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帝都初恋剣戟譚  作者: 新免ムニムニ斎筆達
帝都初恋剣戟譚 呪剣編
125/237

都予選三回戦第二試合——初太刀


 都予選三回戦は予定通り、九時より始まった。


 三回戦は全部で四試合行う。それを午前中に消化し、午後にとり行う準決勝の参加校を選別する。


 三回戦第一試合が早速行われ、そこで勝利した赤坂(あかさか)(ひがし)中学校撃剣部の準決勝進出が決定。


 富武(とみたけ)中学校撃剣部は、その次に行われる三回戦第二試合を戦う。


 相手校は、渋谷区代表校の北千(きたせん)駄ヶ谷(だがや)中学校戦史研究会。










 まずは先鋒戦。

 北千駄ヶ谷中学校戦史研究会より——水嶋慶人(みずしまけいと)

 富武中学校撃剣部より——卜部峰子(うらべみねこ)


 男女の対決。しかも慶人は峰子より頭ひとつ分以上の背丈。


 けれどその程度、今の峰子にとってはほぼ問題ではなくなっていた。経験と稽古がそうさせたのである。


 開始位置に立った先鋒二人は、剣を構えた。


 峰子は、竹刀を中断で構え、左足を引いて半身となった「清眼(せいがん)の構え」。


 対して慶人は、右耳隣で竹刀を垂直にした構え。

 ……この男子が示現流兵法の使い手であることは、光一郎(こういちろう)のもたらした渋谷区予選のビデオにてすでに既知。

 そしてこの構えは、示現流の「蜻蛉(とんぼ)の構え」。至剣流の「陰の構え」に似ていなくもないが、この構えは「陰の構え」より剣の位置がやや高めである。


 「蜻蛉」という単語に峰子が真っ先に連想したのは、昆虫の方ではなく、今回の試合で大将を務めている光一郎(こういちろう)であった。彼の苗字である「秋津(あきつ)」はトンボの異名だ。勝負事に運が良さそうな苗字である。


 あの葦野(よしの)女学院(じょがくいん)にすら勝ったのだ。彼が一緒にいるだけで、どんな相手でも勝ててしまいそうな気がした。……そう考えるのは、彼と知り合う前の自分が聞けば呆れ果てるほどのロマンチックさだ。どれだけ彼の事が好きなのだ自分は。


 やがて、審判が先鋒戦の始まりを告げた。


「一本目——(はじ)

 

 め、と発した次の瞬間、




「————チェァァァァァァストァァァァラァァァァァ!!」




 空気を引き裂くほどの気合とともに、慶人が視界の中で急激にその大きさを増した。


 一瞬で峰子を間合いに収めるほどの踏み込みに伴い、大上段から落雷のような一太刀が落っこちてきた。


 ギリギリでフライングにならないその急襲に、しかし峰子は間一髪反応が間に合った。

 『綿中針(めんちゅうしん)』。目の前にある仮想の円を内からなぞるような(まる)い剣さばきをもって、その一太刀を柔らかく受け流そうと試みる。


 だが、両者の竹刀が触れた瞬間——峰子の防御が強引に(・・・)押し潰された(・・・・・・)


 柔らかい綿玉すらも両断するほどの極限の鋭さをもった一太刀は、峰子の柔和な防御を強引にこじ開け、突っ切った。


 もう竹刀は退けられた。防ぐ術も時間も無い。


 バァンッ!!


 まるで小さな雷でも落ちたがごとき破裂音とともに、慶人の竹刀の切っ尖が峰子の面金をしたたかに打った。


「ぐっ……!」


 それだけでなく、勢いよく床にうつ伏せにぶっ倒れた。

 今の一撃が当たった場所は面金なので頭はそれほど痛くはなかったが、余剰した威力でこのありさまだ。真剣でやられたらどれほどの威力となるのか、想像もしたくない。


「面あり!! 一本!!」


 審判は普段通り勝敗を告げた。今の初太刀は、審判から見てもフライングではなかったようだ。


 それを聞いて、峰子はようやく己の一敗を現実と認識できた。


 それに伴い、思考が急速に回転する。


(打ちかかる直前、「蜻蛉の構え」がさらに高くなった(・・・・・・・・)。——間違いない。今のは薬丸(やくまる)自顕流(じげんりゅう)の打ち込みだわ)


 ……示現流兵法と薬丸自顕流は、同じように見えて実はかなり違う。

 どちらも薩摩の剣であり、猿叫(えんきょう)を伴う凄まじい打ち込みを行うという点では共通しているが、技術体系や思想は大きく異なる。

 江戸初期に東郷(とうごう)重位(ちゅうい)が創始した示現流兵法は、仏教や儒教の影響を強く受けた哲学的な剣法であった。

 その東郷氏と関係の深かった薬丸氏に示現流が伝わり、薬丸家伝の「野太刀ノ(のだちの)(じゅつ)」と融合して生まれた剣法が、薬丸自顕流だ。


 哲学的剣法である示現流(・・・)とは真逆に、自顕流(・・・)は人を斬る事を最大の目的とした実戦本意の剣法。兎にも角にも「人を斬り殺せる剣」の追求を第一とする。

 薩摩藩の郷中(ごうちゅう)教育(きょういく)で多くの郷士(ごうし)に伝えられ、今の鹿児島県の小中学校でもその伝統は続いている。鹿児島に限っては、至剣流より自顕流の門人の方が多いくらいだ。


 さらに『三傑』の一人である元海軍大将、樺山(かばやま)勇魚丸(いさなまる)の剣でもある。

 郷士だが薩摩武士の血を引く彼は、示現流にも自顕流にも長じていた。空中に舞うコインを三回斬るほどの圧倒的剣速と、近くの御猪口が粉々に吹き飛ぶ爆発的な気合と猿叫は語り草となっている。


 薬丸自顕流の最大の特徴は、新撰組局長の近藤勇をして「外せ」と言わしめた強大な初太刀であろう。


 その初太刀を、峰子は見事に喰らってしまったのだ。


(でも、どうして(・・・・)今になって(・・・・・)? これまで見てきた試合で、彼が薬丸自顕流を使うところなんて一度も見た事がなかったのに)


 そう訝しむ。

 先ほどの初太刀の練度は、明らかに付け焼き刃のソレではなかった。濃厚な稽古の含蓄を感じた。

 これほどの技を、なぜ今までの試合で片鱗も見せずに秘してきた? なぜ今になって出してきた?

 

 奥の手——その単語が頭に浮かぶ。


 相手校を分析しながら戦っているのは、富武中学だけではない。他の学校も多かれ少なかれやっているはずだ。

 慶人がもしも頻繁に初太刀を見せていたら、相手は必ずそれを警戒することだろう。まさしく近藤勇のように。

 だから今まで隠していた。

 それを今になって出したということは……自惚れでなければ、おそらく、峰子を警戒(・・・・・)してのことだ(・・・・・・)


(だとしたら……光栄やら迷惑やら)


 そう複雑な心境を抱きながら、峰子は「清眼の構え」を取った。……ちなみに開始位置から全く動いていない。


 慶人が開始位置へ戻って、示現流の「蜻蛉の構え」になるのを見た途端、峰子は己の構えに気を充実させた。


「二本目——始めっ!!」


 始まるやいなや、慶人は滑るように峰子へ近づいてきた。


 間合いの中に峰子を納めた瞬間、


「エェェェッ!!」


 鋭い猿叫に伴い、雲が突然耀(かがや)くように竹刀が駆ける。右袈裟斬り。


 峰子はそれを『綿中針』で受けるが、


(重いっ……!!)


 研ぎ澄まさ(・・・・・)れた超重量(・・・・・)、とでも言おうか。刃の向かう方向へブレる事なく働く確固たる指向力を帯びた慶人の剣は、峰子の剣との摩擦すら意に介さず、元の太刀筋を保ったまま円の防御を圧壊。防具に当たる前に、峰子は我が身を後方へ逃した。


(さすが示現流ね、大河内篠(あの女)の剣とはまた別種の重さがあるわ……!)


 すでに慶人は峰子へ滑り寄ってきていた。間合いの範疇。


「エェェェ!!」


 猿叫とともに右袈裟。

 峰子は左へ身をズラし、強大な一太刀を紙一重で回避。同時に小手を狙う。

 だが、慶人の小手が閃くように持ち上がって峰子に竹刀を避け、さらに次の瞬間にまた閃くように左袈裟斬りへ移行した。

 峰子は竹刀の両端を持った中取りの持ち方でソレをどうにか防御。


 バァンッ!! という雷撃じみた竹刀同士のぶつかり合い。峰子は衝撃を足底から床へ逃したので、バランスを崩すことはなかった。


「エェエエエェェ!!」


 慶人は猿叫を伴って連撃。

 重みの無い稲妻のような迅速さと、巨大な包丁のような重い鋭さという矛盾を宿した斬撃の数々。

 峰子は回避を優先的に行い、ときどき行う防御は中取りの持ち方で行った。あんな剣をそう何度も受けてられない。

 剣を振りきった隙を見て小手を狙うが、竹刀が届くよりも速く慶人は剣ごと小手を引っ込めてもう一太刀放ってくる。あらかじめすぐ中取りに移れるような持ち方であったためそれもなんとか防御。


 峰子は攻めあぐねて、敵の連撃をひたすら避けて受けて、時折生じる小さな隙を狙う。


 慶人の剣は、そんなみみっちい攻め方しか許してくれない。


(分かってはいたけれど、実際にやり合うと面倒なものね、示現流は……!)


 素人目には、ただ叫びながらめちゃくちゃに剣を振り回している狂人の有り様にしか見えないであろう示現流だが、剣を見る目を持った者からすれば、それは大間違いであることがよく判る。


 示現流の基礎鍛錬として有名な「立木内(たちぎうち)」。太い(かし)の木をひたすらに打ちまくるというこの鍛錬は一見するとひどく乱暴で単純だが、これは剣において重要な手の内のしまりや腰の据わりなどを身につけ、強大な斬撃を得るための優れた基礎鍛錬である。


 その他の型も同じように、単純そうな動きの中に精妙さを濃く帯びている。


 さらに流祖である東郷重位は、剣豪であっただけでなく、多芸多才の人格者でもあった。後世の門人が伝承を間違えぬよう、助けとなるべく多くの伝書を書き遺した。そこには示現流の難解かつ深遠な剣術理論が、仏教用語や儒教用語を用いた比喩によって可能な限り分かりやすく解説されており、流祖の聖賢(せいけん)ぶりを垣間見れるという。

 

 無骨で野蛮に見えるこの剣法は、文武を極めし剣聖が作り上げた、極めて高邁(こうまい)な剣法なのである。


 そんな剣に、峰子は必死に対し続けるが、やがて、


「っ……!?」


 もう何度目かの剣撃の重みに耐えかね、峰子はバランスを崩しながら後方へ押し流され、片膝を付いた。


 好機とばかりに慶人が迫る。


 雷光じみた右袈裟が降りかかり——空気を斬った。


 直撃寸前に、峰子は左へ身を小さくズラしながら立ち上がり、慶人の右袈裟を避けた。

 本当によく見ないと分からないほどの、小さなズレ。(はた)からは、慶人の剣が峰子の体をすり抜けたように見えただろう。

 峰子はそんな立ち上がりと同時に、慶人の小手を打っていた。

 鹿島新当流の組太刀『柴隠(しばがくれ)ノ太刀(のたち)』に含まれる動きだ。


「小手あり!! 一本!!」


 剣を見る眼の肥えた審判は、二人の刹那のやり取りの結果をしっかり見ていた。


 二人は再び開始位置へ戻る。


 両者は構えて、


「三本目——始めっ!!」


 同時に前へ出た。


 互いの間合いの先端が重なった瞬間、各々が剣を閃くように出した。


 切り結ぶ。

 峰子が力負けして竹刀を横へ押しのけられ、空いた防御へ慶人の竹刀が滑り入ってくる。

 それに対し、峰子は大きく体を左へ展開しながら立ち位置を変えた。それによって慶人の突きを躱すと同時にその面へ一太刀発した。

 ライトを消したような速さで竹刀を動かし、峰子の一太刀を受ける慶人。


 さらに慶人は切り結んだ状態から、強引にねじ込むように竹刀に捻りを加え、それによって峰子の竹刀を上から押さえ込もうとしてくる。

 その気配を察知した峰子は右斜め前へ大きく踏み込み、竹刀を逃すと同時に慶人の面へ斬りかかった。水平に鋭角三角形を作るようなその太刀筋は、鹿島新当流の『地ノ(ちの)角切(かくぎり)』。


 しかしそれにすら慶人の剣は俊敏に反応した。面を狙った峰子の一太刀を下から持ち上げる形で受け流しながら「蜻蛉の構え」を取り、そこからすかさず電撃的な右袈裟斬り。


 峰子は身を翻すと同時にその一太刀を受け止めるが、やはり力負けしてたたらを踏んでしまう。


 体勢を整える。慶人が近寄る。左袈裟斬りが来る。

 峰子は右へ動いて避けると同時に小さく斬り返す。狙いは小手。

 当たると思った瞬間、慶人の手元が瞬時に動く。もう数センチ先まで迫った峰子の竹刀を、慶人の竹刀が横から迅速に阻み、(ねじ)れ、上から押さえ込んだ。


(しまっ——)

 

 そこから間髪入れずに、峰子の面を慶人の竹刀が突いた。


「面あり!! 一本!! ——勝負あり!!」


 不覚をとったか。峰子は心中で(ほぞ)を噛んだ。


 一本目の初太刀に対処できていたら——


 だが、終わった事を悔やんでも仕方がない。


 残った二人に、望みを託す他無い。


(ごめんなさい、部長。……後はお願いします)


チェスト天覧比剣

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