第4話 目の見えない男②
覗き穴を探すのに夢中になって、彼が起きる気配を察するのが遅れた。
目が見えずとも何故か視線というのは感じてしまう。
物色していると疑っているのかしばらく彼の視線を感じ、こちらも身動きがとれなかった。
「おい」
彼の怒気を感じ、慌てて頭を机らしきものにぶつけてしまった。
優しい人に疑いを持たせ、怒らせてしまったのが申し訳ない。
彼の所には洗濯婦が通っているらしい。
今はいなかったが覗き穴の向こうの監視者と関わりはあるのだろうか。
彼に入れて貰ったお茶は上質のものでは無かったが、適温できちんとした手順で入れたものだった。
彼の信用を得るためにも聞かれていない事も正直に出身国、目的地を話した。
滞在中のルクス・ヴェーネ聖王国はしばしば内戦が起きており、混沌とした状況の国だと聞いている。内戦が激しくなると神殿勢力が仲裁に入り、戦闘は中止される。
その繰り返しで徐々に王党派は勢力を落としてしまった。
「貴族のお嬢さんとしてはそんな伝説に縋らなきゃいけないくらい苦しい時代だろうが、そりゃ無茶ってもんだぜ」
目的地を話すと彼は非現実的だと笑った。
しかし、本気の同情を感じた。
彼は貴族の女達が他の国でどんな状況なのかどこまで知っているのだろうか。
貴族の地位を失っても男達は軍人になったり自力で働いて生活することは出来るが、女性の働き口は少ない。
王党派の貴族男性は当然処刑され、中立だった貴族も反革命罪という罪状が裁判の当日に突然設けられて上告も出来ずに処刑される。ある日突然、地位と財産を失った女性達も適当な罪状で投獄される。市民派の貴族も裁判で弁護した者は反革命罪で逮捕されて投獄された。
王党派、中立派の家に生まれた貴族女性は釈放後、夫や息子を殺した革命家や富裕層の市民の妾になったり騙されて娼館に放り込まれた。
道中の多くの国々でそんな情報を聞いた。世界中に革命が広がり、旅が出来る場所も減ってきている。
「吃驚したぜ。まさか地上に出て亜人領を抜けていくつもりなのかと」
こちらも吃驚した。
理想郷に逃げたいなんて夢物語は一笑に付されて当然の所、彼は具体的な道順を語った。
伝説では何千年も前に人類は氷河期を避けるために地下王国を作った。
地上は氷河期に適応した亜人が繁栄している。
地上への出口を探して、どうにかして到達しなければいつかは追い詰められてしまう。
伝説では地上への出口は七つしか無いとされている。
彼はひょっとしたら何か知っているかもしれない。
そうでない可能性の方が高いが、このまま旅を続けてもまた足止めを受けるだけだ。
彼ほど理想的な男性はいない。
求婚されて即座に承諾した。
◇◆◇
まずは彼の安全を確保しなければならない。
監視者が実在するのかどうか。
それは何の為か。
覗き穴の向こうを見通すのは難しいが、屋外に出れば尾行者の気配は察せられる。
「この土地の決まりを存じませんが、婚姻の届け出を出せばすぐに市民権を頂けるのでしょうか」
「まあ届け出を出さない夫婦も多いが、市民権と旅券が必要なら届け出を出すしかない。自治区に任せっぱなしとはいえ、領主の名で旅券を発行する以上審査は要る。しばらくは働いて税を納めなきゃ無理だ。詳しい事は聞いてみなきゃよくわからないけどな」
「届け出を出し、審査期間を経て発行ということですね。ではまず届け出を出しに行きましょう」
「あ、ああ。あんたは美人だし大歓迎だけど本気か?」
「はい、旦那様」
「うーん・・・。旅券を得る為の仮面夫婦契約ってことか?」
彼の疑いの感情が濃厚になっている。
「まっとうに働いて平和な生活を送りたいと思います。その為ではありますが、旦那様を好ましく思っております」
「つまり本物の夫婦になってもいいと?」
「わたくしは神の名において誓いました。神を騙すような契約を結ぶ意図は一切御座いません」
「んじゃあ、結婚するか」
「はい。嬉しく思います。旦那様」
暴漢に襲われ、持ち物をすべて奪われた時、助けてくれた男に感謝して愛するのは自然な流れだと思ったが、不審感を持たれた。
彼に疑われていては世間にも疑われる。もっと自然に時間をかけて愛を育むべきだったのだろうか。
記憶のタンスにメモを入れて置く。
◇◆◇
「では旦那様、しばらく生活に慣れてから届け出を出しに行くという方針で構わないでしょうか」
「おう。うちの間取りに慣れたら近くの散歩に出てご近所さんに挨拶して、それからの方がいいだろう。今は領主代理も忙しいだろうし」
「代理なのですか?」
「ご当主は内戦で出陣中だ。一人娘が代理として統治してる」
「それでお飾りと」
「当主がいても同じだが、いないよりはマシかねえ」
こうして夫婦生活が始まったが、彼は一人で何でも出来るので同居人を必要としていない。
間取りが掴めればなんとか掃除や料理も多少は出来るようになったが、むしろ面倒をかけている。
「申し訳ありません、旦那様。これでは単に女性を連れ込んでいるだけだとお隣の方にも思われないでしょうか」
初日から暇を持て余し、彼が仕事から帰ってきて今日も二人で眠った後、我慢できずに早く外に連れ出して欲しいとおねだりをした。
「そうだな。じゃあまずは服と下着でも買いに行くか。悪いが俺の店の女が身に着けるような服を売ってる店にしか連れていけないぞ」
「はい、旦那様。うれしゅう存じます」
彼はガンビーノ一家の用心棒という表の顔があり、強面で威厳を取り繕わなくてはならないので盲目の女性の手を引いて商店街でお買い物、なんて出来ないらしい。
「あと、リーン」
「はい」
少し照れているような感情が伝わってくる。
「自分の出自に誇りを持っているだろうし、ここまで大変な旅をしてもそれを維持しているお前に取り繕えというのは酷いかもしれないがあまり古風な言い回しはしないこと、『わたくし』というのも止せ」
「承知致しました」
「いいのか?」
「はい、旦那様の仰せに従います」
それが自然なのだろうから。
「そうか、良かった。自警団には革命とか思想に浮かれてる連中はいないが、偉そうにしてれば難癖つけるような奴はいるからな」
彼のほっとした感情が伝わる。
「『偉そう』なのでしょうか」
「言葉使いだけでもそう感じる奴はいるもんだ。丁寧に喋ってるだけだといっても伝わらない。見下されてると思うらしい」
「わかりました。自宅では、旦那様の前ではわたくしらしくしても構わないでしょうか?」
「ああ、もちろん。好きにしていい」
「有難う存じます」
外で近くに人がいる時は無口な女でいるべきのようだ。
「ところで旦那様」
「なんだ?」
「お隣の方はどのような方でしょうか」
「あー、50才くらいのおっさんだな」
「一人暮らしなのでしょうか」
「ああ、どうかしたか?」
何故そんなことを聞く?と言われると顔が熱くなる。
「今朝愛されている時、近くで誰かの気配を感じた気が致しまして・・・ひょっとしたら壁が薄いのではないかと」
「あ、ああそうか。悪い悪い。いつも俺が連れ込むような女はそんなの気にしなかったからな。確かに薄い。外側と支柱はしっかりしてるんだが、もともと大きな部屋だった所に適当に板張って複数世帯に分けたらしくてな」
それで妙に立派な風呂があったのか、と納得する。
本来は高級住宅なのだ。
「何故そのような事に?」
「ここも段々景気が悪くなって借主が減っちまったみたいでな」
「いつも、とおっしゃいましたがそんなに頻繁に?」
「まーなぁ、店の女には手を出せないしな。あ、心配するなよ?お前がいてくれればもう連れ込んだり、よそでひっかけたりしないからな」
慌てて弁解を始める旦那様につい笑みがこぼれる。
「そのような心配はしておりませんが、お隣の方は期待されているのではないでしょうか」
「大家に板を厚くして貰うかなあ・・・。目が見えなくても気になるのか?」
「はい。息遣いまで聞こえてくるようでした」
「そうか、すまん。工事が終わるまで抱かない方がいいか」
「いえ、今後は気にしないよう努めます。愛されていないと不安になってしまいますし」
彼は紳士だが、女性に不自由してはいない。
いつか面倒な女に飽きて捨てられる可能性は高い。
「いや、気にしてくれていいって。明日はどこか宿を取ろう。結婚祝いに豪勢な所にでも泊まろうぜ」
「有難う存じます旦那様」
彼の誠実さ、真摯さに涙がこぼれてしまう。