烏と蜻蛉《三》
——光一郎の休憩時間を待ってから、二人の稽古は再開された。
晴天に輝く太陽は、いつの間にか西に少し傾いていた。
コウ様と偶然出会って、もうそれほど時が経ったのですね——楽しい時間の経過の速さを少し恨めしく感じながら、田中太郎は光一郎の発する剣を全て受けていく。
その剣は、中学二年生とは思えないほどに研ぎ澄まされていた。よほど優れた師のもとで、懸命に学んでいるのだろう。誤魔化しきれないそれらの含蓄が、太刀筋の一本一本には宿っていた。
けれど、太郎にだけ視える三本足の烏——『八咫烏』の飛行する軌道を剣尖で追いかけるだけで、それらの太刀筋は簡単に受け流せる。そして光一郎の間合いへ入って首元や腹部に剣を寸止め。
光一郎は何度も自分に挑んでくるが、いずれも結果は同じ。
——『八咫烏』は、あらゆる状況において、絶対に安全な「王道」を瞬時に導き出せる至剣だ。
熟練した剣士は、相手や周囲のわずかな情報を集めて、それらを演繹させることによって次の事象をある程度正確に予測する「読み」に長けているが、『八咫烏』の能力はそれをはるかに超越している。
たとえ数百メートル先から熟練の狙撃兵が引き金を引こうとも、『八咫烏』を追いかけている限り、その撃った弾は絶対に太郎に命中も掠りもしない。
「生き残る」という兵法家の最低目標を成し得ることのみにおいてはまさしく最強といえる至剣であると、太郎の剣師である嘉戸唯明は『八咫烏』を評した。
『八咫烏』を追いかける太郎の木刀には、光一郎の発する太刀のことごとくを無に帰し、太郎の身の安全を守る力が宿る。……光一郎の至剣であるという『蜻蛉剣』が同じような能力であると知った時は、天にも昇りそうなほどに嬉しかった。
似た者同士の剣戟は続く。
(コウ様の太刀筋は、先ほどと全く変わっていない……)
あらゆる方向からあらゆる軌道でやってくる光一郎の剣をさばきながら、太郎は冷静にそう分析していた。
(しかし——あの眼)
剣を発しながら、自分をひたすらに見つめてくる、光一郎の双眸。
そこには、太郎の姿形が、鏡面のように不気味なほどハッキリ映っていた。
まるで、太郎の外見だけでなく、その奥底まで見通そうとしているような、照魔鏡のごとき眼差し。
恐ろしい、と思った。
しかしそれ以上に、胸が高鳴った。
(——コウ様は、何かをしようとしていらっしゃる)
試してみたいことがある——光一郎はそう言っていた。
あの瞳が、その「試してみたいこと」なのだろうか。
早咲きの至剣だけではない。
光一郎は間違いなく、他にも何かを持っている。
それを今から、見せてくれるのだろう。
(どうか見せてください、コウ様。もっと、貴方の事を、私にどうか——!)
太郎は『八咫烏』の描く軌道を、剣で追い続ける。
「王道」をなぞった剣が、絶対安寧の太刀筋を得る。
猛烈な勢いで連発される光一郎の剣技の数々は、その安寧の太刀によってことごとくが打ち消される。
何度斬りかかっても、結果は変わらない。
どんなに風や水を殴ろうとも、意味が無いのと同じ。
光一郎の使うどのような剣技も、駆け引きも、策謀も、神話の霊鳥がもたらす神力の前では所詮ヒトの児戯でしかない。
——しかし、光一郎の双眸は、なおも太郎を見つめていた。
心なしか、先ほどよりも、その眼の中に映る太郎の姿が鮮明化しているような……
剣尖で『八咫烏』を追いかけるだけで絶対防御を実現できる太郎には、そんなふうに光一郎の様子を伺う余裕があった。
瞳の中の太郎が、さらに鮮明になる。
剣を交えるごとに、瞳の中からもう一人の太郎が飛び出して来そうなくらい、より立体的になっていく。
やがて。
「————掴んだ」
光一郎のその呟きとともに、彼の剣はピタリと止まった。
それに合わせて『八咫烏』も剣尖の上で止まり、太郎の剣と身もつられて止まる。
光一郎は、動かなくなった。
彼は呼吸を整え、息切れを無くしていく。
やがて、呼吸が落ち着いたと思った瞬間——再び動き出した。
『八咫烏』は、その直前にすでに動いていた。それを追いかける太郎の剣もまた。
木刀同士がぶつかり合う快音。
さらに二度、三度、四度と剣を交わす。
そこには先ほどと変わらぬ、太郎の剣が光一郎の連撃を吸い込み続ける、一方的な剣戟があった。
しかし。
(——おかしい)
太郎は訝しんだ。
だって、光一郎の剣捌きが——
(明らかに、コウ様のものではない……!)
先ほどとは、全く異なっていた。
強くなったとか、速くなったとか、そういう意味ではない。
変わった。
ただそれだけ。
それも、先ほどまでと比べると、その太刀筋は随分と動きが緩やかだ。鋭さも控えめ。
だけど——明らかに、彼の振るう剣ではない。
光一郎の肉体に、別の人間の魂が宿り、代わりに剣を振っているような。
それくらい、光一郎らしさが綺麗さっぱり抜け落ちた剣だった。
そして、太郎は、その剣を知っていた。
最初は半信半疑だったが、幾度か受けてすぐに確信した。
間違えようはずもない。
(間違いありません。これは————私が『八咫烏』を使っている時の動き!!)
——これが、太郎くんの剣。
慣れない動きで剣を振りながら、僕はぼんやりとそう思った。
何度も切り結んだ。
何度も押し負けた。
何度も観察した。
その果てにようやく掴み取った、太郎くんの剣に宿る「影響の連鎖」。
絵画において、たった一本の小さな線が、絵の全体像の数十分の一のパーツとなり、その他のパーツの大きさの基準を作っているように。
その剣士の動きに宿る微かな体癖から、その先の動きを連想し、予測できる。
そんな一から十までの繋がりこそが「影響の連鎖」。
微かな体癖から次の動きを予知して、先んじて手を打つ——基本的に僕はそのように「影響の連鎖」を利用しているが、今回は別の使い方をした。
「影響の連鎖」を掴んだということは、相手の動きの法則そのものを掴んだということ。
その法則で、自分の体を動かす。
すなわち——相手の動きの模倣。
無論、それで相手の技を完全再現できるほど、剣の世界は甘くない。
現に今……『八咫烏』を使っている時の太郎くんの動きを模倣したのに、僕の剣は今なお彼に届いてはいない。むしろ、先ほどよりも軽々と防がれ続けている。
当然だ。僕には『八咫烏』がいない。覚えたてであることも含めて、ただの真似事に過ぎない。
それでも、彼と同じ視点を得るための手がかりにはなった。
彼の剣を知り、真似て、打ち合ったことによって——彼の剣に宿る、彼の意思以外の「何か」の存在を、確かに感じた。
僕がどれだけ太郎くんの「影響の連鎖」を読んだ上で先んじて動こうとしても、太郎くんはそれよりさらに先んじてくる。
そしてそこに、太郎くんの意思の介在をいっさい感じない。
彼の意思とは切り離された、別の「何か」が確かに存在している。
——その「何か」こそが、彼にしか視えない『八咫烏』なのだろう。
僕には視えないが、僕ら二人は確かに今、『八咫烏』という存在に対する認識を共有していた。
なおも互いに剣をぶつけ合う。それが続く。
その打ち合いはなおも僕が劣勢。
しかし、今、僕は最高に心地が良かった。
自分の頭の中で、何かが開きそうだった。
剣を交えれば交えるほど、互いの剣の間に「何か」が視えそうになっていた。
その「何か」は、最初はテレビの砂嵐みたいにおぼろげで不定形だったが、剣をぶつけ合わせるほどにその形をはっきりさせていく。
やがて、ほんの一瞬だけ、はっきりと姿を現したのは————三本足の烏。
それが消える。
次の瞬間。
————見覚えのある「金の蜻蛉」が、金色の発光とともに虚空に現れた。
僕はほぼ脊髄反射的に、その「金の蜻蛉」を剣尖で追いかけていた。