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帝都初恋剣戟譚  作者: 新免ムニムニ斎筆達
帝都初恋剣戟譚 呪剣編
108/237

田中太郎《下》

 え——


 いま、なんて。


 彼は、何て。


「私の……至剣?」


 予想外過ぎる言葉に、僕の理解が追いつかない。


 至剣って……そうだ、あれだ。至剣流の極意にして極地。修行の果てに開眼する自分だけの奥義。免許皆伝の証。


 それを、こんな子供が。僕と同い年くらいの子が。


 冗談だろう。そう思う一方で、あり得なくは無いとも思った。


 螢さんが至剣を開眼させて免許皆伝を得たのは、十一歳という幼さ。持っている才能によっては、十代前半あたりで至剣を得るという早熟ぶりを見せてもおかしくはない。


「太郎くん、君は……至剣を使えるのかい?」


 僕は、少し震えた声でそう尋ねた。


「はい。至剣流の奥伝目録を嘉戸(かど)宗家より受け取り、皆伝しております」


 さらに僕を驚かせたのは「嘉戸宗家から目録を受け取った」という言葉だった。


 嘉戸宗家は一般に伝える至剣流を薄めている(・・・・・)。本来は全部で二十四であるはずの至剣流の型に別の剣術由来の型を別名で混ぜて五十にし、至剣を開眼させるのをわざと困難にした。……「一族のほとんどが至剣を開眼させる凄い嘉戸宗家」という演出のために。


 そのため、世間一般に伝わっている至剣流を修行しても、至剣を得て皆伝出来る者はほんのひと握りの才能ある人だけ。


 「嘉戸宗家から奥伝目録を受け取った」ということは、そんな薄められた至剣流を学んで皆伝出来た、という偉業に他ならない。


 もう一度言うが、こんな、僕と年の離れていない子供が。


 だが、次の太郎くんの言葉は、僕をもう一段驚愕させた。


「私は幼少の(みぎり)より、至剣流宗家現家元である嘉戸唯明(ただあき)様から一対一で剣の御指南を受けておりました。そして今年の一月、めでたく至剣を開眼させ、皆伝いたしました」


 なんだって——!?


 あの嘉戸唯明氏が、直々に剣を教えただって。


 僕が聞いた限りでは、嘉戸宗家の人間からマンツーマンで教えを受けられる人は、とても限られている。


 同じ嘉戸宗家の人間か、もしくはものすごくイイトコの子女か。


 いずれにせよ、かなり地位の高い者や、特殊な縁に恵まれた者しか、嘉戸宗家の人から一対一で剣を教わるなどということは叶わない。


 ……太郎くんの物腰の優雅さの理由が、一つ分かった気がした。


 彼はやはり、僕のような一介の庶民とは別世界の住人なのだ。


(だけど、やっぱり妙だな……この歳で至剣流を皆伝? だとしたら、新聞とかで大きな話題になってるはずだ。至剣流の免許皆伝ってだけでも凄いのに、それをこの若さでだなんて。螢さんの時は新聞に載ったのだから、彼の事も大きく噂になっていてもおかしくないはずだ)


 心中で考察する僕を余所に、太郎くんは続ける。


「私は今年の一月まで、同伴者無しでの自由な外出が許されませんでした。しかし、この至剣『八咫烏(やたがらす)』を開眼させたことによって、決まった時間帯、帝都の中でのみ、自由な行動が許可されました。……だからこうして、貴方にお会いすることもできた」


 そう言って、男の子とは思えぬ嫣然(えんぜん)とした微笑を浮かべる。……だからそういう表情は反則なんだってば。


「君の至剣……『八咫烏』はどういうモノなんだい? その至剣のおかげで自由な外出が出来る、って、どういうこと?」


 僕がそう尋ねると、太郎くんは、んんっ、と咳払いしてから、


「コウ様は、至剣についてどこまでご存知ですか?」


「至剣について?」


「至剣の特徴です。知っている範囲でよろしいので、答えていただけますか?」


 いきなりの質問に戸惑いながらも、僕は列挙していった。


「えっと、そうだな…………

 至剣流の全ての型を高水準で修めた果てに会得できる奥義、

 どういう技であるかは個人によって異なる、

 習得する前に変な夢を見る、

 何となく使い方が分かる、

 自分の至剣を他人に教えることは出来ない、

 他は、えーっと…………ごめん、ギブアップです」


「いえ。それだけ理解出来ているのならば十分です。では、私からもう一つ挙げましょう」


「他にあるの?」


「はい。もう一つは——ほとんどの至剣は、日本刀かそれに(・・・・・・・)酷似した形状の(・・・・・・・)武器でしか(・・・・・)使うことが(・・・・・)出来ない(・・・・)、です」


 初耳な情報に僕は目をしばたたかせる。なんと、そうだったのか……


「私の『八咫烏』は、日本刀を持たずとも扱える、珍しい類の至剣であるそうなのです」


 言うと、太郎くんは自分の右肩をじっと見つめる。——そこには何も無い。


「コウ様には分からないでしょうが、私の右肩には今、私にしか視えない(・・・・・・・・)三本足の(からす)が留まっています。この『八咫烏』は、今の私にとっての「王道」を飛んで教えてくれるのです。」


「王道?」


「そうです。その『八咫烏』の動く軌道は、私にとって(・・・・・)最も安全な軌道(・・・・・・・)。それこそが「王道」。その「王道」を我が身で追いかければ、私は絶対に傷一(・・・・・)つ付かない(・・・・・)。…………コウ様、試しにそこの木刀で、私に打ち掛かってきてもらえますか?」


 太郎くんのいきなりな提案に、しかし僕は尻込みする。


「えっ、でも……危ないよ?」


「構いません。そうでもしなければ、私の話が(まこと)であるという証明は出来ませんから」


 やはり僕はなおも躊躇いを覚えるが、一方で、好奇心もあった。


 至剣というのは、滅多にお目にかかれない神技(しんぎ)だ。


 それを目にできる機会が目の前にあるのなら、剣士として、それを逃したくない。そう思った。


「……分かったよ。じゃあ、やるからね?」


「はいっ」


 にっこり笑って頷く太郎くん。


 僕らは店のお婆さんに見られないように——側から見たら、僕が太郎くんに無理やり襲いかかっているように受け取られかねないから——駄菓子屋から横へズレて、向かい合った。


 構えた木刀の剣尖の先に、太郎くんの姿を捉える。


 柄を握る手が、なおも重い。無手の相手に剣を振るうことを、やはり後ろめたく思っているのだ。


 対して、太郎くんの佇まいは、いつも通りだった。


 自然体で、硬さが無く……それでいて、どこか神々しい感じがした。


 ——そっ、といこう。そっ、と。


 僕はそう心に決めると、太郎くんに打ちかかった。優しく。加減した一太刀を発する。


 対し、太郎くんはコンパクトで最小限に体の位置を動かすだけで、僕の剣を避けてみせた。


 続いて、もう一太刀。


 これも同じようにかわされる。


 少し鋭く三太刀目。


 これも逃れる。


 やや本気でもう一太刀。


 当たらない。


 理解を超えた「不可思議」をその時点で感じていた僕は、そこから先は本気で剣を発した。


 何回も何回も。


 だけど、ただの一度も、太郎くんには当たらない。かすりもしない。


 その最中、太郎くんは僕のことも、僕の剣すらも見ていなかった。


 自分の周囲を飛行する「見えない何か」を、目と体で追いかけているような動き。


 彼にしか見えない鳥と、戯れているような動き。


 そんな硬さのいっさい無い身のこなしによって、僕の発した剣は、そのことごとくが空を斬った。


 ひとしきり繰り返すと、僕は止まった。


 太郎くんは、なおも穏やかに微笑んだ。


「——納得していただけましたか?」


 僕は、やや呼吸を乱していた。大した運動量ではない。太郎くんの動きに宿る「何か」に、圧倒されていたからだ。


「う、うん……」


 頷きながら、僕は思っていた。


 太郎くんが追いかけていたように見えた「見えない何か」。


 それこそが、彼にだけ視える三本足の烏。——『八咫烏』。


 太郎くんは、僕の剣を避けて(・・・・・・・)いたのではない(・・・・・・・)


 ただ、『八咫烏』を追いかけていただけなのだ。


 自分は無手で、相手は剣を持っている——そんな不利すらも、ただ自分にだけ視える烏を追いかけるだけで無かったことにしてしまう。そんな至剣。


 僕は開いた口が塞がらなかった。


 それでは、まるで————


「——似てる(・・・)。僕の至剣と」


 僕にだけ視える「金の蜻蛉」を剣で追いかけるだけで、彼我の実力差にかかわらずその剣に「必勝」を付与してしまう、『蜻蛉剣(せいれいけん)』と。


 太郎くんはそれを聞くと、とても嬉しそうにはにかんだ。


「……やはり、コウ様も至剣を扱えたのですね」


「ああ、うん」


 まあ、僕の至剣について言及するだけなら、嘉戸宗家と交わした起請文(きしょうもん)には抵触しない。「三本勝負」のことを明かさなければ良いのだ。


「『蜻蛉剣』——僕の至剣の名前だ。蜻蛉(トンボ)の剣、と書いて『蜻蛉剣』。僕にだけ視える金色の蜻蛉の飛ぶ姿を剣で追いかければ、どんな相手にも「必勝」できる。そういう至剣だよ」


「なるほど……確かに、私の『八咫烏』に性質が酷似していますね」


 太郎くんは近づくと、剣を握る僕の手を両手で握った。


「私の目に狂いはありませんでした…………貴方はやはり、私によく似ていた」


 まるで、初めて恋を知った少女のような瑞々しい喜色をその雅な美貌に浮かべ、僕をまっすぐ見つめてくる。


 その真摯で可憐な顔つきに、僕はまたしても心臓が跳ね上がり、顔が熱くなる。それを見られたくなくて、顔を背けながら慌てた口調で言った。

 

「い、いや、でもね、この『蜻蛉剣』はまだ完全に使うことは出来ないんだ」


「と、おっしゃいますと?」


「……僕の意思では、使えないんだ。使いたいと思う時に使えない。僕の意図しないタイミングで突然「金の蜻蛉」が現れて、しばらくしたらまた消えて使えなくなっちゃうんだよ」


 太郎くんは、やはり不思議そうな顔をした。


「それは奇怪ですね……ご自身で開眼された至剣を、ご自身の意思で扱えないなどということが、あるのでしょうか」


 きっと、太郎くんはきちんと稽古を積んで、至剣を得たのだろう。


 それを考えると、次のことを話すのに、後ろめたさを若干覚えた。


「その……僕が至剣を初めて使った時は、まだ型を四つしか学んでいなかったんだよ」


 太郎くんは驚いた顔をした。


「なんと…………それは、さらに不思議な話です」


「信じなくてもいいよ。僕だって、いまだに自分で信じきれていないから」


「いいえ、私は信じます。コウ様のおっしゃる事であるなら」


 ずいっと詰め寄り、真剣な眼差しで見つめてくる太郎くん。


 緑茶みたいな良い香りを感じながら、僕は気恥ずかしい気分で「う、うん」ととりあえず頷いた。


「しかし、なんとも歯痒いものですね…………自分の至剣を知っているのに、それを自分の自由に使えないとは……」


 太郎くんがおとがいに手を当て、難しい顔をする。


「そうなんだよ。一応僕も稽古してるんだけど、まだまだ全然掴めなくてね……」


 もしも『蜻蛉剣』を完璧に扱えるようになったら、螢さんに勝てる確率がぐんと上がるのに。


「似ている至剣を持つ身として、私で何か、お力添えが出来れば良いのですが…………」


 そこから先、太郎くんは考え込んだまま沈黙してしまう。


 このままだとダンマリが続きかねないので、僕が次の話題を頭の中から捻り出そうとしていた時だった。


「良いことを思い付きました!」


 不意に、太郎くんは電灯がぴこんと点いたような明るい表情でそう言った。


「よ、良いこと?」


「はいっ。——コウ様、私と剣を交え(・・・・・・)てみませんか(・・・・・・)?」


 それを聞いた瞬間、目が点になった。


 さらにその次の瞬間、大慌てでかぶりを振った。


「い、いやいやっ。無理だよっ。僕、皆伝してないんだよ? 太郎くんに敵いっこないって」


「あ……申し訳ありません。言い方が曖昧でしたね。私の今言った「剣を交える」とは、剣の勝負をしよう、という意味ではないのです」


「じゃあ、どういう意味?」


 僕が問うと、太郎くんは改まった口調で言った。


「コウ様。至剣とは、奥義であると同時に、その人の存在の本質(・・・・・)を剣として表したものでもあると言われています。そして、私の『八咫烏』と、コウ様の『蜻蛉剣』。この二つはとてもよく似ている。それはつまり…………私と貴方の本質が似ている。そう考えることはできませんか?」


 そう。至剣とは、その人の「存在の本質」を表すものであるという。


 望月先生の『泰山府君(たいざんふくん)(けん)』は、二天一流という「気攻め」を重要視した剣法を皆伝しているという濃厚な経験と、軍隊という生死に関わる環境で長年生きてきた経験がもたらす気迫が生み出した至剣ではないだろうか。


 螢さんの『伊都之尾(いつのお)羽張(はばり)』……木刀にすら斬れ味を与えてしまうほどに研ぎ澄まされたあの絶対的威力の至剣は、無力ゆえに戦災で全てを失ったという経験が種になったと考えられる。螢さんが物静かに見えて内心に苛烈なモノを秘めている女性であるということは、僕も知っている。


 そして、僕の『蜻蛉剣』は「必勝」をもたらす至剣。……これは、螢さんという「初恋」に勝利せんとする、僕の志から生まれた至剣ではあるまいか。あと僕は昔から「脇目も振らず何かに熱中できることがお前の長所であり短所だ」と周りから言われてきた。そこも含んでいるのかもしれない。


 ……僕は太郎くんのことを、まだ全然知らない。


 だけど、彼の至剣『八咫烏』は、僕の『蜻蛉剣』と、とてもよく似ている。


 至剣が似ているということは、「存在の本質」が似ているということ。 


 ゆえに、たとえ大して知らない仲であっても、本質的には何かしら通じる点があるのかもしれない。


 似ているからこそ、両者の間に大きな優劣があれば、優れた側が劣った側の成長を正しく促すことが出来るかもしれない。


「ゆえに、私はこう提案します。——似通った至剣を持つ私達が剣を交えれば、コウ様の『蜻蛉剣』を少しでも自由に扱えるようにするための「きっかけ」のようなものが掴めるかもしれない、と」


 そう告げてくる太郎くんは、今までの可愛らしい感じとは全く違う、頼もしさのようなものを僕に感じさせた。……至剣流剣士として、彼の方が一日(いちじつ)以上の(ちょう)があるからだろう。


 さらに思った。


 ああ、僕はやっぱり今日も剣を取ることになったなぁ、と。


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