伯爵令嬢の不穏な道中
「あの噂?」
胡乱げな瞳で黒髪の男が問い返す。
それに対し、訳知り顔で自身の長い髪を弄びながらウェールズ家の息子が答えた。
「あれだろう?第三王子であるオスカー様とカルヴァスタ伯爵家の令嬢が恋仲だっていう噂」
この馬車には私を含めて4人乗っていた。
アドルフハイネとエリオット殿下、ミント・ミラージュは別の馬車に乗り込んだため、さっそく私はアウェイな環境に取り残されている。
(まあ、他3人がいたところで浮いているのには変わりないか。アドルフハイネという男だって胡散臭いし)
馬車の中を見回すと、皆が揃いの青と白を基調とした翼竜の遣いの儀式服を身に付けており、彼らのことを全く知らないのに服だけ同じというのは何だか変な気分だった。
見た目だけ揃っていても、私たちの関係性は極めて希薄だ。それなのに勝手にデリケートな問題を口に出されて、非常に気分が悪かった。
「へえ。お前、あの有能なオスカー殿下の恋人だなんて、なかなかやるな。
この間、だったら王妃にして貰えるのかなんて不敬なことを言っていたが、お前まさか勝算があっての発言だったのか?」
黒髪の男がせせら嗤うようにこちらを見て言った。その言葉に、私は苦虫を噛み潰したように顔をしかめた。
(オスカー様、全然牽制が効いてないわよ)
一つ息を吸い込んで、黒髪の男を睨む。
「……口を慎んでもらってもいい?何の根拠もない噂話こそ、オスカー殿下に対して不敬だとは思わないの。そもそも私の名前も知らないくせに勝手にお前なんて呼ばれたくない。まずは名乗ってから発言したらどう?」
ぴしゃりと言うと、黒髪の男はムッとしたように顔を顰めたあと、グシャリと前髪を掻き上げながら自己紹介を始めた。
「……そりゃあ悪かったな、伯爵家のおじょーさま。俺の名前はアイザック・シシーリア・タンズィア。ご想像の通り、貴女と違って平民だ。学年は二年、魔法戦闘科所属。以後お見知り置きを」
慇懃無礼にそう言って、彼は顎で私をしゃくった。まるでお前の番だとでも言いたげだ。
本当に態度がなってないわね、と思いながらも、私は自己紹介を返す。
「シンシア・カルヴァスタ。学年は三年、魔法生物科所属です。一体いつまでこの旅が続くのか知らないけれど、少しの間よろしくお願いします」
すると、この流れに乗るように赤毛そばかすの青年が口を開いた。
「じゃあ僕も。ランドルフ・ロゴナです。
一年生でまだ専攻科は決まってないですが、二年生からは魔法技術科で希望を出してます。よろしくお願いします」
そう言って人の良さそうな笑みを浮かべた後で、ペコリと頭を下げる。
「ロゴナ侯爵家の……」
思わず呟いた私の声を拾って、
「ええ、三男です」
とランドルフは肯首した。
ロゴナ侯爵といえば、一夫一妻にもかかわらず子沢山で有名な家だったはずだ。なるほど、確かに彼らは新興派で、旧王政派であるカルヴァスタ家とは関わりが薄い。長男だったらギリギリ思い出せるくらいだ。彼も同じような赤毛だった。
そして、唯一この馬車の中で自己紹介をしていない残る一人に顔を向ける。
「……僕の自己紹介、いるかな?
カルヴァスタ家のご令嬢も僕のことは知っているだろうし」
相変わらず気怠そうにチョコレイト色の長い髪を弄びながら愛想無く彼はつぶやく。
それ以上なにも言う気配がない男の代わりに、仕方なく私は口を開いた。
「エドワード・ウェールズ様、魔術理論科の三年生でウェールズ辺境伯の御嫡男、で、合っていらっしゃいますか?」
知っている知識を彼に確認すると、彼はひとつ頷く。
「その認識で間違いない。さて、それじゃあこれからよろしくね、シンディ」
気怠げに微笑まれて、私はわずかに眉を顰めた。
「シンディ?」
「君のことだよ。せっかく旅の仲間になったんだからあだ名のほうがいいだろ。ちなみにミントをミミって名付けたのも僕。男共には興味ないから適当に呼んでるけどね。僕のことはエドとかエディとかそんな感じでよろしく。同じ学年なんだし、敬語もいらない」
歳は上ですけどね、と心の中だけで私は突っ込む。
「……わかったわ、エド」
自己紹介が済むと、特にそこからお喋りをするでもなく、私たちは各々が車窓から見える景色を何ともなしにみつめ、その後の時間を過ごした。
「おや、どうしたんですか。通夜のような車内でございますね」
途中、馬の休憩のために水場がある場所で馬車が止まると、アドルフハイネが車内を覗き込んで余計なことを言う。
「別に、こんなもんだろう。移動時間すら気を遣ってお互い話さなきゃならない義理もない」
アイザックはそう言って馬車を出る。
どうやら外で休憩するらしい。
狭い車内に4人で詰め込まれて、私も窮屈になっていたところだったので、彼に続いて外に出た。
少し冷たい風が頬を撫でる。
馬の水場として選ばれたのは浅い湖畔のようだった。
だだっ広い湖畔を囲むように木々が生い茂り、春に芽吹く草花がそこかしこを彩る。
湖畔の先、霞むほど遠くには活火山であるダレッタ山が見える。
なかなか気持ちの良い場所だ。
思いっきり伸びをしていると、いつの間に隣に来たのか視界の端に黒髪の姿が見えた。
「おい、お前、この場所がどこかわかるか」
「“お前”じゃ、返事したくない」
ジトっと隣を見ると、アイザックがムッと唇を引き結んだ。
「……じゃあ、シンディ」
「ぶっ」
まさか愛称の方で呼ばれるとは思わず、つい噴き出してしまう。
「なっ……なんだよ!違うのか!」
「い、いえ、まあ、いいけど……」
真っ赤になって反論してくるアイザックが面白くて、口元を隠して少し笑ったあとで真面目に答えることにする。
「で、この場所はどこかって話ね。
城下からエティナはざっくり言うと南東の位置にある。エティナまでの経路は大きく分けると2つあるんだけど、向こうにダレッタ山が見えるからより東側の経路であるカレド街道を抜ける道を通ってきたんだと思う。
こっちの道の方が整備されてるしね。出発して一刻程だから、経路のだいたい真ん中にある湖としては……」
そうして周囲を見回すと、湖畔近くの小屋に看板が掛かっているのが見えた。
「あ、ほら、アユール湖って書いてる。
この近くには大きな湖がもう一つあるからどっちだろうと思ってたのだけど。
これらの湖の漁のおかげでカレドの街は昔から発展してきたのよ。ほら、霞んで見え辛いけど向こう岸に街が……って、どうかした?」
ペラペラと喋る私をアイザックが驚いたように見つめていて、なんだか居心地が悪い。
「……いや、詳しいなと思っただけだ。来たことがあるのか?」
「いえ、全く。ただ、地理は試験範囲だから。
ダレッタ山も絵画でしかみたことなかったから、念のため試験の前に見れて良かったかも」
そう、魔術師登用試験範囲はなにも魔法だけができれば良いわけではない。実技の他に一般教養科目があり、地理は必須科目だ。
「試験?ああ、確かに前に言っていたか。
ナントカ登用試験があるからポーンになりたくないとか言っていたやつか」
「王宮魔術師登用試験ね」
「なんだってそんなものを受けたいんだか。貴族の子女なんだから、このまま結婚でもすりゃ安泰だろうに」
アイザックのその言葉は、こちらを卑下すると言うよりは、純粋に理解できないとでも言いたそうに聞こえた。
(そりゃ、一般的にはそう思うのも至極普通なのよね…)
「貴方は貴族じゃないから知らないかもしれないけど、カルヴァスタ伯爵家は昔から名門って言われているの」
「なんだいきなり。嫌味と自慢か?」
「ちょっと、違うってば。少し黙って聞いてなさいよね」
ジト目で見てくるアイザックを軽く睨み、こほんと咳払いする。
「名門と言われる理由は単純でね、代々、王宮魔術師を多数輩出しているからなのよ。
王宮魔術師は、コネが効く地方魔術師や貴族の推薦枠がある国家魔術師と違って純粋な実力勝負で登用される、王宮にしか属さない魔術師のことよ。
とても狭き門で、その職に就くこと自体が名誉なの。
それを一代も欠けることなく輩出しているのがカルヴァスタ家なの」
「ふうん……つまり、お前はその名門たる理由を引き継ぎたいわけか。そんなの、男兄弟に任せればいいだろう」
「……私には妹達しかいないの。だから、私がやるしかないの。私の代で途絶えさせるわけにはいかないのよ」
「だから、こんなことしてる場合じゃ無いと?」
その言葉に、アイザックを振り返る。
まっすぐ射抜くような視線だ。剣呑な眼差しは私を責めているように感じる。
自明すぎるその答えを口にする気にもならず、その強すぎる視線から顔を背けて、私は彼に尋ねた。
「アイザック。貴方は聖女様から賜ったこのお役目をどう思っているの」
「そんなの、誇りに思っているに決まってるだろう。……本来俺なぞが賜っていいものではないとも思うが、聖玉は俺を選んだんだ。ならば、誠心誠意全うするのみだ」
「そう。……素晴らしいことだわ」
「おい、思ってもいないことを言うな。腹が立つ」
彼は自分が誇りに思っているこの駒としての名誉を、ぞんざいに扱っている私を許せないだろう。
彼にとって私は、どうしても相容れない存在にしかなり得ない。
「そろそろ戻りましょうか、少し話しすぎてしまったかも」
そうしてそのまま、お互いなにも話さずに馬車に戻った。
先程まで爽やかな風を感じていたというのに、すでにアイザックとの間に流れる空気は重苦しさを帯びている。
「おかえり、シンディ。アイザックも。ずいぶん話し込んでいたようだったけれど、仲は深まったかい?」
馬車に乗り込むと、気怠げに長い髪を人差し指で弄びながらエドが尋ねてくる。
「深まってるもんか。ただ、こいつのお家事情を聞いていただけだ」
ドカッと自分の席に乗り込むと、アイザックは仏頂面のまま、動き出す馬車の車窓を見つめている。
するとエドは、「あぁ、そう」と訳知り顔で頷く。
「一度でも留年するような能力のない者を登用するほど甘くはない王宮魔術師志望の理由でも聞いていたってとこかな?」
「……貴方、良い性格してるわね」
初対面の時にエドに言ったセリフをそのまま返されて、思わず睨んでしまう。
「いやいや、君ほどでは」
「そして意外とプライド高いわ」
最初に言った嫌味を一言一句覚えている程度には彼のプライドを傷つけていたのかもしれない。
指摘すると、エドはキョトンと片眉を上げる。
「何留もしている僕のプライドが高いわけないでしょ」
「ちょっとちょっと、3人とも〜っ!
空気悪くしないで下さいよ、せっかく空気の入れ替えもしたのに…」
ランドルフの言葉で会話は終わり、元の気まずい静寂のまま、私たちは目的地の旧首都エティナまで進んだのだった。