伯爵令嬢、王宮へ向かう
この一連の事件は、瞬く間に学校中どころか国中に知れ渡ることとなった。
曰く、最後に名門カルヴァスタ伯爵家の御息女が名誉あるポーンの地位を賜った。
御息女は喜んでこれを受け入れ、すぐにでも土地の浄化の儀式は始まることとなろう、と。
次の日の朝、自分の屋敷の朝食の席に置かれていた新聞で大々的にこの記事が載っていたのを見た時、本気で頭が痛くなった。
喜んで、の部分を是非とも訂正したい。
「シンシア、こんなものに参加していて卒業は大丈夫なのか?登用試験も受けるんだろう?」
同じ学園の卒業生であり、同じように魔術師登用試験を受け、今や国の中枢を担う一人でもある父はその大変さを熟知している。心配そうにこちらを見遣る視線はどこか非難めいている気もする。
「……仕方ありません。王子に脅されては、参加する以外の選択肢はありませんもの」
「第4王子か。彼も功を焦るうちの一人だからな、このチャンスは逃すまいと思ったのだろう」
どこか遠くを見ながら、父は溜め息を吐く。
「敢えて私と同じ道を選ばずとも、今からでも誰か良い相手を見繕って結婚する道だってあるのではないか?事実、縁談は次々来ているし、それにお前は、かの御方からも望まれて――」
「そういうのは妹達に言ってあげて下さい。
うちには直系の男子がいないのだもの。私がカルヴァスタ家の名門たる由縁を途絶えさせることはできないわ」
ピシャ、とそれ以上言わせない勢いをもって父の言葉を途切れさせた。
父が言わんとしたであろう、それ以降の言葉は嫌と言うほど色んな人から聞かされている。
私の勢いに押されたのか、父は諦めたように溜め息をついた。
「……まあ、もし王宮魔術師が駄目で、結婚もまだしたくないというのなら、王妃様や王女殿下付きの侍女の道なら私が確保しておくから、あまり無理はするなよ」
「ありがとうございます、お父様」
そうして私は重い腰を上げる。
昨日の今日だが、多分この新聞の通り、出立の日時はもうすぐそこまで来ているのだろう。その前に少しでも卒業課題を進めておかなければ。
果たして、その日の放課後。
いつものようにチチに餌をやって少し戯れたあと、生物学教室で私はひとり論文の続きを書いていた。
あとは考察をどこまで深く論じるか、だ。
大体の構成はできているが、何度練り直して書き直しても足りない気がする。この論文も魔術師登用試験の合格の判断材料になるからだ。
そろそろキリをつけて肝心の試験勉強もやらないと、とひとつ伸びをして帰り支度をしていると、コンコンコンコンと扉を叩く軽快な音が教室の出口から聞こえた。
扉は開いているはず。
そう思って音の鳴った方を振り向くと、開いた扉に手を添えて、背の高いその人は一度穏やかに微笑んだ後で深々と頭を下げた。
「お初にお目に掛かります。
私の名はアドルフハイネ・グリモア。第一王子アーサー殿下付き筆頭秘書官を務めております。この度、聖女様御一行の世話人を仰せつかりました故、ご挨拶に参りました」
顔を上げたその人は、鋭く光る榛色の瞳が特徴的な20代も半ばを過ぎた頃合いの成人男性だった。
珍しい銀糸のように波打つ髪は無造作に後ろで一つに纏めており、同じ色の眼鏡は彼を理知的に魅せる。
(グリモア家……)
その家は、長年数多くの著名な魔術研究者を輩出しており、いまや知らない人はいないくらい有名な一族だ。
数年前にその代々の功績を認められて準男爵位を下賜されたのは記憶に新しい。
その一族の一人が、まさか第一王子付きの秘書官だとは知らなかった。
「こちらこそはじめまして。
シンシア・カルヴァスタと申します。昨日お役目を仰せつかったばかりで、詳細はよく分からないのですが、世話人ということは、私達を導いて下さる方と捉えて宜しいのでしょうか」
「導くとは畏れ多い。それは聖女様のお役目かと存じます故、わたくしのことは単なる案内人とでも捉えてくだされば結構ですよ」
「なるほど、引率の先生のようなものでしょうか」
「ふふ、左様でございますね」
そう、柔く笑う姿が大層美しい男だった。
私が知っている第一王子、アーサー殿下は狡猾な男で、周囲への魅せ方をよく知っている印象だ。
アドルフハイネを側近として置いているのも、幾人もの王子とその側近達を並べた時に少しでも映えるように、という意図があるように思える。
「さて、シンシア嬢。早速本題に入らせて頂きます。最初の土地の浄化の日程が決まりましたのでお知らせに参りました」
そうして一通の白い封筒が手渡される。
開けてみると中の手紙には、びっしりと旅の日程やら必要事項やらが事細かに書かれていた。
「後程、ゆっくりと読んでくだされば宜しいですよ。
最初の浄化の地は旧首都エティナです。毎度のことなのでご存じかと思いますが、ここから浄化は始まります。
出立の日は早いですが三日後。もし何か不明な点があれば、私まで。連絡先は最後のページにありますので」
「三日後……、思ったより早いですね」
「元々日程が押していたのですよ。今代の聖女様は少し駒探しに手こずっておられた」
その言葉に顔を上げる。
最後の言葉を、アドルフハイネがどんな顔で言ったのだろうと思ったからだ。
私の視線の意味を正確に捉えたらしい優秀そうな彼は、美しい銀色の縁取りの眼鏡をクイと押し上げて、
「不敬ではございますが、わたくしはそこまで聖女様に入れ込んでおりません故。……もし道中、聖女様に関することでシンシア嬢がお困りの際は、ぜひわたくしを頼って下さい」
そう言って、意味深に片目を瞑ってみせて、アドルフハイネは深々と礼をして立ち去った。
「……なによ、それ」
かくして、その三日後。
私は出立式の行われる王宮へと赴くために、王宮から届けられた服に袖を通していた。
「これが翼竜の使いたちの制服なのね。スカート以外なんて、乗馬のクラス以外で初めて着るわ」
鏡の前で、私は青と白を基調とした、銀糸の刺繍が入った騎士のような制服を着てクルクルと回ってみる。
なるほど、すごく身軽だ。
足元の黒いブーツは少し厚底だが、乗馬の時よりも軽くて歩きやすい。
左胸にはよく見ると銀糸でポーンの形を模した刺繍がされており、そっと手でなぞるとそこから少しだけピリピリするような柔らかな熱が伝わってくる。
この服自体に守りの魔力がかけられているのだとがわかった。なるほど、この制服は気に入った。
「御髪は今日は編み込んで後ろで一つに結えております。
けれどお嬢様、明日からはこれを一人でやらねばならないなんて無謀ですわ。
わたくしもお供できれば良かったのですが。学校ですら専属メイドの同行を許されておりましたのに、今回は許されないなんて、お嬢様のことをなんだと思っているのかしら」
メイドのアンの言葉に私は眉を寄せる。
「儀式はできるだけ関係者のみで行いたいのですって。貴族だからと特別扱いはできないと書いてあったわ」
「ですが……!他の方々は貴族でも男性ですから他の人間の手を借りずに身支度ができることはわかります。
聖女様も元は平民の出ですからお一人である程度はこなされるでしょう。
ですが、お嬢様は由緒正しき名門カルヴァスタ家の大切な御息女なのですよ。こんな扱いはあんまりですわ」
これについては私も同意見だった。
正直、一人で日々の身支度を全てこなしたことがないため、この旅には不安しかない。
しかも、今後の旅程として、最初のエティナでの浄化が一体どれくらいの日程で終わるのか、そのあとは別の都市にそのまま向かうのか、一回帰宅できるのか、全てがまだ未定なのである。
「まあ、向こうで用意してくれる共通の使用人は数人つくようだから、我が儘は言えないわ。それよりも問題を起こさずに粛々と儀式を終えて最短で帰ってくる、それが私の目標よ」
「お労しい限りですわ。もし御身に何かあったらと、使用人一同心配しておりますのよ。それにお嬢様は、オスカー殿下の大事な……」
「いやそれは違うのよ。毎回言ってるけど違うのよ」
耳にタコができるくらい聞かされている言葉にうんざりと耳を塞いで否定して、それじゃあもう行くわね、と足速に部屋を出た。
そうして屋敷の前の馬車に乗り込むと、私は王宮へと向かった。