都予選三日目、そして金髪
七月一日。
とうとう七月になってしまった——そんな事実を、翌日に外へ出た瞬間に感じた濃厚な暑気で痛感した。今日は暫定的に今年一番の暑さになると、天気予報でも言っていた。
そんな夏本番となりかけた気候にも負けず、僕ら富武中学校撃剣部一行は今日も帝都武道館へと訪れた。
天覧比剣都予選、三日目。
僕らを含めて三回戦まで勝ち上がった学校は、そのまま勝ち続けられるとするなら、今日は二回試合を行うことになっている。
三回戦と、準決勝。その二回だ。
前者を午前中、後者を午後に行う予定となっている。
僕らがこれから戦う三回戦の相手は、渋谷区代表の北千駄ヶ谷中学校戦史研究会である。
そう、北千駄ヶ谷中学校戦史研究会である。
戦史研究会である。
撃剣部と名乗っていないのである。
これに関して、氷山部長が説明してくれた。
……天覧比剣に出場する部は、別に「撃剣部」と名乗る必要は必ずしも無いのだ。
事実、葦野女学院は「撃剣部」ではなく「清葦隊」という名で参加していたのだから。
すなわち、剣術が出来れば、どんな部活であっても参加できるのだ。戦史研究会だろうと、漫研だろうと。
あとは学校側が、その部活の出場を認めるか否かの問題となる。
というのも、天覧比剣少年部は、各中学校につき一つの部しか参加できないのだ。
北千駄ヶ谷中学には、撃剣部がちゃんとあるというし、去年までは「撃剣部」が出場していた。しかし、今年はなぜ「戦史研究会」が参加しているのか……詳しい話は僕らには分からない。
ただ一つハッキリ言えることは、北千駄ヶ谷中学が強いということである。
彼らの剣と試合は僕らも拝見したが、なかなかに凄まじいものであった。
長短一対の竹刀を巧みに操る二天一流。
耳をつんざく猿叫を伴い高速で剣を発する示現流。
「後の先」に優れた剣を得意とする新陰流。
そんな彼ら三選手の剣術の組み合わせは、既視感が強いものであった。
そう——望月源悟郎、樺山勇魚丸、星朱近。十一年前の日ソ戦を勝利に導いたこの三人の大将『三傑』と同じ剣術だ。
「戦史研究会」という団体名や、軍人を彷彿とさせるキビキビとした三人の立ち振る舞いからも、彼らが軍人を志していて、かつ『三傑』に憧れているということが何となく想像がつく。
それでいて、憧れて物真似をしたとは思えぬほどの研ぎ澄まされた剣技。
シード校の一つでもあった彼らは、二回戦で圧倒的な実力を見せつけて、次へ勝ち進んだ。
そして——今日、三回戦で僕らと当たる。
さすがは都予選。昨日の秀青学院戦でも緊迫していたのに、またこんな強豪と戦わされるなんて。気が休まらない。
さらに、彼らに勝ったしても——その次の準決勝では、ほぼ確実に赤坂東中学と当たる。
そう、ミーチャのいる学校である。ここもまた強敵。
強敵に次ぐ強敵。
それが今日の僕らのスケジュールである。
近年稀に見る、非常に心身の耐久度を求められる一日である。
秀青学院を倒した後の爽快感など、もはや忘れきっていた。
再び胸中に、奇妙な緊張感が占めていた。
どこかへ走り出したいくらいに落ち着かないような、それでいてずっとその場に留まり縮こまっていたいような……そんな矛盾した緊張感。
都予選が始まって以来、ずっと味わい続けている感情だった。
コレを胸に抱かない日は、この三日間、一日たりとも無かった。
……競技に挑む人達の気持ちが、あらためて分かった。
この緊張感から逃れるのは簡単だ。
試合でわざと負ければいい。
そして「自分たちには無理だった」と自己弁護すればいい。
だけどそれは、天覧比剣の剣士にとって、あらゆる意味で間違った逃げ方だ。
勝負を途中で捨てるのもどうかと思うし、何より……わざと負けるという行為は、競技であると同時に擬似的な斬り合いでもあるという競技撃剣の本質を分かっていない者の行いだ。
わざと負けるというのは、競技としても、武芸の稽古としても、撃剣を軽んじている行為だ。
剣士として天覧比剣に参加するのなら、そんな間違った逃げ方はするべきではない。
だから、真剣に、全力で試合に当たる。
負けても命が失われない戦いだ。それを知りつつも「斬り合いの競技化」であることを忘れずにいる。
斬り合いである、と意識してのぞむことが、結果的に剣士として合理的に立ち回る手助けとなり、競技撃剣も天覧比剣も尊重することに繋がる。
剣を剣として扱う。
結局、それが勝利に近づく鍵なのだ。
——今朝、ホテルの入口ホールで、そのような趣旨の話を氷山部長が部員達にしたのを始まりに、僕ら富竹中一行は帝都武道館行きのバスへ乗った。
朝八時に武道館に到着した僕らは、九時から始まる三回戦に備えるべく控え室へ向かう。
その途中の事だった。
受付やら売店やらがあり、大武道場を含む周囲のあらゆる施設につながる中央ホール。そこを埋め尽くす黒髪一色の人混みの中に、まばゆい金髪。
人混みが割れて、その金髪が二束の三つ編みになっていることや、その人物の全体像が明らかになり、誰あろう——ギーゼラ・ハルトマン=牧瀬さんであると判った。
葦野女学院清葦隊の現副長にして、千代田区予選でその圧倒的な剣技をもって氷山部長を打ち負かした異人の少女剣士。
彼女もまた、僕らの視線に気がついたようだ。
やや吊り上がったブルーアイズを数度まばたきしてから、大きく見開く。猫っぽい気まぐれそうな愛らしさのある色白な顔立ちが、にんまりと微笑む。
行き交う人混みの間を巧みに縫って、僕らの前までやってきた。
「きゃはは、モルゲーン! 富武中の御一行。こんな所で会えるなんてねぇ」
アニメみたいな甲高い声で挨拶してきた牧瀬さんは、当然ながらいつもの白いセーラー服姿ではなく、私服姿だった。
ほとんどが黒い、可愛らしくも気品のあるワンピース。同じく黒い編み上げのロングブーツ。
シックかつキュートな装いに反して、その左腰には一本の無骨な木刀をホルスター付きベルトで佩いていた。
部員一行がざわつく。それはそうかもしれない。千代田区予選で戦った相手であるというのもそうだが、彼女達は区予選で負けたはずだ。それなのにどうしてここに来ているのか——そう言いたいのだろう。
なので、僕が代表して訊くことにした。
「牧瀬さん、どうして都予選に?」
すると、牧瀬さんは少し不満げに返した。
「その呼び方はやめなさい、秋津光一郎。ギーゼラか、もしくはハルトマンとお呼び。どっちもパパとママ譲りの神聖な名前よ。……何でアタシがここにいるかって? そりゃアンタ、観戦に決まってんでしょうが」
「観戦?」
「そ。ウチはお金あるからね。鼻ほじる感覚でそこらのホテルの一室をとったわけ。アンタ達の試合は、昨日も一昨日も全部観させてもらったわよ。なかなか頑張るじゃないの」
「あ、ありがとう……」
一応お礼を告げるが、牧瀬さん……もといギーゼラさんは、僕ではなく氷山部長を見ていた。
部長もまたそれに気づき、彼女の碧眼と視線を交わす。
静まり返ったと思った瞬間、ギーゼラさんの姿が朧のように消えた。
そして次の瞬間には、ギーゼラさんの右手首を掴む氷山部長の図式が出来上がっていた。
ギーゼラさんがデコピンを部長の額に当てようとするのを、部長がギリギリで止めているという構図だ。
——速い。動くのも、反応するのも。
きゃは、と嬉しそうに一笑するギーゼラさん。青目の猫を思わせる、人種由来の白皙の幼い美貌。
「いきなりご挨拶だな、お嬢さん」
「まぁね」
言うと、ギーゼラさんの右手はデコピンの形を崩す。それによって戦意を引っ込めたと判断した氷山部長が拘束を解く。
「アタシがわざわざこの都予選を観に来たのはね、アンタが戦うとこを見たいからよ、氷山サン。——アタシ、アンタの事気に入っちゃったの」
彼女はそう艶然と笑うと、その細く白い指先で氷山部長の唇にちょんと触れた。
一方、部長はというと、怪訝そうな表情だった。同じく怪訝な口調で、
「気に入った? 私は君に負けたんだぞ。一本すら取れずに完敗だった。そんな私のどこを気に入ったというんだい?」
「そうねぇ…………アンタが「何か」を持ってる、と思ったからよ」
その曖昧な物言いに、僕は小首をかしげる。
しかし……部長の表情は、どこか硬かった。
まるで、隠していたイタズラがバレた時の子供みたいな。
ギーゼラさんの青い瞳が鋭く細められ、口元がニヨリといたずらっぽく微笑む。
「確かに氷山サンは、千代田区予選でアタシに一本も取れずに負けた。それは事実。でもね、それは仕方の無い事だと思うわけ。——だってアンタ、全然本気出してなかったデショ?」
僕だけでなく、峰子も、他の部員も驚きを示した。
みんなのその驚きは、すぐに非難がましい気配に変わる。
それを代表するように、峰子が食ってかかった。
「ちょっと、いい加減な事を言わないでもらえるかしら。部長が手を抜いていたと言いたいの?」
「そうだけど?」
「なっ……」
あっさり肯定されたことに面喰らう峰子を無視して、ギーゼラさんはさらに続ける。
「あの時、実際に剣を合わせてないと解らないわよ。……あの時、アタシと氷山サンから二本目をやり合ってた途中、氷山サンの太刀筋が一瞬、大きく鈍ったもん。まるで何かを躊躇するように。勿体ぶるように。それによって出来た隙を突く形でアタシは勝てたわけ。——ねぇ氷山サン、もっかい訊くけどさ、あの時アンタ「何か」しようとしてたデショ?」
「……何のことだかサッパリ分からないな。私は全力だった。しかし君には及ばなかった。それ以上でもそれ以下でも無いさ」
いつになく素っ気ない氷山部長の言葉に、値踏みするような視線を送るギーゼラさん。
両者しばらく睨み合いのような状態が続いてから、ギーゼラさんが先に観念したように引き下がった。
「……ま、そういうことにしといてあげる。すっとぼけるのはアンタの自由だよ」
そう言ってからくるりと踵を返し、さらに強い口調で告げた。
「でもね——そんなスタンスでこの先勝ち続けられるとは思わないコトね。アンタがその「何か」を見せなきゃいけない時が、遅かれ早かれ必ず来るよ。んじゃ、頑張ってね氷山サン。チューッス」
ギーゼラさんは振り向いて投げキッスをしてから、悠々と去っていった。
人混みの中をするすると滑らかに潜っていく金色の後ろ姿を見送ってから、峰子が不満そうにぼやいた。
「何よあの子。失礼なんだから」
それに対し、氷山部長は少し疲れたように言った。
「あまり責めてやるな。……彼女は悪くない」
エカっぺ達は金銭的、距離的都合で帝都武道館には来ていません。
テレビの前で応援してます。