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帝都初恋剣戟譚  作者: 新免ムニムニ斎筆達
帝都初恋剣戟譚 呪剣編
102/237

『玄堀の首斬り小天狗』

血生臭いシーンがあります。

ご注意ください。

 一九九一年、一月二十日————玄堀村(くろほりむら)近隣の山岳地帯にて。






「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!!」


 藤林(ふじばやし)千鶴(ちづる)は、白い息をしきりに吐きながら、雪に覆われた山の中を走っていた。


 村一番と美人ともてはやされた千鶴の今の装いは、とても洒落ているとはいえないものだった。


 頭を雪から守る菅笠(すげがさ)帽子(ぼうし)。ジャンパーの上に纏った雪蓑(ゆきみの)。同じく蓑でできた脚絆(きゃはん)。……伝統的な雪道歩きの装いであった。飾り気には欠けるが、雪除けと保温性に大変優れた装備。北海道の厳しい冬を過ごすにはこれくらいしておくに越したことは無い。


 さらに、左腰には一振りの刀を佩いており、両手に抱えているのは——無骨な小銃。


 殺した敵(・・・・)から奪い取ったものだ。しかし、先ほど逃げるために全弾打ち尽くしたので、残弾はゼロ。専用の弾倉(マガジン)も無いし、あったとしてもなにぶん敵から奪ったモノであるため装填のし方が分からない。……銃の名前? そんなもの知らないし興味も無い。撃てて殺せればいい。それだけがこの精神性の欠片も持たぬ鉄屑(てつくず)に求める全てだ。


 慣れていない武器ほど、手元に置いておいて心細いものは無い。


 だけど今、銃火器に乏しい自分達の頼みの綱は、敵から奪った銃器だ。


 心細い武器でも、それに頼らなければ、自分達など鎧袖一触(がいしゅういっしょく)でやられてしまう。


 何せ——敵は、世界最強の米軍に次ぐ戦力を誇る軍隊なのだから。


 日本の北にある超大国、ソビエト連邦による軍事侵攻が始まったのは、今年の一月八日。今から十二日前だ。


 天災でもない、疫病でもない、他ならぬ人間の手によって、一気に数百の人命が失われた。


 ソ連軍は破竹の勢いで北方島嶼を飲み込み、あっという間にこの北海道まで入り込んできた。日本軍の上陸阻止部隊も蹴散らされ、沿岸部にある町や村はすでに赤い帝国の支配下に落ちた。


 命からがらこの玄堀村に逃げ延びてきた人々は、自分の村や親兄弟を無慈悲に焼いた、ソ連兵の人面獣心ぶりを悲痛に語った。


 ——いずれ、その魔の手は、この玄堀村すらも飲み込むだろう。


 仙台藩士の子孫にして村の顔役的な立場であった千鶴の父、藤林幸実(ゆきさね)は緊急集会を開き、その厳しい現実を村人達へはっきり伝えた。


 その上で問うた。


 ——まだ敵軍が達していない今のうちに村を放棄して逃げるか、村を守るために露寇(ろこう)どもと戦うか、好きな方を選んで欲しい。どういう答えであれ、私はそれを尊重しよう。


 村人達は(とき)の声を上げ、武器を取った。


 無論、勝つ見込みは限りなく薄い。


 確かに、玄堀村は人口の八割が柳生心眼流という総合武術を学ぶ「一村一流」の村だ。村人のほとんどが、戦う術を身につけている。

 加えて、玄堀村は険しい山岳地帯に覆われている。起伏が激しく、村の者でなければ高確率で遭難してしまう複雑な地形は非常にゲリラ戦向きである。

 冬越えのための食料の備蓄も豊富にあり、無害な湧き水の出る泉も多数存在する。

 加えて藤林家では、武士だった頃の伝統として、軍学や兵学、築城術などといった知識も受け継がれている。


 だが、所詮は前時代的な軍事力。

 刀や槍といった武具は豊富に存在するが、銃火器の類が不足している。


 敵は現代戦の訓練を積み、最新兵器を身に纏った、超大国の軍隊だ。


 まさしく、蟻の群れが象に挑むような戦い。


 しかし、村人に「逃げる」という選択肢は無かった。


 自分達は、この土地で生まれ、この土地の恵みによって育ち、この土地の神に祈りを捧げてきた。


 それを、どうして易々と捨てられようか。


 だから戦う。自分達の父祖の地を守るために。


 たとえ力及ばず、朽ち果てることになったとしても。


「あっ……!」


 千鶴は雪で足を滑らせて、転んでしまった。


 起き上がりながら後方を振り返る。


 昼だか夜だか判別し難い鈍色の空から、しんしんと雪が降り続いており、下腿の中程まで達する雪をさらに積らせている。その雪を踏み荒らし、千鶴を真っ直ぐ追いかけてくるのは、四人。


 ソ連地上軍の正式装備を身につけた兵士達であった。その手に握るのは、千鶴と同じ小銃。


「っ……」


 距離感を確認した千鶴の背中に、怖気が走った。……随分と差を詰められたようだ。


 千鶴の手元にある小銃は、すでに弾が無いため、女の身にとってはただの重い鉄塊でしかない。それでもこの両手が捨てようとしたがらないのは、まさしく浮き輪にもならない藁にもすがろうとしている心理ゆえか。


 今自分を追いかけてきているソ連兵も、こちらの小銃が弾切れであることを承知しているはずだ。弾が入っていたら、とっくの昔に威嚇射撃の一つでもしていないとおかしいからである。


 あっちはいつでも自分を撃ち殺せる状況。


 それなのに、撃ってこない。


 その意味は何か。


 兵士の男達の顔に浮かぶのは、陰気なドス黒い感情。 


 飢えた猛獣のように、濁り、血走った眼。


 追い詰められた果てに、自分がどういう目(・・・・・)に遭うのかは、火を見るよりも明らかである。


 敵兵との間隔はさらに狭まり、もうすぐそこまで迫っていた。


 ——どうせ死ぬのなら、清い身のまま死にたい。


 千鶴は小銃を捨てた。


 左腰の刀を抜き、その刃を己の首筋に添える。


 恐れは無い。


 藤林家の女として、とうに覚悟は出来ている。


(さよなら、シズ。先に行くから——)


 その時。




 稲光が閃いた。




 その白い稲光は、今まさに自分へ迫ってきていた兵士の首筋を駆け巡って。


 次の瞬間——兵士の首から上が(・・・・・)転がり落ち(・・・・・)、断面から真っ赤な水柱(すいちゅう)がほとばしった。


 降り注ぐ血の雨。


 絶命した兵士達が倒れ伏し、ただ一人その雨の中に佇んでいたのは。


「……シズ」


 田岡静馬(たおかしずま)


 千鶴の幼馴染の姿だった。


 フライトジャケットにカーゴパンツ。左腰には刀の鞘。その鞘の片割れは彼の右手で血まみれの刀身を晒していた。


 現代戦を戦うには、あまりにも、無防備。


 しかしその無防備な姿で、彼はこれまで多くの敵兵の血を浴びてきた。


 今のように。


 その刀で。


 静馬は、その髪に付いた血を煩わしそうに払い、刀を血振りし、千鶴へ歩み寄ってきた。


「——っ」


 千鶴は、静馬の表情を見て、心胆が震えた。


 百年に一人の逸材、神童、天狗の生まれ変わり——

 類稀なる武芸の才を誇った静馬を、人々は揃ってそのように称賛した。

 けれど、そんなことを微塵も感じさせないくらいに、温和で、心の優しい少年だった。

 戦いよりも、植物と接している方が好きな人だった。

 面白い形のキノコなどを見つけるたびに、嬉しそうに千鶴に見せてきた。その時の彼の笑顔が、千鶴は何より大好きだった。


 しかし——今の静馬は、冷えきった無表情だった。


 まるで、敵を殺すためには不要であると、感情を凍結させているように。


 戦争が始まる前の彼とは、似ても似つかない。


 そんな彼が……怖かった。


 静馬はふと、目を大きく見開いたかと思うと——


「きゃっ……!!」


 千鶴を蹴り飛ばし、斜面の下へ転がした。


 それからすぐに、千鶴の直前までの位置を、弾雨が猛烈に埋め尽くした。


「っ……シズッ!?」


 千鶴は急いで斜面を駆け上る。静馬が撃たれたのではないか、そう思うと気が気ではなかった。


 必要最低限に頭を出しながら見ると、静馬はすでにそこにはいなかった。


 敵兵の群れめがけて、刀一本で突っ込んでいた。


 普通ならば、明らかな自殺行為。


 しかし静馬は、次々とばら撒かれる弾雨の中を無傷で掻い潜り、あっという間に刀剣が生死を支配する間合いへと到達。


 獣のような俊敏さで兵士の一人を横切りながら、刀を雷光のごとく薙ぐ。その兵士の首が吹雪に吹かれて落下した。


 そのまま次の敵兵へ突っ込む。その兵の構えた小銃が火を吹く直前、横へ小さくズレて弾道から逃れ、発砲のタイミングに合わせて前へ刀を突き出した。その切っ尖は喉を貫かなかったが、刃が兵の首筋に食い込み、さらに斬り進み、端から端へと(・・・・・・)走り抜けた(・・・・・)。すれ違った風圧でその首がくたり(・・・)(まろ)び落ちる。


 そうして首を斬った流れで、次の敵の銃身に刀の腹を添え、捻り、刀の反りを(・・・・・)利用して(・・・・)銃身の位置を横へズラす。その一瞬後に発せられた弾丸は静馬には紙一重で当たらず、その背後で銃を構えようとしていた味方の脳天を貫いた。

 

 味方撃ちにショックを受けて硬直しているそいつの陰から匕首(あいくち)投擲(とうてき)し、後方にいた兵士の手を穿つ。苦痛と恐怖の絶叫をぶちまけて我知らず銃口を下へ向けているその瞬間を見計らい、味方撃ち兵の首を斬り落としながら一気に肉薄してそいつも斬首。


 静馬の間合いへ入った兵士は、みな例外無く、首から上を刈り取られていく。

 振り放たれる稲光のごとき刃は全て例外なくその首に食い込み、進み、通過する。

 まるで豆腐を(さば)くように人の首を斬っていく。


 静馬の刀が閃くたびに、新しい生首が転がり落ちる。


 雪原の純白が、ものすごい勢いで血の赤に浸食されていく。


 彼の剣がもたらす、侵略者の死によって。


「…………すごい」


 現代兵器で武装した兵隊すらもろともしない神のごとき剣腕に、千鶴は我知らずそうこぼした。


(首を斬り落とすことで、その後の不意打ち(・・・・)を防いでいる……!)


 日本刀で直接斬られればそれだけでも致命傷だが、それでも失血死までの数秒は生きている。


 そして銃という最強の歩兵武器の持つアドバンテージの一つは、「引き金を引く」というほんの小さな動きから高殺傷力の遠距離攻撃が放てる点だ。


 ……そう。死に際でも、引き金を引くために指を動かすくらいは可能だ。普通に斬ったのでは、死に際に一矢報いんとする敵の銃撃による不意打ちを背後から喰らいかねない。


 だからこそ————首を斬り落とす。


 斬ったその瞬間に即死させてしまえば、「死ぬ前に一矢報いよう」という意思を起こすことさえ相手に許さない。そうすることで不意打ちのリスクを無くす。後腐れの無い、合理的な殺し方。


 だが、言うは易しの話だ。


 人間の首はそう容易く両断できるようには出来ていない。頸椎の柔らかい部分へピンポイントで刃を叩き込まなければならないのだから。


 何より、人の首を斬り落とすなど、とても正気では出来ない。


 技術的にも、精神的にも、人の領域にあらず。


 「鬼」の領域。

 

 ——そんな「鬼」に、彼はなっている。


 表情も顔色も変えず、針穴に糸を通すような緻密かつ計算された動きで弾雨の中を無傷で駆け抜け、敵の懐へ入ってその首を一刀で断つ。


 今の静馬は、まさしく、人を超えた「鬼」だった。


 ——村の誰よりも強く、そして誰よりも優しかったはずの、彼が。


(シズ、だめ……!)


 信じたくない。


 害虫すら殺すことを嫌がっていた彼と、

 面白い形のキノコを嬉しそうに自分に見せてくれた彼と、

 林檎みたいに顔を真っ赤にして自分に愛を告白してくれた彼と、


 目の前の「鬼」が、同一人物だなんて。


 ……気がつくと、銃撃音も、恐怖の絶叫も止んで、静まり返っていた。


 真っ白な雪原は、大幅に血の赤で融かされてしまっていた。


 そこかしこに、首無し死体と、それと同じ数の生首が転がっている。全員、恐怖の表情のまま固まっている。


 むせ返るような血臭が吹雪に乗って流れてきて、思わず吐きそうになる。


 そんな屍山血河の中央に、静馬は立っていた。


 荒い息を瞬時に整え、血振りをし、よろよろと別の方向へと歩き出す。


 その刀で斬るべき、次なる敵を探しに。


 罪人の首を刈り取るために現世を逍遥(しょうよう)する、死神のように。


「だめっ!!」


 そんな静馬を、千鶴は後ろから抱きしめた。……前は土と草花の匂いがしたのに、今は血の匂いしかしなかった。

 

「シズ、お願い。もうやめて…………いつもの優しいシズに戻ってよ……!!」


 これ以上人を斬ったら、彼は壊れてしまうかもしれない。


 前の静馬は、もう二度と戻ってこなくなるかもしれない。


「シズはもう十分頑張ったよ……十分過ぎるくらい、みんなを助けた……」


 そう。彼はその卓越した剣腕で、幾度も仲間の危機を一刀両断してくれた。


 彼がいなかったら、もっと多くの人が死んでいただろう。


 いや、もうとっくの昔に、終わっていたかもしれない。みんな殺されたり、辱められていたかもしれない。


 その優しい顔に「鬼」の仮面を付けてまで剣を振るってくれた彼のお陰で、まだ、戦えている。


 紛れもなく、彼はこの村の英雄だ。


 だが、英雄にもたれかかる訳にはいかない。


 自分達とて、玄堀を守らんと立ち上がった村人なのだから。


「…………ごめんね。チィちゃん」


 静馬は言うと、優しく千鶴の腕を振り解いた。力一杯抱きしめていたはずなのに、すんなりと解かれてしまった。


 自分では、彼を止められない。


「戦わないと、生き残れないから。……傳次郎(でんじろう)兄さんの時みたいな思いは、もうしたくないから」


 ……佐伯(さえき)傳次郎。静馬と、そして千鶴の兄弟子である。


 まさしく好漢と言って良い人物で、道場の中でも慕われていた。 


 静馬のことも小さい頃から可愛がっていた。「こいつはきっと、村で一番強い男になるぞ」と。


 そんな傳次郎は、六日前、静馬を庇ってソ連兵の擲弾を食らって死んだ。


 村を守るためとはいえ、敵を殺すという行為に強い躊躇いを覚えていた静馬を変えたのは、そんな兄弟子の死だった。


 破片の雨でズタズタにされる兄弟子を目の前で見せつけられたことで、静馬は「鬼」となった。


 草木を愛する少年は、ひたすらに敵を屠り続ける天狗の化身となった。


 兄弟子の死を無駄にしないために。


 そして。


「チィちゃんと、村のみんなを守るためなら————僕は「鬼」に堕ちても構わない」


 静馬は、こちらへ一瞥もしないまま、雪の奥へと歩み去っていった。


 その足跡は、どこまで行っても赤黒かった。



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