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帝都初恋剣戟譚  作者: 新免ムニムニ斎筆達
帝都初恋剣戟譚 呪剣編
116/237

都予選一回戦第四試合——圧勝

 十時より、予定通り天覧比剣都予選の第一回戦が開始された。


 試合形式は区予選と変わらず、三人一組同士で戦う団体戦。

 先に二勝した組の勝利。


 富武(とみたけ)中学が戦う一回戦第四試合は、午後の始めに行われた。


 初戦の相手は、墨田(すみだ)()代表の中央(ちゅうおう)押上(おしあげ)中学校。



 

 まず結論から言えば、この試合、富武中学校の圧勝であった。




 無論、墨田区代表は弱くなかった。

 むしろ、都予選まで勝ち上がってくるだけの団体だ。弱い団体など一つも存在しない。

 それでも、今の富武中学校撃剣部の実力は、墨田区代表を大きく上回っていた。


 結論のみだとあまりにも味気ないため、第四試合の経過を、以下に記述する。






 †





 まず、先鋒戦。

 富武中学校撃剣部——卜部峰子(うらべみねこ)

 中央押上中学校撃剣部——大平(おおひら)秀吾(しゅうご)




 男女の試合。

 それも、体格差が歴然。

 男子から見ても大柄な秀吾。

 女子の平均程度の背丈の峰子。

 まるで濁流を前にした小枝のような、一方的な戦いが始まるかに思われた。

 

 しかし、そうはならなかった。


 長い両腕によって繰り出される竹刀は、非常にリーチが広かった。

 おまけに、たびたび円弧を大きく速く描いてやってくる。

 その有様は、まるで台風のようだ。

 体格差のもたらす迫力もあり、近づき難い雰囲気があった。

 ——少なくとも、墨田区予選で秀吾と戦った剣士はみな、そんな大らかな剣に圧倒されてきた。


 だが、峰子は違った。


 次々と吹き荒れる太刀の嵐を、冷静に、堅実にさばいていた。


「ヤァァッ!!」


 床を震わすほどの気合とともに、秀吾は剣を背後に隠した「裏剣の構え」から、ビュン! と大きな横薙ぎを発した。

 峰子は竹刀をとっさに構えて。その重い一撃を受け止める。竹刀は横へ弾かれ、手から足に響くほどの衝撃を覚える。

 さらに秀吾はもう一歩足を進めながら、己の竹刀を翻した(・・・)。刃にあたる部分がくるりと峰子の面に向き、秀吾の踏み込みに合わせ、()かれたビリヤード玉のように突発的に剣尖が加速。——至剣流『浦波(うらなみ)』。重い薙ぎ払いで相手の竹刀を弾いてから瞬時に剣を翻して顔を斬りつける。最も試合向きな型の一つ。


 そんな二撃目に対し、峰子は軽く屈んだ。

 峰子の面の真上を、竹刀が鋭く通過。紙一重だが、掠ってはいない。審判もそれを見逃さなかった。小柄な体格を活かした、最小限の回避。

 それと同時に——峰子の竹刀は秀吾の小手を、ちょん、と触れた。


「小手あり!! 一本!!」


 審判のその声が聞こえた瞬間、両者ともにそこで打ち合いをやめ、開始位置へ戻って再び向かい合った。


 峰子は鹿島新当流の「清眼(せいがん)の構え」を取る。至剣流の「正眼(せいがん)の構え」と違って半身(はんみ)になって構えたその剣の向こう側に秀吾の姿を捉えながら、己の今の心持ちを客観視する。


(体は大きいけれど、威容だと(・・・・)は感じない(・・・・・)。まったく怖くない)


 以前の自分ならば、自分よりひと回り体の大きい相手に、大なり小なり威圧感を覚えていたと思う。


 けれど、明らかに体格的優位を誇る目の前の剣士に、微塵も心が揺らいでいない。


 自分より背丈があり、なおかつ自分の去年の屈辱の象徴であった大河内(おおこうち)(しの)に勝利したことに起因しているのか?


 あるいは——望月(もちづき)(ほたる)という「小さな巨人」と、何度も立ち合ってきたからか。


『卜部さん、あなたの剣には少し「こだわり」が強く感じられる。その「こだわり」は、あなたの剣を堅く狭くしている。あなたの鹿島新当流はよく鍛錬されているけれど、そこの枠から抜け出せていない。あなたはおそらく、もうその枠から抜け出しても良い頃合いだと思う。新当流の術理を忘れず、それでいて自分の持っているモノをうまく利用して勝ちに行く方法を模索してほしい』


 螢との稽古で、彼女に告げられた指摘だ。


 千代田区予選における篠との一戦で、峰子は確かに己の殻を破り、薄氷(はくひょう)の勝利をもぎ取った。


 しかしそれは、あの場での昂ぶりがそうさせた一時的なものだった。


 まだまだ峰子の剣からは、頑迷さが抜けきっていなかった。


 螢との稽古は、その頑迷さを柔らかくほぐしてくれた。


 自惚れではなく、確信していた。

 自分は間違いなく、上達している。

 それも、区予選とは比較にならないほど。


「二本目——始めっ!!」


 審判の開始の声が響いた瞬間、峰子は一気に秀吾の間合いへ飛び込んだ。


 大胆さと気勢に驚いたのか、秀吾がびくりと硬直する。


 その一瞬の心理的硬直を狙い、峰子は出せる限りの速さで突きを出した。狙いは小手。


 秀吾はその攻勢に内心ほくそ笑んだ。


 ——かかった(・・・・)。驚いたように見せたのも、小手を狙いやすくしたのもワザとだ。おまけにさっきの小手打ちの成功体験もあれば、小手を狙わずにはいられまい。


 秀吾は竹刀を振り上げながら一歩退いた。

 峰子の刺突が小手という目標を失って空を切った瞬間に噛み合わせる(・・・・・・)形で、秀吾は竹刀を鋭く振り下ろした。狙いは面。

 たとえ防いでも、この一太刀には全体重を込めているため、その重みに圧迫されて動きが一瞬止まるはずだ。それを隙と見て他の部位を狙うも良し、逃げるのに使うも良しだ。


 だが——峰子は打たれも受けもしなかった。


 勢いよく振り下ろされる秀吾の縦一閃が当たる直前、峰子は己の立ち位置を微かに横へ移動させ、紙一重でその一太刀を避けてみせた。


 それと同時に、またしても秀吾の小手に竹刀を当てていた。


 鹿島新当流の組太刀でよく見られる、紙一重の回避からの一太刀。


 型にとらわれずも、型の理を忘れぬ、まごうことなき換骨奪胎(かんこつだったい)の剣。


「小手あり!! 一本!! ——勝負あり!!」


 卜部峰子は間違いなく、剣士として次の境地へと立ったのだ。






 †






 続いて、次鋒戦。

 富武中学校撃剣部——秋津(あきつ)光一郎(こういちろう)

 中央押上中学校撃剣部——田辺慎司(たなべしんじ)


 


 先鋒の秀吾とは打って変わって、慎司は男子の平均レベルの背丈と体格の剣士であった。

 小柄な光一郎と比べると少し高め。しかし身長差はさほどでもないため、体格的ハンデは無いに等しい。

 であれば、あとは純粋な剣の技量の勝負となる。


 慎司の剣の腕は、やはりここまで来るだけあって、なかなかのものであった。


 リーチが大きくダイナミックな秀吾の剣が台風のようだとするならば、慎司の剣はさながら爆竹であった。

 一拍子一拍子がきびきびとはっきりした、速く鋭い太刀筋。

 『石火(せっか)』や『電光(でんこう)』などの素早さを誇る剣技を中心に用い、なおかつそれらが並の中学生剣士に比べて格段に鋭い。

 一拍子一拍子のリズムははっきりしているが、一度剣をまともに合わせれば、まさしく爆竹が竹刀同士の間で弾けるように息もつかせぬ連撃を浴びせられ、防御をこじ開けられて負ける。

 至剣流宗家に名を連ねる一人、嘉戸(かど)雷蔵(らいぞう)に憧れて磨いた剣。

 慎司はその剣で、墨田区予選を勝ち抜いてきた。

 

 しかし、今——その戦術で完封しきれない、初めての相手と戦っていた。


「エィィィィィィィ!!」


 裂帛(れっぱく)の気合に付随して、慎司の両側頭部から交互に剣が発せられる。

 アラビア数字の「8」を横にしたような太刀筋を延々と描いて連続で発する、至剣流『衣掛(ころもがけ)』の型。……それが、大正以前(・・・・)の至剣流(・・・・)には無かった型であることを、慎司は知らない。

 慎司の『衣掛』は非常に迅速だ。片側からの太刀を防いでからすかさず反撃、という攻略法を許さぬほどの素早さと重みを一太刀一太刀に込めていた。

 防いでも竹刀を弾かれるか体勢を少し崩す。反撃を許さぬその連撃は「『石火』を斜めにして連発しているみたいだ」とよく言われた。


 しかし、光一郎はそれを的確にさばいていく。


 一太刀一太刀をぶつけ合った時の感触が、ひどく柔らかい。慎司はそう感じた。


 『綿中針(めんちゅうしん)』。

 仮想の球体を内側からなぞるような剣捌きで、飛来してくる剣を柔和に受け流す。

 それでいて剣尖は常に相手に向け続け、攻め入れる隙を見つければすかさず刺突。

 防御と反撃を高度に併せ持った型。


 綿のように柔らかく受け流す——これは、型を素晴らしいモノに感じさせる大袈裟な謳い文句だと思っていた。

 だが今、光一郎の行っている『綿中針』の受けは、触れ合った時の感触がその謳い文句どおり非常に柔らかだった。


 巨大な綿玉を殴っているような奇妙な感触に襲われていたその時、ずっとこちらを向いていた光一郎の剣尖がとうとう疾駆。

 同時に慎司も動く。剣を垂直に右耳隣で構えた「陰の構え」になりながら、左足を進める——その構えへ移行する流れで、鋭く直進してきた光一郎の竹刀を横へ受け流し、あさっての方向へ軌道を逸らす。

 同時に、左足へ瞬時に右足を揃え、手の内を絞り、剣尖を鞭のごとく弾けさせた。『雁翅(がんし)』。慎司が得意とする技の一つだ。


 当たる——

 そんな慎司の予想は、閃くような速さで引き戻された光一郎の竹刀によって破られた。


 敏捷に迫った慎司の剣尖は、「陰の構え」を取るべく引っ込められた光一郎の竹刀と触れ合い、(こす)れ合い、太刀筋を歪められてその力を失った。

 ……知っている。この防御はまぎれもなく『雁翅』のものだ。あろうことか、同じ技をやり返された。


 次の瞬間には俊敏に弧を描いて迫った光一郎の剣尖を、慎司はどうにか竹刀で受け止めた。


 しかし、その一太刀を受けた瞬間——両足がわずかに浮き上がった。


「っ……!!」


 なんと重く、鋭い。

 『雁翅』が得意技? 

 そんな風に吹いていた自分を殴りたくなった。

 光一郎の発した『雁翅』は、自分より遥かに練度が高かった。


 後方へたたらを踏む慎司。

 どうにか重心の安定を取り戻したその瞬間、光一郎の刺突が迫った。

 慎司は『石火』で応戦。剣尖が鋭く跳ねて、光一郎の竹刀を迎撃せんとする。

 しかしその『石火』の一太刀は、ぶるん! と震えた光一郎の竹刀とぶつかった途端に横へ勢いよく弾かれ——それとほぼ同時に面を突かれた。


「面あり!! 一本!!」


 『鴫震(しぎぶるい)』——ほぼ一拍子で防御反撃を行うその剣技で打たれ、慎司はもう後が無くなった。


 (ほぞ)を噛みながらも、それを表には出さず飲み込み、開始位置へ戻る。


「二本目——始めっ!!」


 一瞬どうすべきか迷ったが、すぐに考え直した。

 慣れない奇策を使おうなどという考えは捨てろ。それはある意味無策より危ない。

 自分らしい剣という前提を置いた上で戦え。その場その場で臨機応変にしろ。


 慎司は前へ出た。

 間合いに光一郎をとらえた瞬間、慎司は『霹靂神(はたたがみ)』という型を使おうと考えた。剣呑な明滅を絶えず繰り返す雷雲のように、素早い剣撃を幾度も連発する技である。


 だが。


 それよりも早く、光一郎の剣尖が慎司の面を軽く突いた。


「面あり!! 一本!! ——勝負あり!!」


 厳しく、容赦無く告げられる勝者と敗者。


「…………え?」


 だが、敗者である慎司は、目の前で起こった現実を、飲み込みきれずにいた。


 負けて、自分達の今年の天覧比剣が終わってしまったという現実を受け入れがたい?


 ——違う。


 開始位置に戻ることも忘れ、慎司は目の前の光一郎へ、理解不能な生き物を見る目を向けながら、


「……お前…………今、何をしたんだ(・・・・・・)?」


 かすれた声で、思わずそう問いかけた。


 分かっている。『霹靂神』を出すよりも速く面を突かれた。機先を制された。


 慎司は己の負け方を、己の五感で、全て現実として知覚していた。


 していたのに——何をされたか理解できない。


 光一郎がしかけてきたあの刺突。

 そこには、貫こうという気概も、勝とうという意思も感じなかった。

 かといって、侮りも無かった。


 感じたのは——ひたすらに(・・・・・)事務的な感情(・・・・・・)


 気負うでもなく、甘く見るでもなく、そこへ剣を動かそうという意思のみが宿った刺突。

 まるで、その場所に剣を(・・・・・・・)突き出せば勝てる(・・・・・・・・)といわんばかりに、ただただ事務的で、感情の色を感じない剣の動き。

 そんな調子で発せられた光一郎の剣は、これから慎司が出そうとしていた大技を見事に挫いたのだ。


 まるで……世界そのものが、光一郎の剣に忖度(そんたく)して、勝ちへ導いたように。


 それをやってのけた本人は、慎司の方を真っ直ぐ見ているようで、まったく別の「何か」を見ていた。


 理解不能だった。


 ……そんな感情が、質問という形で口から漏れ出たのだ。

 

 それに対し、光一郎は——少し申し訳なさそうに微笑むだけだった。








 一回戦第四試合、勝者————富武中学校撃剣部。


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