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帝都初恋剣戟譚  作者: 新免ムニムニ斎筆達
帝都初恋剣戟譚 呪剣編
122/237

二日目夜、そして自販機


 どうにかこうにか二回戦も勝ち抜けた僕ら富武(とみたけ)中学。


 昨日戦った墨田区代表には申し訳ないが、今日は昨日以上に相手が手強かったので疲れた。げんぶアリーナを超える量の観衆に注目されながらの戦いだったからというのもある。


 第四試合を終え、他の学校の試合も観察した後、僕らはホテルに戻ることにした。


 控え室で一度シャワーを浴びたが、石鹸は使っていないので、ホテルの部屋に戻ってから全員交代で部屋のお風呂に入った。……ちなみにトイレと一体化したユニットバスであったことは全員一致で不満だった。贅沢かもしれないが、大浴場とかがあればよかったのに。


 それでもやむを得ずそのお風呂で体を洗い、持参してきた半袖短パンというパジャマに着替えた。


 そして消灯。しかしそこはやはり男子。今日もただで寝ることを良しとはせず、再び起きて「怪談話」をすることになった。


 初夏なので飲み物が欲しいところ。なので全員でジャンケンして、外の飲み物を買いに行く係を一人決めることになった。


 その結果——僕に決まった。


 同室の四人からお金を受け取り、自分のお金も用意してから、僕は渋々部屋を出た。


 いまだに嗅ぎ慣れないホテルの上品な匂いを楽しみながら廊下を歩き、エレベーターで一階へ降り、休憩室へと向かう。そこに自販機があるのだ。


 入口ホールの隅っこにある四角形のスペース。ほんのりと明かりを発し続けている三台の自販機と、それらと向かい合う形で壁際にある長いラウンジソファ。


 そのソファには一人、先客が座っていた。


 ——ミーチャだった。


 ポロシャツにジーンズという装い。その巻き毛気味な金髪は、自販機の光をてらてらと強く反射していた。髪が濡れている。お風呂に入った後なのだろう。


 ずっと叶わなかった二人きりの再会が叶ったので、嬉々として声をかけようとして……やめた。


 なぜなら、ソファに座ってうなだれた様子のミーチャの横顔が、ひどく浮かないものだったからだ。

 

 どっかの国の王子様みたいに端正な顔つきなので、そんな憂いを帯びた表情も絵になってるが、浮かない顔であることは変わらない。


 何があったのか——その理由は、だいたい想像がつく。


「ミーチャ」


 僕が意を決して声をかけると、ミーチャは振り向き、そしてその表情をぱぁっと明るいものに変えた。


光一郎(こういちろう)!」


「やっほ。こんばんわ」


 ことさら元気な態度を作りながら、僕は歩み寄る。


 僕には、飲み物を買って帰るという役目がある。なので本来なら、さっさと自販機で人数分の飲み物を購入して自室へ帰るところだ。


 だけど……今のミーチャを、放置しておきたくはなかった。


 ごめんみんな、少しの間だけだから——部屋の仲間に心の中で手を合わせてから、ミーチャと同じくラウンジソファに腰掛けた。


「ね、ミーチャ。なんか話そうよ。ようやく二人になれたんだからさ」


「なんか、って……何を?」


 ミーチャはぎこちない笑みでそう訊いてきた。


 僕は努めて優しく言った。


教えてよ(・・・・)


 ミーチャはその青い瞳を大きく見開くと、またさっきみたいにうなだれて、苦笑したような声で告げた。


「……有本(ありもと)部長に、怒鳴られちゃった」


 ——やはり、僕の予想通りの理由だった。


「このホテルのお風呂、トイレと一体化してるユニットバスでしょ? ボク、シャワー浴びてる時、浴槽のカーテンを閉じるの忘れてて……便器に水かけてびちゃびちゃにしちゃったんだ。そうしたら部長と他の部員がカンカンに怒って…………「風呂は水遊びする場所じゃねぇ、露助(ろすけ)は風呂の入り方も知らねぇケダモノか」って」


 ぽつぽつと語られたミーチャの説明に、僕はムッとした。


「ひっどい。確かにミスだけど、いくらなんでもそんな言い方ってないよね」


「でも……ボクが悪いから」


「なんかムカついた。ねぇミーチャ、部屋番教えてよ。その有本って人に文句言ってくる」


「や、やめて光一郎っ。ボクが撃剣部を追い出されちゃうよ」


「大丈夫だよ。だってあいつら、ミーチャの『径剣流(けいけんりゅう)』のおかげでここまで来れたようなモノじゃん。ミーチャを追い出して困るのはあいつら自身だから、追い出したりなんかしないよ」


「——お願いだから、やめて」


 切実に、強い語気でそう訴えてきたミーチャ。


 見たこともないような頑とした態度に、僕は思わず黙ってしまう。


「ウチの学校、撃剣部はあそこしか無いんだ。同じ活動内容の部活は一つしか作れないから、あそこに(すが)るしか無いんだ。そうしないとボクは……天覧比剣に出られない」


 切実そうな声。


 並々ならぬ思いを、天覧比剣に込めていることが分かる。


「……どうして、そこまで天覧比剣にこだわるの?」


 やや失礼な言葉選びである僕の問いに、ミーチャは気を悪くする様子も見せず答えた。


「前にも言ったと思うけど——この帝国の人達と、もっと仲良くしたいからだよ。もしもボクが剣で強くなって、参加するだけで意義があるといわれている天覧比剣に参加できれば……みんながボクを認めてくれる。日本人の仲間だって、認めてくれる。そんな気がするんだ」


 ……僕は、今年の四月、ウチの店でミーチャと話した時のことを思い出した。


『本当かいっ? ボクは、本当に日本人らしいかいっ?』


『そうか……嬉しいな。日本人に、それも光一郎にそう言ってもらえるなんて』


 日本人みたいだ、と僕が言うと、ミーチャはとても喜んだ。


 ミーチャは、それをみんなに(・・・・・・・)言って欲(・・・・)しいのだ(・・・・)


 そうすることで、自分は初めて、同じ地に住む仲間であると認めてもらえる。


 そのために、ミーチャは努力していた。


 古文書の読み方を独学で身につけたのも、少しでも日本人に近づきたいと思ったからだろう。


 そして、その原動力は、ミーチャ自身の願いだけではない。


「それが——君のお母さんの願いだから?」


 ミーチャは頷いた。


 今はもういない、ミーチャのお母さん。


「光一郎……ボクね、よくロシア人ロシア人って後ろ指をさされるけど、普通のロシア人じゃないんだ」 


「普通じゃない、って?」


「ボクのお母さん——ユダヤ人(・・・・)なんだ」


 僕は思わず目を瞬かせた。


「まだソ連って国があった頃、一般的なロシア人は自由な国外への移住が許されていなかったんだ。だけどユダヤ人だけは例外で、国外移住が許されていたんだ」


「ユダヤ人に優しかったってこと?」


 そういえばソ連って、酷い反ユダヤ主義だったナチスドイツと昔大きな戦争をしたんだっけ。だからドイツと違って、ユダヤ人に寛容だった?


 教養に乏しい僕の浅薄な予想を、ミーチャはかぶりを振って否定した。


「ううん。逆。……ソ連もドイツと同様、反ユダヤ色が強い国だったんだ。だからユダヤ人は、ロシア人という枠の外に置かれていた。自由なんじゃなくて「仲間はずれ」ってことだよ。そして——そのユダヤ人と結婚するようなロシア人もまた「仲間はずれ」だった」


 ミーチャの言わんとしていることが、先読み出来てしまった。


「……つまり、ミーチャのご両親は」


「お父さんはロシア人だけど、お母さんと結婚したことで「ユダヤ人」っていう扱いになった。それで、この帝国に移住してきた」


「なんで帝国に? ……ああいや、別に来るなって言ってるわけじゃなくてだね」


「わかってるよ」


 ミーチャは苦笑した。


「この帝国が……反ユダヤ主義の存在しない国だからだよ。それでいて、当時は西側にも東側にも与していない武装中立国だった。何より……この国の思想と宗教観は特殊で、外から入ってきたモノを自分達の文化に取り入れるのがすごく上手だった。第一次大戦期のドイツ人捕虜がもたらした音楽やお菓子が受け入れられたように、この国なら、ユダヤ人もロシア人も社会の一員として受け入れてくれる。そう期待したからなんだ」


 そして、それは叶った。

 楽とはいえなかった異国での暮らしを、周りの日本人はすすんで助けてくれた。

 外国人に対する好奇心もあったのだろうが、それでもたびたび世話を焼いてくれた。

 仕事を紹介してくれた。

 野菜を分けてくれた。

 夕食をご一緒させてくれた。

 まだ赤ちゃんだったミーチャの子育てをよく手伝ってくれた。


 ミーチャは嬉々としてそのように語ってから……寂しく笑った。


「だけど——戦争のせいで全部変わっちゃった」


 ソ連による日本侵攻が始まって以降、ミーチャの周りは激変した。

 今まで仲良くしてくれた人達が、自分たちを避けるようになった。

 話してくれても、腫れ物に触るような扱いだった。

 部屋の窓に「鬼畜露寇(きちくろこう)」と書かれた石を投げ込まれた。

 大学教員だったお父さんの講座を受講する人がいなくなった。

 お母さんは仕事先でいじめに遭い、退職を余儀無くされた。

 特高(とっこう)に何ヶ月も監視された。

 未遂で終わったが、刀で斬りかかってくる通り魔も現れた。


 まるでリバーシの石が裏返ったように、ミーチャとご両親を取り巻く環境が一変した。


「お母さんも、もともと持ってた病気がひどくなって、あっという間に死んじゃった」


 説明したあと、ミーチャはそう言って、見るに痛ましい笑みを浮かべた。


「でもね、お母さん、死んじゃう前に言ってたんだ。——日本人を嫌いにならないで、って。自分達がこの国でやってこれたのは、周りの人達が助けてくれたからなんだって。彼らの明るい面を忘れないでって。分かり合うことを諦めないで、って」


「それが……ミーチャが日本人と仲良くしようとする理由?」


 こくん、と頷くミーチャ。


「……でも、時々、自信がなくなっちゃう時があるんだ。やっぱり無理なのかなって。いくら頑張っても、やっぱりボクは日本人じゃない。どこまでいってもロシア人だ。十一年前の戦争で、北方の離島や北海道の人達にすごく酷い事をした、すごく酷い連中と同じ血が流れている——」


「——怒るよ(・・・)、ミーチャ」


 僕は語気を強めて、そう言った。


 青い瞳が、僕へ向く。


 非難がましく噛み付くような、それでいてすがりつくような感情がそこにはあった。


 僕はその目をまっすぐ見て、続けた。


「君はそういう言い方をすることで、君自身だけじゃなく、いろんな人を(おとし)めてる」


「……誰を」


「まず、君のご両親」


 自分の出自を(くさ)すことは、そんな自分を産んだ親を腐すことにも繋がる。


「それから、僕の友達」


 エカっぺ。ロシア人との混血であるあの子もミーチャ同様に冷遇されていたが、それで自分の出自を貶めたことなど一度も無かった。あの子らしく、腐ることなく、前を向いてこの社会を生きている。……そんなあの子の頑張りを侮辱することになる。


「それから——僕」


 ミーチャの青い瞳が、大きく見開かれた。


「僕にとってミーチャはもう、単なる秋津書肆(あきつしょし)の常連さんじゃない。友達だ。少なくとも僕はそう思ってる。だから、君が君自身を貶すってことは、そんな君を友達に選んだ僕にも「見る目が無い」って言ってるようなもんだよ」


「……友達、なの?」


「違うの?」


 ぶんぶんと首が千切れんばかりにかぶりを振るミーチャ。


「じゃあ、もう自分を貶めるのはやめてよね」


「うん……」


「あと、なんか酷い事言われたら言い返してよし。相手が部長で、自分がロシア人だからって、小さくなる必要な無い。そもそも本音で言い合えないようじゃ仲良くなんて出来ないよ」


「うん……うんっ……!」


「それから——うわっ?」


 いきなりミーチャに抱きつかれた。


 僕の方が小柄なので、ほとんど包み込まれる感じになった。


「ちょっと、どうしたのさっ?」


 背中にギュッと腕を回される。ほのかに香るシャンプーの匂いで、お風呂に入ったばかりなんだと再認識。


「ありがとう……光一郎…………!」


「……ん」


 湿った金色の巻き毛に、もしゃっと右手を置いてやる。


「頑張れよ。応援してるから」


「うんっ……!」


「あと、いじめられたら言いなね。僕が代わりに文句言ってあげるから」


「それはいいよっ……!」


 耳元で聞こえるミーチャの声には、泣きが混じっていた。


 だけど、それは悲痛なものではなかった。


 ……しばらくの間、僕はミーチャの抱擁を甘んじて受け続けた。


 そのせいで飲み物を買うのが随分遅くなり、部屋の仲間にめっちゃ文句を言われた。


今回の連投はこれにて終了。

また書き溜めます。


次で都予選は終わる予定。

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― 新着の感想 ―
[一言] 光一郎君が良い子すぎる。メンタルケアでも蜻蛉さん発動してる?ってくらい。
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