・港町モクレンで宿を取った
バ、カ、な……。
モクレンの町に着いた。俺は門の前にぶっ倒れた。
激しく息を乱して酸欠の頭に空気を送っていた。
「なかなか根性のある彼氏だな」
「え……っ、えっと……」
「彼女の方がよっぽどタフだったみたいだが」
「そ、それはきっと、鎧のせいかと……」
ユリアンの体力は異常だった……。
しかしそれ以上の化け物はコムギの方で、全く呼吸を乱している様子がなかった。
「ここまでくりゃ安全か……」
「え……?」
「いやこっちの話だ。……お嬢ちゃんももう少し、彼氏の言うことを聞いた方がいいぜ」
「そ、そうですか……?」
「モクレンは治安の悪い町だ。もう少し警戒しときな」
ユリアンはコムギに警告をしてくれた。
もっと気を付けた方がいいと、分からず屋のコムギに一言言ってくれた。
信用するには早いが、2人だけで街道を行く俺たちを心配してくれたのは確かだろう……。
「ありがとうございます、おかげで助かりました!」
「俺も楽しかったぜ。ガキの頃に戻ったかのような気分になれた……。あばよ、若造」
「俺はホリンだっ! 次は……次は負けねぇ……っ!」
息を乱しながらユリアンの後ろ姿を睨んだ。
ソイツがユリアンだと知ると、町の連中は逃げるように距離を取る。
「アイツ……絶ってぇ、カタギじゃねぇ……」
「わぁ……みんなユリアンさんを避けてくね。嫌われてるのかな……」
「みんなアイツにビビッてんだよっ!」
「なんで怖がるの? いい人なのに」
アイツを怖がるだけの理由があるからだろ……。
俺はコムギに支えられながら、モクレンの門を抜けた。
・
モクレンの町は巨大だった。
ブラッカとは比較にならないほどに広く、複雑に建物が入り組んでいた。
大通りには露店が並び、荷物を載せた馬車や荷車がひっきりなしに行き交っていた。
「ヤバい水、着……?」
「うん、そう書いてあるよ。ヤバい水って、どういう意味だろ……?」
「そんな装備、俺聞いたことないぞ……」
そんな名前の宝がモクレンには隠されているという。
しかしヤバいとは、どういう方向にヤバいのだろうか……。
「もしかしたら……ヤバいくらいの水の力を持った服ってことじゃないか?」
「あっ、それ強そう! もしそうだったらホリンにあげるね!」
「お、お前な……。そうやってなんでもかんでも人に物を譲るんじゃねーよ……」
「じゃあいらない? 鉄の鎧の下に付けれるかもよ、ヤバい水着」
「ほ……欲しい……」
「素直でよろしい! どんな服か楽しみだね!」
コムギはあの目には見えない本を開いて辺りを見回した。
袋小路の端っこまで彼女が駆けてゆくと、また何もないところから『やくそう』が現れた。
「マジで何もないところから現れるんだな……」
「あるよー。ここに光る草が生えてたもん」
「俺には見えねーって……」
「そんなことより、ヤバい水着もこの近くだよ!」
俺たちは袋小路から引き返して、今日の宿泊予定であるアシカ亭の方に歩いた。
「ちょ、ちょっと待て、そこ入ってくのかっ!?」
「うん、ここだって書いてあるよ」
家と家の隙間に木箱が積まれている。
コムギはその上を登って、狭い隙間を通り抜けてゆく。
小柄なコムギならいいが、俺には厄介な横幅だった。
奥は小さな隠れ家のような空き地になっていた。
「なんでこんなところに隠されているんだよ……っ!」
「見つけにくいからじゃない? あっ、ピンク!」
「ピンク……?」
もしかして、コムギにだけ見える宝箱の色のことなのだろうか。
コムギは見えない何かに駆け寄り、元気良く両手でふたを押し開ける動作をした。
「あれ、なんだろこれ……シルクの、タオル……? あ、違う、これ、下着だ……」
それはエッチなビスチェだった。
確かに、これはヤバかった……。
「ホリン、これ着るの?」
「着るわけねーだろ、バカッ!!」
「わっ、見て見てホリンッ、股間のところこんなに狭い! わー、なんかやらしいっ!」
「うっ……?!」
エッチな下着を持って、コムギがそれを広げた。
たったそれだけのことだったんだが、俺にはそれが刺激的だった。
コムギがそれを着た姿を想像してしまった……。
「なんで顔赤くするの?」
「逆になんでお前は平気なんだよっ!?」
コムギは首を傾げていた。
丸い目で俺をマジマジとのぞき込んでいた。
「ホ、ホリン……」
「な、なんだよ……っ?」
そんな天真爛漫だったコムギが、急に顔を真っ赤に染めてしきりに首を横に振り始めた。
「こ、これを着ろって言われても、あ、あたし、無理だよ……っっ」
「想像はしたけど着ろとは言ってねーよっっ!!」
「ぇ……?!」
「あ……」
ますますコムギの顔が赤くなり、普段はいつだってやわらかな口元が引き吊った。
「ち、違うっ、違うって言ってるだろっ!?」
「ホリンのエッチッ!! こ、こっち見ないでよぉーっっ!!」
彼女はヤバい水着をバッグに詰め込むと、一目散に俺の前から逃げ出した。
アイツを1人で行かせたら迷子になるに決まってる。
俺は彼女を追いかけて、壁に何度も肩をぶつけることになっていた。
・
コムギの言うアシカ亭はまだモクレンに存在しなかった。
彼女と攻略本に導かれてやってきてみれば、そこにはまだ建設中の宿屋があるだけだった。
コムギにだけ見えるその本は、正しくは現在ではなく未来のことが書かれている。
ますますよくわからない話だった。
「えっと……どうしよっか?」
「うちの村には宿屋なんて1つしかないのに。モクレンってすげーんだな……」
俺たちは予定を変え、すぐそこの宿屋町と呼ばれる通りに移動した。
そこにはたくさんの宿が通りの奥までひしめいていた。
「あの、そこのお兄さん。お兄さんって、何をしてる人なんですか?」
「あ、なんだぁ? 姉ちゃんそっちこそエルフじゃねぇか、珍しいなぁ」
「ちょっ、知らん人にいきなり声をかけるなってのーっっ!」
いや、とは言うものの、確かに何をしているのかわからない格好の男だった。
頭に布を向いていて、しまのあるシャツを着ている。
「エルフですけど、何か?」
「ダハハッ、俺たちゃ水夫だ。あ、わかんねぇか? 船乗りだよ、船乗り!」
「船乗りってなんですか?」
「そこから説明しなきゃダメか、姉ちゃんっ?!」
その男はロランさんの言う水夫だった。
世界中を旅しているなんて羨ましいと言うコムギに、俺も内心で同意した。
「そんな華やかなもんでもないけどよ、考えてみりゃ凄ぇことかもな、へっ!」
親切に彼は俺たちに海の向こうの話をしてくれて、最後は名残惜しそうに仕事に出て行った。
はぁ……。だけどコムギのこの無防備さは、やはり大問題だ。
だがなんて警告すれば理解してくれるのか、俺にはもうわからない。
「そこの宿にしようぜ……」
「うん、悪くないかも」
熊ネズミ亭という宿屋に入った。
見た限りでは綺麗な店構えだったし、入りやすい雰囲気だった。
「宿泊?」
「はい、あたしはコムギ、こっちはホリン、ここに泊めて下さい!」
内装は素朴だった。
田舎生まれの俺たちにはかえってそれが落ち着いた。
「そう。未婚?」
「コ、コイツと俺がかっ!? んなっ、んな関係じゃねーよっ!」
「なら別々の部屋。初日の宿泊料は半額だ」
どこか陰気な雰囲気の受付に淡々と言われ、俺たちは顔を向けあった。
別々の部屋。それはそれでコムギが心配だった。
「半額って、1日しか泊まらなくても半額でいいんですか?」
「いいよ。それで、泊まるの、泊まらないの?」
コムギにうなずいて、ここにしようとうながした。
「泊まります」
「先払いだ。……これ、部屋の鍵」
コムギの部屋は3階だった。
心配だからついて行った。
この宿の廊下は窓が2つしかなくて、どうも薄暗い雰囲気だった。
「あ、あたしここだ」
「俺は2階みたいだ。準備が終わったらまたくる」
「わかった、それまで少し休んでるね」
俺はコムギの部屋を離れて階段を下りた。
さすがのコムギも部屋では無茶をしないだろう。
自分も少し休むことにした。