ型に含まれる法則をうまく利用すれば、型にはまらず逸脱しすぎず、いくらでも応用が効く。
この試合、勝とうが負けようが、剣士として自分はさらに成長できるだろう。
——帝室や、他の選手には誠に申し訳ないが、戦史研究会の三人はそこまで天覧比剣の出場に情熱を燃やしていない。
自分達三人が天覧比剣に望んでいるのは、あくまで剣士としての修行と成長。
剣を磨くことによる、軍人としての思考力や心構えへの滋養。
天下一の剣客になることも、帝の御前にて剣を披露する名誉を得ることも目指していない。
目指すのは——自分達三人が、帝国を護る未来の『三傑』になること。
けれど、それは今、目の前の闘いに対しておざなりに挑む理由にはならない。
否、むしろそうであるからこそ、なおのこと雑念を捨て、一つ一つの勝負に向き合わなければならない。
そうしなければ、たとえ完勝したとしても、己の滋養にはならない。優越感以外の何も得られない。
大樹は気を引き締め、遠間に立つ光一郎に対して残心し続ける。
動きをよく見る。
口の動きさえも。
——つかんだ。
彼の口は、そのように動いた。
(……「掴んだ」だと? いったい何を————)
光一郎の足も、動いた。
大樹はそれに対して気を引き締め、出方をうかがう。
「正眼の構え」のまま、真っ直ぐ歩み寄ってくる光一郎。
そう、真っ直ぐ。
二刀流とやり合う上では不利とずっと避けていた、真正面から近づいてくる。
やがて、両者の間合いがぶつかる。
「断!!」
刹那、大樹は両断の気合とともに、右手の長竹刀を外から内へ振り放った。どういう意図で真っ向での闘いを挑んだかは知らないが、間合いに入られたからには攻撃あるのみ。
長竹刀の一太刀を、光一郎は己の竹刀で受ける。
大樹の一撃を防御して一瞬硬直したその瞬間を狙い、左手の短竹刀で刺突を仕掛ける。
狙うは面。
光一郎が硬直から解けた時には、刺突はすでに面のすぐ前まで迫っていた。
だが、その直前で光一郎の頭部が小さく左へ動き、それによって短竹刀の突きは外れた。
同時に、光一郎は無造作に大樹の左小手へ竹刀を当てようとする。
大樹は左手を引っ込め、それと入れ替える形で、引き絞っていた長竹刀で右袈裟斬りを発した。
だが次の瞬間——その右袈裟斬りがすり抜けた。
いや違う。右袈裟斬りが当たる寸前、光一郎が小さく右へ移動したことで、紙一重で躱したのだ。
驚きつつも、手足は止めない。
空振って長竹刀ごと下へ流れた右小手の上に、左手の短竹刀を構える。右小手と面への打ち込みを防ぐためだ。
それから長竹刀の切っ尖を瞬時に光一郎の小手へ向けて、突きを放つ。だがそれも軽く避けられる。
右隣へ来られないように迅速に向き直り、両剣の切っ尖を上段で交差させ「断!!」という両断の気合とともに十字に斬り下ろす。
光一郎がそれを後方へ飛び退いて避けたのを見計らい、右足を大きく前へ踏み込ませて右腕を突き伸ばす。
しかしそれも外した。
それ以降も何度も攻め立てたが、いずれも外れるか受けられるかのみ。
(おかしい……どうなっている!?)
まるで、実体のない雲を相手にしているような気分だ。
どのような攻撃をしかけても、最小限の動きでいなされる。
明らかにさっきまでの動きとは様変わりしている。
まるで、こちらの動きを事前に解っていないと出来ないような防御や回避を、息をするように——
(……まさか、「掴んだ」というのは、そういう)
具体的な方法は分からない。
けれど、光一郎は確かに「掴んだ」のだ。
それが何かも、分からない。
だが、その結果、大樹は次の動きを完璧に読まれ、対処されている。
熟練の剣客にしかなし得ぬであろう高度な「読み」を、あんな小柄な中学生が行なっているのだ。
(これが、天覧比剣か……!)
自分達はひょっとすると、天覧比剣という舞台をみくびっていたのかもしれない。
とんでもない侮りだった。
天覧比剣には、このような規格外の能力を誇る剣士がいるのだ。
自分達が今まで薙ぎ倒してきたのは、全くの前座ばかりだったのだ。
心の底に秘めていた、相手への侮りの感情に気付かされ、恥じらいのようなものを覚えた。
しかし、それもまた己への滋養。
この恥と心の隙の存在を受け止め、次に繋げる。
それに、試合はまだ終わっていない。
「断!!」
両断の気合と、十字斬りが、上段より同時に疾る。
だが、全身に渦巻いて包む竜巻めいた光一郎の斬撃によって、長竹刀だけが横へ弾かれる。至剣流の『旋風』だ。
残された短竹刀も、『旋風』の太刀筋からシームレスに変じた円弧軌道の剣によって擦り合わされ、横へ流される。
そこからさらに素早く身を翻し、左側面へ回り込んでくる。
至剣流『颶風』の動きだと察知した大樹は、右へ退きながら、右手の長竹刀を両者の間に差し挟む。
やがてやってきた光一郎の円弧の一太刀と衝突し、竹刀を弾かれることなく受けきった。……長竹刀の上に短竹刀を被せてストッパー代わりにしていたため、両腕の力がちゃんと込められていたからだ。
そこから光一郎の竹刀が、交差状態となっている大樹の両剣の股にスッと割って入ったかと思うと、
(なっ……!?)
両剣の交差状態が解かれ、長短竹刀が強制的に左右へ分かたれた。
光一郎の竹刀が、両剣の股で円を描く形で渦巻き、両剣を外側へ張り出したのだ。
円を描く太刀筋……これは間違いなく『綿中針』だ。
しかし、この技にまさかこのような使い方があろうとは露も想像がつかなかった。
ガラ空きとなる我が懐。
そんな我が身へ、剣尖と視線と気勢を真っ直ぐ向けてくる光一郎。
(————え)
大樹はその時、光一郎の動きに既視感を覚えた。
連想したのは…………以前観た、靖国神社能楽堂での奉納演武の映像。
日ソ戦で散っていった戦友達に剣技を奉納しようと、多くの帝国軍人が参加していたその年の奉納演武。
その中には『三傑』の演武も含まれていた。
ゆえに観覧客がごった返し、映像でしか御三方の剣を観る機会が無かった者が多い。
大樹が尊敬してやまない望月源悟郎の、至剣流の演武も、また。
(——似ている)
そう。
光一郎の剣は——望月源悟郎のソレに、とてもよく似ていた。
瓜二つと言って良いかもしれなかった。
それを見て、確信する。
——彼もまた、英雄と同じ剣を、学んだのだと。
刺突が胴に当たる。
「胴あり!! 一本!! ——勝負あり!!」
天覧比剣都予選三回戦、勝者————富武中学校撃剣部。
新免二刀流の情報があまりにも少な過ぎる……
なので大樹くんの扱う新免二刀流の描写には、断片的に得た技の情報を手掛かりとした筆者の創作が多分に含有されております。
もしも読んでいて「新免二刀流にこんな技は無い! 茶番だぁ!」と思った博識な方がいらっしゃいましたら、どうか間違いが流布せぬよう、ネットの海に喧伝してくださいませ。
それが新免二刀流のためになると思います。