都予選二回戦第四試合——大桐琴乃
大桐琴乃は、八王子市にある「大桐神社」の社家の出身だった。
明治維新後の太政官布告によって社家による神職世襲制度が廃止されたが、その後も今なお変わらず世襲を続けている小さな神社は存在する。
琴乃が生まれた「大桐神社」も、そんな世襲の続く神社の一つであった。
大桐神社では、近隣の剣術流派の奉納額が飾られており、定期的に奉納演武も行われている。——天然理心流を現代に復元させた國木田家は、その中で一番の新参者であった。
天然理心流の剣士を局長としていた幕末の武装組織である新撰組は、現政権にとっては「賊軍」ということになる。
そのため維新の後に、天然理心流や新撰組について語ることは、人々の間では何とは無しにタブー扱いされていた。
……そのような世の中で、天然理心流の正伝が途絶えてしまうことは無理からぬことであった。
無名だが新撰組隊士を先祖に持つ國木田家は、そのような長年のタブーを破り、残された伝書を手がかりに天然理心流を現代に復元させた。
そして『國木田派天然理心流』と名乗り、奉納額の掲示と奉納演武への参加を大桐神社に頼んできたのだ。
これに対し、当時の宮司であった琴乃の祖父は懸念を抱いた。「賊軍の武芸」である天然理心流を奉納などしようものなら、全国の神社を管理している内務省神社局から目をつけられるのではないか——そんな懸念を。
それでも奉納の決断をしたのは、ひとえに、琴乃の父の曽祖父にあたる人が、八王子千人同心に名を連ねる人物であったためだ。
有事の際の甲州街道警備や八王子周辺の治安維持を幕府より任ぜられていた八王子千人同心には、天然理心流や甲源一刀流の剣士もいた。
そう、元をただせば、大桐家もまた天然理心流とかすかながら縁がある。そのよしみで、父は奉納を決断した。
ありがたいことに、氏子達の反応は予想よりも好意的で、内務省にも目をつけられることはなかった。
前者は、百年以上経ったことによって新撰組に対する記憶が風化していたためである。
後者は、共産主義という新撰組の数千倍は恐ろしい大妖怪の出現によるためであろう。
——経緯の説明が長くなったが、こうして大桐家と國木田家は親交を持つこととなった。
幼馴染にして許嫁でもある瑛士との出会いも、その親交によるものだった。
彼と初めて会い、交友を重ねるにつれて「ああ、きっと自分はこの人と一緒になるのだろうな」という、ある種の運命的なモノを漠然と感じていた。そしてそれは親同士の取り決めによって現実となった。
不満は無い。むしろ朴訥なところのある彼のことが、昔も今も可愛いと思っている。
きっとこの人と老いるまでやっていける女は自分しかいないと、自惚れ抜きでそう確信していた。……しかしやはり彼はその容姿ゆえに女子にもてるため、ときどき不安にはなるが。
腐れ縁同然に許嫁同士となった瑛士には、ある野望があった。
それは、天覧比剣に優勝すること。
少年部でもいい、一般部でもいい。とにかく天覧比剣という大舞台に立ち、そこで栄冠を勝ち取ること。
そうすることで——新撰組の魂と天然理心流は帝国に健在なり、と知らしめること。
それが、時代の波に呑まれて圧壊し、人々からも長年目を背けられ続けてきた新撰組隊士に対する最大限の供養であった。
二人きりになるたびによく語ってくれた瑛士のそんな願いは、いつしか将来妻となる琴乃の願いにもなっていた。
琴乃は社家の娘であり、巫女であり、そして剣士でもあった。
大桐家には、八王子千人同心に伝えられていた甲源一刀流が、家伝として伝承されている。琴乃も他の兄妹達と同様に、幼い頃から剣の手ほどきを父や祖父より受けてきた。
その実力は、手前味噌だが部内では瑛士の次に達者であった。
瑛士と一緒でなら、天覧比剣へ進むことも夢では無いと思っていた。
……しかしながら、天覧比剣というのは、なかなかに厳しい戦いであった。
一年生の頃は多摩地区予選で準優勝。二年生であった去年には都予選にて葦野女学院に完敗した。
特に去年は、葦野女学院の剣士に手も足も出ずに完敗した。流石の瑛士もその後は三日間考え込み、慰めるのにやや難儀した。
そして現在ぶつかっている相手——富武中学校もまた、甘い相手ではなかった。
富武中の都予選出場は、学生剣士の界隈ではちょっとした話題となっていた。
まったくのノーマークであった無名の学校が、天覧比剣本戦の常連状態であった強豪の葦野女学院を打ち負かし、千代田区の代表となった。……こういう番狂わせはいつの時代にも話題になりやすい。
去年、葦野女学院に完膚無きまでに叩きのめされた瑛士もまた、富武中には強い関心を抱いていた。機会に恵まれれば一度戦ってみたい、と。
それは叶った。
そして——葦野を倒したというのが、まぐれではないことを思い知った。
(……やりますね。この卜部さんという方)
これから始まる先鋒戦の三本目。遠間で竹刀を中段に構えた卜部峰子に「勢眼の構え」を向けながら、琴乃は生唾を吞み込んだ。
中段に竹刀を構えた彼女の佇まいは、左足を引いて全身を半身にしていた。剣術の中段構えには流派の特徴や個性が出やすい。……間違いなくあれは鹿島新当流だろう。
彼女の振るう剣は、大らかで研ぎ澄ましたような鋭さがあり、そして雲のような柔軟さがあった。
氏子の一人が録画してくれていた千代田区予選の映像の時よりも、明らかに成長していた。
最初に一本を取ったが、すぐに上手いこと一本を取り返された。
(手強い相手ですよ。瑛士さん)
竹刀を握る両手が無意識に強張っているのを実感したので、自覚的に緩める。柄を固く握ると太刀筋の円滑さを殺す。それは緻密な太刀の操作を求められる一刀流においては致命的だ。
それに、緊張しようがしまいが、三本目はやってくる。
「三本目——始めっ!!」
号令とともに、二人同時に動き出す。
両者ともに後が無い。なのでその動きも慎重さを帯びていた。
中段構えの間合い同士が触れ合い、かと思えば離れ、また触れ合って離れ……と繰り返す。
琴乃は上段に振りかぶって気勢を広げる。
峰子は構わず、琴乃の間合いへ少しずつ詰め寄り——やがて姿が霞むほど急加速して刺突。
琴乃は竹刀を振り下ろしてその刺突を捌き、同時に剣尖を峰子へ近づけて威嚇。
瞬時に退いた峰子。再び間合いが離れる。だが峰子は今度は左手だけで竹刀を薙いできた。片腕全体の長さが加わるため必然的に両手持ちよりも間合いが伸長し、琴乃の小手を狙ってくる。
琴乃は退いて逃れる。同時に右足を引いて剣を後方に置いた「隠剣」という構えになる。そこから閃くように発せられた円弧の太刀筋が、次の瞬間には峰子を襲った。
峰子は柄を両手持ちに戻しながら、太刀を発してそれを防ごうとする。
だが琴乃の竹刀と触れ合った瞬間——峰子の竹刀はほとんど無抵抗に下へ流れた。甲源一刀流の『切落』だ。
すでに琴乃の剣尖は斜め上へ、すなわち峰子の面を向いており、そのまま身を進めてきた。
剣尖が十センチ以下にまで達した瞬間、峰子の面が左へ逸れ、刺突が外れる。瞬時に全身を捻って立ち位置をズラして回避したのだ。
それと同時に、琴乃の左側から竹刀が横薙ぎに迫る。
「っ」
それも瞬時に振り向いて防ぐ。しかし苦し紛れとは思えぬほど足腰がしっかり入ったその一太刀は、竹刀越しに消しきれない重みを琴乃の身にぶつけた。
体が倒れぬようにと自然と強張る。そこが隙になる。
強張って出来た一瞬の隙に、峰子の竹刀は小手へ向かって蛇のように迫る。
——そう来るのは分かっていた。なにせ手を積極的に狙ってくる鹿島新当流である。
琴乃が動けるようになった時には、敵の竹刀が小手のすぐ側まで迫っていた。
しかし一刀流は、最小限の取り回しで最大限の能力を発揮するのに優れた剣術だ。無駄がない、しかしだからこそ難度の高い「最小限」を追求する一刀流を、琴乃は幼い頃から学んできた。
ゆえに、これほどまでに迫った竹刀にも、対応できた。
「——!?」
峰子の息を呑む声。
『切落』。剣の形状や構造を巧みに利用し、最小限の力で相手の剣を払う一刀流の妙技。琴乃の刀身の鍔付近の箇所に触れた途端、峰子の竹刀は琴乃の竹刀のすぐ側を流れ落ちた。
彼女の体を守る剣が下になったことで、露わになる急所。
『切落』と同時に峰子の胴を向いていた琴乃の剣尖が疾駆する。
距離的に、もう躱せるタイミングではない。鹿島新当流の迅速な足捌きでも不可能。
当たる。勝った。
そう考えた次の瞬間——琴乃の竹刀が上へ流れた。
「え……」
二重の意味で、琴乃は唖然とする。
一つは、決め手となるはずだった己の刺突をいなされたこと。
もう一つは——そのために峰子が使った技が、至剣流剣術の『綿中針』であったこと。
予想外な事象に思考がフル回転し、体感時間が引き伸ばされる。……自分の攻撃が流され、峰子の竹刀がこちらへまっすぐ向くまでの時間が、ひどく緩慢に感じられた。
(なぜ、至剣流を——?)
状況や条件的には、何ら不思議なことではない。
日本の義務教育には、国民皆兵制を成り立たせるための一環として、剣術授業が必修化されている。その授業で、日本人は必ず至剣流をその身に通すことになるのだ。剣術に縁遠い日本人でも、最低一つは下手でも至剣流の型を覚えているといわれている。
——そしてこれは琴乃には知る由もないことであるが、峰子は鹿島新当流の他に、至剣流の型も六月中に練習していた。
峰子は、防御に優れた技を身につけておきたいと考え、至剣流の型にも手を出していた。
無論、何でもかんでも練習していたら、所詮付け焼き刃にしかならないし、そんなものは大して役に立たないどころか隙にすらなりかねない。なので、練習する至剣流の型は一つに絞った。
それこそがまさしく『綿中針』である。
目の前の仮想の球体を剣でなぞるような太刀筋で手堅い防御をしつつ、いつでも相手に反撃できるように剣尖は常に相手へ向けておく——防御と反撃に非常に優れたその剣技は、身につければ防御に役に立つだけでなく、いろいろと応用もきく。光一郎もおすすめしていた。
なので峰子は『綿中針』を徹底的に練習した。型は剣術授業ですでに体に通しているので初めてではないし、螢という最上級の指導者が型稽古に付き合ってくれたのでメキメキと上達できた。
そして今まさに、練習した『綿中針』が役に立ったのである。
——ですが、他の剣術を学ぶ人が、至剣流をわざわざ使うなんて。
今でこそ日本最大流派としての隆盛をほしいままにしている至剣流。
それとは相対的に他の剣術の学習者は減ってしまってはいるものの、それでも途絶えた流派というのはほとんど無く、他の剣術は地域と密着して今でも根強く残っている。心眼流の一村一流である玄堀村がその良い例だ。
そして、他の剣術を学びたがる人には、学校のお仕着せで叩き込まれた至剣流剣術に対する嫌気のようなものを抱く者が多い。人は強制された事を嫌がりやすいのだ。それに全ての子供達が望月源悟郎に憧れて至剣流を志すわけではない。
かくいう琴乃も、義務教育を終えたらもう至剣流には手を出さず、甲源一刀流のみの稽古に専念するつもりだ。
そういう理由から、至剣流以外の剣をわざわざ学ぶ者には、天覧比剣のような試合では至剣流の技を使う者がほとんどいない。
しかし、その極めて稀な存在が、今琴乃の目の前に存在している。
鹿島新当流を深く練磨していながらも、至剣流の型もここまで磨き上げた。
なぜ?
——天覧比剣を勝ち抜くために他ならないだろう。
すなわち、己のこだわりや矜持と折り合いをつけ、勝利への勝算を取ったということ。
なんという、勝利への執念。
(——ごめんなさい、瑛士さん。私の負けです)
己の敗北を確信した瞬間、延びていた体感時間が元に戻り。
峰子の剣尖が、琴乃の面を軽く突いた。
「面あり!! 一本!! ——勝負あり!!」