第1話 目の見えない女
目の見えない女を拾った。
拾ってしまった。面倒はもううんざりだったのに。
仕事を終え帰宅する途中、白い杖が落ちていた。
道の端に蹴とばして通り過ぎようとしたが、飛ばした方向が路地裏で女が三人の男に引きずられているのが見えた。
悲鳴を上げるも容赦なく腹を殴られて黙らされ、街の連中は一瞬聞こえた悲鳴は気のせいだと思ったのか無視している。
この街に役人らしい役人は少ない。
領主が十人ほど衛視を抱えているが自警団から要請があれば出てくるだけだ。
関わりたくは無かったが手元の酒瓶を捨てる場所に困っていたので路地裏に放り投げた。
「いてえ!」
「誰だ!」
三人組のうち二人が大通りまで出てきてこちらに凄んでくる。
「あっ、てめえトレバー!ガンビーノとは手打ちにした筈だろうが!」
「知らねーよ。ゴミを捨てたらお前らがいただけだろ」
「いいのか?俺らに手を出したらボスが黙ってねえぞ」
「始める前から泣き言かよ・・・」
さすがに呆れる。
「おい、後ろの奴もおっぱじめてんじゃねーよ。うちらのシマで面倒起こすんなら相手になるぜ」
関わってしまったものは仕方ない。
二人組をどかして、ぐったりしている女性を襲っていた男の襟首を掴んで引きずり出し、大通りに向かって蹴り飛ばす。
「この女、よその街から来たばっかの奴だぜ。お前の女でもガンビーノの所の女でも無いだろうが!」
「そんなに気に入ったんなら店に客として来いよ。それなら歓迎するぜ」
連中も他人のシマで本格的に面倒を起こす気は無かったらしく覚えてやがれとか月並みな台詞を吐いて逃げていった。
◇◆◇
路地裏に戻り、乱れた姿を見ないように手を取って助け起こしてやってから服を直して出てこいと言ったのだが、なかなか出てこない。
「おい、さっさと出てこねーと次の暴漢が沸いて出てくるぞ」
大通りにはガス灯があるが、路地裏はほとんど真っ暗だ。
いつまでも暗がりにいる女にさっさと服を整えて出てこいと言う。
領主は出来るだけの事はやっているが、治安はよくない。
「も、申し訳ありませんが私の杖がその辺りに転がっていませんか?」
「あ?」
あぁ、そういえばさっき杖を蹴とばしたな、と思い出し拾って持って行った。
「有難う存じます」
「脚でも悪いのか・・・?」
と思ったらこの女、目に包帯を巻いていた。
路地裏はゴミだらけだし、杖をついて歩くのは大変だろうと大通りまでは手を引いてやる。
「んじゃ、気を付けていきな」
「お、お待ちください」
めんどくさそうだから後は自分でうまくやってくれと別れようとしたら呼び止められた。
「なんだよ。俺はさっさと帰ってねむりてーんだよ。一晩中徹夜仕事でな」
「先ほどの方々に旅券や手持ちのお金を奪われてしまいましてお役所まで連れて行っていただけませんか」
しまった、気付かなかった。
そこまで気を配ってやる義理もない。
「俺が知るか。他の通行人に頼みな」
早く帰って寝ようと思ったらしがみついて助けを求められた。
「お願いします。お願いします。先ほども人に縋ろうとしたら騙されてしまったのです。もう貴方様しか頼れないのです」
目も見えないのに一人旅か。
馬車で旅をすれば出来なくは無いだろうが、妙齢の女が一人旅などしていればいつかはさっきのような連中に出くわしてみぐるみ剥がされるのは当たり前だ。
「お前、なんか勘違いしているみたいだが、ゴミを捨てたらそこにボスと敵対しているチンピラがいただけだ。俺も連中と似たような仕事をしている。お前の目には見えないだろうがさっきの連中と同じだ。他の奴に頼め」
「先ほどの方と同じような人がそんな親切な事をおっしゃるわけがありません。どうか、どうかお助けを」
汚れているがいい女だ。
目に包帯を巻き、色気も無い旅装姿だというのに誰もがまともな格好をしていれば美人と思うだろう。なんでこの街に来たのか分からないが、放っておけば領主の館に行く前に誰かに捕まる。
「お優しい聖人の俺はもう一度だけ忠告してやるが、他の奴に頼め。はっきりいってやるが俺のボスは『自治区の自警団』を運営している。俺はそこの娼館の用心棒だ。お前みたいな女を娼館から逃がさない監視役でもある。頼んだ相手が悪かったな」
娼館に放り込まれるのは貧しい女、没落貴族、そして誘拐された身寄りのないよそ者といった行き場の無い女達。
タチの悪い娼館だと両脚の腱を切られて働かされる。
こいつの場合は目が見えないから処置はされないかもしれない。
「どうかどうか!」
これだけはっきり言っても女は離さなかった。
「おい、やめろって!」
泣けるものなら泣いていただろう、女は必死に助けを求めてきた。
「あんたいいとこのお嬢さんだろう?いいカモだぜ。俺になんかついてくるなって」
周囲の通行者の目を引くので、仕方なく耳元で囁いてもう一度注意する。
「お助け下さい、どうかお願いします」
「本気かよ・・・、何されるかわからねーぞ?」
「何でも致します。これまで起きた事より酷い事なんてありません。この目も・・・」
「マジかよ・・・」
放してくれそうにも無かったので仕方なく家まで連れ帰った。
◇◆◇
「俺は徹夜明けで今日は何もする気が無い。お前も風呂に入ったらさっさと寝ろ」
街道筋にはガス灯がついているのでこの女は夜行馬車で来ていた。
車中で寝ただろうが、熟睡は出来ていなかっただろうから無理にでも寝るように指示した。
ベッドは一つしかないので一緒に寝る。
女はそれでもいいと言った。
何処から来て何処へいくつもりなのか、詳しい話は起きてから聞く。
「それにしても自宅に浴場があるのですね」
「まあな。疲れてるのに公衆浴場まで行くのは嫌なんだ。お前一人で入れるか?」
両眼を失った人間というのは初めて見る。
生来のものでもないようだし自宅でもない場所での生活には苦労しそうだ。
「申し訳ありません。手伝って頂いてもよろしいでしょうか。汚いまま寝所にお邪魔するのも申し訳なく」
「襲われても知らんぞ・・・」
「貴方様を信頼致します」
「しょうがねえな。いいとこのお嬢さんだろうに。さっさと落ち着き先見つけないとそのうち死んだ方がマシだって目に遭うぞ」
女は少し哀しそうに微笑んだ。
もう何度もそんな目に遭って来たのだろう。
◇◆◇
上着は色気も無い旅装姿だったが、服を脱がせるとやはり没落貴族か裕福な商人の娘か肌艶も良く、下着も凝ったものだった。
石鹸、風呂用具、あかすりを渡してやれば後は自分でやった。
湯舟は狭いので体を半ば重ねるようにして入る事になる。
襲う気は無かったが、細腰を抱いていると段々その気になってしまった。
「あら、お怪我をなさっているのですか?」
抱きかかえた時に胸がこすれて気になったのか、女は振り向いて胸の傷口に手を添わせた。
「先日、ちょいと揉めてな」
「太ももや、腕にも・・・良ければ癒しても構いませんか?」
「癒す?」
「こう・・・」
ぽわっと指先に光が灯り、傷口が少し熱くなる。
「神術師か。神殿でも無いのにすげえな」
「救貧院でいくばくかの寄付を頂きながら旅して参りました」
「じゃあ、頼むぜ」
風呂でそのまま彼女の好きにさせているうちにいつの間にか眠ってしまっていた。
◇◆◇
「旦那様、旦那様」
「うぅ・・・?」
誰だ?
しばらくそこが自宅の湯舟だと気がつかなかった。
女の事も忘れていた。
「あ、ああ。そうだっけ。でも『旦那様』?」
「まだお名前を伺っておりませんでした。命の恩人ですのに申し訳御座いません」
「ああ、俺はトレ、トレバーだ。あんたは?」
「シュヴェリーンと申します、トレバー様」
「トレバーでいいよ。じゃあ、上がるか」
「はい、トレバー様」
お嬢さんは呼び方を変えたりはしなかった。
「いかにも貴族でございって物腰止めないとまた襲われるぞ」
「面倒をおかけして申し訳ございません」
さすがに男相手には恥ずかしいらしくやや体を折りながらも大人しくシュヴェリーンは体を拭かれた。大人しいのは侍女など、他人に世話をされる事に慣れているからだろう。
よその国のお姫様はケツを拭くのも侍女がやるらしい。
◇◆◇
「腹は減って無いか?」
「大丈夫です。トレバー様」
といいつつ先ほどまでお腹はくーくーなっていた気がする。
「悪いがスープだけな」
作り置きの適当に放り込んだ肉野菜スープしかなかった。
「有難う存じます」
人心地ついてからようやく寝る事になった。
宣言した通り寝所で一緒になる。
「それじゃあ寝るけど、俺が寝てる間に出ていくのが身の為だぜ」
「トレバー様は今まであった男性の中でも一番親切な方です。信頼しております」
「眼の無いアンタにいうのは酷だが、節穴だぜ。さっきだってきっかけさえあれば襲ってたっつーの」
癒しを受けていい気分になって眠っていなかったらやばかった。
年の頃は二十代前半だろうか。
細い腰には似合わず、意外にしっかりとした弾力が返ってきた。
救貧院で働いたり、旅をしたりしているせいか、美しいが体が引き締まっていない貴族女と違って魅力的だった。
「ではきっかけを作らないよう注意致します。襲われたら衝動を招いてしまった私が悪いのですからお気遣いなく」
「慈愛の女神の信徒はそういう所が利用されるんだぜ。まったく」
神聖娼婦はそれも試練と考えているが、神殿の親玉が信徒をそういう風に教育して利用してるんだろうと踏んでいる。宗教はこれだから嫌いだ。
着替えも無いので下着姿のままのシュヴェリーンを抱いて眠った。
起きた時、彼女の姿は無かった。
幼少時からじっくりと何百話も描く地味な展開の長編作品ばかりなので、今回は気分転換で20話ほどの短編を作りました。